496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/12(土) 15:55:30.63 ID:utuFYwSn
ミイラについて、交趾(コウチ)と暹羅(シャム)の間に、三百里ばかりの砂原があり、この場所の往来は
松木丸太船に乗り六尺ばかりの小帆をかけ、身は蓑を着用する。何故ならば風烈しく、砂を吹きかける故である。
そこで目だけを出して、かの砂原を風にて走るのである。
その折、砂原に人の死骸の、幾年か経たものを見つけて、熊手のようなものが兼ねて用意してあり、これを
打ち懸けて引きずって帰る。このような死体は、肌は干し固まっていても、着用している木綿はそのまま朽ちず、
故にこれをミイラ(木乃伊)と云い、これは不慮に求め得たものであって、故に本来ミイラは至って大切なもので、
かの地でも秘蔵している。その上、人の形で死んでも小さくなり、さらに干し固まる故に、多くは無く、
毎年発見されるというようなものではない。かの砂原を往来する時に、たまたま見つけて求め得るのだ。
時として日本に渡ってくるミイラは、過半、拵え物である。これは火屋(火葬場)の柱に年々溜まった
人の油を取って、松脂の古いものを使って煉合するのである。しかし人油故に、これにも功が有る。
(渡辺幸庵対話)
百三十歳まで生きたという渡辺幸庵の、ミイラについての証言
ミイラについて、交趾(コウチ)と暹羅(シャム)の間に、三百里ばかりの砂原があり、この場所の往来は
松木丸太船に乗り六尺ばかりの小帆をかけ、身は蓑を着用する。何故ならば風烈しく、砂を吹きかける故である。
そこで目だけを出して、かの砂原を風にて走るのである。
その折、砂原に人の死骸の、幾年か経たものを見つけて、熊手のようなものが兼ねて用意してあり、これを
打ち懸けて引きずって帰る。このような死体は、肌は干し固まっていても、着用している木綿はそのまま朽ちず、
故にこれをミイラ(木乃伊)と云い、これは不慮に求め得たものであって、故に本来ミイラは至って大切なもので、
かの地でも秘蔵している。その上、人の形で死んでも小さくなり、さらに干し固まる故に、多くは無く、
毎年発見されるというようなものではない。かの砂原を往来する時に、たまたま見つけて求め得るのだ。
時として日本に渡ってくるミイラは、過半、拵え物である。これは火屋(火葬場)の柱に年々溜まった
人の油を取って、松脂の古いものを使って煉合するのである。しかし人油故に、これにも功が有る。
(渡辺幸庵対話)
百三十歳まで生きたという渡辺幸庵の、ミイラについての証言
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