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渡辺幸庵が見た戦国武将

2022年09月26日 16:46

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/25(日) 21:47:46.27 ID:2kIRZglE
渡辺幸庵対話』より
130まで生きた怪老人、渡辺幸庵が見た戦国武将

・家康の悪口
権現様は無筆同然の悪筆だった
三河の宝蔵寺で手習いをしたそうだが、せいぜい「いろは」くらいのものだ
自筆でないといけないときだけ「ほつほつ」(ぽつぽつ)と書かれた
それゆえ、御判も「きたなき」御判だった

・三斎様の奇抜な料理
細川三斎は中古の茶の湯者である
茶菓子に能登の「鯖刺」(シメサバか)の頭を切り、折敷に椎の葉を敷いて、「著」(箸か)を添えて出していた
塩出しと切り方に口伝がある

・大坂夏の陣秘話と家康の強がり
真田左衛門佐(信繁)は強き大将で士卒も勇壮だった
ただ、徳川の備えが敗軍したのは真田の勇気ばかりではない
寄せ手は太陽に向かって戦ったので働かず、真田は太陽を背にしてこちらをよく見分けて戦ったからだとささやいて神君も生玉まで退いた



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怪翁が打ち明ける驚きの宇治茶由来

2022年09月26日 16:44

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/25(日) 23:28:07.87 ID:2kIRZglE
渡辺幸庵対話』より
怪翁が打ち明ける驚きの宇治茶由来

宇治の茶はもともと栂尾のものであった
丹波に上林峰養という者がおり、宇治の地面を見て赤土に砂が混じって茶の木に適した土地と気づいた
都にも近く販路にも適していると考え、峰養は栂尾の上林家に婿入りし、「茶を時々盗取」り宇治に植えていた
さて、育った茶を味の分かる者に試飲させてみると、味は一段といいという
ただ、苦味が少しあって「園香」は少ないという評価だった
初めてつくった茶に初と銘をつけた
この茶の種は栂尾のもので、榊という銘だった
葉の形が榊に似ていたからだ
峰養は常々「薗」(ガーデニング)を好んでつくらせていたところ、春雨が降ったので「(薗の草花に肥料として?)小便をかけなさい」と命じたが、家来は思い違いをして小便をすべての茶株に引っ掛けた
峰養は驚いたがどうしようもできず、その年の茶を試飲してみると、苦味は消えて園香はよかった
「不浄」を養分にして育てると味がよいことが分かり、すればするほどに茶の誉れが世間に広まった




百日参りの犬

2021年03月18日 18:16

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/18(木) 16:40:04.87 ID:kFiGMysd
いつ頃のことであったか。城州鞍馬において、毘沙門天百日の開帳があった。
然るに、鞍馬まで行程三里の所より、百日の間、日参する犬が有り、これを一日も怠ること無かった。

参詣の人もこれを見知り、途中にて哀れみ、弁当、飯、肴等を食わせたが、少しでも生臭い臭いが
あれば、それを食わなかった。
「さては精進をしているのか?」
と試してみると、案の如くであったため、精進物を与えた所、尾を振って食った。
これは嵯峨の在所の犬であった。百日にわたった事故に、あまねく人が見知っている。

渡辺幸庵対話



981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/18(木) 17:23:23.32 ID:dtAkzovh
お伊勢参りする犬を思い出した

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/18(木) 21:09:49.84 ID:gm6RxHuz
>>981
あれは周りの人間が代わる代わる伊勢まで連れていってやったんだろw

ミイラについて

2020年12月12日 16:59

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/12(土) 15:55:30.63 ID:utuFYwSn
ミイラについて、交趾(コウチ)と暹羅(シャム)の間に、三百里ばかりの砂原があり、この場所の往来は
松木丸太船に乗り六尺ばかりの小帆をかけ、身は蓑を着用する。何故ならば風烈しく、砂を吹きかける故である。
そこで目だけを出して、かの砂原を風にて走るのである。

その折、砂原に人の死骸の、幾年か経たものを見つけて、熊手のようなものが兼ねて用意してあり、これを
打ち懸けて引きずって帰る。このような死体は、肌は干し固まっていても、着用している木綿はそのまま朽ちず、
故にこれをミイラ(木乃伊)と云い、これは不慮に求め得たものであって、故に本来ミイラは至って大切なもので、
かの地でも秘蔵している。その上、人の形で死んでも小さくなり、さらに干し固まる故に、多くは無く、
毎年発見されるというようなものではない。かの砂原を往来する時に、たまたま見つけて求め得るのだ。

時として日本に渡ってくるミイラは、過半、拵え物である。これは火屋(火葬場)の柱に年々溜まった
人の油を取って、松脂の古いものを使って煉合するのである。しかし人油故に、これにも功が有る。

渡辺幸庵対話

百三十歳まで生きたという渡辺幸庵の、ミイラについての証言



古の軍記等には虚説が多い

2018年07月11日 17:36

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/10(火) 22:55:39.57 ID:4OTrD0VR
古の軍記等には虚説が多いと言うが、それも当然であろう。
信長記、太閤記などを読むと非常に虚説が多い。近頃なら難波戦記、島原記などだが、
私はこれらの戦いを実際に近くで見及んだわけだが、これらの書物は、書くべきことを
書き漏らし、書く必要も無いことを、さも大事な事のように書いている。

こういう近年の事例から、古についても察するべきである。

(渡邊幸庵對書)



922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/11(水) 10:30:57.46 ID:5Chz2f1H
>>921
そりゃそうだろうけど
お前が言うなよw

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/11(水) 11:51:36.35 ID:fTvUYMZ5
130歳まで生きたと称している時点でアレ過ぎる

渡辺幸庵さんインタビュー・いい話?

2009年02月20日 00:10

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 17:11:15 ID:naSet807
長生きするといい体験が出来る話

今日は渡辺幸庵さんにインタビューしたいと思います。
―幸庵さんは1582年生まれで結構長生きされ、珍しい経験をされているみたいで
すが―
「あるよ。確かオナゴのアソコに蛇が入ったのを三回見たなぁ。」

―女性のアソコですか…どうやって蛇を取るのですか―
「患者の一人は片羽道味先生が治療したんじゃが、水を張ったたらいを置いてオ
ナゴをそこに跨がらせてじゃな。たらいに蛙を泳がせるんじゃ。すると、蛇がア
ソコから頭を出して蛙を食おうとする。先生がサッと蛇の頭を掴んで引っ張り出
すのじゃ。」

―あとの二人の患者も同じ治療ですか―
「だいたいは同じなんじゃが、蛙の中に山椒の実3粒を仕込んでおいて蛇に食わせ
る。そして、30分もすれば蛙の山椒がピリリと蛇を刺激して、苦しむ蛇がのたう
ちまわってオナゴのアソコから自然と抜け出すんじゃ。」

―患者の女性はその間たらいに跨がって待つのですか。結構時間がかかりますね―
「蛙を使うのが第一のコツなんじゃ。アソコに入った蛇は軟らかい人間の腸を食
い破ろうとするので、餌の蛙を見せて注意を反らすことが出来るからのぅ。
第二のコツは慌てないこと。慌てて蛇を抜こうとすると、腸が蛇の胴に絡まって
腹痛になるんじゃ。万事、焦りは禁物ということじゃの。」

―今日は楽しいお話有難うございました。次回は幸庵さんの海外放浪記。ミイラ採り
に会ったこと、インド巡礼、ベトナムの謎の砂漠、のお話を伺いたいと思います。―
(渡辺幸庵対話)




43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 17:25:47 ID:sPK+xIKl
いい話なのか、それ?
そもそも渡辺幸庵って実在が疑われている人物だからなぁ

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 17:45:57 ID:LTRSl0dg
渡辺茂という人物は大番頭を務めるなど実在が確認されている
問題は、忠長が切腹して浪人になり、諸国を廻った後に前田綱紀に
身を寄せた人物が同一人物かだな

45 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/19(木) 17:58:38 ID:2J04BFSL
>>42
信之「長生きした結果がこれだよ!(お家騒動)」

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 17:59:56 ID:lvN6aEki
何がどうなったらおまんまんに蛇が入るなどと言うことになったのだろうか

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 18:08:36 ID:19608s4G
ぎょう虫ってことはないのかな

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 18:15:38 ID:naSet807
>何がどうなったらおまんまんに蛇が入るなどと
男のオレには検討もつかんが、蛇おまんまんの話は「今昔物語」「日本霊異記」
にも記述がある。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 18:52:29 ID:J2dMO/jH
お館様の蛇がアップを始めました

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 19:00:57 ID:645VedUj
外で放尿でもしてたんじゃねーの?

51 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/19(木) 19:27:27 ID:kOYYYimV
ケツの穴に入るほうが居心地良さそうだけどなぁ

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 19:33:16 ID:hYoOSLg2
>>42
例え作り話だとしても、昔の人はアソコに蛇だの
触手攻めだのを妄想していたわけですね。

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 19:41:49 ID:Uw25O8Cz
体内に蟲や蛇がいて、それが病のもとであるって考えは根強かったからな

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 20:51:26 ID:l9S1ZM9r
フロイトはこれに影響を受けたわけか

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 03:14:13 ID:ksRrkxz/
昔の女性の下着ってーと腰巻だからねぇ。
神秘の物体は外気に直接触れてる。
で、野良仕事の途中とかにちょいと昼寝したり
しようもんなら「おおココに寝心地良さそうな穴
があるワイ。新しい巣ゲット」と蛇が潜り込む。
なんでパンティを発明しなかったのか謎だ。

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 10:51:31 ID:PfMJ6j7d

>>60
実際着物を着ると分かるが
パンティ、特に古風なちょうちんパンツになると脱ぎはきが大変なのよw
今はゴムがあるけど、当然戦国時代にはゴムなんてないから
パンティ状の物の着用はもっと大変になったと思う。

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 11:03:04 ID:X2Ekou6/
>>72
下帯があるではないか

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 11:21:29 ID:PfMJ6j7d
DQN四天王の一人・細川三斎公ご推薦のもっこふんどしですね分かります






って、用足すときにもっと困るんですけどw

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 12:24:40 ID:GpgcbTRY
>74
ぺらんぺら~ん て出来る越中(守)褌タイプではいかが?
南蛮渡りの「はいれぐ褌」じゃ

130歳まで生きた渡辺幸庵・いい話

2008年10月16日 13:39

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 11:30:55 ID:2SX9t+Q5
何をどうやったらあの時代に九十まで生きられるんだろう

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 11:52:39 ID:KMMByJPC
>>285
130歳まで生きた渡辺幸庵なんて武将がいる

生まれが1582年(本能寺の変があった年)、死んだのが1712年(新井白石たちが正徳の治やってた頃)

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 13:30:37 ID:2SX9t+Q5
>>286
腰抜けた…

石で怪我する程度の実戦経験ある最後の幕臣、ってだけで敬意をうけた人がいるらしいけど、
渡辺さんも実戦経験があるんなら、18世紀には神状態だろうな

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 16:10:38 ID:ZZd0ko/A
俺は生涯で女のマンコに蛇が自ら潜り込むのを数度見たことがある
と豪語してたよねたしか>渡辺幸庵130歳


290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 16:25:03 ID:aYXq7aWq
もうその年齢だけで架空の人物説が出る武将だからな。

現代の医療技術でも130まで生きるのは奇跡。

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 17:19:09 ID:mzvCBBTb
実は影武者だったりするんだろうなぁw

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 17:20:14 ID:i5/csjXg
>>289
完全にボケてるな

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 17:20:46 ID:2SX9t+Q5
三代目・渡辺幸庵、後継者の育成に失敗し、名跡断絶

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 17:51:38 ID:ZZd0ko/A
>>292
対話集の中で武蔵と柳生宗矩の実力を語る部分も
武蔵の苗字を弟子の苗字と間違えてるので
たしかに信憑性はあれなんだけどw

1602~1796の三河の百姓満平さん(195年生きた)が
近世以降での日本人での長寿記録じゃないだろうか
あ、一応江戸時代に平和泉まで従った義経の部下だった人が
当時の物語をしたと林羅山が記録してますけどね

天海以上に信憑性がはっきりしてる長寿武将だと
まず滝川一益の従兄弟の滝川益氏さん1527~1635
前田慶次郎の実のお父さん。息子より長生きしちゃいました
一益とともに転戦。その後は小牧長久手や秀吉の九州征伐にも出てる
他には国司元相さん1492~1592
毛利隆元の傅役でおもに対尼子戦で活躍
子孫は幕末に禁門の変の指揮をとり23歳で切腹

ちなみに余談だけどどう考えても世界記録なのはインドの聖者ハジジさん
西暦203年11月30日に生まれ1800年を越えたいまだに元気に生存中
聖書や神話を除けば2位は中国の四川省の李青曇さん1677生まれ~1931没
200歳を迎えた時に清政府から祝賀の言葉をもらった

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 17:53:04 ID:ZZd0ko/A
平泉でした
常陸坊さんのことです
当時500歳越え?

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 17:56:42 ID:ZZd0ko/A
さらにごめんババジさんでした
聖者の名前間違えちゃった・・・orz

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 18:16:29 ID:2SX9t+Q5
多分、ボケて死ぬことを忘れてるんだろうな