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北条の沼田城と金子美濃守

2011年01月17日 00:00

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 00:01:50 ID:ZHd62Dwq

天正十三年、徳川家康が真田家の上田城を攻撃するのと歩調を合わせて、上野国で
は北条氏直が沼田城への攻撃を開始した。

厩橋城から出陣した総勢五万八千の大軍は、二手に分かれて進軍する。
片方は北条氏直・氏邦の率いる三万八千。
もう一方は北条氏照の二万である。

大雑把に言ってしまうと、氏直・氏邦は厩橋から利根川の東岸を北上、沼田に直行
するコース、氏照は西岸を北上して名胡桃城を攻撃、沼田城の背後を窺うというコ
ースを取っていた。
対する沼田城は二千に満たない小勢。共に篭城する周辺住民を合わせても七千前後
という人数にしかならなかった。


「猪俣様、沼田城外に多数の旗が見えます」
北条軍の先鋒は例によって猪俣能登守。彼の元に物見の兵が報告に来る。
「……矢沢頼綱が打って出たのか?」
「いえ、旗はこちらではなく、名胡桃城に向けて移動中です。旗の数から見て、総
勢は恐らく一千前後かと」
「千を率いる武将など、沼田には矢沢以外おるまい……陸奥守様(氏照)の動きを
察して、沼田を捨てて名胡桃を防衛拠点にするつもりか?」
「如何なさいますか?このまま見逃し、沼田攻略に専念いたしますか?矢沢のいな
い沼田など、容易く落せますぞ」
「いや、千とは言え、矢沢が名胡桃に合流したらやっかいだ。ここで討つぞ!」
猪俣は手勢三千を率い、名胡桃に向かう真田勢の後を追い始めた。


が、勿論、これが計略でない筈がない(笑)
あと少しで真田勢に追いつこうか、という所で俄かに猪俣勢の後方部隊が騒がしく
なる。
「背後から敵襲!待ち伏せをされました!」
そう、森の中でジッと息を潜め、猪俣勢をやり過ごした渡辺左近丞が、五百の手勢
で後方から奇襲を仕掛けたのである。
「な、伏兵だと!? 罠っ!?……では、あの先行する部隊は……」

金子美濃守、推参!!」
名胡桃に向かう一千の勢は矢沢頼綱ではなかった。
金子美濃守の手勢に民間人を加え、彼等に旗を持たせて正規兵らしく装った囮であ
る。
勿論、渡辺左近丞の攻撃開始と共に、金子美濃守も反転、総攻撃に移っている。
加えて民間人とは言え、この時代は武装して戦い慣れた者も多い。彼等の奮闘もあ
った。

奇襲で浮き足立った所に前後からの攻撃を受け、猪俣勢は反撃を加える事も出来ず、
二百を討たれた挙句、散り散りになって逃げ帰ったという。


まとめの方で金子さんを擁護する発言が続いたので、ちょっと格好良い所を(笑)
……つか、本当に擁護しようのない無能は猪俣さんだという気がしてきた。(^^;
真田側の記録が出典なんだから仕方ない事ではあるんですが。





257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 02:49:32 ID:vXrVwzrg
良質な記録文書の宝庫である北条家なのに猪俣さんの活躍は記録されてないのか・・・

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 02:50:59 ID:JElKcTQC
金子美濃守に敗れる猪俣さん・・・

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 02:56:50 ID:Iot/vh62
まぁ猪俣はストライク入らないからなw

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 08:23:53 ID:y6qA0kon
泣くな!イノマティ

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 08:59:49 ID:1xYiSDpW
いのちゃんは同じ手によくひっかるよね


262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 12:21:20 ID:BM4GzxWe
天庵様クラスの清々しい負け方だな。

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 13:53:06 ID:ABEztcyG
寿司なら上手に握れるんだけどなぁ…

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 15:02:54 ID:ZA6YqLsM
>>261
猪だけに狩られる方なんだよ。
猪肉は真田家で美味しくいただきました。
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金子さん平常運転中、の巻

2010年12月25日 00:00

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:06:40 ID:b84mgSVC

上野国沼田を制圧した真田家は、続いて北条家配下の白井長尾氏攻略に動き始める。

天正十年夏、白井城の支城である猫城&樽城に、沼田衆&川田衆といった上州国人
衆を主力とした真田軍一千が押し寄せた。総大将は矢沢頼綱


が、この侵攻は真田軍の散々な敗北に終わる。
矢沢頼綱が戦場に到着する暇もなく、白井長尾軍の伏兵による攻撃を受けた沼田衆、
続いて川田衆も総崩れになってしまったのである。

「……………」
報告を受けた頼綱、憮然とした表情を隠そうともしない。
勝敗は兵家の常。百戦錬磨の頼綱にそれが判らぬ筈もない。
しかし、それでも尚、憮然とせざるを得ない報告があったのである。


第二陣の恩田越前守&下沼田豊前守、猫城兵の伏兵により敗走。これはまだ良い。

同じく二陣に配されていた塚本肥前守、敗走する味方の兵を収容しつつ、樽城兵の
追撃をかわし、撤退。これはむしろ手柄と言っても良いだろう。

先鋒の中山右衛門尉、後続の沼田衆が崩れた為、敵中に孤立。奮戦するも最後は茂
みに足を取られ、二人掛りで討ち取られる。これも褒めてやりたい所だ。

では、問題なのは誰か。
二陣に配された金子美濃守、白井城からの後詰の兵七人と交戦。備えを崩して逃げ
惑う、とあるから敗走、と言うより壊走と表現した方が近いだろう。


「……七人?」
金子美濃守が何人の手勢を率いていたのかは判らない。
しかし、沼田衆の中心人物であった美濃守である。少なくとも百や二百の手勢はあ
ったのではないか。
「七十人ならともかく、七人に追いまくられて、逃げ惑っていた。と言うのか、奴
は?」
「そ、その様に報告を受けております」
「……いい加減、殺しといた方が良くないか、あいつ?」

苦虫を噛み潰したような表情の矢沢頼綱。負けるのは良しとしても、負け方と言う
物がある。あまりに無様な負け方をすると、一気に国は崩壊してしまう事があるの
だ。
頼綱には予想出来ていたのだろう。
この敗戦を見た国人衆、特に白井長尾氏と領地を接する川田衆が、次々に北条方に
寝返りを始めたのである。
北条氏邦に提出された連判状に記された名は、実に五十四名。

その後、頼綱は真田昌幸に信州からの援軍を請い、重要拠点から上州国人衆を外す
などの対応に追われる事になった。


……金子さん平常運転中、の巻。w
これ以降、真田氏の側から北条への侵攻はなくなってしまうので、真田氏による上
州制覇の野望を挫いた敗戦と言っても良いかもしれません。
つか、地元の国人衆を左遷した状態で、よく北条の大軍を何度も退けたな、頼綱さ
ん。マジバケモノだ。www





142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:28:27 ID:XhJg9qTJ
矢沢頼綱「小松明がなければすぐに死んでいたかもしれんな」

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:38:39 ID:oJtZlbFG
「七十人ならともかく、七人に追いまくられて、逃げ惑っていた。と言うのか、奴
は?」
「そ、その様に報告を受けております」
        /´〉,、     | ̄|rヘ
  l、 ̄ ̄了〈_ノ<_/(^ーヵ L__」L/   ∧      /~7 /)
   二コ ,|     r三'_」    r--、 (/   /二~|/_/∠/
  /__」           _,,,ニコ〈  〈〉 / ̄ 」    /^ヽ、 /〉
  '´               (__,,,-ー''    ~~ ̄  ャー-、フ /´く//>
                                `ー-、__,|     ''


金子美濃守、戦続きで乱れた世の中を憂い、

2010年12月21日 00:00

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 03:01:00 ID:kiDc5BxX

上州沼田の豪族に金子美濃守という人物がいる。
少し前の雑談、「ヘタレ武将」の中でも名前が挙がっていた人物ではあるが、実は
それなりの能力は持っていたらしい。
元々は沼田氏の配下だったのだが、娘(妹・姪という説も有)を当主の妾として、
沼田氏が北条派・上杉派で内紛を起こした際には北条派を粛清、娘の産んだ子を世
継に据える事に成功。
しかし真田氏が進出してくると、孫を捨てて真田に寝返る。あまつさえ由良氏の援
助を受けた孫が逆襲に転じると、内応したように見せかけて謀殺してのけるという、
戦には弱いが謀略・調略に才能を発揮した武将だったようで、真田家中でも沼田衆
のまとめ役を務めたようだ。


そんな金子美濃守、戦続きで乱れた世の中を憂い、平和を祈願する為に、上州の修
験道場として有名な湯殿山に参詣しようと志した。

湯殿山で修行する僧に道案内を頼み、知り合いでもあった海蔵寺の住職にも同行し
て貰い、湯殿山に登り始める。
しかし、不思議な事に御山に一歩足を踏み入れた途端、美濃守の手足は竦み、頭は
クラクラとして前後もわからないようになってしまった。

案内人達が美濃守に問う。
「これは御山が貴方の入山を拒んでいるのではないでしょうか。貴方は何か、懺悔
するべき大罪を犯されておりませぬか?」
「し、仕方がなかろう!わしとて重代の主君を殺したくなどなかった!しかもわし
に取っては孫に当たる若君だったのだぞ!それでも、殺さねばならなかったのだ!
金子の家を残す為だったのだ!!」


101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 03:02:20 ID:kiDc5BxX

美濃守が、山伏達にそう言葉を返した途端、茂みの中から彼等の前に一匹の蛇が姿
を現した。
百尋もあろうかという巨大な大蛇であり、この大蛇は美濃守をジッと見据えたまま、
自らの腹を美濃守の目の前に晒した。

「…………平八郎様っ!!」
美濃守は騙し討ちにした孫の名を叫ぶと、その場に昏倒してしまう。
山伏達と海蔵寺の住職が大蛇を見ると、蛇の左の脇腹には痣のように見える模様が
あった。
生前の平八郎にも痣があったか、騙し討ちにした時に左脇を斬り付けたのか、美濃
守と平八郎にしか判らない何かがあったのだろう。
だが、この大蛇が平八郎の怨霊である事は確かだと、後に息を吹き返した美濃守自
身が語ったという。


山伏達&住職に担がれるように山を降りた金子美濃守。
海蔵寺の住職には
「平八郎様の霊を慰め、菩提を弔う為に出家されては如何だろうか?」
と提案されるがそれを拒否。
あくまで在家のままで平八郎の菩提を弔いたいと言って、湯殿山の参詣者達の為に
登山道の整備に私財を寄進したり、七度まで執拗に湯殿山参詣にチャレンジしたり
もしている。
だが、遂に美濃守が山頂にまでたどり着く事はなかったという。

この事があった後、美濃守の館では、日が暮れるたびに平八郎殿の霊が現れたと言
う。
沼田衆のまとめ役であった美濃守だが、配下の沼田衆の心も離れて行く。
この様子を見て真田昌幸・信幸父子も美濃守を見限ったのか、小田原征伐の後、関
東が静謐になると、美濃守の所領を替え、少しずつ減らして行った。
最後は自らの館もなく、縁者の元で病死して果てたと言う。


真田配下でのヘタレ敗戦の事ばかりが有名な金子さんですが、意外に謀略家だった
んですね。
出家を勧められて拒否する辺りは「戦国の武士として間違った事はしてない」とい
う矜持でも持っていたのでしょうか。
見方に寄ってはちょっと同情出来なくもない、金子美濃守と沼田平八郎の怨霊のお
話でした。




102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 03:07:22 ID:4DsGlYKI
なるほど、平八郎のせいで結果的に信之お兄ちゃんの命が縮んだと
いうことですね
K○MATSU「私の父が何か」

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 10:31:32 ID:U8AHGvqt
良心の呵責ってのがあったんだろうか。

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 11:09:14 ID:MNMRktQ3
そもそも湯殿山に行かなければ良かったんじゃね?

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 11:26:21 ID:oL63smAx
真田某「あーしてこーして」
山伏達&住職「OKボス」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 11:30:41 ID:vnp5y9Pn
>>105
そんなまわりくどいことをあの方がw



107 名前:100-101[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 13:25:21 ID:kiDc5BxX

先の逸話では省略してしまいましたが、出典元では海蔵寺の住職が出家を勧めた時、
「うちの寺は元々、上杉顕定が討死した時、主君を守れず、仇も討てなかった後悔
から、沼田景秀が建立した寺」と、寺の縁起を語り始めます。
自分は「主君の菩提を弔う為の」「沼田氏所縁の寺」の住職である、とまるで説得
というより難詰するかのような雰囲気です。

平八郎の霊が出るようになって、人も離れたと書かれていますし、昌幸の陰謀云々
よりも、真田家中の雰囲気が「……出家すればいいのに」という空気だったんじゃ
ないですかね。

本人からしてみたら仕方なくやった暗殺ではあったのだけれど、周りの人達は皆、
ドン引きしていた。ってな感じでしょうかw