愛姫輿入れの事

2014年06月28日 18:47

愛姫   
603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/27(金) 20:03:46.80 ID:sd4Sfqt+
この冬(天正7年・1579)、奥州高野郡田村荘三春の領主、田村大膳大夫清顕の娘、愛(訓・米吾)姫が、
伊達政宗公の元にお輿入れをされ祝儀を調えられた。
この時、板屋は雪が深かったので、小坂路を経て米沢へと至り給われた。

愛姫の御母は小高の相馬顕胤の娘であり、田村清顕は夫婦ともに、伊達稙宗公の外孫であって、
愛姫は政宗公の又従兄弟である。

(貞山公治家記録)

これだけでももうややこしい奥州の血縁関係の解る、愛姫輿入れに関しての記事である。





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愛姫の遺品

2011年02月02日 00:01

愛姫   
560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/31(月) 23:57:46 ID:daQSSwl+
今日は愛妻の日だったそうなので夫婦の話。

伊達政宗正室愛姫は1653年1月24日逝去した。享年86歳の大往生である。
時代はすでに承応、四代将軍家綱の世となっており、最後の戦国大名とも呼ばれた男の正妻の死は、
戦の世がまた遠くなったことを告げるものでもあったろう。
亡くなる数日前から体調を崩し床に臥していた愛姫は22日には危篤となっていたのだが、
夫の月命日の24日に死にたいと気力で長らえたのだと伊達家の記録は語る。
戦国を生き抜いた女性は強かった。

仙台市博物館には、孫の綱宗が愛姫の遺品として伝えた一通の手紙が今も大切に保管されている。
姫愛用の硯箱にしまわれていた宛名もなく文面も不明瞭なこの手紙は、政宗5歳の時の手習いの書なのだという。
この80年も前の書付がいつごろどういった経緯で愛姫の手に渡ったのかは不明だが、
夫の幼い筆跡を常に傍らに置き、時折取り出してはいとおしげに眺めたであろう老いた夫人の姿を思うと、
なんとも暖かい気持ちになる。
激動の時代、60年近い歳月を連れ添った夫婦の絆は特別なものがあったのだろうと思わされる手紙の話。

安西先生・・・奥さんがほしいです・・・(´・ω・`)




561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/01(火) 00:24:00 ID:POV5hbPU
普通、故人を偲ぶ品って結婚指輪とか家族で撮った写真とか、
自分と関係が深かったり本人が直接身につけてた物とかじゃね?
故人が自分の顔も知らなかった頃の字の練習帳を大事にするってなんかピンとこないんだよな
夫婦の機微ってわかりそうでわからんのう

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/01(火) 00:51:12 ID:uBmv4cIt
>>561
その辺はもう政宗と愛姫だけにわかる世界だからな…

推測だが政宗も手習いの書を大事にしてたんじゃないか。
普通5歳の時のものなんてなくなっちゃうだろう。

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/01(火) 02:20:07 ID:XjRxLqZ4
>>560
私は武将の妻ではないけど、なんかわかるなあ、愛姫の気持ち。
たまらなく愛しいのよね、ちっちゃい頃の夫の何かって。
何ともいい話だなあ。

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/01(火) 07:21:52 ID:3cPT4rgB
小さい頃の思い出の品を嫁に勝手に捨てられた俺が来ましたよ

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/01(火) 10:06:39 ID:dwtPQ1zQ
>>565
その後酒に酔って絡んで斬り捨てたわけですな?