710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 01:06:09 ID:iyA39aJE
明智光秀の小姓、杉尾左兵衛は光秀のその死まで付き従っていたという。
さて、光秀の死を見届けた左兵衛は山中に隠れた。京の市中には
『日向守(光秀)の与党を見つけたものには褒美を取らす』
(日向守か與黨人尋出来候はば可有褒美)
との高札が立ち並んでいたのだ。
この杉尾左兵衛の在所は、京より近い塔の森と言う土地であった。
どうにかそこまで忍び行こうと、近くにあったカカシの蓑笠を取ってこれを着、
脇差を抜いて柴を刈り、樵の風情となって探索の目をかわし、塔の森へとたどり着いた。
着いてみればだがしかし、我家の前に多くの人が集まっている。
「これはさては、私を探しに来た者たちか?」
と、裏に回って聞き耳を立ててみる。するとこの騒ぎは、左兵衛が討ち死にしたと聞いた親類たちが集まり、
死の時の模様を知ろうと、巫女を呼んで口寄せをさせている所だと知った。
そして今まさに、巫女が自分の死に様を語っているところであった。本人のすぐ側で。
ここで左兵衛、裏口より家の中へ入ってくる。
これには親類たち大いに驚きかつ喜んだ。そして絶好調に左兵衛討ち死にの模様を語っていた巫女は
その場から逃げ出したと言う。
この杉尾左兵衛、後に肥後へと渡り、さらに大坂の陣の時大阪城へ入り、そこで討ち死にしたと言う。
明智光秀家臣杉尾左兵衛、生きているうちに口寄せされる、と言うお話。
711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 01:12:30 ID:ltBdKIfS
マリリン・モンローの霊か
712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 02:38:36 ID:fcdTauIG
こういう話を見るに付け、戦国時代末期には、神威やら何やら旧来の霊的権威が
笑いの対象にすらなって行ったことが分かるな。
714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 17:25:37 ID:6eWJ1bY+
>>712
源平のころなんかは叡山の強訴無双で朝廷が手も足も出なかったのにな
時の移り変わりは恐ろしいのう
716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 19:44:15 ID:u4QYuLG/
>>714
寺社領(というか荘園か?)というものが、実質的に有名無実化したこともあるんでしょうね。力なき理念は、
無力という意味合いでも
717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 19:45:38 ID:8TtORFHV
戦国中期までの叡山は日本有数の武力と経済力を誇っていたからな…
719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 19:54:57 ID:fcdTauIG
中世史研究者にとって最大の敵は信長。
叡山燃やしたから貴重な文書が大量に灰になって中世の実相が掴めない。
中世文書史料のほとんどは寺社がもっていて、寺社の最大のものが叡山だったからな。
726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 20:59:57 ID:LOtKvmJh
>>719
おひおひ、比叡山を焼いたのは信長が初めてじゃないし、信長の時はむしろ小規模な焼き討ちだったのはもう常識だろ?
727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:15:34 ID:fcdTauIG
>>726
どこの常識だwww
728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:26:20 ID:AnJMoWad
>>727
「小規模」というのは「そーゆー説もある」程度かも知れんが、「信長が初めてじゃない」
のは常識じゃないか?
数度に渡る焼き討ちによって貴重な文書が焼失したのは間違いではないと思うが、全てを
信長のせいにするのはおかしいと思うぞ。
729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:29:50 ID:K1D28lOO
大規模だろうが小規模だろうが、
それで紛失したものがあれば、愚痴を言われるのは仕方ない。
陶の謀反の時に山口が~とか、大友の遠征で寺社仏閣が~とか、
本能寺や大阪城で茶器が~とか、ラスボスの韓国遠征で文化が~ニダとか、
言われるのと同じ。
731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:32:04 ID:S201hNb9
それでも日本は、あの文書天国の江戸期を除いても世界で最も古文書のたぐいが
残っている国なんだぜ。
明智光秀の小姓、杉尾左兵衛は光秀のその死まで付き従っていたという。
さて、光秀の死を見届けた左兵衛は山中に隠れた。京の市中には
『日向守(光秀)の与党を見つけたものには褒美を取らす』
(日向守か與黨人尋出来候はば可有褒美)
との高札が立ち並んでいたのだ。
この杉尾左兵衛の在所は、京より近い塔の森と言う土地であった。
どうにかそこまで忍び行こうと、近くにあったカカシの蓑笠を取ってこれを着、
脇差を抜いて柴を刈り、樵の風情となって探索の目をかわし、塔の森へとたどり着いた。
着いてみればだがしかし、我家の前に多くの人が集まっている。
「これはさては、私を探しに来た者たちか?」
と、裏に回って聞き耳を立ててみる。するとこの騒ぎは、左兵衛が討ち死にしたと聞いた親類たちが集まり、
死の時の模様を知ろうと、巫女を呼んで口寄せをさせている所だと知った。
そして今まさに、巫女が自分の死に様を語っているところであった。本人のすぐ側で。
ここで左兵衛、裏口より家の中へ入ってくる。
これには親類たち大いに驚きかつ喜んだ。そして絶好調に左兵衛討ち死にの模様を語っていた巫女は
その場から逃げ出したと言う。
この杉尾左兵衛、後に肥後へと渡り、さらに大坂の陣の時大阪城へ入り、そこで討ち死にしたと言う。
明智光秀家臣杉尾左兵衛、生きているうちに口寄せされる、と言うお話。
711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 01:12:30 ID:ltBdKIfS
マリリン・モンローの霊か
712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 02:38:36 ID:fcdTauIG
こういう話を見るに付け、戦国時代末期には、神威やら何やら旧来の霊的権威が
笑いの対象にすらなって行ったことが分かるな。
714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 17:25:37 ID:6eWJ1bY+
>>712
源平のころなんかは叡山の強訴無双で朝廷が手も足も出なかったのにな
時の移り変わりは恐ろしいのう
716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 19:44:15 ID:u4QYuLG/
>>714
寺社領(というか荘園か?)というものが、実質的に有名無実化したこともあるんでしょうね。力なき理念は、
無力という意味合いでも
717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 19:45:38 ID:8TtORFHV
戦国中期までの叡山は日本有数の武力と経済力を誇っていたからな…
719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 19:54:57 ID:fcdTauIG
中世史研究者にとって最大の敵は信長。
叡山燃やしたから貴重な文書が大量に灰になって中世の実相が掴めない。
中世文書史料のほとんどは寺社がもっていて、寺社の最大のものが叡山だったからな。
726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 20:59:57 ID:LOtKvmJh
>>719
おひおひ、比叡山を焼いたのは信長が初めてじゃないし、信長の時はむしろ小規模な焼き討ちだったのはもう常識だろ?
727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:15:34 ID:fcdTauIG
>>726
どこの常識だwww
728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:26:20 ID:AnJMoWad
>>727
「小規模」というのは「そーゆー説もある」程度かも知れんが、「信長が初めてじゃない」
のは常識じゃないか?
数度に渡る焼き討ちによって貴重な文書が焼失したのは間違いではないと思うが、全てを
信長のせいにするのはおかしいと思うぞ。
729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:29:50 ID:K1D28lOO
大規模だろうが小規模だろうが、
それで紛失したものがあれば、愚痴を言われるのは仕方ない。
陶の謀反の時に山口が~とか、大友の遠征で寺社仏閣が~とか、
本能寺や大阪城で茶器が~とか、ラスボスの韓国遠征で文化が~ニダとか、
言われるのと同じ。
731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 21:32:04 ID:S201hNb9
それでも日本は、あの文書天国の江戸期を除いても世界で最も古文書のたぐいが
残っている国なんだぜ。
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