那須惣領家滅亡顛末

2013年01月01日 20:03

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/01(火) 11:59:03.64 ID:2/ycnmwH
那須惣領家の那須資親には男子がなく、甥である白川結城政朝の次男、資永を養子とし、後継ぎとして迎えた。
が、その後に資親には実子・資久が産まれた。

永正11年(1514)、資親はその臨終の刻に、宿老である大田原胤清・資清親子に対し、実子・資久を家督とするよう
遺言して死去した。
これにより大田原親子は、金丸・大関・芦野・伊王野氏といった有力家臣と共に、資久の邪魔となる資永を滅ぼすため
挙兵し、総勢300騎で蛭田ヶ原(現・栃木県湯津上村)に陣を敷いた。
しかし資永は屈せず、わすか50騎ながら箒川を挟んで決戦を挑むが、勝敗は決することがなかった。

夜になり、資永は福原城で討ち死にを覚悟した。しかし最後の手段と、大雨を幸いに家臣を、那須資久の居城
山田城に密かに派遣し、資久の身柄を捕らえ、福原城へと拉致した。

8月3日、資永は捕らえた資久の首を刎ね、自ら城に火を放ち自害して果てた。
ここに那須惣領家(上那須家)は滅亡したのである。
(那須記)

以上、那須記より、那須惣領家滅亡の顛末である。





988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/01(火) 13:57:04.96 ID:z66QIb7/
資清の逸話の詳細版だね

汚いな大田原さすが汚い

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/01(火) 14:22:15.88 ID:P1aVy5M6
資親の遺言が本当かどうかからもう怪しい

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/01(火) 17:20:07.37 ID:02MPR2uP
潜入作戦だってわざと見逃したのでは

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/01(火) 21:52:03.07 ID:MfQ0Cr8w
蛇年にちなんで戦国時代のスネークだというのに
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完璧すぎた城

2011年12月19日 22:00

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 22:03:58.89 ID:d4f0VdIO
完璧すぎた城


2つに分裂していた下野の那須家が併合されて初の当主となった那須政資が悪戦苦闘しながらも何とか
国衆の調整をし、ようやく家政も安定し始めた頃の話。
政資にとって懸念材料だったのは権限が肥大化しすぎた重臣、大関宗増の存在であった。
宗増は資房の嫡子、那須高資の傅役として早くも次期当主一の腹心といった立場をキープしており、
高資に家督を譲れば今以上の権力を握るのは明白であった。

天文8年(1538年)の軍議でついに政房と高資と宗増の対立が表面化する。
「宇都宮尚綱と同盟すべき」という政房と「宇都宮を叩き、小山高朝・結城政勝兄弟と同盟すべきだ」という
高資の主張は真っ向から対立した。
結局の所、大御所那須政房(政資父)や伊王野資勝らが現当主政資の意見に賛同し政資が押し切った形となったが
高資と宗増は大いに不満を持った。
そこで大関宗増は政資を当主の座から引き釣り下ろす策を考えて高資を唆し、高資もまたその策に乗った。

天文9年(1539年)9月、政資が留守にした隙に白旗城の大関宗増が挙兵。高資が
その兵を那須家の本拠である烏山城内に引き入れ、立て籠もった。
この反逆に政房は怒り、直ちに討伐軍を編成。宇都宮尚綱・佐竹義篤・小田政治らにも援軍を頼み烏山城を攻めた。
一方で高資に味方した軍勢はごく僅か。頼みにする所は難攻不落の烏山城の防御力のみといった感じであった。

だがこの烏山城の防御力が並大抵ではなかった。6ヶ月間攻めたが城内に兵が入ることすらない鉄壁ぶりで
連合軍も途方にくれた。
ついには高資が同盟した小山・結城軍が宇都宮・佐竹・小田の領地を荒らし始めたのでたまらない。
佐竹義篤は「もう和睦した方がいい」と政資に告げると帰ってしまい、宇都宮や小田もまた領国へ引き上げていった。

連合しても落ちなかった城が政資の用意できる兵で落ちる訳も無く、業腹ではあるが政資の方から和議を申し入れた。
応じた宗増はといえば強気に「那須政資が高資に家督を譲る事」に加えて
ついでに政敵である「伊王野資勝の引退」を和睦の条件に出した。
烏山城を占拠されたままではどうしようもなく、那須政資は高資に家督を移譲し、
伊王野資勝も息子に家督を譲って隠居せざるを得なかった。




424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 22:21:15.37 ID:SW5zeGpP
資清「城が堅いなら謀略を使えばいいじゃない」

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 22:28:08.58 ID:a1PAMBG4
高増さんに乗っ取られる前から大関は汚いな

烏山城は城下が燃えた事ぐらいは有るが城内に侵入された事は一度(一人が潜入したが即斬られる)しかないらしい。

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 23:37:22.96 ID:GHi1UU0G
>>428
那須家が好きでよく調べてるのはわかるけど、逸話としては余計な情報が多すぎ


427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/19(月) 00:06:06.60 ID:HbYKTJs1
>>425
m9(´・ω・`)次から気を付けろよ

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/19(月) 00:07:10.27 ID:COksL3Od
おまえら安価間違えすぎだろ

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/19(月) 11:01:59.41 ID:538nwExj
なんだ汚い人の話じゃないのか

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/19(月) 11:15:07.36 ID:nYm2ctlh
>>425
那須家中で最も汚い人間が大関家の当主になるルールがあったんじゃないかと思えてくるな

那須家の分裂

2011年01月18日 00:00

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 22:52:39 ID:SsqYAh33
那須家の分裂(1)

小田倉の戦い(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4685.html)は大関高増の活躍によって那須・佐竹の
勝利に終わったが、
那須家当主資胤の高増への拭い難い不審感を生んだ。
また、他の那須七党たち(一部除く)も高増を恨んで福原弾正左衛門資郡(資胤の弟)の戦功ばかりを言い立てたため、
高増は怒って出仕を止めてしまった。

これを好機と捉えた資胤は、高増の家人松本美作守を密かに呼び出し、高増を誅殺するよう命じた。
仕方なく了承した松本だが、黒羽城に帰ると当然高増に打ち明ける。
「罪もなく殺されるのは納得いかないだろ^^;」
と、高増は逆心し、佐竹義昭に助けを求めた。

義昭の次男義宗を那須家の当主として迎えるという約束のもと、佐竹家重臣東左近将監政義率いる
宇都宮・大関合わせて三千余騎が烏山西方二十余町に布陣、
それに対し那須側は資胤兄弟をはじめとする一千二百余騎で迎え撃った。
数に劣る那須家であったが、千本秋縄斎・蘆野意教斎・秋元越前守らの奮戦により宇都宮・大関勢を押し込め、
那須勢を大軍と見誤った政義は降伏して常陸へ逃げ帰った。
(義政が那須勢を大軍と見誤ったのは那須八幡大菩薩が那須家を守護するために霊験を現わしたのだと
人々は噂した)

その後那須勢は高増の籠る黒羽城に攻め寄せたが、高増の指揮のもと城兵が奮戦し、さらに高増の弟
大田原綱清が高増救援に駆け付けたため、那須勢は囲みを解いて撤退した。


那須家の分裂(2)

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 22:55:07 ID:SsqYAh33
那須家の分裂(2)

先の戦いの翌年、大関側の要請によって佐竹義重の陣代長倉遠江守当は茂竹左馬介・川井甲斐守・助川周防守ら
常州兵を率いて烏山東方三十余町のところに出陣した。
佐竹勢は川を前に陣取っていたが、那須の者たちにとってはよく知る川、難無く渡り佐竹・大関の間に割って入った。
那須勢は重代の家臣から野伏・一揆衆まで命を捨てて動き回ったので佐竹勢は壊乱し逃げ出した。

この時大関勢は「地元だけど在所から遠いから地形がわからない。長倉殿は攻めの案内者なのだから
殿よろしく^^」といって先に引いてしまった。
これを見た資胤は
「大関の連中は元々那須家の家来、最後には降参してくる。そのまま逃がしてやれ。常州の連中は
一人も打ち漏らすな!」
と息もつがず攻め続けたので、佐竹勢の大半は討死、長倉も負傷して引いた。
大河井の流れは四・五日も血に染まり、紅の楯を並べたように見えたという。

那須家の内乱は永禄六年(1563年)より足掛け6ヵ年も続き、討死・負傷した者は数を知れない。
永禄十一年(1568年)、金剛寿院の住職尊瑜法印が仲介に入り、和議が成った。
資胤の嫡男資晴が使者として黒羽城に入り、高増もこれ以上主家に弓を引くわけにはいくまいと、
正式に和睦を結んだ。
ここに周辺勢力を巻き込んだ那須家の内乱は一応終結した。





424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:15:49 ID:hXEvT0hD
烏山中心に守りに入った那須家のしぶとさは異常

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:40:38 ID:JElKcTQC
政治的に失脚したと思ったら復活するのが大田原党

この後も何事も無く重臣

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:36:25 ID:qkQrjqxi
北関東の戦いはいつも相手の止めを刺さないで政治決着で終わるな

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:53:26 ID:gWIIiGjx
>>426
洞中社会というのはそういうものだからな。
逆に言えばそういう社会の中で近隣をガンガン潰し回った政宗がどれだけ
異常な存在だったかと言うこともw

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 01:00:32 ID:c+m7gPcR
政宗はフナとかコイしかいない池に放たれたブラックバス

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:20:36 ID:UGRJdrcA
ドロリとした独特な味のドラマが生まれやすいので嫌いではないよ、洞の中の大名たちの逸話。

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:24:32 ID:DEOvGZBc
那須の当主は戦上手いの揃ってるしなぁ。
策謀上手いの揃ってる一族も抱えてるが…むしろ抱えられてるのか?

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 21:34:53 ID:+uZPg+Gn
千本や伊王野は思っただろうな

「あの時滅ぼしておけば良かった」と



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