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一条信龍その3 「信龍の影武者たち」

2011年09月24日 22:02

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 22:49:13.52 ID:aza2SMPG
一条信龍その3
「信龍の影武者たち」

信龍はとにかく傾き者で、二度同じ鎧を具して戦場に出ると言うことがなかった。
鎧だけでなく、兜も刀の拵えも、末は旗指物までコロコロと替えた。

一度使った武具はどうしてしまったかというと、与力や家臣や近隣領主に気前よく下げ渡した。
やっていることがほとんど貴族であるが、甲斐は決して豊かな国ではないだけに、新品同様の武具はいつも喜ばれた。

しかし、問題が一つあった。
「……お前、手甲だけやたら派手じゃね?」
「そういうお前も、前立だけキンキラキンで浮いてね?」
「……。」
「……。」
「袖も新しくしつらえるか……。」
「信龍様の兜っぽくないとこれ、似合わないよね……。」

こうして、信龍の周囲の侍は少しずつ信龍化していった。
そして戦場。

「や、あれに見える武者は噂に聞く一条信龍!」
「ぬかったな、供回りも少ないぞ、かかれかかれ!」

一条殿討ち死にの報が戦場を駆け巡ることは良くあったが、いずれも別人だったという。
特に設楽が原では四人もの信龍が討ち取られた(信龍は殿を務めたとも言われている)。

たぶん、当人には自覚がなかったと思われる。

信龍、ちょっと迷惑な話。





78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 23:22:00.89 ID:IfO9sk/9
影武者が量産されてたのかw

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:05:50.98 ID:bO7bDoRC
>一条殿討ち死にの報が戦場を駆け巡ることは良くあったが
クソワラタ

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:11:50.91 ID:EeDrFUm2
また一条殿が討ち死になされたのか…とか言われてたのか

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:12:18.40 ID:KVHuYvTm
量産型一条信龍wwwww

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 00:18:30.78 ID:DOh4TV3S
通常の三倍の強さの一条信龍もいるんかね?

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 01:15:44.03 ID:i/QpKUqX
金の鬼瓦の話もあるけど、この人の無邪気な迷惑さは異常だよねwwwww

前線突撃型だったらしいから、敵にも派手な風体が知られていたんだろうね。
しかし旗指物までころころ変えるってどうなんだろう。ほんとに悪意ないのかな。


85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 07:04:37.87 ID:/0X9UYQC
でも武具ってすげえ高いから、ホイホイ下げ渡す一条さんカコイイ

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 08:21:48.50 ID:tbkh8sET
高級な武具に弱い僕はホイホイ受け取ってしまったのだ

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 08:37:54.71 ID:nEB1ACg+
そういう高級な武具を身にまとってるとリスクもでかいな
名のある武将と勘違いされて首狙われて標的にされるし
腕に自信なければ下げ渡されても即売りに行かないと命がいくらあっても足りないな

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 09:07:02.82 ID:74PStUyh
貴方が落としたのは、この金の鬼武蔵ですか?それとも、この銀の鬼武蔵ですか?

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 09:47:12.73 ID:nc9+6PyN
久々に笑ったが
功績のあった者に武具を下げ渡すのは悪いことじゃないよね

ある意味下げ渡された連中が死ぬほど槍働きをしてたって風にも取れるし

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 11:20:02.37 ID:vm48iuuF
>>88
三人もいたら信濃が滅んじゃうから。まとめて諏訪湖?にお引き取り願おう

>>89
「下賜するものがなかったら、頑張って風呂を沸かせばいいんだよ」って蒲生さんが言ってた

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 14:14:57.78 ID:mavwtJ1L
足軽大将「戦場で信龍を1人見たら10人いると思え」
侍大将「死んだ信龍だけが良い信龍」
首実験場「信龍の粗悪品が出回ってます気をつけて下さい」

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 17:16:54.06 ID:yEMw10MG
山岡「やれやれ、そんな信龍で満足しているようじゃな」
侍大将「なんだあんたは」
山岡「一週間後にここにきてください。本物の信龍を見せてあげますよ」

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 17:57:07.08 ID:76Kusr+D
>>92
周大人な信玄公を想像したw

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 19:59:37.72 ID:H+5eINlJ
>>92
究極の信龍ww

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:06:36.51 ID:bwRl4b6n
となると至高の信龍も居るのかw

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:12:28.55 ID:hmdxjQrY
量産型は蒲生の専売特許かと思ってたが、こっちの方が面白いなw

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:17:52.24 ID:eGnqtGOE
苗字は戦場で会っただけじゃわからんからなぁ~

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 20:39:22.39 ID:SniT0OrV
家康「ばっかも~ん、やつが本物の信龍だ!」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/25(日) 18:37:30.56 ID:0/2ng3h+
でも、信龍がこんな天然さんだから勝頼が苦労したんじゃね?
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一条信龍シリーズ番外編

2011年05月02日 00:00

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 15:06:39.82 ID:S23UAFMY
武田スレで話題が出たので思い出したが、調べてみたら既出じゃなかったので。

一条信龍シリーズ番外編

概要
一条信龍は甲州南部・市川荘のあたりをとりまとめ、甲斐上野に居城を構えた信玄の弟である。
甲信に比類無い、大変な傾きものである一方、山県が褒めるほどの武将であり(長篠でも親類衆一の奮戦)、
また連歌にも通じた文化人であり、鷹狩りや弓合わせも好んだ数寄者でもあった(アッーの方は不詳)。

さて本題。
その一条信龍の侍に、堀越十郎家宣という能の名人がいた。
信龍はこの十郎を特に可愛がり、あらゆる場に同席させて一差し舞わせることが度々であった。
信玄も大変十郎の能を気に入り、名馬や城と交換にまでして直臣に取り立てようとしたが、信龍は
ことごとく断ってしまった。

武田没落の折り、信龍とその一族は全滅したが、堀越は北条に身を寄せ、さらにその没落後は町人となったという。
その子海老蔵は十四歳で旧領の市川から「市川段十郎」と名乗り、江戸一番の役者となった。
これが現在まで続く歌舞伎一家・市川家である。ちなみに、現在の市川團十郎の本名は堀越夏雄という。

余談
このよしみで、市川上野(甲斐上野)城は屋内を歌舞伎博物館として復元され、立派な天守が甲斐の丘陵に
美しく聳えている。
周辺には団十郎に関わる石碑や銅像が立てられており、歴史的な文物の紹介や保存、里帰りが
急ピッチで進んでいるという。


・・・・・というのは、「さて本題」から「余談」まで真っ赤な嘘である。私の嘘ではなくて、市川家と三珠町の
ついている嘘である。
歌舞伎博物館も、あれは本当に酷い。武田の城に天守なぞあるわけもないが、かなりの山梨の人間が
信じてしまっているらしい。

そもそも市川上野城は、発掘調査によれば、現在「復元」されているような曲輪のある丘城ではなく、
もっと奥まった山城だったという。
もともと館と神社などが防御施設も兼ねていたという天然の砦だったが、信虎期になると一族の
武田正信を入れて整備させた。
小山田と今川の脅威に対抗するため、堀を作り、その土を斜面に盛って櫓を構え、垣を巡らして、
福島正成の侵攻などに抵抗した。
信龍の時代になると、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5236.htmlの逸話にあるように、増築して
多少立派にしたのは確かだが、
やはり実態は砦と砦を連ねた防衛線の中に、大きな館が一つ二つあるというもので、山城の域を出るものではない。

歌舞伎の町、美しき椿城の町として宣伝したい三珠町と、発祥を歴史の盲点の人物に求める市川家が
協力してやっているのだろうか。
(なお上野椿城は市川上野城とは全く別の城であるお粗末さ。)まとまってないが、歴史を改変して
利益を計る人や団体の嫌な話。




972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 19:53:52.66 ID:s6SEHbzx
釣られた・・・クヤシイ

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 21:00:16.01 ID:MjweZdAa
ビクンビクン

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 21:17:44.55 ID:ANTFpcoj
>>971
> 武田の城に天守なぞあるわけもないが
穴山梅雪の駿河での居城、江尻城に、信長の安土城以前に
「観国楼」という天守があったという記録が一応ある。

まあ名称からして、天守というより高櫓の一種のような感じがするがw

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 22:07:48.49 ID:nTaZve+o
高櫓が高増に見える

信龍さんの鬼瓦

2011年03月20日 00:00

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 21:06:22.92 ID:Y8uPdnvQ
いつも武田一族&甲斐マイナー名家のことばっか書いている者です。今日は割とメジャー行きます。

一条信龍シリーズ前編
信龍さんの鬼瓦


武田家というのは言うまでも無く武功でナンボの家であるが、知名度もまんま武功の多寡による感がある。
一族重臣であっても、外交情勢と配置役柄によっては、空気のような人もいるのである。今回は、その一人のお話。

晴信の異母弟に信龍という者がいた。
折しも中央集権化のための武田姓召し上げ&信虎が切りまくった名跡の回復のため、一条家の家跡を継がせた。
親族衆として騎馬200騎、市川上野城を領し、本願寺及び松永久秀等畿内勢力との外交を担当した。

甲陽軍艦では山県、内藤ら七人の重鎮の一人として描かれ、山県昌景が「一条殿は、伊達男にして
花麗を好む性質であるが、
馬鞍武具等、これほど忙しくともいつも新しく、しかも諸国の良い浪人を集めている」と賞している逸話も残る。

さて、この信龍が拝領した頃の市川上野城(上野椿城とは別)というのは、城というよりは砦であった。
かつて福島正成の乱入時には、勝山城ともに武田一族が籠もり、激戦の舞台となった甲斐南部の要衝であった。
当時今川との関係は落ち着いていたが、晴信はこの期にと思ったのであろうか、
信龍を城主に命じ、大規模な増改築をさせたのである。

ところがこの信龍さん、先ほども言ったように、近隣領主はお下がりの武具で装備が揃ってしまうという、
無茶苦茶な傾き者である。
普通に立派な城を作っただけでは満足しなかった。しかし戦闘用の山城である。他に飾りようもない……と思いきや、
あったのである。

「鬼瓦作ろうぜ!!! 黄金張りの馬鹿でっかい奴!!!!!」

左右の者が止めるが、聞かない。さらには、自分で名産地に向い、鬼瓦を作らせ始めてしまった。
費用の半分を申しつけられた近隣領主は、あまりの巨額さに晴信に泣きついた。
晴信は信龍を呼び出し、こっぴどく叱った上で、「中くらいで黄金を貼らないなら良い」として、つまり
普通の鬼瓦を作らせた。

信龍は非常に残念がり、自腹を切る予定だった総費用の半分を、迷惑料としてか周りに配ったという。
「金の大鬼瓦が守ってくれない城だから、この金で各自怠りなく戦に備えよ」ということだろうか。

安土城の金のしゃちほこは有名だが、戦闘用の山城に金の大鬼瓦を取り付けようとした男のお話。
傾き者で猛将で信玄の弟とか、こんなキャラ立ってるのになんで今ひとつマイナーなのか……。




417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 22:31:42.53 ID:j95q+rA2
上沼恵美子より前に、金の鬼瓦を作ろうとした人がいたとは知らなかった

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 23:23:26.00 ID:iIPOmc8A
>「中くらいで黄金を貼らないなら良い」



お兄ちゃん意外と優しくてワロタwww

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 23:54:44.84 ID:2Q+vUFkp
確かにw

420 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/20(日) 00:12:08.93 ID:e1ctvNHX
質問なんだが、「中央集権化のための武田姓召し上げ」ってこの頃そこかしこに
武田氏がいっぱい居たって事?

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:21:23.67 ID:FiDCeB1I
>>420
同じ一族でも武田の苗字を宗家のみに限定するってこと。今川が始めた「天下一苗字」って政策。

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:28:09.57 ID:M43pGW8I
>>421
氏真の次男が品川さんを名乗ったあれか。

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:38:11.42 ID:5KcQmPYs
>>416
俺だっていっぱい書いてるぞ!
武田マイナー武将を書く人も無しとの言動、許せぬ!

>>420
いっぱいいた。やたらいた。ちょっと補足。

武田一族は400年以上甲斐に君臨(逸見のみ例外、ただし逸見も広く見れば武田一族)し、
それこそ武田をルーツにする家は掃いて捨てるほどあった。
彼らはたいていは別の苗字を名乗っていたが、
(俺らが「新宿のおばさん」「甲府のおじさん」とか言うような感じで自然発生)、
時と場合によっては「武田」を使うこともあった。「源」ほど本式ではないけど。

事実、神格化されるほどの晴信であっても、勝沼信元(信虎の弟)や嫡子義信などに
乗っ取られそうになったこともある。武田家ではこれがデフォ。

信玄後期の武田一族衆が両手で余るほど少ないのは、甲陽軍艦を読んでもらえば分かると思う。
これは武田姓を名乗るのに免許制にしたからだけど、徹底して信玄の卑属ばかりで、尊属はゼロ。

武田姓が免許されると、例えば穴山信君が外交文書で武田左衛門(字が若干違うかも)と名乗ったように、
公式の場で武田姓を名乗ることが出来る。逆に、それまでバリバリの武田姓だった家も名乗れなくなった。

中央集権化を徹底できなかったのが武田家滅亡の主な原因だという人も多いし、それは反対しないが、
全く逆に、曹操の魏みたいに一族衆を冷遇したことも、要因の一つと言えないこともない。今川も同じ。

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:43:38.31 ID:VuEqA+Io
信玄の弟だけで8人いるし、
穴山、板垣、栗原、金丸、秋山とか支族も多いからな
みんな武田を名乗られたら蒲生一家もびっくりな状況になっちゃう

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:50:18.56 ID:Z1lUETZU
>>423
養子政策で甲信の名家を武田一門に取り込みまくったもんな…
勝頼が正式に家督を継ぐことができなかったのもその辺の事情があるのか。

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 01:24:47.45 ID:5KcQmPYs
武田菱こと四割菱も、菱の間の距離で血の近さを表していたクラスが花菱に変えられ、
花菱クラスがもっと変形した菱に変えられたりと、デフレというかデノミが行われた感じだよね。

>>423
あとごめん、やや誤解を招く書き方になってしまったので、自己レスだがさらに補足。

武田姓が免許されたのは、血縁よりも政治状況によると考えた方がいいっぽい。
婚姻や養子で見かけ上の血縁を濃くしただけの木曽や穴山が免許されている一方、
上の一条信龍は、信玄の弟でありながら後半生で一切武田を名乗った形跡がないし、
縁も遠く免許されていない駒井高白斎が外交文書や上書でも武田を名乗っていたり、
室住虎光(諸角虎定)みたいに近親で、活躍して願い出たのに免許されなかったり。

むしろ実際の血縁が近い方が、名乗っちゃ駄目というケースが多い希ガス。
実際の血筋が総領に近く、さらに名目上も武田を堂々と名乗られたら怖いということか。

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 01:24:51.23 ID:guei7VHx
継いでるっちゅーの

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 02:33:58.60 ID:M4yWXi8O
>>424
それを言えば、大友が断トツだね。
主要家臣は、ほとんど一族の庶流

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 07:32:36.48 ID:jpEEnOlF
東北に比べたらまだマシな気がする

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 09:13:49.36 ID:Gz9sJK3s
>>423
宗家が先祖(自称)の名に変えた家康は、発想の逆転だったのかしら。まあ、今川義元が足利を名乗ったり、
武田晴信が源を名乗るのは
いろいろと問題すぎたんだろうけど

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 10:32:22.05 ID:RDeMMYHQ
近親者に武田を許さなかったのは旗頭として担ぎ出される危険を避けたからかね?

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 14:13:49.96 ID:5KcQmPYs
>>430
武田晴信は普通に源を名乗ってるよ。だって源は姓じゃなくて氏だもの。同じく今川も源を名乗ってる。


>>431
たぶん。異姓の者は武田に戻って頭領になれない、っていう慣習を作りたかったんだと思う。
事実、俺が宗家に取って代わってやるという発言で家中にいられなくなった一族もいたし(名前失念)。

>>421が言ってて初めて知ったんだが、どうも今川からの輸入みたいだね。勉強になりました。
信虎時代はほとんど行われて無くて、晴信時代から始まった感じ。ただはっきり明文化された制度でもなさそう。
これが(これだけのせいじゃ無論ないが)勝頼につながっちゃうんだからジェットストリームスパイラルアチャーとしか言いようがない。

これは俺の勝手な武田史観なんだが、結局は信虎が進めつつあった中央集権化を、晴信が止めてしまった感はある。
中央集権化で噴出した豪族・領主達の不満を背景にクーデターを起こした以上、急速な中央集権化はできなくなった。
そして、彼らの意向に沿わなければ、一族を旗頭にクーデターを起こされても文句が言えない立場になってしまった。

結果として血の濃い一族は冷遇、危険な嫡子は廃嫡、勝頼は諏訪家へ、寄親寄子という折衷制度、武功派と側近の争い、
全てが中途半端になってしまった。それでも晴信が生きている頃は、そのカリスマと天才的なバランス感覚で持っていた。

しかし勝利を重ねて不満を和らげるという信虎と変わらない綱渡りと、不誠実な外交姿勢が常態化してしまったせいで、
勝頼の時代になると打った手がことごとく裏目に出ることになり、家中の統率は崩れるように失われていった。つまり、

    ,ィィr--  ..__、j
   ル! {       `ヽ,       ∧
  N { l `    ,、   i _|\/ ∨ ∨
  ゝヽ   _,,ィjjハ、   | \
  `ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ   > 武田家を滅ぼした張本人は
     {___,リ ヽ二´ノ  }ソ ∠   信玄公その人だったんだよ!!
    '、 `,-_-ュ  u /|   ∠
      ヽ`┴ ' //l\  |/\∧  /
--─‐ァ'| `ニ--‐'´ /  |`ー ..__   `´
    く__レ1;';';';>、  / __ |  ,=、 ___
   「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l ))
   |  |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,|  , -,
    ! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | |   | | .l / 〃 ))
    l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj  7
    | |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\::  ::::|  ::l /

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 14:26:52.35 ID:kgi5BjKU
つまり
信虎「ヒャッハー!権力を集めて近代化だー!!」
信玄「ヒャッハー!中途半端な状態だけど何とかしちまうぜー!!」
勝頼「……継いだ家がブラックでダメかもしれん」
ということか?

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 15:11:29.72 ID:Gz9sJK3s
>>432
じゃあ、新羅信玄で

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 15:36:30.27 ID:5KcQmPYs
>>433
信虎「ヒャッハー!仕方ないから戦争だー!!」
信玄「ヒャッハー!仕方ないから戦争だー!!」
勝頼「ヒャッハー!仕方ないから戦争だ―あああ!!」

>>434
新羅太郎晴信ってこと?
無茶がある。
けど、そもそも新羅三郎や八幡太郎や加茂次郎って、寺社の名前から取っているし、姓なのかな?
子に継承されたとも聞かないし。苗字・・・ではあるのか?エロくないので分からない。

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 17:40:49.41 ID:Z1lUETZU
>>432
あと信玄時代は武田宗家の独自財源として金山開発が進んだのだけれど
勝頼時代には枯渇していたというのもあったな。