石川五右衛門偽上使の伝説

2017年07月19日 22:01

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 05:54:26.93 ID:cQO9i7mY
岩村城には石川五右衛門偽上使の伝説がある。豊臣の天下の時、岩村城主
の田村中務大輔(直昌)には嫡庶の二子があった。

やがて中務大輔が病にかかって瀕死の状態となった時、この二子を中心に
御家騒動が起こった。しかし庶子である次男は、実は佞奸な家老の

倉元甚五右衛門の姦通の子で、倉元は庶子に家督を継がせて主家の横領を
企てたのである。これを推知した中務大輔は腹心の小姓・金森林念に、

家督相続の遺言状を託して間もなく世を去った。忠臣の金森は思案の上で
騒動の顛末を関白・豊臣秀次に注進したので、秀次は使者・福原団七郎を
岩村城に乗り込ませて一切を解決させることにした。

これを探り知った石川五右衛門は、「良き機会ぞ」と、すぐに団七郎の家臣を
手に入れ、途中<十三峠辺りであろう。また岩村城下玄吾坂下ともいう>で
待ち伏せて団七郎を殺し、自分はすっかり使者に化け込んで、

行列厳しく岩村へ到着した。偽使者をすぐに訪れたのは奸物・倉元だった。
彼が多分の金子を賄賂にして帰ると、まもなく小姓・金森は密かに訪れて、

倉元の悪計の一部始終を訴えた。さてその翌日、五右衛門はいよいよ城入を
なし、倉元を利用して散々腹を肥やしてから、

彼の悪事数々を満座の中で弁じ立てた。その後、家督は無事に長男へ譲られ、
倉元は死刑にされて騒動は落着したという。これは五右衛門一代を通じての
大義賊伝として講談などにも読み込まれている。

――『恵那郡史』



101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 06:48:10.45 ID:pTcGI5g6
>>100
この岩村城ってのは美濃の岩村城でいいのかな?

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 07:11:21.70 ID:aF6T985F
福原さんかわいそう

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 07:13:57.71 ID:SMPelxR4
義賊()

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/19(水) 09:25:43.91 ID:PTyFtPRC
美濃岩村なら関ヶ原で改易された田丸中務大輔直昌のことなのかな
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石川五右衛門の手形

2015年04月03日 18:21

634 名前:632[sage] 投稿日:2015/04/03(金) 00:20:24.02 ID:jZ37xriL
 安土桃山時代に石川五右衛門という大泥棒が水無瀬神宮におさめられている宝剣を
盗み出そうと神殿に近づいたが、なぜか不思議な力にさえぎられて足が動かなくなり、
どうしても中に入れなかった。
 仕方なく五右衛門は盗みに入るのをあきらめた。水無瀬神宮の入口の門には
この時に五右衛門がつけた手形が今も残っているそうである。



「日本王国記」の石川五右衛門

2013年10月10日 20:33

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/09(水) 23:41:08.60 ID:hYVW3Gf8
都に一団の盗賊が集まり、これが目に余る害を与えた。
それというのも、誰かの財布を切るために人を殺害したからである。
そんな風で、伏見、大坂、それに堺の街路には、毎日毎日夜が明けると死体がごろごろしている有様であった。
苦心惨憺したあげく、日中は真面目な商人の服装で歩き回り、夜になると昼間偵察しておいたところを襲う日本人だということがわかった。
その中の幾人かは捕らえられ、拷問にかけられて、これらが15人の頭目だということを白状したが、
頭目1人ごとに30人から40人の一団を率いているので、彼らはいわば1つの陣営だった。
15人の頭目は生きたまま油で煮られ、彼らの妻子、父母、兄弟、身内は五親等まで磔に処され、
盗賊にも、子供も大人も一族全部もろとも同じ刑に処された。

以前ちょろっと出てた「日本王国記」の石川五右衛門についての記述の本文の方




461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/10(木) 00:28:51.89 ID:vYM3XWPL
これだけの集団になったら巾着切りなんて割りに合わんだろうに
てか殺してるから巾着切りとはいわんか
まあ、よほどの獲物でないと非効率なのは変わらんだろうが

芥川橋の下の物騒な追い剥ぎ

2013年10月09日 19:55

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/08(火) 22:55:41.05 ID:kMmu4Moz
 昔、京の南西にある芥川宿の西にかかっている芥川橋の下に物騒な追い剥ぎが住んでいた。その追い剥ぎは
一人で京から下ってくる金を持っていそうな旅人を見つけると、あとを尾けて芥川橋の西にある人通りの少ない
ところで襲いかかって金品を強奪していた。
 ある日、日暮れのあわただしい時間に追い剥ぎが宿場をうろついていると、京の方から金をどっさり持って
いそうなお女中風の若い女がやってきた。追い剥ぎは彼女がどこの宿に泊まるのか見届けると、橋の下に姿を
くらました。次の日、夜明け前からその宿のまわりをうろちょろしてその若い女が出てくるのを待っていると、
まだ暗いうちにその女中風の若い女が出てきた。
 追い剥ぎは尾行して女が芥川橋を渡って人気のない場所まで来たところで、後ろから切りつけて一太刀で
命を奪ってしまった。この女中は京で名の通った屋敷に奉公していた女で、主人のお手つきとなって妊娠した
ため、たくさんのお金を渡されて実家に帰る途中だった。追い剥ぎが女中からお金を取り上げると、女中の
おなかから赤ん坊が生まれてしまった。赤ん坊の男の子を取り上げる羽目になった追い剥ぎはその子を育てる
ことにした。その子が無事に育って大きくなると天下の大泥棒 石川五右衛門になった。

 石川五右衛門は血筋は良かったのに追い剥ぎに育てられたせいで大泥棒になってしまったのだ。




454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/09(水) 08:25:37.11 ID:uk5GuWBm
追い剥ぎイクメンかよw

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/09(水) 10:19:00.93 ID:VDKPa5DF
赤ん坊を背負って追い剥ぎしてる光景を想像すると
なんかシュールだな

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/09(水) 10:53:13.72 ID:ljiwRtmA
今日は夜泣きが酷いから仕事(追剥)に出るのは止めとくか・・・

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/09(水) 11:49:49.92 ID:LuUxl7qY
昔の強盗のほうが人情があったみたいだな
いまなら放置していくだろう

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/09(水) 17:34:17.78 ID:AO9RhX2D
強盗を基準に人情うんぬん言われても、と思ったが小泉八雲も「停車場にて」で
http://www.geocities.jp/kaijyonouta/hearn/at_a_railway_station.html
>日本では最もよく知られた盗賊の石川五右衛門に、つぎの話がある。
>ある夜、殺して、盗みを働こうと人家に忍び込んだときに、自分に両手を差し伸べている赤ん坊の微笑みに、
>五右衛門はすっかり気を奪われた。
>そして、この無邪気な幼子と遊んでいるうちに、自分の所期の目的を達成する機会を失ったというのである。
> これは信じられない話ではない。
>警察の記録には、毎年、プロの犯罪人たちが子どもらに示した同情の報告がある。
>地方新聞に載った、数ヶ月前の凄惨な大量殺人事件は、強盗が睡眠中の一家七人を文字通りに切り刻んだものであった。
>警察は、一面の血の海の中でひとり泣いている小さな男の子を発見したが、まったくの無傷であった。警察によれば、
>犯人らが子どもを傷つけまいとしてかなり用心した確かな証拠があるという。

こんなこと書いてたから日本の強盗の気質なのか・・・?

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/09(水) 18:56:24.98 ID:k3V+xHOj
DQNがたまに常識的な行動とると何故か良い人扱いされる、みたいな?

文禄3年(1594)8月、京洛を荒らしまわっていた一大盗賊団が

2011年03月31日 00:00

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 17:17:21.40 ID:LYFmdCIN
文禄3年(1594)8月、京洛を荒らしまわっていた一大盗賊団が、京都所司代により捕縛・処刑された。

『北条五代記』を書いた三浦浄心の随筆によると、彼らはあろうことか太閤秀吉のお膝元である伏見近くに
広大な屋敷を構え、昼には頭領が大名公家のごとく駕籠に乗りこみ、配下は弓槍で武装して京の街を練り歩き、
行く先々で乱暴狼藉を働いて、夜は夜で押込み強盗等を繰り返し、都人を悩ませたという。

よほど世を騒がせた集団だったようで、公家の山科言継もその日記で、
「三条河原で、主だった者10人が釜で煮られ、同類19人が磔にされた」という主旨の記述を残している。

この“釜茹で”が珍しかったのか、貿易商アビラ・ヒロンも『日本王国記』で盗賊団の処刑に触れており、
さらにイエズス会宣教師がこれに注釈を加え、

「煮られたのは Ixicava Goyemon 一味9~10人。兵士のような装束をしており、他に10~20人が磔になった。」

と述べている。