蘆名の勇者・河原田如礫

2011年04月10日 00:01

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 22:32:43.91 ID:WTLYu8Ac
蘆名盛高といえば戦国初期、蘆名氏を戦国大名として飛躍させた名君である。

その蘆名盛高の家臣、猪苗代某は当時14・5歳の美少年であったが、新國藤兵衛という者の愛人であった。
この両名が談合して、蘆名盛高が向羽黒が出かけた留守に、若松の城を乗っ取る、という事件があった。
しかし高盛はそれを知ると直ぐに取って返し城に突入、猪苗代、新國両名を城中にて討ち取り
さらにその協力者たちも皆撫で斬り(皆殺し)にした。
この時の事、『盛高の武勇、世の常にあらず』と、人々から大いに感嘆されたという。

さて、この時蘆名盛高麾下の河原田如礫と言うもの、若松の城への突入前、盛高に

「今宵は首三つほど取りましょう」

と言い、その言葉の通りの働きをした。
この河原田如礫というのは、会津三千騎の内でも無双の勇者と呼ばれる男であった。
彼は常に

「総じて戦場にあって、軍勢が集中している所に同じように寄って行っても居、手柄を立てることは
出来ない。私はそういう時はあえて、軍勢が集まって居ないところから攻めかかるようにしている。」

と、言っていたと云う。

さてある時、城下である者が足軽を殺して立てこもる、という事があった。
この者強く人々手を出しかねているところに、河原田如礫が来て、自分の太刀を縄でくくりつけ
立てこもっている者に投げ渡し、語りかける。

「このように武器は渡した!安心して私を近付けよ!その方の言い分を私に聞かせなさい!」

立てこもりの男、これに納得し如礫が近づくことを許した。
と、

如礫、間合いに入った瞬間踏み込み、たちまちこの男を召し捕った。


蘆名盛高の勇将、河原田如礫について伝わる話である。





809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 22:41:12.71 ID:/bDl+/Iz
>>808
若松は地名に松をつけるのが好きな蒲生さんがつけた名前で以前は黒川な

ちなみに会津若松と松坂は蒲生さんつながりで交流がある

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 23:40:12.48 ID:WTLYu8Ac
>>809
> 若松は地名に松をつけるのが好きな蒲生さんがつけた名前で以前は黒川な

なので「若松の城」と、「の」を付けておいた。まあ察してくださいw

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/09(土) 03:43:58.42 ID:sR5X/vuM
>>808

上泉信綱が剃髪して僧体を装い人質の子供に飯を与えたいと言って小屋に入り
相手の油断を誘った逸話にも似ているね

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/09(土) 11:08:12.20 ID:QDhaV804
七人の侍でも引用されてたな、そのエピソード。

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/09(土) 12:14:41.89 ID:msNTlpon
なんて的確で冷静な判断力なんだ!!の元ネタなんか
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