藤田信吉、沼田城を

2011年05月09日 00:00

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 01:30:00.26 ID:CWGiIk4L
天正10年(1582)6月2日、本能寺の変、起こる。

この報は6月9日、上野国厩橋城の滝川一益にも届いた。
俗に滝川一益はこの報を関東諸侯にありのままに伝えた、などと言われるが、
実際にはひた隠しに隠し、本能寺の風聞を聞き信長の安否を尋ねた上野の国人に
『京都の情勢に別状はない』との書状まで出している。

が、このように関東にも風聞としては既に広まり、6月11日には一益がこの事を
最も知られたくない人間、北条氏政も知るところとなった。
ちなみに氏政、翌12日には大喜びで国内に動員をかけているw

が、信長の死によって関東情勢も流動化する中、最初に一益への反乱を起こしたのは、
北条ではなくかつて北条も裏切った男、藤田信吉であった。

彼は沼田城に押しかけ、そこの城代をしている滝川一益の甥、滝川義太夫に対して迫った

「俺の城を返せ!」

義太夫「(;゚Д゚)ハァ?」

これには滝川義太夫もさすがにあきれ果てた。何故なら、沼田城が藤田のものだった時期など
一瞬とてなかったのだ。

確かに藤田は北条時代から武田時代まで、この沼田城に詰めていた。
だが北条時代は北条氏邦配下としてであり、武田時代は真田昌幸の配下として、沼田城代
矢沢綱頼の与力として、それぞれ守将の一人として勤務していたに過ぎないからである。

滝川義太夫はこう返答した

「そもそもこの城は、真田昌幸殿が我らに明け渡したのであるから、返せというなら
真田殿に返すのが筋である。少なくとも貴殿に返せと言われる筋合いはない!」

全くもって正論である。が、藤田はそんな正論に聞く耳を持つような、可愛げのある人間ではない。
彼は密かに越後の上杉景勝と連絡を取り、その支援を得て軍勢を集結、沼田城に攻め寄せ
たちまちのうちに水曲輪まで乗っ取った。

が、この時は未だ関東の滝川勢力は健在であった。義太夫からの報告でこれを知った一益は
6月13日、早速軍勢を率いて押し寄せる。藤田は滝川の大軍に沼田城攻めを諦め、越後の
景勝の元まで逃げた。

情勢の変化をいち早く見抜きいち早く行動しいち早く失敗した、ミスター上野国人、
藤田信吉と本能寺の話である。




88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 02:37:11.47 ID:tBaDcalj
関ヶ原の時といい急時になると元気な奴だな

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 08:43:51.60 ID:4jEqj5/V
そして、素早いだけで行動自体は空回りのあたりがなんとも

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 08:58:54.30 ID:iz42pG+B
藤田さん、いち早く勝ち組についたのに何故か改易されてる。よくわからんな
目端は利くけど保身がヘタクソなというか

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 13:47:30.50 ID:Yxzp1z0j
>>90
大阪の陣の時に軍監権限でかってに軍を止めて藤堂井伊隊を見殺しにしかけて改易。
逸話見るに有能だがかなり身勝手な人物だったのかね

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 20:05:58.27 ID:eAI+U6WX
育ちが複雑だからなんとか一旗上げたくて空回りしてたのかなあ

余談だが藤田信吉のwiki、「歴史小説「戦国大乱」などでも奸物として描かれており~」と書かれててワロタ
それ歴史小説じゃなくてシミュレーション戦記(しかもスットコ超大作)…

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 23:06:31.09 ID:EU92LFgI
信吉は何の後ろ盾もない状況から、よく頑張ったと思うけどなあ

あと信吉に限ったことじゃないけど、wikiの作品の項目にゲームや漫画を載せるのも自重してほしい…
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藤田信吉と北条氏邦

2011年04月18日 00:03

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 08:21:54.63 ID:tF1cXnKq
関東管領山内上杉家の家臣、藤田康邦は、北条家の勢力の前に、ついにその軍門に下った。
北条家に下るにあたって、二人の息子がいたが、氏康の子・氏邦が姉の夫として婿養子に入った。
康邦は居城から退去し、長男は氏邦に毒殺されたと言われる。二男・信吉は恨みを抱えて武田家に寝返った。

時は流れて天正18年。信吉は再び旧領に姿を現す。
小田原征伐に際して、上杉家の先鋒として藤田(北条)氏邦が守る鉢形城に攻め寄せていた。
氏邦もよく守ったが、最終的には豊臣軍に降伏することになる。

このとき、父を追い、兄を弑した氏邦に対して信吉は何を思っただろうか。
未だに憎しみを持ち続けていたか、あるいは時がその感情を和らげたか。

氏邦は剃髪することで助命され、前田家の預かりとなった。
前田利家の助命嘆願があったといわれるが、信吉もまた助命を願ったとも言われる。




24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/17(日) 08:41:20.82 ID:eGQNx2oN
あの藤田信吉さんかぁ・・・