全く珍しいほどの手練であった

2014年07月22日 18:52

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 12:51:26.08 ID:qOBkUal5
朝鮮の役でのこと。

有る時黒田家の陣営において、黒田三左衛門美作、野村隼人後藤又兵衛の3人が一緒にあった時、
向かいに敵の唐人(明人)が一人あり、矢をただ3本、手に挟んでいた。

黒田家の3人はこれを見つけると、討ち取らんと争って駆け寄った。

先ず、後藤又兵衛が一番に馬で乗り寄った。しかし唐人が矢を放つと、これが又兵衛の小腹に辺り
落馬し、当の敵を討つことは出来なかった。

次に野村隼人が駆け寄ったが、唐人は近くに寄るまで矢を放たず、なおも近づいた時
放たれた矢が隼人に当たり、これも討つことは出来なくなった。

3番目に三左衛門が唐人の側まで駆け寄って、刀を抜いて振り上げた。
そこを唐人は狙いをつけて矢を放った。その矢は三左衛門の右手に当たり、肘から上腕の後ろまで
貫き、三左衛門はたちまち刀を落とした。

が、三左衛門はそれに構わずこの敵と組打ち、ついに仕留めたのである。
それにしてもこの唐人、ただ3本の矢によって3人を射たというのは、全く珍しいほどの手練であった。

(黒田家臣伝)

黒田美作、矢で撃たれたけど構わず敵を撃つ、というお話。最後はやっぱり力技ですね。




340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 15:26:38.89 ID:OcCuZJZB
あー、黒田家臣すごいね

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 06:43:56.47 ID:5E4XFPhC
急所に当たりさえしなければどうと言うことはない、ということなのか

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一成は馬より急いで飛び下りて頭を地に付けた

2013年02月08日 19:50

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 18:50:39.09 ID:QiK8TwzZ
黒田長政の養弟一成は戦場の働きのみならず、性質は実直で常に柔和な人だった。
事に臨んで心は動じず智恵も厚いので、如水父子は第一の相談相手とした。
豊前拝領後は十二万石のうち一万二千石を与えられたが、少しも奢らず礼儀に厚く、
下々に近い人だった。

登城の時には、長政の座と敷居を隔てて着座するので、他の老臣たちはさらに
末座に座らざるを得ず、長政が「三左衛門殿、是へ」と、言ってようやく同座に
着座するほどだった。

ある時、長政と一成が出くわすと、一成は馬より急いで飛び下りて頭を地に付けた。
長政が早々に駕籠から下りて傍へ寄り「そのようにされては困るので御通りあれ」
と、言ってもなお、一成は頭を下げ続けた。

その後、館にて人のいない時、密かに一成が長政に向かって
「この間の路次での御挨拶ですが、御了見違いをなされています。

単に御前を恐れただけではなく、あなたが御年若のために御家中の諸士が、
もしやあなたを軽視することもあるのではと思い、私が尊敬の礼を見せれば
『あの人さえあの如く敬っている』と、諸士も配慮するだろうと考えてのことです。

ですから、これからは途中で御出逢いの時でも大礼に御言葉をかけられて御通り下さい」
と、言ったところ、長政は深く感涙に及んだのだとか。

――『良将言行録』




341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 19:52:30.26 ID:rJeFlzv0
>あなたを軽視すること
後藤さんとか又兵衛さんとか基次さんとかのことですね

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 20:03:53.25 ID:91/6GZnY
>>341
正に三位一体だな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 23:07:01.78 ID:qWN1ekmw
よく出来た人だ

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/09(土) 18:16:52.92 ID:6HoopfwS
NGMSさんは遊ばれてるのか好かれてるのかよくわからんなw

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/09(土) 19:36:23.94 ID:6TKgL5rL
>>349
黒田さんとこの息子さんはある意味まーくんと真逆なんじゃないかと思う。
一早く「戦国の次」の時代に対応したがゆえに、まだ割り切りきれない
家臣たちのモヤモヤまで呼び起こしてしまってるような。
「主君として仕えるのに問題はない、問題はないんだけど…」的に。

で、骨の髄まで戦国仕様な人間とはどうしても相容れなかったと。

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/10(日) 07:09:12.88 ID:f0YV4342
>>351
お父さんならサプライズを提供してくれる言動があるのに、息子は普通で家臣的に物足りなかったんじゃね?

黒田家では「実はアレ、-って思惑があるからなんだよ」
「なるほど~。」が慣習化してたとかさ

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/10(日) 07:15:55.18 ID:sADvZVI7
Josui「One more thing...」

「Woohooo!」 「Yeah!」

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/10(日) 10:54:01.39 ID:iHQ/8OB+
XXXX「まったくだ!お前がいなきゃもっと戦が長引いたんだ!どうしてくれる」


もう一つの大水牛脇立兜

2011年06月07日 00:00

503 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2011/06/05(日) 23:03:56.03 ID:cpX2Ps8Y
もう一つの大水牛脇立兜
黒田長政は大水牛脇立兜を持っていたことは有名である。
後に福島正則の一ノ谷兜と交換した逸品である。
だが、もう一つ大水牛脇立兜があった。長政の予備品ではない。
持ち主は、黒田一成。加藤重徳の次男にして黒田如水の養子、
黒田長政の義弟と言うところである。
だが、この兜には大問題が一つあった。この肖像を見て欲しい。

黒田長政の大水牛脇立兜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kurourusinurimomonaridaisuigyuwakidatekabuto.jpg

黒田一成肖像
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kuroda_Kazushige.jpg
でかい・・・半端ねぇ。

ここで私は思うのだが、この人「まで」目立つことにかけては黒田長政の「面子」を潰していたとは・・・・・
戦争マニアの如水、母里・栗山の黒田家ゴールデンコンビ、めんどくさい井口等々
一癖も二癖も、いや、くせ者だらけの黒田家ではこうでもしないと目立たないのか?
義兄の面子などどうでも良いのか一成?といいたい。そう、せめて甲冑くらい・・・・
しかしこんな連中でもなんだかんだとうまく切り回していた長政って一体・・・・
(後藤又兵衛は除く。)




504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/05(日) 23:26:16.35 ID:z9iSULpw
大水牛脇立兜って黒田家の武士他にもやたらかぶってなかったっけ
後藤又兵衛もかぶってた気がするが、ありゃ講談かな?

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/05(日) 23:31:11.66 ID:u1TarYbO
>>503
家臣を目立たせることによって、戦場において長政を狙われにくくする狙いがあったと思われ
どこの家のものかさえわかれば、活躍がわかるからな

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/05(日) 23:34:11.09 ID:Xc2z/5Xm
でも兜とかは手柄立てた際の目印って意味合いもあるから
同じ兜が大量にあると評価される部下はには困るだろうなぁ。

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/06(月) 00:08:12.40 ID:mY246nII
ちなみにある黒田二十四騎図において一成だけは横向きに描かれています。
ええ、もちろん兜が大きすぎて縦には入らなかった模様
あまりにでかすぎたために大砲の標的になったという逸話もありますね

黒田騒動と黒田美作

2011年05月11日 00:00

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 01:37:41.50 ID:flwrlcSm
>>503で黒田騒動が出たので、せっかくなので
実際に騒動を丸く収めた最大の功労者である黒田美作の話を。

諱は一成、荒木村重の家臣加藤重徳の二男として生まれました。
そう、彼こそ、有岡城の戦いにおいて幽閉されてしまった孝高が、
密かに彼の身の回りの世話をしてくれた重徳に感謝して引き取り、
長政の弟のように育てた子・玉松だったのです。
成長した玉松は三左衛門と名乗り、長政の側近として武功を上げ、
また筑前入封後は幕閣との外交に奔走し、長政の信頼のおける家老の一人となりました。

ところで、この黒田一成、栗山利安の長女を娶っていたわけで、
つまり黒田騒動の主役である栗山大膳の姉婿に当たります。
そんな彼ですから、最初は大膳と同調して忠之と対立していたのですが、
次第に大膳が暴走をし始め、ついには主君を訴えるという斜め上の事態を引き起こします。
さすがに主家が取り潰されてはならんと、重臣の多くは忠之につくのが黒田騒動のクライマックスなのですが、
この騒動の評定で忠之側として最も活躍したのがこの一成なのです。

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 01:40:08.86 ID:flwrlcSm
自尊心の高い口のうまい20歳も年下の義弟と対決することになった一成。
生意気な義弟は言います。
「美作は私の姉婿でありますが、律義さが取り柄の文盲ですから、
 こんなところに出てきても意味などありますまい」
この辛辣な物言いに一成は落ち着いて返します。
「確かに私は仮名も満足に読み書きもできない文盲で、大膳は学文多才で色々なことを知っているようだ。
 しかし、あなたは先ほどより古語を引いて小難しいことばかり並べ立てているようだが、
 孟子だか論語だかに『君君たらずとも臣臣足たるとやらん(※主君がバカ殿でも家臣はしっかりしてなきゃダメ!)』
 とあるそうだが、あなたのやっていることはなんだ? 主君を無実の罪で訴えるなど言語道断、論語読みの
論語知らずとは、
 あなたのような人間のことをいうのではないか」
これには大膳も一旦言葉を失いますが、黙ってしまうような男ではありません。


540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 01:42:16.01 ID:flwrlcSm
「美作は私とは違って江戸に詰めることが多かったので、筑前で何が起こっていたかよく知らないのでしょう。
 私は殿が幼少の頃より貢献してあれこれ世話を焼き、先代が廃嫡を考えた時もたびたび反対し、
 更に忠之さまを亡き者にしようと私に命じた時もお助けいたしました。それなのに、
 殿ときたら倉八とかいう若輩者をとりたて、私を疎み、切腹を命じるならまだしも、
 私に毒を盛ろうとする始末。こんな仕打ちがありましょうか。それで私はこのたび訴え出たのです」
口の減らない大膳に一成は思わず一言、
「しかし、あなたが毒を盛られたくらいで死ぬような人間とはまったく思えません。
 それをこのたびの反逆の理由と言われても、どう納得できましょうか」
これにはさすがの大膳もぐうの音も出ない。
そもそも、まったく根も葉もない謀反の訴えなど誰も信じるはずなどなく、
この後同じようなやり取りを他の老親たちと交わして評定は終わり。
無事黒田の御家は守られたのでした。

講談や歌舞伎などでは栗山大膳は主家を守るために訴えたなどと言われますが、
その真意がどこにあったのか、知る由もありません。

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 01:44:50.86 ID:flwrlcSm
>>509やら>>518-あたりでは、黒田家は長政までと言われがちですが、そんなことはありません。
三代藩主黒田光之公は、地元でも名君として尊敬されているようです。

さて、この黒田光之、正真正銘黒田忠之の子なのですが、なぜか生まれたのが早良郡橋本村の別邸。
筑前52万石の若君がどうしてこんなところで?とお思いでしょう。
そうです、この光之、元々は忠之の隠し子だったのです。
光之の母親については諸説あり実際どういう身分の女性だったのかはわかりませんが、
何かの拍子に忠之の手がついて囲っていた女性のようです。
そして、忠之の子を孕んだこの女性はどういうわけか、
橋本村の別邸に移されそこで男子を産みます。
彼女が光之を出産した直後に忠之の正室が亡くなっているようなので、
ややこしいトラブルがあったことは想像に難くないですね。
槌万と名付けられた赤子は三歳になるまで橋本村で密かに育てられることになります。


542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 01:46:50.68 ID:flwrlcSm
このうっかりすればご落胤として百姓や坊主にでもされかねなかった槌万が無事黒田家を継ぐことができたのも、
また、黒田一成の功績によるものでした。

忠之は自分の子を孕んだこの妾をまず一成に押しつけました。
一成は預かった母子を保護しながら、いつかこの若君が黒田の御家を継げるよう
密かに幕閣や忠之の母である大涼院に根回しをしていたのです。
正室を亡くし独身となった忠之ですが、一度まとまりかけた藤堂家との縁談も破談になり、
30になろうかというのに世継ぎがいない。
いつの間にやら鎚万の存在も周知の事実となり、彼は渋々この息子を江戸に呼び寄せ、
嫡男とし名を「吉兵衛」と改めさせます。
その後、忠之は一成や大涼院の説得により吉兵衛の母と再婚し、次男・之勝を産ませます。

つまり、黒田一成がいなければ、
福岡藩三代藩主・黒田光之は誕生することもなく、黒田家譜も編纂されず、
貝原益軒が養生訓を執筆することもなかったのかもしれません。

ちなみに、あの有名な黒田長政騎馬像(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Kuroda_Nagamasa.jpg)は、
一成が長政の一周忌に私的に作らせて所有したいたものを、
「幼い光之公に祖父の雄姿をお伝えするために」黒田家に献上されたものだそうな。




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 08:42:42.92 ID:GwMS3hB+
>>541
>>518は黒田家は長政まで、と言ってるんじゃなく
「長政までは有能な人達ばかりなのになんで忠之はこんなアレな殿様なの?」って
言ってるんであって、忠之後に名君が出てることを否定していない

ID:flwrlcSmの逸話読んでも忠之がアレなことには違いないようだし

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 09:04:16.59 ID:Nb4VLKsa
>しかし、あなたが毒を盛られたくらいで死ぬような人間とはまったく思えません。
無茶言うなw

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 09:06:10.89 ID:9vj9IjvF
>君君たらずとも臣臣足たるとやらん
この言葉が出るとポスト戦国だと実感して安心する

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 09:07:45.08 ID:7087AEev
まぁ忠之さんは周りからも身内からも馬鹿の烙印押されてるからより際立ってしまう
そのせいで後が名君でもそっちに目がいっちゃうな、島津に暗君なしで有名な人とかみたいに

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 14:28:20.72 ID:yPFubTf1
>>545
綱吉時代以前にそこまで儒学っぽいこと言う武将がいたのかなぁとか考えると、
後世に創作された逸話っぽく感じるけどね。

もちろん、林羅山なんかがいるように、家康の存命中からある程度儒学が
尊重されるようになってきてはいたけどさ。

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 20:20:46.31 ID:5nJ16Dzy
黒田一成は「かずなり」じゃなくて「かずしげ」なのか
ずっと「かずなり」だと思ってた

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 20:28:13.98 ID:dxHrXwO4
そういや石田三成も「かつしげ」という話が
どうせなら縁起をかついでみんな「かつなり」と読めばいいのに

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 20:29:46.85 ID:Fx3tMoJo
水野のかつなりはひとりで十分by被害者の会一同

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 23:03:55.23 ID:LBiWdJWl
>>548
実は大膳はその林羅山に師事していたらしく、
そもそも長政が儒教にかぶれていたために家臣やその子弟に推奨していた節があるのです
件の息子にも「論語読ませろ」と守役に支持している手紙が残っています

ちなみにこの話の出典は栗山大膳記なのですが、
これの成立は延宝八年ごろと言われているようです


559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/10(火) 23:08:12.18 ID:BWCwV/lX
平手政秀のようにすっぱり切腹したのに対して、どうも理屈が先にいってるなぁ。
頼宣の守役も、切腹するから介錯してほしい心入れ替えてね、とか申し出てなかったっけ。

岐阜城攻防戦と、黒田長政家臣黒田三左衛門

2009年10月22日 00:05

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 17:56:53 ID:16+ulZD6
小ネタ。関ヶ原、岐阜城攻防戦の時のこと。

黒田長政家臣黒田三左衛門は、敵の足軽備に馳せ掛かった。
この時敵の足軽たち、三左衛門に

「この部隊は軽卒ばかりで、討っても手柄になりませんよ!
よき敵はほら、あっち!!」

と、別の備を指差した。
これを聞いて三左衛門

「え?そうなの?じゃあここ攻撃しても無駄…

!、ははーん、さてはそう言って俺達を騙して、後ろから鉄砲を打ちかける気だな!
そうはいくか!!」

と、その足軽備に突入。さんざんに討ち払ったそうである。




655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:06:23 ID:5bI1VdyC
鬼ごっこのようだ。