それほどまでの覚悟ならば

2015年06月22日 18:11

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 06:24:01.80 ID:SvJtWPb1
秀忠公の時代、大久保忠鄰が井伊直孝の預かりとなった。
井伊直孝は参勤に向かうにあたり、大久保忠鄰に、

「大久保殿、あなたは人の讒言により無実ながら罪の身となり、
私のところへ預かりになったと、世上でもっぱらの噂になっています。
このたびの参勤で江戸に上がり、このことを将軍さまのお耳に入れ、
すぐにでも帰参のお許しが出るようにしたいと思っています。
ですから、詳しい話を聞かせてください。」

大久保忠鄰は、

「ありがたいお心づかいです。
しかしながら、私は無実ではありません。おそらく、根も葉もない世間の噂話でしょう。
それをさも讒言があったとしてお許しをいただくとなると、はなはだよろしくない。
私のことなら心配無用です。」

と断った。

「見事な態度です。
ですが、このことは世間の噂として私一人が知っているのではなく、
大久保殿の無実については、証人も数人名乗り出ているのです。
天下の御政冶に今回のような理不尽があっては、幕府のためにもなりません。
いずれこの非を正し、御帰参となるようにするつもりです。」

井伊直孝も譲らない。(1/2)

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 06:51:46.83 ID:SvJtWPb1
すると大久保忠鄰は、

「井伊殿はなにもかも知っていると見える。
それならば、私も本心をお話しようと思う。
私がもし讒言にあったことを無念に思ったなら、すぐにでも弁解しています。
しかし今ようやく天下が治まり、日本国中が幕府を見習おうという時に、
役人の中に悪い者がいて、無実の者を讒言で陥れたと世間の噂話となったらば、
秀忠さまに悪名をお着せすることになり、諸大名たちも不穏の心をいだくかもしれません。
だからこそ無実の証明をせず朽ち果てることが、この時節の奉公であると覚悟したのです。
たとえ帰参出来ても、これほどの奉公を出来ることはないと思っているので、なんの苦もないのです。
出世の望みもないので、ここで何も言わず朽ち果てることがひとかどのお役に立つわけですから、
御とりなし御無用にお願いします。」

と本心を打ち明けた。
井伊直孝はとても感心して、

「貴方ほどの忠義の臣を埋もれさせるのは、天道にも反することでしょう。
私の出来るかぎりの力を使い、必ずや帰参出来るようにしたい。」

とさらに譲らない。
すると大久保忠鄰は怒りだし、

「私が、心底残らず本心を話しても、貴方は聞き入れてくれない。
どうしようもないので、このまま餓死いたす。」

と言い切り口を閉ざした。
井伊直孝は、

「それほどまでの覚悟ならば、もはやすべて大久保殿のお心にお任せします。
それにしても貴方の忠節、比べるものもございません」

と、感涙を流した(2/2)  【葉隠】




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大久保忠隣の臣節

2012年10月04日 20:30

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 15:47:14.22 ID:2h63FlKR
徳川家の重臣・大久保忠隣が、本多正信・正純親子との政争に敗れ改易されたこと、これは有名である。
忠隣はその後、近江の井伊家において、流人として拘束されていた。

さて、元和2年(1616)4月17日、忠隣の改易を命じた徳川家康が死去した。
これにより名実ともに、かつて大久保忠隣が力強く補佐した将軍徳川秀忠の世となり、井伊家当主・直孝は
「もはや良き時分である」と、忠隣の元を訪れこの様に言った

「あなたはどうして将軍家に上書して、冤罪を雪がないのでしょうか?
もし、そう言った意志がおありなのなら、不肖ながら私も又、あなたの力になりたいと考えています。」

今や幕府有数の実力者でもある直孝の言葉であり、秀忠が忠隣に対し好意的であったこともあわせて、
直孝の後援があれば忠隣の名誉回復も容易ですらあっただろう。ところが

「お断り申す。」
忠隣は即座にそれを辞した

「昔から忠を以って退けられるということ、その例も多い。
私が今この様にあるのも、ただ天のなしたことであろう。

それにな、大御所様は既に身罷られた。なのに今更私が罪のないことを申し出るなど、これは
主人の過ちを天下に暴露するようなものであり、その様なこと私の素意ではない。

その上、強いて私の冤罪を雪ごうとすれば、今の将軍家に父である大御所様の過ちを認めさせるという不孝を
させてしまうことになる。そのような事をたかだか我が身一つと変えるなど、私には到底受け入れられない。

そうであるから、私は今のまま、このようにして臣節を全うすることが、最も良いのだよ。」

これを聞いて直孝は言葉も無く、ただ涙を流し忠隣の元を下がったと言う。


大久保忠隣の臣節、という逸話である。
(武士道美譚)




709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 15:54:32.53 ID:DtyhL/pC
忠教・政宗・三河の方々「めんどくさ… 」

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 15:54:33.46 ID:k/RK6xoz
>>708
いい話
葉隠にものってるね

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 15:57:33.36 ID:FJiAJpCG
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1816.html
板倉勝重にも復権を勧められてるね。しかし頑固だな。さすが三河武士。
青山さんもそうだったが…

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 18:15:46.38 ID:H5EgBvVS
彦左衛門とどっちが面倒なんだろ?

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 18:45:50.82 ID:gGJhXDyW
彦左は性格が悪いだけだと思う

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 19:49:50.25 ID:k/RK6xoz
彦左は腹の中と行動が同じだから裏表のない好人物ともいえる

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 20:01:15.20 ID:iNkf8eRx
冤罪を晴らすのがダメなら罪を許されたという事にすれば良いと思うんだけど、そういう問題じゃないんだろうな。

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 20:48:14.44 ID:+r+WOQwx
>>715
裏表がないのと好人物かどうかは別だと思う
例えば石田三成や織田信長とか

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 20:49:03.07 ID:j1Bn/kwv
>>716
罪を許されたって形式を正式にとると
それはそれで罪を正式に認めたことになるので面白くないって言うのがある気がする

こうなんというか微妙なとこなんじゃないかな

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 21:24:19.51 ID:k/RK6xoz
>>719
そういうこともあるかな。
話変わるが彦左の性格悪く見える部分て、
武士として油断大敵を表現するための行動を、
嫌な奴と受けとられてる部分もあると思うんだ。
新撰組の斎藤一の息子たちの話なんだけど、
明治期に入っても息子たちを武士として教育してたみたいで、
子供のころから家に帰って戸を開けると斎藤が隠れていて、
新聞丸めたものでいきなり頭打たれたりしたらしい(笑)
多分、常識に期待するなよ。
なにがあるかわからないのが世の中だって教えなんだと思う。
それも現代でやったらただの嫌なオヤジとしか思われず、
子供にとって悪影響のが大きくなるわな。
彦左の逸話も時代と武士の価値観から見るべきと思う

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 22:55:44.25 ID:K+7a1/nL
>>721
いぽう新田宮流の和田平助は
跡継ぎの息子を鍛えるために不意打ちしまくってノイローゼで死なせた

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 23:22:19.76 ID:k/RK6xoz
>>722
やりすぎたな…
斎藤一や和田平助は剣豪だから育て方も職人ぽいかな

山本常朝の武士の子育て論はまた違うから面白い
武士の子育ては町人とは違う
卑屈になるから絶対に脅したり恐がらすしつけはするなと言ってるんだよ
まあ、どんなやり方にも成功例、失敗例はあるだろう

秀次事件・秀忠脱出作戦!

2011年05月28日 00:00

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 01:58:33.30 ID:/kq3CsKx
文禄4年(1595)、秀次事件の時のことである。

関白豊臣秀次謀反の噂高まった頃、当時京の徳川家の屋敷には、当時16歳の徳川秀忠があった。
秀次はこれに目をつけ、たばかって秀忠の身の上を確保し、その上で人質を盾に
徳川家康を頼って太閤秀吉に申開きをすべし、と考える。

4月3日の早朝、徳川家の屋敷に秀次よりの使者が来た
これに対応したのは徳川家重臣、多くも忠隣である。

「今朝は朝食をご馳走したい。どうぞ聚楽へと参るように。本来なら昨夜のうちに
伝えておくべきだったが、いささか事にまぎれてしまい、今になった。」

使者はそう忠隣に語り、直ぐに秀忠をつれてくるよう要求する。が、忠隣これに

「仰せ、承りました。ですがその…、秀忠様はまだ幼く、いつも日が高く上がってから
漸く起きだすのです。
関白殿下へのご返事が遅れるのは大変憚るべきことですので、お使いの方々は
一旦お帰りになって、この事を関白殿下にお伝え下さい。
忠隣は秀忠様が目覚められましたら仰せのことを伝え、必ず聚楽に参らせます。」

と、使者を返す。勿論秀忠が未だ寝ているなど、嘘である。忠隣はすぐさま土井利勝をお供に、
秀忠を密かに伏見の屋敷へと移し、その上で自身は京屋敷に留まった。
そのうちに秀次の使者が再び、催促のためであろう、徳川屋敷に訪れた。
忠隣これに対面して、曰く

「いやはやそれが、秀忠様ですが、かねてから茶会の約束があったそうで、今日の早朝、
伏見に行かれたそうなのです!私はその事をまるで知りませんでしたから、又いつものように
日が高くなってから起きる事よとばかり思っていたところ、たった今この事を知らされ、
返す返すも恐れ入ることでございます。」

と、心底恐縮している体で謝罪する。時間は既に午の刻あたり(正午ごろ)、追いかけて戻すことも
もはや無理であり、使者は如何とも出来ずそのまま戻っていった。
秀次は大変口惜しく思ったが、程なく切腹し果てられた、とのことである。

大久保忠隣の、秀忠脱出作戦についての逸話である。
(藩翰譜)




大久保忠隣の食事提供

2010年05月01日 00:07

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 22:48:02 ID:V/J9fPHx
大久保忠隣って関ヶ原の後だが、自分の江戸の屋敷に来る人間には、誰にでも
食事をご馳走してたんだってね。
伊達政宗が「そんなのいくらなんでも嘘だろう」と思って、試しに自分の家臣を身分を隠して
忠隣の屋敷に行かせたら、しっかりご馳走になって帰ってきて

「おいおいマジかよ」

って絶句した、と言う話があったな。
こう言ったよく言えば困窮した御家人を救う慈善事業、悪く言えば露骨な人気取りの資金は
大久保長安から出ていたらしい。




664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 22:52:24 ID:5ojNfDp6
>>662
それじゃあ謀反のためと誤解されるのもやむなしかな

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 23:04:40 ID:dnGX6Ve1
臣下が人気取りと取られるようなこと大々的にやっちゃあかんわな。

本多の彼の人に目つけられずともいずれなんかあったろうよ

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 23:13:07 ID:ytFPmulZ
みんなから嫌われると謀反を企んでると讒言される


みんなに好かれようと人気取りしたら謀反を企んでると噂される


どうしろと?

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 23:18:04 ID:tLOJWyQG
権力の座に近いほど終わりを全うしにくいのは当然でしょ。
そういうケースの男の嫉妬は怖いよ。

正信みたいに完全に割り切って嫌われる道を選ぶことが可能で、
陥れられるのを防ぐためにはどうしたらいいかまで考えれるような異才ばっかじゃないし。

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 23:26:09 ID:/j94ZUXs
彦左衛門さんもみんなの人気取りやってたけど、
謀反を疑われたことなんてなかったよ

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 23:56:13 ID:uxK0gK1t
彦左はえらい人相手の人気取りじゃないやん?

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 00:16:33 ID:ntbCM3tw
そもそも彦左にそんな欲があるなら兄の後継ぐの固辞しねーからねw

分限ろくにないし彦左謀反!とか言った奴の方がお前頭大丈夫か?って言われかねん

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 00:54:35 ID:lKlwJxXu
>>667
嫌われても断絶がないようにするという戦略だったんだろう。
史記の張良を参考にしたんだろうな。しかし子が言いつけにそむくことまでは
計算出来なかったようだ。

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 01:00:39 ID:ntbCM3tw
同僚からの猜疑
主からの猜疑

いつの世も宮仕えは…か。
板違いだが李靖なんかはすげーわ。

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 01:15:07 ID:PCz/S6Bz
同僚から嫌われても主君に好かれていれば問題ないよ







代替わりさえしなければw

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 01:15:57 ID:kqSWxJtt
陳平や李勣を市松や虎之助の江戸期の挿話に喩えるのは過剰な評価か。
我が身を屈してお家を全うしたというと家康が筆頭になるし。

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 01:18:40 ID:ihaTNIaX
>>672
李靖の場合は年齢の関係で猜疑から免れたのが大きい

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 18:54:51 ID:r5uwp2Ay
>>673
呉起さんのことか。
日本なら田沼意次というところかな

大久保忠隣と復権・いい話

2009年04月13日 00:12

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 12:00:15 ID:wdrcrYzi
ある日、京都所司代の板倉勝重が家康の命で大久保忠隣を訪ねた。
そのとき忠隣はちょうど将棋をさしていた。
「どのような御用向きかは存じている。命を受けてからではこんなことも
できないだろうから、これを終えてからにしてほしい。」
忠隣の願いを勝重は了承し、対局が終わると所領没収の旨を伝えた。
罪状は徳川家に対する謀叛企てだという。これは本多政信父子との
政治的対立に起因するという。

忠隣失脚は都中に伝わり、ひと騒ぎ起こると噂になった。忠隣は噂を
鎮めるために武具全てを勝重に送り、一族郎党を退去させたので騒ぎ
は収まった。

その後、家康が没すると出家を決意して比叡山などの僧侶を配流先の
近江に呼び寄せた。そのとき忠隣は僧たちに話を聞かせている。
「私はこれまで人に隠さねばならないようなことをしたことはない。11歳
のころから家康公に仕えたが、仕事で他言したことはないし、重要な
仕事をしたときに内心省みて贔屓をしたことはない。わがまま、分け隔て、
悪口などもしなかった。ただ理を通してきたのだ。」
僧たちはこの話を人に伝えるとき、皆涙したという。

やがて政敵の本多正純が失脚した。将軍秀忠はかつて側近として自分を
支えてくれた恩からか、忠隣を復権させようとした。しかし忠隣はこの要請
を固辞し続けた。配流先の井伊直孝が出仕を薦めたとき、忠隣は自分が
出仕しない理由を語った。
「私に罪がなければこのような境遇になるはずがない。仮に申し開きが
あったとしても、家康公亡き今、復権したとあっては家康公の御判断が
間違っていたということになる。そして、それは秀忠様が御父君の間違い
を明らかにすることになってしまう。私は自分の無実の証明にために、
世間が家康公の御処置を疑い、秀忠様がご不幸になるようなことは
避けたいのだ。」

結局、その後も忠隣は復権することなく、75歳の生涯を閉じたのだった。




679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 12:05:04 ID:G/U05NR4
長安の金丸事件の連座扱いだっけか。
哀れよのう…。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 13:23:57 ID:vTD7ald8
面倒臭い三河武士シリーズキター

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 22:52:54 ID:ZUbfuThN
>>678-679
大久保忠隣って、(幕府開く前だっけ)徳川家中で家康の世継をどうするか議論になったとき
結城秀康を推す重臣続出の中でひとり秀忠を支持したんだよね。
小田原城の柱を張り替えて家康に叱られたりしたそうだけど。

大久保長安事件か……松平忠輝の運命も左右した徳川幕府創立期の大事件だったんよね



関連
徳川家光と守り役、青山忠俊・悪い話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2129.html


大久保忠隣と土肥権右衛門と馬と槍・悪い話

2008年10月22日 00:07

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 00:55:05 ID:gW1c/+hq
長久手の戦いの最中、大久保忠隣は豊臣軍を追撃していた
ところが馬上で姿勢が崩れたところを土肥権右衛門という武者に突かれ、
田んぼに落ちてしまった。起き上がれない忠隣を見た土肥は

「お前みたいな未熟者の首は欲しくない
だが俺は走り回って疲れたのでお前の馬を貰う。せいぜいがんばって起き上がれ」

と言って行ってしまった
家来の助けでなんとか起き上がった忠隣は土肥の槍が落ちていたのでそれを持ち帰った
これを聞いた家康は

「馬も槍も戦いに必要なものだから痛み分けだな。うんうん」と言って忠隣を慰めたという

忠隣のかっこ悪い話




881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 01:03:48 ID:Ss+6dTvy
>>880
こんな優しい内府は初めて見た

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 01:26:18 ID:OCOUinze
かっこ悪いけど、話としてはいい話だな

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 01:56:10 ID:Aysw+zmw
権右衛門とやらは大久保忠隣の面目が潰れないように
ワザと槍を落としてやったのかもしれんな
と思うと( ;∀;) イイハナシダナー

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 01:59:56 ID:QSeALo4F
槍が放置されてた理由ってのは逸話にないのかな?
乱戦で邪魔になったから捨てたとか、近くで討ち死にしてたとか。

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 02:40:08 ID:OaSGULgu
え、だって乗馬するのに長い槍なんか持ってられないからそこらに捨てたんだろ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 05:56:07 ID:p0uWD3oM
騎乗で使う槍は、徒歩で使う槍よりも短いんだぜ。
一口に槍といっても、
足軽用の長槍(4.5m以上)>徒歩侍の槍(3.5mくらい)>騎馬槍(2.5mくらい)>屋内用の槍(2mくらい)
と用途によって長さはおおきく異なるんだよ。

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 07:51:54 ID:gW1c/+hq
>>884-886
土肥は朝から秀次に馬を貸していると言っているので
騎馬槍じゃなかったのかも


889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 20:13:07 ID:wVk+y2pY
未熟者だから首が欲しくないというものもいれば未熟者だ!ラッキー!と討ち取ってしまうものもいる
面白い