永祿5年・井伊家粛清

2011年05月28日 00:01

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 21:46:03.98 ID:jmqhAb78
永禄3年(1560)5月、桶狭間の戦いで今川義元、討死。
この時遠州井伊家当主、井伊直盛も共に討死をする。
井伊家の家督は直盛の養子、井伊直親が継いた。

さて、同5年(1562)春、井伊直親の家臣である小野但馬という者、主人を恨むこと有り
今川氏真の元に参って密かに告げる。

「肥後守(井伊直親)は織田徳川と通じ、御屋形様に叛こうとしております!」

氏真はこれを信じ、大いに怒った。「井伊が叛いた!急ぎ井伊を退治すべし!」
しかし今川氏の一族であり、直親の友人でもある新野左馬之助は興奮する氏真を強く諌めた

「私は直親と長年親しくしており、彼の心の中も良く存じております。
直親は当家に二心を持つような人間ではありません!これはおそらく、讒人の申したことに
違い有りません。どうか、事の真偽を究明あるまで、御追討はお止めください!」

そして左馬之助は井伊の元に使いを出し、かくかくと状況を知らせる。
直親もこれに大いに驚き

「直親は先祖以来、今川殿の被官となってよりこのかた、累代において後ろめたき事は有りませんでした。
中でも養父である直盛は、故義元公のお供をして、桶狭間の合戦で討ち死にしました。
であれば、あの信長はご主君の仇というだけでなく、この直親にとっても父の仇であるのに、どうして御屋形様に
叛いて、君父重讐の相手に組するのでしょうか!?

この旨を持って、私に誤りの無いことをどうか、申開きしてください。」

そう、左馬之助の使いに託した。

ところが、これを聞いた氏真は

「いやいや、領地に居ながらにして陳じるというのでは疑いを解くことは出来ない!
駿府に参って申開きをせよ!」

と言う。直親もこれを受け入れる。このとき直親は「現在不信を被っている身が
郎党を多く引き連れていくのは宜しくない」と、主従わずか20人にて駿府へと向かった。

途中、掛川に差し掛かった所での事である。
完全武装した掛川城主・朝比奈備中守の軍勢2,300騎が突然、この井伊家の一行を襲った。
彼らは一行を大勢で取り巻き、一人も残さず討ち果たした。
この時井伊家は事実上、壊滅した。

直親にはこの時僅か2歳の男子・虎松があり、これも氏真により誅殺されるところを、井伊討伐に反対していた
新野左馬之助がその身だけはなんとか守り、命を助けた。

この時助けられた虎松こそ、言うまでもなく井伊家を再興する、後の井伊直政である。

今川氏真による、井伊家粛清についての話である。
(藩翰譜)





377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 21:50:14.74 ID:MYzACahM
新野左馬之助のその後が気になるなぁ~
というか、直政さんってオレの中では急に登場する感じなんだよな~

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 23:01:13.55 ID:WURHk3pI
>>377
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%B0%BE%E9%80%A3%E7%AB%9C

ここに新野親矩という名前でちょこっとだけ出てるよ

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 01:17:17.61 ID:2Zd6Kyeu
新野家は幕末に井伊直弼の兄が再興してるみたいだね

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 10:49:37.79 ID:AiiZNlop
>>379
Wikipediaの井伊直虎の項にも出てますな。
スポンサーサイト