松下家二話

2011年06月12日 00:01

14 名前:松下家1[] 投稿日:2011/06/11(土) 03:42:32.31 ID:JGJ7Fe4l
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やり術に優れ兵法にも通じていた松下之綱は豊臣秀吉の一番最初の主君として有名であるが、
従来の最初の秀吉の主君だけであるイメージと違いずっと秀吉とのかかわりを持ち続けた人間である。
秀吉に字や学問を教えたのは之綱だと言われる。また秀吉が仕えたのは長則とも言われる。

秀吉は彼から具足購入のために預かった5両を持ち逃げし尾張に出奔したとの逸話もあり、
このことを深く後悔していたのかはたまた最初の主君として恩義を感じていたのか
1574年に長浜城主となっていた秀吉は松下之綱を召抱え長篠の戦にも秀吉の
先陣として100騎を預けられた。

1582年、本能寺の変後も秀吉に従い続け1583年、
賤ヶ岳の戦いの後に秀吉から3000石の領地を与えられている。
その後も出世を続け、1587年、従五位下・石見守に叙位・任官し同年、
秀吉から丹波3000石を加増され6000石を与えられる
1590年、小田原合戦の後、遠江久野1万6000万石を与えられ大名となった。
秀吉はずっと松下家から受けた恩を忘れなかったのである。

1598年、秀吉に先立つこと7ヶ月前、2月16日に死去した。秀吉と同い年である62歳であった。


16 名前:松下家2[] 投稿日:2011/06/11(土) 04:05:52.11 ID:JGJ7Fe4l
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松下重綱は之綱の次男として生まれ豊臣秀次に仕えた。
秀次事件で松下家が連座させられなかったのも松下家と秀吉の絆がわかるものだ。
1598年には父が死んだため重綱が松下家の家督を継いだ。

豊臣恩顧と言ってもいい彼であるが
関ヶ原の戦いでは東軍に属し岐阜城攻撃、
水野勝成属下で大垣城攻撃、石田三成隊50の首級を挙げるなど活躍。
1603年石垣の無断改築による常陸小張に移封となるが同じだけ領地は与えられているので東海道筋に
豊臣系の大名がいるのを嫌がったためであろう。

1614年からの大坂の陣で自ら槍をとり戦うなど奮戦。
毛利勝永隊に撃破されるもののその功績により2万8000石に加増された。


なお余談であるが
1627年、加藤嘉明が会津40万石に加増移封されると、娘婿だった重綱も陸奥二本松藩5万石に加増移封され、
嘉明の与力大名となり
転封直後に死亡した。父と同じ出世街道を歩み続けた。






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