香川親和の死

2011年07月08日 23:01

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 19:02:43.85 ID:K7A2lEAM
天正16年(1588)、長宗我部元親は京において四男の千熊丸を、増田長盛を烏帽子親として元服させ、
右衛門太郎盛親と名乗らせた。
人々はこれで、盛親に長宗我部の家督を譲ることが決まったと思った。
が、元親にはなにか考えがあったのか、盛親の家督相続披露を行わず、
それとは別に

「五郎次郎(元親次男・香川親和)はその領地に蟄居のような形になっており、
さぞ色々と不自由であろう。」

と言って彼の住居である小野の近くを新たに知行として与えた。
さて、これを聞いて、当の五郎次郎は絶望した

「これはどういう事だ!?弥三郎殿(信親)が逝去された上は、私こそが長宗我部の
惣領と成るべきなのに、今になって知行を給わるとは何事だ!?

兄上の一周忌も過ぎ、3年も経っても家督に付いて何の沙汰もなく、ただ訝しく思っていた所に、
『吉良親実、比江山親興などの粛清は、千熊丸を家督にすると父上がおっしゃったのを
諌めたため罰せられたのだ』などという噂も耳に入ったが、そんな馬鹿なことがあるはずがない、
そう言っている者たちの勘違いだと、私はずっと信じてきた。

それなのに今度の千熊丸の元服の有り様は、疑いもなく家督のものである。
私は今はじめて、噂が真実であったと知った!

しかれば、私は父に見放され、弟にその地位を追い越された。
一体何の面目あって、生きて再び人前に顔を晒すことが出来るだろうか。
だからといって自ら首を斬って死ぬのは、不幸であり不義でもある。
この上はただ、閉居して世との交わりを絶つしか無い。」

と、一室に、食事も取らず閉じ籠った。
乳夫である吉良五郎兵衛が涙を流して様々に諌めたが一向に聞くこと無く。
やがて心身衰え、終に病床に伏した。

この事は岡豊の元親のもとにも伝えられたが、元親は驚くこともなく、ただ
「療養は緩々とするのが良い。構えて回復を急ぐため、無理な治療はしてはいけない」との
言葉を下しただけであった。

しかし吉良五郎兵衛が「もはや回復の見込み無く、お命も長くありません」としきりに申し上げたため、
元親は篭を飛ばして五郎次郎の元に駆けつけその姿を見れば、もはや意識不明の有様であった。

「これは一体どういう事だ!?」

元親は手を投げ上げて嘆いた。これに吉良五郎兵衛
「最近になってこのような状態になり、私は何度もこれを報告いたしましたが、岡豊から返って来るのは
御子様とも思えないお扱いばかり。情け無い限りです。」
そう、声を上げて泣いた。

元親は返す言葉もなく、親和の耳元に口を当て励ますように言った

「五郎次郎、心持ちはどうだ!?家督はお前に決めたぞ!」

しかし五郎次郎からは、もはや何の反応もなく、ただ眠るようにして終に空しくなったと云う。

「弥三郎に先立たれ、3年の月日も経つや経たずやというのに又、五郎次郎を失ってしまった!
私は一体どうすればいいのか!?」

元親はそう叫び、ただ嘆くばかりであった。

長宗我部元親次男、香川親和の死についての逸話である
(土佐物語)





915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 19:43:17.98 ID:7szqo2P1
元親の本心がどこにあったのかよく分からんな
やっぱり信親失ってからおかしくなってたのか

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 20:57:38.68 ID:kXqLQR5J
長宗我部家の衰亡は全部、元親が原因なんだな
四国統一まであと一歩だった英雄がこうまでボケるなんて悲しすぎ

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 21:17:26.45 ID:EiTKhsl1
長宗我部家は元親が育て上げて自分でぶち壊したな

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 21:27:14.08 ID:iU10HgQ7
クマーと同じだね。

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 21:27:26.38 ID:/AeZ6XSC
一代でのし上がって、一代で墜ちる、か。
信長、光秀、秀吉もそうかな?

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 21:32:29.94 ID:CUF0qj+e
信長は違うでしょ

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 22:04:37.57 ID:ZqBbsuNL
信親が居た頃から家督を継がせる嫡子以外には興味がなく
自分で蟄居のような形とか言ってるあたり
適当にあしらってたら本当に死ぬとは思わなかったんだろうな
自慢の信親がまさかあんな死を迎えるとは思わなかっただろうし
多分元親的には盛親の家督相続をする前に小遣い(知行)与えて納得させようと
大奮発したつもりなんだろうけど火に油を注いだというか・・・。
そのうえ病気で寝込んでると言うのを自分の気を引こうとしていると思って無視していたんだろうな

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 22:36:07.51 ID:4htkR0pW
信親を失った後の元親は見るに耐えないな・・・

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 22:45:13.03 ID:lEDzmpwN
悲劇だな


925 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/08(金) 23:39:19.42 ID:cHfL91ij
まあな。

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 00:54:50.22 ID:qjqzLUTK
>>923
垣見家純とのエピソードや、元親百箇条を制定したところをみると、決して
耄碌してしまったわけではないとは思うんだけど、やはり晩年の元親は精彩を欠くな・・・。


927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 07:50:31.07 ID:Srq4vzSR
子供は一人だけを可愛がりすぎてはいけないという教訓ですな

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 08:20:26.48 ID:Utj1GRUb
>>926
ボケみたいなかんじでしっかりしてる時はしっかりしてるけど、
時々おかしくなるみたいな感じだったのかもな

そして、それを矯正できるほどの人材もいなかったとか

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 08:31:46.74 ID:p+WD1Ggk
子供など、我の操り人形に過ぎないのにな。
抗う意思を持つ子供など、無用無用無用無用無用

長男も次男も六男も無駄無駄無駄




by 家康

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 08:46:37.98 ID:7s4xq2k6
でも、俺の許可無く死ぬな
馬乗ってでも泳いででも逃げろ

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 15:44:19.15 ID:McSP37RG
>>914
これは・・・元親がボケてた話なの?
親知に冷たくしたのがボケ?親知の危篤を知って涙した部分?
それとも最初からボケてた話?
三回読んでもわからぬ><;

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 16:49:37.41 ID:wpAaw4U1
親和のポジションは徳川の結城さんに相当するんじゃないかな
他家の名跡を継いでるとこも共通してるし、最初から宗家を継がせる気はなかったのかも
元親は晩年ボケたの一言で片付けられちゃうけど、
元親なりに混乱を避けたいと思って打った手だったのやもしれない

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 17:17:25.07 ID:w8QeQVTG
ボケというよりは感性が麻痺していたように思えるな
自分の中身が自身の気持ちだけでイッパイになってしまっていて、
他人の事を思いやる余裕も他人の言を受け入れる余裕も無い
当の本人は冷たくしたなんて思ってなかったかもね

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 20:29:21.60 ID:2GXCmXXo
親知って既に他家の家督継いでんでしょ?なのに本家の家督を継げると思ってたってのが腑に落ちない。

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 20:43:08.59 ID:0K+QsWmr
他家の家督を継いでも、本家に相続する人がいなくて出戻りしちゃうケースはあるでしょ

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 20:46:59.07 ID:RcqnkF4u
いなけりゃでしょ?いるじゃん。
他の子がいても他家を継いだ年上の子が出戻ったケースってあるかな?

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 20:51:57.88 ID:/wW1oDve
つーか香川親和の継いだ香川家は、その名のとおり讃岐の守護代家であって、
つまり親和は西香川支配を期待された存在だったわけね。
だから秀吉の四国征伐のあとは、長宗我部に戻った存在だと言っていいわけ。

あまつさえ信親の討ち死にのあと、豊臣秀吉から次男である香川親和に家督を継がせるよう
働きかけがあったのよ。こういう動きがあったから、親和も自分が家督を継承するものと
考えた。

ところが元親は親和ではなく盛親に家督を継がせるため、時間をかけて反対派の粛清まで
やったわけだ。

以上のようなことから、親和には自分が長宗我部を継ぐことへの理由も正当性もあった。

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 21:01:41.43 ID:Utj1GRUb
937が言うような事情がなくともあるんじゃない?
本能寺後の織田家もそんな感じでないの
信雄は北畠、信孝は神戸に入ってたけどその二人が有力候補だったわけで
養子に入ってるとか大した問題じゃないんじゃないの?

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 21:16:38.10 ID:4on3RdKi
ふたりとも織田にすでに復しとる

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 21:30:29.92 ID:/wW1oDve
ついでにいうと織田信雄は賤ヶ岳の前に「織田家家督」を継いでいる。

これは三法師(秀信)が清洲会議の結果信孝の管理下に入り、その後秀吉・織田信雄ラインと
柴田勝家・織田信孝ラインの対立が激しくなり、危機感を感じた秀吉が丹羽長秀、池田勝入と
共同で三法師の家督を廃止し信雄を新たな家督としたため。


941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 21:52:16.02 ID:/GVclcJg
まぁ何にせよ、やつさえいなければ・・・

ゴンベエさえいなければ・・・

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 22:58:25.91 ID:wpAaw4U1
親和は自分こそ、な気持ちだったのかもしれんが元親は違う心境だわな
四国制覇の夢を叩き潰され、九州で愛息信親を奪われ、建築狂いに駆り出され、
その上後嗣問題にまでくちばしを入れられて正当性を主張されちゃたまったもんじゃないだろ
自分の人生どころか死後まで秀吉の意志のままなんて悲劇を通り越して喜劇だぜ
元親からしたら自分の心中を察しない親和や親和を担ぐ連中は裏切り者に見えたんじゃないだろうか

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/09(土) 23:03:03.94 ID:UZBY9zFV
盛親が正室の子だったからだよ

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/10(日) 01:05:12.41 ID:X6OLmRwL
>>940
ただし、これは秀吉や丹羽らに織田家の家督をどうこうする権利があったのか?という点があるけどね
スポンサーサイト