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藪内匠正照と渡辺勘兵衛

2011年07月11日 23:20

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/10(日) 22:22:08.62 ID:ktV8s8B2
中村一氏の家臣、藪内匠正照は、秀吉の中国攻めのころから武功をもって知られた歴戦の士であり、
主家が駿府14万石をつかむきっかけとなった山中城攻めにおいても、一番乗りの大功を立ててのけた。

ところが、この攻城戦に同じく一氏に仕えていた渡辺勘兵衛も参加しており、その大半月の前立が
関白秀吉の目にも止まり、勘兵衛こそ一番乗りということになってしまった。
事実を知っていた一氏は転封後、内匠に5千石、勘兵衛に3千石を給したが、勘兵衛はこれを不満とした。


そんなある日、勘兵衛から内匠に書状が届いた。

“拙者儀、貴殿存じよりの子細ありて、中村家を立退く。ついては顔を合わせたく、町外れにて待つ。”

内匠は、ただちに両刀を携えると、町外れに向かった。そこには、完全武装の勘兵衛が愛馬に乗り、
抜き身の長刀を引っさげて待ち構えていた。

「おぅ来たか。わしはこれにてご当家を立退くが、一言の挨拶も無く去るのは、わしの本意ではない。
…が、わしが足を止めてまで頭を下げようと思うのは、お主の他におらなんだわ。」
「ふん、言うてくれるわ。」
「まぁ、これまでの我らが間柄に臆せず、良くぞ来てくれた。これを置き土産にくれてやろう。」

勘兵衛は、手に持った抜き身の長刀を内匠の目前に突きつけた。
「ならば、わしも餞別せん。」
内匠は全く動じる事なく自分の脇差を抜くと、同じく勘兵衛の鼻先に突きつけた。

「かたじけなし。」「痛み入る。」
長刀と脇差を取り換えた二人は丁寧に礼を交わしつつも、互いに油断無く睨み合いながら立ち別れた。
(明良洪範より)

その後、渡辺勘兵衛は増田家・藤堂家と仕えた後、牢人となるも、天下の名士として知られた。
藪内匠正照は中村家改易後、細川忠興に仕え、その子孫は細川家・紀州徳川家で重く用いられた。

参照
大指物の故であった


563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/10(日) 22:26:36.06 ID:wxEGIBHV
藪内、リーチなげえな

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/10(日) 23:08:03.18 ID:q/mwT7a6
藪さんだろ

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/10(日) 23:40:38.01 ID:MOeCiGZF
難しい間柄だな
今更恨みはないけど、去り際に何かやってやりたいって感じなのかな

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/11(月) 00:57:04.82 ID:EqiZO4Y2
関白に認められた意地と、きちんと評価してくれる主人をもった誇りとですれちがったけど、相手を認めてるから
挨拶しておきたかったんじゃないのかな
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