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壬生家の御家存続の為に

2011年07月24日 23:01

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 17:43:46.87 ID:VoXGSr6O

壬生家の御家存続の為に

天正十八年、豊臣秀吉が小田原北条氏攻撃の軍を率いて京都から出発した。
常陸の佐竹氏や下野の宇都宮氏らは秀吉に応じて、反北条の意を決した。
それに対して、壬生義雄と皆川広照は後北条氏の元に参陣して小田原城に籠城。
しかし、七月小田原城は開城、壬生義雄はその直後に病死した。享年四十六歳。
義雄は男子に恵まれず、娘の伊勢亀がいるだけで、義雄の死によって壬生家は所領を没収され滅亡してしまった。

しかし話はここで終わらない

壬生氏の旧領は結城領に吸収され、壬生の旧臣は他家への仕官より、帰農の道を選んだ。

江戸幕府が開かれ、京の藤原北家中御門流の「壬生」氏が権現詣で日光東照宮への道中、下野鹿沼の
壬生旧臣が粗末ながらも身形を揃え、京・壬生氏の道中警護を申し出た。
京・壬生氏はこれを断ったものの、道中の共や用事を下野壬生旧臣に許した。

京・壬生氏と下野壬生氏は「縁も所縁もない」、単に苗字が「壬生」であっただけである。

2年3年と下野壬生旧臣からの申し出から、道中の御供も当たり前のようになり、京・壬生氏からは
下野壬生旧臣に金子や酒が用立てされた。

壬生義雄の娘、伊勢亀の婚礼も決まり、所領は無いながらも伊勢亀の嫡男誕生を待ちつつ御家再興を願った
壬生旧臣たちだったが

そこは歴史のやるせなさ

伊勢亀には女子しか生まれず、壬生家の再興の願いは絶たれた




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