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泉田重光の忠誠心

2011年07月24日 23:04

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 07:47:59.57 ID:IOf/xS7n
泉田重光の忠誠心

多分過去に挙がっていないと思うので一筆

大崎合戦では妻の家の家督相続を留守政宗と言い争った伊達家臣泉田重光だが、政宗に仲直りの意味も兼ねて
政景と二人大崎攻めの先鋒の大将にされてしまった。
二人には兵1万が与えられたが、大崎陣でも口論が絶えることは無く、兵5000を率いて先に出た重光は、
後詰めの政景と大崎の大軍に分断され、兵を撤退させる講和の条件に自らが人質になる事を呑んだ。

大崎軍中
一栗放牛「これはこれは、まぁ話を聞こう」
黒川月舟「某は黒川月舟、覚えがあろう」
延沢満延「某、最上家中延沢能登と申す」

泉田重光「!?なぜ最上の家中がここにいる?」

(´・ω・`)「だって、大崎家と最上家は親族だもん。援軍出すのは当たり前でしょ?囲まれた時に
旗印でわからなかった?」

*大崎も最上の旗も丸に二引き両。丸の大きさや二の間隔で区別する

留守政景と兵は講和によって無事伊達領に戻されたが、重光の身柄は大崎家から最上義光に引き渡された。

山形城

(´・ω・`)「・・・家臣にならない」
重光「お断り申す」

(´・ω・`)「鮭食べる?」
重光「・・・それはそれで頂戴致します」

(´・ω・`)「伊達家って鮎貝君も愚痴言ってるけど、そんなに良いの?」
重光「奉公に足る御恩がござる」

伊達家に嫁いでいた義姫の助力もあり、やがて重光は政宗の許に帰された。
泉田重光は朝鮮出兵にも政宗に付き従い、家中の序列は後藤・亘理家と同格とされる。




730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 12:15:07.67 ID:nGGM+b9G
逸話の内容結構面白かった。
東北は相変わらず縁戚で混沌としてるな。
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