猪苗代の亀姫

2011年08月02日 23:02

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/02(火) 00:55:59.90 ID:3fDiVw/m
猪苗代の亀姫

加藤嘉明・明成親子が会津を治めていたころ、猪苗代城の城代は堀部主繕という者が任されていた。

寛永17年(1640)12月の夜、主繕が一人で座敷にいると、どこからともなく禿(かむろ)がやって来て告げた。
「お前がこの城に来て久しいが、未だご城主に挨拶をしておらぬ。本日、ご城主が目通りを許された。
急ぎ身を清め、衣服を改めて参れ。先導するゆえ、お目見え仕れい。」

主繕は禿をにらみつけ、反論した。
「この城の主人は、加藤候。その代理として、わしが預かっておる。それ以外に主などおらぬわ!!」
主繕の反論を、禿は笑った。

「姫路の刑部姫・猪苗代の亀姫を知らんのか。一つの天運尽き果て、一つの天運改まるを心得ず、
みだりに過ぎ去りし事を話す者よ、汝の命運も尽き果てたぞ。」
そう言い残すと、禿は来た時と同じように、どこへともなく消え失せた。


明けて寛永18年元日の朝、主繕は猪苗代勤番の諸士より年頭の挨拶を受けようと、城の大広間へ向かった。

広間の、己の座すべき上座には、棺桶と葬礼道具が置かれていた。またその日の夕方、人の気配もないのに
大勢で餅をつく音が聞こえてきた。同月18日、主繕は厠で倒れ2日後に死んだ。(老媼茶話より)


2年後の寛永20年、『一つの天運尽き果て』会津藩加藤家は改易された。

泉鏡花の戯曲『天守物語』では亀姫は刑部姫の妹という事になっており、猪苗代城主の生首を手土産に
姉のところへ遊びに行く、という描写が存在する。




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