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昔といっても心がけの無い者は

2021年03月06日 18:55

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/06(土) 16:42:02.44 ID:3DU6FgfK
大久保彦左衛門(忠教)が、堀田加賀守(正盛)殿の元にに見廻りとして行き、様々古今の物語をした。
或いは武道について、或いは三河においての人の武功の事などを語った。

加賀守殿、その時彦左衛門に
「聞き候へ。今、昔のように合戦など有るなら、むしろ昔より現代の方が、心ばせの有る人もいくらも
有るだろう。あまりに昔と言っても、現代と大して変わるところはあるまい。すこし話を盛って
おられるのではないだろうか。」

このように言われ、彦左衛門はすこし気に当てられたのか
「たしかに、左様にこそあるべきです。却って昔より今の人の心のほうが猛々しいとも見えます。
さりながら、現代であっても心がけ次第でしょう。貴殿の親父である勘左衛門(正吉)殿は六十余りまで、
別に御心がけを設けられず、イナゴの首一つ取られたという事も聞きません。されば、昔といっても
心がけの無い者は、十人並みと思し召されよ。」と言った。

加賀守殿気色変わり、その座にあった人々は「彦左はおかしき事を申すものかな。」などと、
なんのかのと言いつつ、挨拶をして座は空いていったという。
誰が云うともなく、この事は語り伝えられた。

彦左殿は後先もなく物を言う人であるそうなので、さもあるのだろう。

備前老人物語



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そう、容赦もなく言うと

2021年03月05日 17:03

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/05(金) 15:44:26.80 ID:7aTXAXEA
江戸城西丸御殿の普請奉行は佐久間将監(実勝)であった。
普請が大方出来た頃、大猷院様(徳川家光)が御覧のために出御あり、将監も御供の中にあった。
そこにどういうわけか、大久保彦左衛門(忠教)が居合い、大猷院様より「普請を見よ」と
仰せ下された。これに彦左衛門「誠に結構なる御普請の次第に候。」と申した後に、将監の方を見て

「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘るという。ここは、その方の家の如くに御殿の普請も申し付けたのか?
勿論、この城にとって必要のない事ではあるのだろうが、合戦のための作法は、少しは有るべきである。

この鴨居などは兜の立物、又は鑓などを張り上げ申すこと成りかねる。また雪隠なども見たが、身一つ
ですら入りかねる。忙しき時は具足を着ながら脇差指し、肱をいからせても入るものである。
それぞれ、確かに有る習いなるぞ。」

そう、容赦もなく言うと、上様はどう思し召されたのか、何の御返事も無くそろそろと奥へ
行ってしまわれたという。

この話を誰が聞き伝えたのだろうか。世の中では、人が語ることを聞き伝えている。

備前老人物語



大久保彦左衛門は名誉の一徹者である

2019年08月16日 17:03

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/16(金) 16:29:02.21 ID:R+/a7XHr
大久保彦左衛門(忠教)は名誉の一徹者である。大坂御一戦の時は御槍奉行であるが、後に
御旗奉行となった。

ある時、牢人の某がやって来て申すには「このように御静謐の御代ならば、何も得るところ
なく病死仕ることだろう。天晴にも具足を肩に掛けて討死仕りたい」と、彦左が気に入って
「愛い奴」と言われようと思って申したのである。

彦左は曰く「まことに左様に存ずるのか」と申されて、某は「実に左様の心底」と申した。
その時に彦左は曰く、

「それが本当ならば日本一の不届き者なり!

何故かと言えば、この御静謐の御代に其の方などが具足を着るということは、まず乱国で
なければありえないことである! 代乱れるは一揆か逆心か、左様なことがあって其の方が
具足を着るような如何程の功名があろうとも、(その恩賞は)3百石か5百石である!

其の方は自分1人が5百石の立身を仕りたいがために天下の乱れを好んでいる! 公方様に
難しきことを願い申す心底、さてさて不届き千万なり! 左様に本当に存ずるならば只今腹
を切れ! 是非とも切れ!」

と白眼付けて(怒った目で睨み付けて)言われ、某はコソコソと逃尻仕ったのだという。

――『烈公間話』



我が家のことをばかり書き立て子供に譲る

2019年01月30日 10:11

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/30(水) 09:13:39.85 ID:2nKS6+Gm
この書物を、徳川家の御譜代久しき衆がご覧になって。我が家(大久保家)の事ばかりを依怙に
書いたと思われるかもしれないが、そうではない。これを書き置いたのは人に見せるためではなく、
私(大久保忠教)は最早七十にも及び、今日明日にもどうなるかわからない。故に、今にもむなしく
なってしまえば、我家が仕える御主様(徳川家)が、どれほど久しい御主様なのか解らなくなる。
これは我が家が徳川家を御主様と仰ぎ奉ってから、当代の将軍様まで、九代に渡って御主様であることを、
我が倅に知らせるためであり、又、我々に至るまでの大久保家の辛労を知らせるために書き置いたのだ。

門外不出と申し置いているので、誰もご覧になることは無いと思うが、もし、たまたま落としてしまい、
ご覧になってしまったとしても、依怙に我が家の事ばかり書いたと仰せに成られるな。御譜代久しき衆は、
何れも自分の家々の御忠節の筋目、御譜代久しき筋目を書き立て、子供たちへ御ゆずりに成るべきだ。
私はこのように、我が家のことをばかり書き立て子供に譲る。であるので他所の事については書かなかった。
以上。

(三河物語)

大久保彦左衛門による、「三河物語」の執筆姿勢について



658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/30(水) 11:33:08.11 ID:Zda8tyr2
たまたま落として見られたら困るなぁ(チラッ)

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/30(水) 20:09:44.12 ID:xkje4xgK
でも写本はしていいよチラッチラッ

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 08:16:45.51 ID:kz6yugKM
面倒くさい爺いだってすぐ分かる

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 13:27:23.77 ID:g0VHlQx6
様式美だし

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 22:53:23.34 ID:qgNP5BQt
???「日記とは、死後公表されることをねらって、他人の悪口を書き連ねておく文章である」

古き武辺者たちは目引き鼻引き笑っているのだ。

2019年01月22日 17:58

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/21(月) 22:07:09.62 ID:y1eQSZez
大阪夏の陣の後、京都にて大坂での働きの良し悪しについての御詮索が行われたが、或いは伝長老
金地院崇伝)に相申したるという人もあり、または宗哲法印(片山宗哲)に相たるという人もあり、
或いは自分たちで互いに言い合って証人に相立ちたる人もあった。事おかしき証人である。

昔は出家や医者などを武辺の証人に立てるような人に対しては、中々付き合いもしなかったものだが、
今の世は末世にも成り、出家と医者が武辺の脈を取り、或いは察すれば武辺と成るようだ。

又は、度々武辺をした者を、昔は武辺の証人として立てたもので、その生きている間に敵の顔が
赤いか黒いかも知らぬような者を、武辺の証人に立てるような事は、笑って腹筋が痛くなるほど
おかしな事である。
(又は度々の武辺したる者を、昔は武辺のせう人には立て有に、一代之内敵のかほの赤きも黒きも
しらざる者を、武辺のせう人に立る事、腹筋のいたきほどおかしき事なり。)

相国様(徳川家康)はもとより度々合戦を経験した、日本では勿論異国までも隠れなき御武辺第一の
相国様であるが、おかしく思われながらもそれなりに対応し打ち置かせられているので、そういった
報告をした者達で自分の説明が通ったと武辺顔をしている者も多い。しかしそれを、古き武辺者たちは
目引き鼻引き笑っているのだ。

(三河物語)


茶がどうして人よりも

2017年08月22日 18:02

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 04:40:38.86 ID:lvwuulW2
宇治から幕府に茶を献上する時、その運搬途上は人々がこれを避けるのが
例であった。ある時に大久保忠教(彦左衛門)は、これの運搬中に出くわして
わざと避けなかった。

役人が忠教を叱ったところ、忠教は知らぬ振りをして「汝等は何する者ぞ?」
と問うので、役人は、「これはお上の茶である。よって道をあけねばならない」
と言った。

これに忠教は、「茶がどうして人より貴いものか。まして私は役人ではないか。
よって、汝等の方から私のために道をあけたほうがよい」と、答えた。

――『学生の漢文(近世叢語)』



158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 07:35:10.02 ID:+wZ6x60J
彦左…

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 12:52:18.34 ID:q3gY/N3F
>>157
答えた後どうなったのかってのが知りたいw
普通このテの話って「流石は○○よ」とかそんな感じ

諏訪部がああいう作為をしたのも

2015年06月19日 14:29

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/19(金) 00:10:47.37 ID:NQwUogp3
徳川秀忠は鷹狩に出た時、その帰りには、諸大名や諸物頭まで、不意のお目見えでも受け付けていた。
秀忠が将軍職を家光に譲り西の丸に隠居した後、六郷あたりに鷹狩に出たとき、順路であったので
このお目見えを求める者達が諏訪部惣右衛門の屋敷に寄り合いお目見えを待っていた。

この時ここで、横田甚右衛門(尹松 )、大久保彦左衛門、今村けた之助の面々が話をしていたが、、
不意に横田が大声を出した
「大久保彦左衛門は異な事を言われる!甲州者でも三河者でも、臆病な者もいれば剛の者もいる。
それを何事だ!?」

大久保彦左衛門が武田旧臣である横田を怒らせていたのだ。また『甲州者は臆病、比べて三河者は』
みたいな事をねちねち言っていたらしい。
「横田殿、そなたが恵林寺再建のための奉加帳(寄付者のリスト)に入ってないのはどういうことか!?」

「人のことは知らぬ!私のところには奉加を求めに来なかったのだ。来たのならびた銭の百も遣わしたのに」

すると大久保
「逃げたのが手柄であるなら、俺も逃げるよ。」

これは高天神城の戦いのことである。横田は高天神城から無事に撤退した人物であった。
ちなみにこれについて武田勝頼は高く評価し彼に褒美を与えようとしたが、横田は辞退している。

横田も言い返す
「私は逃げてなど居ない!高天神の落城の時は、土手に上がり、撤退したのも三番目だ。
その時の事については権現様よりも『その方は人を無駄に殺さない良き働きであった』と
感状まで頂いている!」

ここで黙って聞いていた今村(譜代の三河者)が、彦左衛門にむかってツッコミを入れた
「そもそもお主は高天神の戦いのことを知らぬではないか。あの時は七郎右衛門(大久保忠世)が
権現様の内の者として参戦していたはずだ。」

彦左衛門逆ギレ
「お前には言ってない!(其方の事は申さず候)」

横田、ここぞと攻勢に出る
「大久保相模守(忠隣)の事、どうして彼は権現様の御勘気を蒙ったのか!?世間では逆心の故と
聞いておるぞ!」

「あ、あれは上野介(本多正純)が讒言したためだ!」

「それならば尚の事臆病ではないか!どうして上野介の所に行って討ち果たさなかったのか!?」

この口論次第に喧嘩になっていく様相を見せ、亭主である諏訪部惣右衛門も甚だ困り、
色々となだめてみたが全く聞き入れられない。そこで惣右衛門、いたしかたなく
未だ秀忠が鷹狩から帰還されたという報告は無かったが、偽って座敷に出て言った

「上様は早くも、黒田甲斐守(長政)の邸宅の門前まで入られたということです!」

この一言で、3名は即座に座を立って秀忠の出迎えに向かった。
人々は、諏訪部がああいう作為をしたのもしょうがないことだと話したという。

(明良洪範)



952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/19(金) 09:37:42.83 ID:VYwmx4c2
>>950
彦左衛門w

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/19(金) 10:48:04.89 ID:Uav2FxzD
>>950
自分ちで喧嘩される諏訪部さんかわいそうです。

とまれ、これ、その場は確かに収まるんだろうけど、
秀忠が来るってのがウソだと分かったら、
話がさらにややこしいことになるんじゃないか?w

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/19(金) 19:12:36.50 ID:MYuLjtKh
他に気が向いて戻ってきた時にはちったあクールダウンしてるんじゃないの?
逆に今村横田大久保が団結して諏訪部さんを「何で嘘つくの!」って責めたのかも。

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/19(金) 19:28:04.26 ID:PRH2E3Ba
自分が後で責められた方がまだ楽、そう判断したのかもしれぬ

御役料願書

2015年06月01日 17:58

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/31(日) 22:27:09.74 ID:HMaA3uKM
寛文年間のこと。
将軍より旗本に、御役料(役職給付)を下されることがあった時、大久保彦左衛門と、
今村九兵衛の跡役を務める者の二名が「我々にも下されるべきなのに、未だ御役料の御沙汰が無いのは
どういうことか?」と、両人申し合わせ担当奉行である土屋但馬守数直に願い立てを行った。

これに対し土屋は
「あなた方は先輩であり、特に大久保、今村といえば、神君よりの旧臣でありますから、言いたい放題に
言いたいことを言っても、お上も格別に思し召されてゆるし置かれています。
で、あなた方は先に役についていたため、それを以って今回の御役料の件の願い立てを行ったのでしょう。
ですが、あなた方が現役の頃とは、時代も違い人も違います!

その上、今度下される御役料は、昨今は御加増もない時節であるので、小身の人々に、御扶持米のつもりで
下されるものなのです。あなた達は、御旗本の中で大身小身で分ければ大身の方ではないですか!
であれば、例え今回の件が上聞に達したとしてもその願い立てが叶うことはありません。
ですからあなた方の提出した願書は差し戻します。
というか、この願書がもし上聞に達したら、却ってあなた方の為に宜しくない結果になりますよ。
そもそも願いの筋が不当です!」

こうピシャリと言われて、大久保らは願い立てをやめた。

或る老人は「先役の大久保ならば、差し戻されるような願書は出すべきではないし、
また差し戻されてもそのまま請け取って帰るべきではない。」と批評した。

(明良洪範)




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/31(日) 22:47:56.01 ID:/5qo1QDO
彦左完全に老害になっとる

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/01(月) 11:47:59.91 ID:shuXFuYl
この頃の大久保忠教の石高って改易くらって再スタートの二千石だよな確か?

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/01(月) 12:00:40.89 ID:ZdL6vSb/
>また差し戻されてもそのまま請け取って帰るべきではない。

これは違うな。グダグダ言ってたら、周りから金に狡い奴と思われる
三河武士の価値観に反する

精進刀

2015年04月04日 16:12

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/03(金) 21:03:20.65 ID:0dA0hrZy
大久保彦左衛門がある時、坂部三十郎と雑談をしている時、坂部は
「座敷にて人を斬るのは二尺(約60センチ)以下の刀が良い。それ以上だと座敷での働きは自由に成らない。」
と言うと、彦左衛門

「昔、堀監物が家中の朋友に意趣を含んで、必ず討ち果たすと結審した時、一尺五寸の脇差を八、九寸にまで
磨上て首尾よく敵を討ち果たしたと、後に監物が話していた。これは突き抜いて仕留める心得である。
見事に切り放そうとすれな多くは仕損ずる。突く心得が有れば仕損じはない。足下が二尺以下というのも
放し討ちの心得というものだろう。

放し討ちというの至極難しいものだ。かつて池田勝入は、大事の敵を仕留めるのは組み留めておいて
突き刺せば、十中八九過ちはないと言われたものだ。
あの朝比奈弥太郎(後の水戸家老臣)は、常に三尺(約90センチ)の大刀を差して歩いているが、
外見は良いがあれでは働きは出来まい。人を斬らぬ刀なら、精進刀というものだ。」
そう笑って話した。

ところが、後で坂部三十郎がこの事を朝比奈に話してしまい、朝比奈は激怒。直に彦左衛門の家に押しかけ

「足下は我が刀を精進刀と言われたそうだ。精進か生物か、一つ試してご覧あるべし!」
そう凄んで大刀の鯉口を広げ、返答次第で抜打ちにするとの剣幕であった。

しかし彦左衛門は少しも騒がず
「成る程、足下の御刀は至極の切れ物と云う評判を聞いたゆえに、そこで精進刀と言ったのである。」

「それはいかなる訳か!?」

「されば、精進というものは仏の命日にするものであるが、これは直ぐ落ちる。精進落ちと言って魚を食う。
それで世俗で精進を落ちるというが、足下の刀に逢っては直ぐ落ちる。首も胴も落ちる。
であるから精進刀といった訳だ。」

そう弁解すると、朝比奈も「それで良く解った。」と機嫌を直した。

すると彦左衛門さらに
「足下が長篠合戦の時、甲州の中備の大将、内藤修理亮(昌豊)を討ち取ってお手柄をなされたが、
あの刀は、只今のお差料であろうか?」

「いかにも。この刀は一刻も身を離さず、少し寸が伸びたが度々手柄を現した道具ゆえ、
磨上もせずこのように常に帯びている。」
そう言って抜いて見せたのは、備前国長一の刀、二尺八寸二分。
そこで彦左衛門は聞いた

「足下は、あなたが討った内藤修理亮殿の命日には精進をしていると聞いたが、そうであろうか?」

「いかにも。修理亮殿の命日には、精進をいたし念仏を唱える。」

彦左衛門、我が意を得たりとばかり
「それではやはり精進刀ではないか!精進をするほどの大将を斬った刀なればこそ、足下の武名
天下に聞こえたのである。精進刀と言われて何故に立腹するのか?」

そう口に任せて説立てられると、朝比奈も大いに喜んで帰っていったと、「春村筆話」にある。

(刀剣談)




636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/03(金) 21:08:32.71 ID:qxruWlrD
どっかのガイキチな浅野さんは切ったから爺殺すのに失敗したわけだな。袴踏んで転ばしてからブスリとやればいいと
しかし三河武士は面倒くさいなw

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/04(土) 09:51:08.32 ID:d0LMNVy2
弥太郎が単純なのか、彦左の口が達者なのか

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/04(土) 09:51:23.02 ID:tV78Te7F
弥八郎並みの口八丁じゃないですかやだー

彦左が佐渡守を中傷する話

2014年12月27日 17:26

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/27(土) 03:54:17.29 ID:EDvBVJIg
また、ここに不審なことがある。犬を追っている子供まで皆が本多佐渡守(正信)が大久保相模守(忠隣)が中傷したと口にしている。
そんなことを世人が事を知らないので言っているのである。
佐渡は相模の親の七郎右衛門(忠世)に重恩を受けた者だから、恩を忘れてどうしてこんなことができようか、それは人の作り事だ。
 相模は子の主殿(石川忠総)を初め私どもの知らぬ、深い科がきっとあったのだろう。
絶対佐渡が中傷したなどということはないだろう。
今になってよくわかるけれども、町人、民百姓までがいうことだから、本当にそのようなことがあったのかと、不審には思うけれど、そんなことはわからない。
 佐渡は若いころはむごい者であると噂があったけれど、年もとったことなので、きっとなおったのであろう。
佐渡守は七郎右衛門が朝に夕に面倒を見て、女や子供を助け、塩や味噌、薪にいたるまで、面倒を見、(家康に)敵対して他国へかけおちしたときも女子を助けてやった。
そのうえ、詫びを入れさせ、国に帰してからは、先ず隼鷹匠として抱えられ、その後もあれこれととりなして、四十石の知行を与えられた。
その後も面倒を見て、除夜にはかならず嘉例として大晦の飯と元山飯を七郎右衛門尉のところで佐渡は食べたものだった。
関東へ(家康様が)お移りになった後でも、江戸でもそのことを嘉例としたほどの佐渡であるから、どうしてその恩を忘れようか。
 そのうえ、七郎右衛門が死ぬ時も。佐渡を呼んで遺言にも、相模をよろしく頼むいって死んでいったが、その時七郎右衛門に向かって
「どうしてなおざりに扱えましょう。ご安心ください。」
としっかり申したのに、もしやその心にそむいて中傷したのだろうか。
 昔は、「因果は皿の縁をめぐる」といったのに、今は「めぐり着かずに、すぐに報いが飛んで向かう」と言うことがある。
今どきどうであろうか、と思うけれども、「人にさえずらせよ」ということもあるから、そういうものであろうか。
「善き因果は報いがあってもおぼえがない。悪い因果が悪い報いを起こした場合は、わかりやすい。」
そういうものであろうか、佐渡は三年もすぎることなく顔に唐瘡ができて、顔半分がくさり奥歯の見えるほどになって死んで、
子である上野守(正純)は改易になって出羽の国、由利にながされて、その後秋田へ流されて佐竹殿にあずけられて、四方に柵を付け堀を掘られ、番を付けられた。
皆々口にするほどのことも確かにあることのようだ。相模守の改易も、デウス退治の処置とあって、京都に使いに行き、その後改易にあった。
また、上野守の改易の時も、最上の仕置きをせよと命ぜられて、使いに行ってその後改易になったのもおなじようなことだ。
さては中傷したので、因果の報いかと、また世間では犬を追っている子供まで言うようだ。
 『史記』のことばに、
「蛇はとぐろを巻いても吉方に首を向け、鷺は太歳の方角に背を向けて巣をつくり、燕は戌巳に巣を食い始め、鰈は河口に向かってはかたたがえをする。
鹿は玉女に向かって伏せる。」
とある。このように動物でも身の程に従う心があるそうだ。
 顔だけは人でも心は畜生であったか。
(三河物語)

彦左が佐渡守を中傷する話





大久保彦左衛門は突然「但馬殿、仕合を致しましょう」

2012年08月09日 20:52

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 17:28:45.09 ID:mHVSUtao

柳生宗矩が剣術仕合について話しているのを傍らで聞いていた
大久保彦左衛門は突然「但馬殿、仕合を致しましょう」と言い出した。
宗矩も断る理由がないので仕合の日を約束した。

当日、宗矩は庭に砂を蒔き、仕合の用意をして待っていた。

そこに彦左衛門がやって来たのだが、彦左衛門は甲冑を身に付け、直槍を持った
物々しい出で立ちで、宗矩の方へ行って小さい砥石を取り出し、槍の穂先を研ぐと
「但馬殿、いざ参らん!」と言った。

困惑した宗矩が「これは一体どういうことです。
そのようなお姿では仕合はできません」と言うと彦左衛門はこう言った。

「それがしはいつもこのようにして仕合を致しております。
このように庭に砂を蒔いて所で、竹に皮袋をはめ、木の先に毛毬のようなものを
括り付けて人と仕合を致したことはありませぬ。

それがしはいつも山や田の中、畠の畷のような所で仕合を致して参った。
しかし、このような庭で致しても一向に構いませぬ。さあ但馬殿、いざいざ参らん!」

当然、宗矩は仕合?を断ったという。

――『名将言行録』




874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 17:47:44.17 ID:wJrs8txV
いつみても嫉妬心丸出しのヤな奴だな

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 17:50:36.94 ID:cu3uAtem
古豪や剣豪でよくあるような逸話なのになんでここまでダサくなるのか

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 18:00:10.69 ID:Mds0W+dQ
これはおそらく、可児才蔵が決闘申し込まれて決闘の場所に完全武装した上郎党20人引き連れてきたって話の
改変バージョンなんだろうな。


877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 18:18:12.82 ID:89E4OFzW
>>873
断られるのは織り込み済みなんだろな・・・

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 18:32:13.63 ID:XH7TY4VB
清正バージョンもあったよね

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 19:16:04.43 ID:FWGx8qE2
キンギオブ面倒臭いが彦左衛門でいいのかな?

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 19:23:10.49 ID:f6Gh6SYK
>>875
突っ込み待ちで嫌味をだらだら語る逸話が多すぎるからかしらねえ…

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 19:31:06.39 ID:bvZQLNg7
大久保彦左衛門ってなんかイメージ悪いなw

この人って失脚した人だっけ?

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 19:54:06.01 ID:eXaOyBTq
幕末から明治にかけて大久保彦左衛門ブームというのがあって、どうもそのころ、硬直化した組織の中で
上に向かって物の言える人間というのが求められていたらしく、そのシンボルとして彦左さんが注目されたらしい。

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 20:05:19.62 ID:o1YlFD6e
大坂の陣でふつーに鎧武者を9人切り倒してる宗矩なら、その気になれば彦左衛門ぐらいどうにでもなるんだろうけど。
新参の宗矩が譜代の面目を潰すわけにもいかないよね。

可児才三とどっかの武芸者なら、戦場往来の古強者が薄肌剣術の隆盛に物申すいい話になるけど、宗矩と彦左衛門だと
新参者にパワハラする老害の話になる。


884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 20:13:56.40 ID:eXaOyBTq
まあこの話の作者が意図した解釈は、『将軍家指南役であり将軍側近でもある、権威も権力も極まっている
柳生宗矩に一本食らわした』という痛快な話としてのものでしょうな。

あまり難しく考えずに、一休さんのトンチ話と似たようなものだと思えばいいw

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 20:15:49.10 ID:V1MseDbz
老害って・・・
イメージで決めつけすぎ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 20:16:33.94 ID:j4ZhLhzB
小野忠明「なら俺と仕合しようぜ!彦左衛門殿。」

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 20:16:35.33 ID:nAeyhI04
一応言っとくけど名将言行録は民明書房のようなもんだぞ。

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 20:19:45.11 ID:j4ZhLhzB
>>887
違います。

名将言行録 > それまでの逸話をまとめたもの
民明書房 > 完全妄想

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 20:55:04.80 ID:Yz7ZaWV4
まさむね「では某と一つ相撲でも…」

890 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/08(水) 22:18:15.03 ID:trKb4po3
>>888
まぁ、あと200年もすれば同じ扱いになるからwww
というか、幻の『民明書房』を探すことに一生を捧げる研究者がでるかもしれんぜw

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 22:44:02.33 ID:SnIlGC2o
首切り茂吉も伝説になるな

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/08(水) 23:30:27.45 ID:FWGx8qE2
民明書房だろうが本物の文章だろうがまーくんのイメージはさほど変わらないだろうなw

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 00:02:31.57 ID:3gqbyJV6
>>886
大人げない小野忠明vs嫌味ったらしい彦左衛門

二人の対決を呆れ顔で見ている

宗矩と横田甚右衛門

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 03:00:08.61 ID:P7WzNdAJ
>>873
おお、 三河者の精神が形になったようだ

895 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/09(木) 09:23:06.12 ID:awAqdDYX
宗矩:めんどくせぇ~なぁ~ 

春日局が急ぎの用あって夜中に駕籠を早めて登城した

2012年07月24日 20:52

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:01:14.49 ID:Jdgq08Qt
ある時、春日局が急ぎの用あって夜中に駕籠を早めて登城した。
その頃の春日局は飛ぶ鳥を落とすというほどの勢いであったから
門番もあえて止めようとはしなかった。

ところが平川まで来た時はそうはいかなかった。
御供の者が「春日局様が急ぎの御用あって登城である。早く門を開けられよ!」
と言うので番の者は責任者の大久保彦左衛門に仔細を伝えると、

彦左衛門は臥したまま起き上がりもせず「この大久保彦左衛門が御番仕って
おるからには春日殿といえど放置じゃ。そのように仰せられてもこんな夜更けに
通すことはできませんとでも言っておけ」と言った。

門番は(後で絶対問題になるよなあ…)と思いながらも仕方なく彦左衛門の
言葉を伝えたところ、春日局は「もっともです。ならば男どもはここに残し、
我ら二、三人の女だけで歩いて参ります。どうか御通し下さい」と懇願した。

それでも彦左衛門は返事もせず、結局春日局は夜明けまで門外で待たされて
しまった。あまりの扱いに春日局は泣いて徳川家光に訴えたのだが、家光は

「お前の憤りはもっともなのだが、お前も知ってのとおりあれは不分別の
強情者だから、もしもお前ではなくわしだったとしても必ず門を開けたかどうか
わからん。あれと出会ったのは運がなかったと諦めてくれ」と言うので

春日局もどうしようもなく泣き寝入りした。その後、彦左衛門を召し出した
家光はなんとはなしに黄金と佩刀を与えたという。

参考
あのようでも良きことがある


699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:09:07.73 ID:F182bNZX
結局急用はなんだったんだ

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:16:48.80 ID:GW9DHHV3
なんだ、お福殿がいつ門番の腕ヘシ折るか期待してたのに…

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:23:08.03 ID:g1kS2d94
徳川の歴代当主に愛されすぎだろ、彦左

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:24:35.40 ID:seoRqsr7
急いで自分が伝えたい用事と、急いで相手に伝えなければならない用事の違いかな
前者を権力で押し通そうとしたのを撥ね付けた(後者ならばお福も引き下がらない)

という話なんだろうが、断言してもいいが彦左はそんなことカケラも考えずに天然でやってる

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 18:33:23.93 ID:t5b9fEG9
春日局って城外に住んでたんだ…

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:01:05.12 ID:6vnHCr96
>>698
>家光はなんとはなしに黄金と佩刀を与えたという。
彦左を甘やかしちゃダメです

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:05:59.13 ID:BNwetyMc
悪いスレの、門番というだけで死亡フラグジンクスを破ったか

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:12:22.49 ID:gthLpY0h
>>706
徳川の門番だけは許される。
というか家康三河時代の徳川の門番ってこんなのばっかりだよねw
その意味では確かに彦左さんは最後の三河者だわ。

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/24(火) 20:36:07.34 ID:g1kS2d94
もし徳川の守る城門を押し通ろうとした者が鬼武蔵なら・・・

多分、ガチの戦が始まる、一方的な虐殺じゃなくて
[ 続きを読む ]

駿河にて徳川家康が大久保彦左衛門と久々に会ったので

2012年07月22日 20:48

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 19:10:11.47 ID:hn2RZa6E
駿河にて徳川家康が大久保彦左衛門と久々に会ったので四方山話を
始めたことがあった。

「関ヶ原の戦の後は世も静謐になった。
まことに、わしにとってあの戦は死生の分け目であった。

我が方は挟み撃ちにされそうになったが、敵は一戦に打ち負けて
右往左往に逃げる有様は見苦しいものだったな。

それに比べて我が方は命を惜しまず、功を争わずまことに潔いではないか。
のう彦左衛門よ?」

(なっげえ話だなあ)


彦左衛門は長話にうんざりして帰りたくなった。


「なるほど一溜りに敗北とは見苦しいですね。

しかし上様が小山に御着陣の折、伏見より上方が敵だらけになった
との報があった時は、上様の御顔も真っ青になり、諸将も妻子を取られたと

聞いて顔を青くしておりましたが、太平となり青い御顔も元通りになられた
ようですから、まことに御運強くめでたいことです」


嫌味を言われた家康であったが笑って「彦左衛門はやく休め」と言って
彦左衛門を下がらせた。




641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 19:15:43.40 ID:EUNK3t/x
信長「鬼武蔵なら仕方ない
家康「彦左なら仕方ない
秀吉「お前切腹

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 19:17:57.56 ID:wWBUJrik
まあリアルな話、こんな事を目の前で言っても怒られない、処罰されない、ってのが家康の長所だったと思うよ。

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:09:30.58 ID:aLS48ZBu
この程度で処罰していたら、三河衆は全滅

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:50:13.82 ID:JZhqPn1C
三河衆を処罰したら謀反を起こされかねないしね、家康の勢力がまだ弱い頃だと特に

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:56:27.66 ID:CvNoAxIA
三河衆って直接家康に歯向ったことあったけ?

そういうのまったくないイメージだけど


646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 21:16:50.04 ID:mD428EP+
三河一向一揆を含めるかどうか

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 21:52:52.73 ID:0txqr0hm
三河一向一揆も傍からみてるとトムジェリっぽいしなw


648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 22:17:21.38 ID:eDSL+ZUQ
>>643
だから幕末期に頼みにすべき譜代大名がどれもこれもクソの役にも立ってない(ry


649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 22:54:30.28 ID:H+zr7FD7
>>645
大賀弥四郎

650 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/22(日) 13:33:23.96 ID:R8e/BZeY
大賀弥四郎は残忍な殺され方したんだな。

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 14:36:35.24 ID:m/b7Hi1D
酒井さんは頑張っただろうにw

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:06:33.20 ID:MsS3PSd1
石川数正さんは? 秀吉に恭順するか敵対するかの路線対立で追い出されたんだっけ

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 15:22:33.65 ID:1i0xQXe2
>>652
追放じゃなくて出奔。

しかも、既に内通していた小笠原貞慶の人質もいっしょに連れて行ったので
かなり計画的だったと思われる。

654 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/22(日) 20:47:07.74 ID:0UtXdvam
常日頃からチクチク反抗してストレス発散してるから、歯向かうレベルまではいかないんだろうよ

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:59:26.96 ID:D36IGPfX
>>640
小早川秀秋が動かないんで家康がテンパって癇癪起こしてるところを知ってる人からするとこの自慢は見苦しい。

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:02:53.27 ID:m/b7Hi1D
小早川については最近色んな異説もあるしよくわからん。



ところで殿、三方ヶ原はお忘れかな?(・∀・)ニヤニヤ
まあ金ケ崎とか三方ヶ原の撤退戦は普通に凄かったと思うけど。家臣が。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 21:36:50.21 ID:pm1metR1
右往左往と見苦s…あ、島津…

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 23:26:24.04 ID:1vpv/5Ne
>>656
だからこそ勝った立場で見て改めて見苦しかったんだろう


665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 06:24:15.67 ID:zplBjgZc
>>640
関が原で毛利両川に挟み撃ちにされたらどんな反応してたことやら

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 06:30:25.77 ID:vYHPOYQC
>>665
最近の説だと関ヶ原は2時間ほどの短時間で大勢の決した合戦で、三成の方からの
毛利や島津への出陣要請も、既に小早川秀秋が東軍として参戦した後だという事らしい。
つまりチャンスだから攻めろ、じゃなくて、ピンチだから助けて、だったというのね。

そりゃ空弁当もするだろw

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 06:40:03.67 ID:zplBjgZc
>>666
チャンスだったとしても支援要請遅すぎのような
あの距離ではドンパチ始まった時点で南宮山の兵は即行動かなければ意味ないと思う

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 07:45:07.73 ID:VufuxXm2
霧が深くて、戦場全体を誰も把握できてなかったって説もあるね。
みんな目の前の敵を叩くことしかできてない。
山上とかに布陣してると、どこに敵と味方がいるかもよく分からなかった。

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 10:20:50.07 ID:s4fhGLHD
井伊直政「まったくもってその通り。」

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 15:21:58.19 ID:9E24BlGw
家康が野戦上手と言われるけど、関ヶ原ではそれが発揮されたのかな?

雑談・大久保彦左衛門について

2011年12月02日 22:00

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 02:27:42.85 ID:fdNTSDUv
彦左の怨念ってのはさ、自分自身が厚遇されなかったことじゃなく、大久保一族(および三河以来の譜代
の家)に対する幕府の扱いについてのものだよね。
彼自身は八男坊だから、自分が出世して大身になることを夢見てたわけじゃなくて、兄の忠世やその嫡男
忠隣を支える役目で終える覚悟はあったと思うんだけど、それが結局はあんなことになっちゃった。

で、大久保一族って、子沢山の家系でやたら男が多いんだけど、彦左の兄弟とか伯父とか従兄弟とか、
数代にわたって、何人も何人も戦で討死にしまくってるわけで。
彦左的には、「俺のことはともかくとしても、徳川は大久保に足向けて寝られネェだろゴラァ!!」
ってのは、内心あったと思う。

でも、徳川の世になって、江戸幕府が地盤がためにとりかかった頃には、そういう、三河以来の譜代とか、
草創期の功臣の家、徳川家にとってある意味大きな「借り」のあるような家は、もはや煙たいだけだ
ったんだろうね。

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 07:08:37.35 ID:sCxjp0wW
>>837
なんにせよ彦左は面倒くささはガチ

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 08:56:19.19 ID:QkXd1MyT
幕府:兄貴の跡を継げよ
彦左:オレはそれだけ功がないからNO!
幕府:んじゃ、残念だけど改易するか・・・
彦左:うちの一族、徳川のためにどんだけ死んだと思ってるんだよ!!!!

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 09:20:43.00 ID:XT6gJzQm
>>839
まぁそう言うことだよね、考えるだけでもうんざり

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 09:58:18.69 ID:C6E4Go89
三河武士は乙女心なみに解析が難しい心をもってますから

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 10:16:15.26 ID:FYQ1MMpN
兄貴の跡をつげないって言ったホントの理由があるような気がする
例えば今の禄を返上することになっちゃうからとかさあ

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 12:17:02.31 ID:H4x3PSGm
めんどくさくない三河武士なんているんかいw

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 13:38:56.54 ID:IatCf/He
>>842
今の録は自分の功で得たもの
それを一度「返上」して自分の功とは関わりのない領地を得たところで とかはありそうだな

なんとなく言いたいことも理屈も分かるっちゃ分かるんだがめんどくさいことこの上ないな

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 13:56:18.48 ID:35EWdVZr
彦左が沼津の忠佐の家をつぐのを断わったのって、その時点ではまだ小田原の忠隣の家が大久保の
大黒柱としてしっかり存在していたってのが前提としてあったと思う。
彦左としては、沼津の家は、次兄の忠佐が長兄の忠世の家とは別に己の武功で一代で立てた家、と
いう考えがあったから、弟である自分がそれをただ貰っちゃうことにためらいがあったのではないかと。
自分はささやかな自分の知行を守りつつ、甥(といっても7歳年上)で大久保一党の棟梁である忠隣
を補佐していけばいい、と。
そしたら、翌年に忠隣改易。一気に大久保一族消滅の危機。

彦左「はぁ!?なんじゃそれ、聞いてネェよ!」

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 21:00:48.90 ID:7FSBwmBh
>>845
解説ありがとう。彦左普通にいいやつじゃねえか!
彦左をただの老害扱いしてたやつは切腹すべきそうすべき

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/02(金) 21:52:37.59 ID:zJrWxZRl
家を守る、のも一族の重要な責務だけどね
特に弟などは
その意味では彦左は失格だ
[ 続きを読む ]

江戸ゆとりvs戦国ジジィ

2011年06月16日 00:07

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 15:09:41.73 ID:jw7sBZ5a
江戸ゆとりvs戦国ジジィ

京二条城にて、久世三四郎坂部三十郎の二人が知行の加増にあずかった。
この話を聞いた大久保彦左衛門はすぐに登城して、二人を出待ちし二人を見つけ尋ねた。
「其の方両人登城とは、何事か?」
勘の鋭い久世は、彦左衛門がいまにも斬りかかってきそうな勢いなので、坂部をつねって目配せし、
「思いがけず加増していただきました。特筆すべき武功を立てたわけではございません。強いて言えば
耳たぶの事を評価してもらったのだと思います」と答え、耳たぶをつまんで見せた。

(つまり久世・坂部両人は様々な情報を『耳たぶ』で集めた事を評価されたと主張し、戦場での活躍だけが
武功だと思ってる彦左衛門を遠回しにバカにしてる)

これを見た彦左衛門は笑いだし、
「さようか耳たぶの評価か、武功以外で貰う知行などはクソだ。そんなクソ知行ほしくはないわw」(さては
たぶにて罷成候成哉。能合点にて候。さ様のくされ知行は不入候)
と皮肉をいって帰っていった。
(鳩巣小説)

既出の逸話ですが解釈が違うと思ったので書きました。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5240.html




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 18:12:31.95 ID:8Vatt0t1
曲淵庄左衛門「彦左衛門殿とは旨い酒が飲める気がする」

大久保彦左衛門”誠の三河武士とは”

2011年06月13日 00:00

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 17:00:04.47 ID:hEbo1ic+
大久保彦左衛門”誠の三河武士とは”良い話。

戦国の完璧超人”立花左近将監”こと宗茂を彦左衛門が嫌っていることは
世間周知の話であった。
酒の席でも度が過ぎると憤怒に駆られて
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4314.html
と愚痴ることがあった。
さて、豊臣と徳川が手切れして、大阪冬の陣が始まる直前、彦左衛門の元に
大久保家と同じ三河安祥以来の譜代の旗本である、某家の孫が訪ねてきた。
孫と言っても齢三十に近い青年武士である。
彦左衛門は、大いに喜び武士を書院に通すと戦死した某家の祖父や父の武功を
語りだした。武士は、終わるのを待って、おもむろに懐から一通の封書を取り
出すと彦左衛門に差し出した。
「これは?」
「連判状にござる」
彦左衛門が封書を開けてみると十数名の旗本の血判が押された連判状が出てきた。
封書の内容に目を通すと以下のことが書かれていた。
「立花左近将監は、関ヶ原の折りに徳川家に謀反したにも関わらず、言葉巧みに
大御所様、将軍様に取り入り、寵愛を欲しいままにしてきた姦人である。あまつさえ
このたびの大阪との手切れに際して、密かに豊臣と通じ大御所様、将軍様を害せんと
の噂さえある。しかるに、このたび大御所様の御差配にて、将軍様の采配を預かると
のことである。我らは左近将監の真意を糺すべく詰問する所存、ご同意願いたい」
連判状を読み終わるや彦左衛門は、武士を大喝した。
「左近将監の首は何処にあるや!」
「く、首でござるか」
「左様、首じゃ。かかる姦物、詰問など手ぬるかろう。三河武士なら既に首にして
首桶持参で当家に来るものぞ。さ、首桶を見せよ」
「ご無体な。我ら、大久保様の血判を添えて左近将監を詰問する・・・・・・」
「この痴れ者がぁぁ!左近将監に不審があれば、その場を去らずに切り捨てるのが
誠の三河武士じゃ、上方侍のように詰問などと・・・・・・恥を知れ恥を!」
彦左衛門は、連判状を武士の目の前で破り捨てると続けた。
「そもそも、大御所様、将軍様の眼鏡にかなえばこそ、敵対した左近将監が大名に
再び取り立てられたのだ。天下を差配される御両所の人を見る器量に瑕瑾があるが
ごとき物言いは無礼千万!左近将監を詰問するは、大御所様、将軍様に謀反するも
同然。連判状など言語道断!疾く疾く立ち返って左近将監の首を持参せよ」
と武士を屋敷から追い出すと家来に愚痴った。
「三河武士の弓矢も衰えたものよ。左近将監がごときものが采配を預かるのも時の流れ
というものか」
 大久保彦左衛門、情けない三河武士を説諭する良い話




88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 17:04:11.20 ID:yfwXSmmG
これを見ると三河出身でも若いころ苦労しないと三河武士になれないのか

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 17:32:18.05 ID:cVBfUEk8
葉隠そのものな発想

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 17:34:02.39 ID:lGRTwqw7
>>87
のちの妖怪首持ってこいである。

つーか完璧超人の首取ろうと思ったらどっかの謀将みたいに
武器をことごとく使用不能にしてかつ数百人動員しないと無理だろ。

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 17:51:20.24 ID:zO2N7317
ホント彦左はアレだな、めんどくさいじゃなくてただのうざったい奴だな

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 18:14:46.54 ID:8parbAvw
彦左「おいテメーさっきからうるせえぞ『ブッ殺す』『ブッ殺す』ッてよォ~~」
「どういうつもりだてめー、そういう言葉はオレたち三河武士には無いんだぜ」
「そんな弱虫の使う言葉はよ……『ブッ殺す』…そんな言葉を使う必要がねーんだ」
「なぜなら、オレやオレたち三河武士は、その言葉を頭に思い浮かべた時に!」
「実際に相手を殺っちまって、もうすでに終わってるからだッ!」
「だから使った事がねェーッ」
「孫よ、オマエもそうなるよなァ~~~、三河武士なら…」
「わかるか?オレの言ってる事…え?『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!」

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 18:33:29.90 ID:cVBfUEk8
鬼彦左に国会中継みせたら・・・恐ろしすぎる

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 18:35:02.45 ID:B4WEzNzF
あの立花左近将監の処遇は認められぬ!納得いかぬ!
だが立花を認めた大御所様を疑うような事は許さん!
しかし大御所様が認めた立花が二心があるようなら斬れ!斬っちまえ!
斬る決断力も無いなら黙ってろ!若僧情けないわ!

…って事?
もうわけわかんね。

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 18:44:17.00 ID:cVBfUEk8
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」
の大和魂が三河武士の上に発現すると彦左みたいになるんじゃね?

鈴木大拙的に言えば


96 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/06/12(日) 20:55:53.03 ID:72VfEWOQ
単なる、人事に対する愚痴と、弾劾裁判では話しが違う。
ましてや離反となるなら、一刻の猶予が命取りになるかもしれない。
ことの正否、もしくは成否は関係なく、全くの私心なければ武士たるもの命をかけろ。
結局は自分は安全なところにいて、他人の足を引っ張りたいだけなんだろ?
情けない奴だ。

って逸話だろ?


教育って時代に影響を受けて、常に生き死にを意識していた人間と、
そこまで意識はしない世代だと、若干の差が生まれてくる。

ゆとり教育とかいうけど、どの時代でも世代間のギャップはあって、
上の世代は下の世代を歯がゆく感じる。

こういった逸話を読むたびに、ゆとり教育がなくても、
にたような感じに育ったんだろうなって思う。

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 21:47:11.13 ID:preDo5sm
前半はともかく、後半は偏見もいいとこだ
一介の青年武士が十数人集まった位で大名の足引っ張れるわけないだろ
つか徳川家中ですらない相手の足引っ張ったって仕方ない

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 21:53:03.48 ID:PdqTeQ/J
ひとつ言うと立花宗茂は大名復帰する前には将軍直臣、即ち徳川家の旗本になっている。

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 22:16:19.35 ID:tUAqVqB3
>87
この話、連判状を破り捨てる=証拠隠滅してあるのが彦左の心遣いに見えるお。
戦の前にこんな紙がどこかの手に渡ればメンドクサイじゃ済まないもんねぇ。

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 22:29:35.87 ID:4luwmglz
いつもであればさくざがしかるところですがこの流れならば言える!
ひこざがしかる

大久保彦左衛門・得る五つ、得ない五つ

2010年11月02日 00:12

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:25:26 ID:LNZJfgHy
大久保彦左衛門は言う。

「知行を得られる方法が五つある
一、主人に対して二心を抱く者。こいつは子孫も栄える。
二、怪しい行動で人に笑われる者。
三、外面がよくて、取り入るのがうまい者。
四、計算高く、代官の格好が似会う者。
五、あてのない余所者。

得られない方法も五つある。
一、忠義一筋の者。こいつは子孫が栄えない。
二、武勇ある者。
三、世間体の悪い、行き届かない者。
四、計算高くない年寄り。
五、譜代!

たとえ餓死しようとも後者であるべし。」

つまり俺のようにあれ、と。




48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:27:38 ID:9Ud1sHPW
いい話か・・・?

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:30:26 ID:VGJLsiVI
なんとかして自己を肯定感じが…ww

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:33:44 ID:ugjAQWd7
まさに酸っぱい葡萄。

本当に何で兄貴の知行をもらわなかったんだろう?

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:40:10 ID:ZFerrBoK
何か大御所の天下盗りの様を揶揄しているようにも思える

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:41:50 ID:r3h+e8pe
>>47
無能の言い訳にしか聞こえん

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:50:22 ID:AKq8ZS0l
彦左衛門からすると、よそから鞍替えしてきたような、畳の上でお行儀よくくっちゃべるのが
得意な奴が優遇されてるのが気持ち悪くてしょうがなかったんだろうな
でも、世の中治まりかけると、そういう政治力とか外交力とかがある奴が頼りなんだよなー
しかし世の中には、藤堂高虎みたいな徳川への肩入れが異様に早くて
武功もあるけど朝廷との交渉にも使えるようなのもいるからよくわからん

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:51:42 ID:ugjAQWd7
>>52
少なくとも彼は無能ではない・・・が・・・

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:53:10 ID:2PiZQ/X2
彦左衛門からは時折+民のような負のオーラを感じるw

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:53:24 ID:mNoEYTnY
忠勝思い出したけど、彼はわりかし重要な領地貰ったんだっけ

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 21:56:34 ID:ugjAQWd7
わりかしどころじゃないな。
桑名は東海道の最前線だ。
中山道の最前線、彦根を守る直政と合わせて最初の関門になる

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 22:15:47 ID:cm4c9LzF
彦左衛門が大久保忠左の遺領を継がなかったのは自分の意地ことばかり考えて
兄の遺臣たちのことを考えなかったとても迷惑な行為だと思うんだな。

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 22:16:39 ID:govhOdPn
箇条書きの法則

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 22:44:08 ID:SlfftqGy
・夜討
・強盗
・偽綸旨

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 22:49:20 ID:Dmh1lYdw
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習を破リ天地ノ公道ニ基クベシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ



66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 22:59:29 ID:JniP8I/8
文句があるなら、一人でブツブツ言ってないで本多親子に直接言えw

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 23:08:01 ID:bQAkofRB
一 被造人ハ人ヲ害スルコト勿レ、又、害サレルノヲ黙視スル勿レ
一 被造人ハ人ノ命ニ従ウ可シ、但シ前条ニ反シナイ場合ニ限ル
一 被造人ハ前条、前々条ニ反シナイ場合ニ限リ自己ヲ保全ス可シ

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 23:08:19 ID:ugjAQWd7
>>66
面と向かうと、コブシどころか刀が出ちゃったりする関係なんじゃないですか?w

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 23:15:50 ID:zXfrLgul
>>47
全然いい話じゃないだろ・・・

こういう負け惜しみみたいな事言う奴は終わってる

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/31(日) 23:37:06 ID:kAiTi26P
なんか漫画であったなぁ。
彦左が三河物語書いて幕閣批判しまくって、それに同じような境遇の旗本
が「ご老人の言う通りだ」と盛んに持ち上げるんだけど、彦左はそいつらをも
「おまえらだって口ばっかで幕閣に直接なんか言ったのかよ」と毛嫌いしていたんだが、
主人公から「お前だって口ばっかじゃないか」と指摘されショックを受けるというのが。

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/01(月) 11:22:37 ID:wgjGRLvm
>>70
安彦良和の?

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/01(月) 18:35:20 ID:TDQPsGpw
言ってるのが彦左衛門じゃなきゃ、「なかなかの皮肉」と評価してもらえる場合もあるんだろうけどね。この内容は

大久保彦左衛門「わしの知っておる上様は」

2010年09月27日 00:02

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 10:44:22 ID:DyMbKUrr
トン切ってごめん。昨日の中日新聞に彦左の話が載ってた。

お茶壺道中に居合わせた彦左(大久保忠教)は、茶壺付添いの武士に怒鳴られても
茶壺に頭を下げず(畏まったりしなかったってことかな? 意訳転載でごめん)、
「わしの知っておる上様は人間より茶葉を大事になさるようなことはしない!」って
怒鳴ったとか。

まとめでただの偏屈だと思ってたから、この話はちょっといいなと思ったw
しかしお茶壺道中ってすごく大変だったらしいね>近在の人達的に。
めちゃくちゃ威張られて、みんな関わり合いになりたくなくて「戸をぴしゃんと閉める」
→「トッピンシャン」になったとか




237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 11:56:42 ID:ZqTZrxR+
さぁ、ご一緒に

めんどくせぇ~

250 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 19:15:41 ID:BEdTIvEM
家康公は秀吉に
「高価な茶器は持ってないが、
命を投げ打つ家臣を宝物と思っている」
って言ってやったからなぁ。

大久保彦左衛門の憤懣

2010年06月18日 00:00

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 10:34:52 ID:2EZSViyD
関ヶ原の後、大久保彦左衛門忠教には激しい不満があった。

「安芸の毛利に周防長門を安堵したこと、これは吉川が予め内通していて当日参戦しなかったので理解できる。
島津も安堵されたのは元々の本領なので、これも理解できる。
丹羽長重が許されて所領を与えられたのも、前田利長との関係上仕方なく徳川の敵となったわけだから、
これも理解の範疇だ。」

だが、これだけは理解できない

「立花宗茂だ!
あいつは膳所城を攻めたりして、徳川家に対してはっきり敵対した者だった。
命を助けるだけでも大変な御恩であるのに、召し出して、多くの知行まで与え、
あまつさえ『役に立つ者』とのお言葉までかけられた!
私のような凡人にはこれは、全く理解できない!

大前提として、敵対したものは徳川家の役に立たなかった、これは当たり前である。
そして『この後の御用のお役に立つ』とお考えになったとしても、今回敵対しなかった者こそ、
次にも確実にお役に立つのだからこれを取り立てるのが当然なのに、
多くの御用に立つ人よりも、立花により多くの知行をくだされた。
これは、敵対した事へのご褒美なのだろうか!?

今の時代は、敵対しても知行が取れるようだ。」

『三河物語』より、大久保彦左衛門の立花宗茂取り立てへの憤懣。




431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 10:38:59 ID:zKbSrC1d
無能の嫉妬の浅ましいのう

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:23:37 ID:slhoanEb
ただの僻みだな

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:30:21 ID:XCy02uZ8
三河武士は面倒くさいけど根はイイ奴が多いけど、彦左衛門だけはガチでイヤな奴にしかみえないから困る。

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:38:59 ID:93AoP0/D
彦左衛門だけが、自分の考えを書き残したから、彼だけが不満だったように後世の人は受け取るが、
本多平八郎も榊原さんも同じように不満に思っていたと思われ。

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 12:42:18 ID:mQqenDcP
べ、別にお前らの不満を代弁するために書いたんじゃないんだからねっ!

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 13:43:08 ID:5OEsvBf+
これ見てると、一番槍託された高虎なんかさぞ嫌われたんだろうなあと思う。
本田佐渡とか酒井雅楽頭とか土井大炊頭とかとは仲良かったみたいだけど。

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 13:53:45 ID:0ancZPdk
>島津も安堵されたのは元々の本領なので、これも理解できる。
へぇー義弘の独断だったのでryじゃないのかぁ

438 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 16:12:56 ID:OpkUNrVD
>>430
まあ普通は納得いかないだろうな。


439 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 17:34:40 ID:WXVvue25
筋は通ってると思うけど

440 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 19:29:30 ID:f4DYZ0aW
まあ、初代とか創業期に活躍した人達から見れば、
二代目のする事成す事が「いや、先代なら…」って
感じになるんだろうな。
「俺達の時は違った。昔は良かった。」って言うのは
古今東西に存在する、共通意識なのだろう。

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 20:32:42 ID:v8kWGgn5
宗茂に関しては、武勇を惜しみ、性格を愛したんだと思う。
彦左衛門には大した武勇がなかった。

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 20:35:10 ID:3q3TLhhI
喧嘩売った相手が悪すぎるから彦左は叩かれるよ
武勇も性格も知名度も申し分ない文句なしの人気武将様(笑)ですもの

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 21:17:11 ID:gW9RcIwK
彦左衛門は、兄貴の忠佐の沼津5万石相続を蹴ったこともあるわけで・・・ひねてますな

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 21:19:07 ID:gW9RcIwK
>>437
考えてみたら、長曾我部がかわいそうだな

445 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/17(木) 21:34:46 ID:NG+PC2vy
>>444
兄貴殺しの胡散臭い小細工しなかったら、土佐半国貰えてたのにな。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 21:45:29 ID:KRHT58+f
なんか一豊と土佐半分こってのは嫌だな……

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/17(木) 22:44:47 ID://JKFKj3
頑固な爺で愚痴ばっかり言ってるが、遊びに行ったら日ごろ疎遠でももてなしてくれそうな気はする。
同僚や年長の部下としてはありえないくらい嫌だろうが、先輩として顔を立ててやると扱いやすそうな…。
実際庶民に人気の大久保彦左衛門というのは大公儀に公然と愚痴をたれるところ以外にも上記のようなキャラクターが愛されたのではないか。

大久保彦左、麸の如く

2010年04月20日 00:07

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 01:38:54 ID:ZISpVAPD

大久保彦左かく語る
「本能寺の折り、大阪で小舟に隠れて追手を撒いた時、権現様の隣におった儂はその心情を計る為
股間を握った所、
ダランと垂れておった。だから儂はこの場からの生還を疑わんかったわ。」

『麸の如く
大久保握り
奉り』




264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 02:21:18 ID:C71DvlCy
後に地元の男衆にのみ密かに伝えられた奇祭、「勃て祭」の由来がこれである
なお、不覚にも達してしまった者は「勃て祭早漏」と呼ばれたという

って民明書房の本に書いてあった

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 15:07:08 ID:eUVSCfR3
三河武士にとって権現様の…は窮地に陥っても生還の印
彦左ははじめから勘違いなどしておらん!