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もう精進は絶つことにしよう

2019年01月21日 17:08

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/20(日) 23:40:41.91 ID:Vh2MfU6r
(山崎の戦いの時)

秀吉は尼崎に御着きになり「禅寺はないか」と御尋ねになったところ、小庵1つを尋ね出して
御腰を掛けられた。しばらく御休みになって、御指図されたことには、

「信勝(羽柴秀勝)と久太郎殿(堀秀政)は聞きなされ。上様(織田信長)御切腹の知らせが
備中高松へ注進された時より、私は精進潔斎を確かに致し、すでに敵との距離も程近くなった。
この上は合戦に及ぶまでである。

私は年寄り故、この頃は腹中も思いのほか力が落ちたように覚える。もう精進は絶つことにし
よう。しかし御奉公には力を付けて槍をも取り、敵と太刀打ちする覚悟である。信勝と久太郎
殿は御若いのだから、精進を御絶ちになられてはなりませぬぞ」

と仰せになり、その次に台所衆へ「魚や鳥をなるべく使って料理を致し、我が前に出せよ。そ
れから亭主の僧を呼び出せよ」と仰せられ、御行水をなされて御櫛を下ろされた。

それから「信勝は若いのだから様を変えなさるのは無用である。短く茶筅に髪先を切りなされ
よ」と、秀吉は仰せになった。すると久太郎殿も「様を変えたい」と申されたが、「ただ髪先
を信勝と同様に御切りなされ」と秀吉は御教訓され、久太郎殿も信勝同様の体と相定め候事。

――『川角太閤記』

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/21(月) 17:53:58.69 ID:+QkshJgz
その御櫛(>>649)を紙に御包ませなさり、3人の御髪を仏前に御納めになられ、その僧に仰せ
出されたことには、

「合戦が利運となったならば、50石の地を末代まで差し遣し申す。多いというなら、すべて
代替わりの時の引出物とするがよい。そのために少し付けて遣そう。御祝いのためだ」

とのことで、金子3枚を遣されたのだと承っているが、かの50石の地は御所様(徳川家康)
の御代でも、今においても差し障りなしと相聞こえ申し候事。

御膳を据えて御盃を信勝(羽柴秀勝)へ御差しになり、仰せになったことには、

「惟任日向守は親の仇、または主の仇のこれ二つなれば、信勝は私めより先に討死なされよ。
その様子を見届けて秀吉は討死すると定めておる」

とのことで、盃を御取り交わしになったとの事である。

――『川角太閤記』


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城中には家を1宇も残さぬように

2019年01月20日 19:08

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 18:39:36.49 ID:G7bkcu8p
(中国大返しの頃)

秀吉は三好武蔵守殿(吉房)と小出播磨守殿(秀政)両人を召し寄され、いかにも密かに仰せ聞
かせられたが、その様子はまったく知られず、この2人を御城(姫路城)に残し置かれた。

御合戦が目出度く収まって後、この両人の雑談でその時の有様は定かに知られ、それまでは人々
が推量したまでであったと聞いている。その次第は、

「合戦が負けとなって(秀吉が)討死となったならば、御袋様(大政所)と御前所(高台院)を
しずしずと片付けて(御袋様御前所しつしつとかたつけ申)、城中には家を1宇も残さぬように
焼き払えとの御指示であったが、このように目出度く収まった」

と、両人は後に喜んで雑談されたのだと相聞こえ申し候事。

――『川角太閤記』



639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 19:12:12.77 ID:hNL8ounx
よくわからんな

山崎の合戦の時堀は留守居じゃないし秀吉の家族は長浜だよな

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 20:09:30.77 ID:2x4KpY7B
堀秀政ではなくて小出秀政でしょ
伝聞だろうから何処かで入れ替わっているかもしれんし、敗戦後の長浜の処理を頼んだ二人を合戦で死なせない為に残したってことかもしれん

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/16(水) 20:44:18.75 ID:hNL8ounx
すまん普通に空目して変なこと言った

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/17(木) 05:40:01.15 ID:jhMglM8j
堀秀政
小出秀政
小笠原秀政
津田秀政
中川秀政

秀政多過ぎ

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/17(木) 06:46:05.86 ID:8kiO8YrY
長政

吾陰嚢の垢ほどもあらぬ物を

2018年12月22日 10:56

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 08:19:09.12 ID:G2ELcZP/
朝鮮の役で、明の援兵が大軍で朝鮮へ派遣されたことで、名護屋の本営では日本軍危うしと
太閤秀吉にも報告され、軍評定を行った所、蒲生氏郷が進み出て発言した
「何程の事がありましょうか。この氏郷に朝鮮を賜れば、切り取りにして打ち破りましょう。」
しかし秀吉はこれにより、氏郷に大志有ることを忌み憎んだ。

また朝鮮に在陣する小早川隆景より遣いを以て報告があった
「この隆景が考える所は、十万の軍が渡海いたせば、それに城々を守らせ、隆景は先陣して明朝に押し入り、
北京を攻め落とすという事であり、この旨を申すように。」

秀吉はこれを聞くと
「小早川の智謀さもあらん。人々よく聞け、仮にこの秀吉が功を遂げずに死んだとしても、秀次を
大将として明朝に攻め入った時は、私の魂魄が雲に乗じて鉄の盾を突き、唐土の奴原を一々に蹴殺して
捨てるであろう。昔、柘榴を噛んで火とした者もあったと聞く。その小男の名は忘れたが。」

そう言うと、側の施薬院全宗が「それは北野の天神(菅原道真)の御事でございます。」と申し上げた。
秀吉
「それである!雷に成って天に上ったと言い伝わっているが、私のキンタマの垢ほどにも無い者だというのに!」
(吾陰嚢の垢ほどもあらぬ物を)
そう大声で言い放ち、聞く人はみな驚いたという。
(常山紀談)



539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 08:47:25.91 ID:xsQjQ3yv
ω

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 09:56:33.68 ID:mOD0npr1
赤松満祐「お前が他人の事を小男とか言えんのかよwww」

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 09:59:10.68 ID:q05OBV9W
まとめの6912
全くその男は、我が睾丸の垢ほども


でも「武士道美譚」出典で同じ話が

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 14:42:39.03 ID:F7/rhJiV
>>538
>私のキンタマの垢ほどにも無い者
なんJ民かな?

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 20:37:09.64 ID:Z5u25ia/
大○義隆「キンタマの垢とな!?」

予が最初より東方より西方に至るまでの君主

2018年12月15日 19:42

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/14(金) 19:59:26.41 ID:tmCwL9fs
文禄二年(1593)、豊臣秀吉よりフィリピン諸島長官に贈りし書翰

パードレ・ペドロが予に携えて来た書翰、並びにパードレ・ペドロが特に予に告げたる所に依り、その地の習慣を知ることを得た。
バードレ・コボもまたこれを予に説いた。

予が誕生の時、太陽が予の胸に入った。これは奇跡であり、予が最初より東方より西方に至るまでの君主であり、諸国は服従し
予の門に来たりて平伏すべき事をを示すものである。
而して若し之をなさる時は、予は戦を行いて一同を殺すべし。

予は日本全国、並びに高麗の国を獲得した。そして多数の部将が、遠征しマニラを占領する許可を与えんことを予に請うた。
しかし原田Faranda(原田喜右衛門)及び法眼Funguen(長谷川宗仁)はこれ聞き、予に告げて、商船が当地より彼地に行って、
又当地にも来るが故に、敵であるとは思はれずと言った。是故に予は兵を派遣することを見合せた。

高麗Coriaの人その約を守らなかったが故に、予は之と戦ひ、都Meacoに至るまで獲得した。之に次いで、我が兵士は救援に来し
無数の支那人並びに多数の重立ちたる者を殺した。
高麗の人はこれを見て屈伏し、大使を派遣し、日本の兵士を高麗に留めんことを請い、また支那人たちも日本国と永久に親交を
結ばんと欲する事を告げた。予は多数の兵士を高麗の多くの城に置きて、使節の同所に来るを待っている。
若しその約を破らば、予は自ら行きて之と戦うだろう。

而して支那に赴けば、呂宋は甚だ近く、予が拇指の下に在る。我等は永久に親しく交るべきだ。此事をカスチリャに書き送るべし。
カスチリャの王は遠方に有るからと言って、予が言葉を軽視すべきではない。予はその地を見たことが無いと雖も、使者の言葉によって
其地の事を知るを得ている。

貴下が速かに人を遣わしたのは賢明なることであり、予は大いに之を喜ぶ。その地より来た進物については、書附の通、これを受け取った。
予の方に於ては、永久に友交を欠くような事は無い。その地より来る者は、海陸共に安全に来ることを得て、これに何等の害を加えることなく、
その携へ来た物を盗む事もない。
バードレ等と共に来たこの者(副使ペデロ・ゴンザレス・カルバハル)は、我が国を見、又彼等に与えた歓待を見たるが故に、その言ふ所を信じ、
彼をカスチリャ王の許に派遣せよ。予は彼を待つ。而して我等の交流を一層確実ならしめんため、重立ちたる人一人を当地に来訪させることを望む。
その他のことは法眼が語るに譲る。
(異国叢書)

秀吉が生まれる時体に太陽が入ったっていう誕生譚、あれ海外にも宣伝してたのね



524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/14(金) 21:04:33.45 ID:tSN+5WQ1
まとめの10657
後悔すること無かれ。
てのには2年前に派遣した時のことが書かれてるな

秀吉は紅梅の色の布団を敷き、ビロードの枕をして

2018年11月27日 17:11

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/27(火) 16:26:27.35 ID:3QZcjrrA
佐々成政は越中に在城して秀吉に敵対したが、秀吉の軍が越中に侵攻すると、やむを得ずして降を乞い、
剃髪して編綴(軍事や行政文書をまとめたもの)を著し出仕した。

この時秀吉は紅梅の色の布団を敷き、天鵞絨(ビロード)の枕をして仰向けに寝て、成政をその御座所に
召し出し、良き分別なりと笑談し、色々懇ろをつくし、越中一郡(26万石)を与えた。

(士談)

変に雰囲気のあるベッドルームに寝たまま成政を招き入れる秀吉。



531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/28(水) 00:24:45.02 ID:n4LZlX5q
これがそこらの大名だったら尻の危機を感じるところだが
秀吉だからその辺は安心だな

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/29(木) 14:27:22.27 ID:k46ENbCe
藤吉郎にこんな態度取られて、どんな気分だったろうな

秀吉「皆々ここに居よ!」

2018年11月24日 12:45

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/24(土) 12:23:25.48 ID:813OVVpG
小田原の役の時、山中城攻めの陣において、秀吉が鉄砲の音を聞いて驚いた表情を見せた。
しかし直後、これを印象が悪いと思ったのか、「皆々ここに居よ!」と一人城方へ近く寄り、
鉄砲が激しく撃たれている場所で小用を成した。

(武功雑記)

秀吉は何かと言うと立ち小便だな



528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/24(土) 22:42:36.84 ID:p6QSydTI
失禁してもバレないからな

はや笛を吹くように

2018年11月17日 22:11

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/17(土) 14:53:39.97 ID:A7XhWLUJ
太閤秀吉が名護屋において井筒の能を自身演じられ、井筒が陰に隠れる中入りで、装束を変えているその時に、
朝鮮より兵粮のことについて申し来たため、それぞれに運送について申し付けた。

このためかなり時間が経ち、秀吉は「中入りからあまりに引き述べてしまった以上、ただ出ていく訳にはいかない、
はや笛(テンポの早い笛)を吹くように!」と申し付け、その早いテンポに乗って再び舞台へと現れた。

(武功雑記)

中断の空気をBGMで変えた、と言う感じなんですかね


そんな秀吉の元同僚

2018年11月13日 21:16

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/13(火) 00:32:10.68 ID:ZVjC4cpg
日下部兵右衛門は、元は尾張の織田信長の家臣であったが、秀吉が未だ藤吉郎と称していた頃、
信長の命により、二人は堤の奉行をした。この時秀吉は褒美に預かったが、日下部には褒美がなく、
そのため信長の元を立ち退いて徳川家康に仕えた。

彼は関ヶ原の戦いの後、山城国伏見に在番した。この在番の間、常に下々に三度の食を食わせ、
自分の馬に鞍を置き、わらんず(草鞋)を傍に置いて、下々の者たちには身ごしらえを致させた。

彼は普段からこう言っていた
「もし不慮のことあれば、一番に城の大手に乗り出して討ち死にを遂げ、武士の職分を守り、
潔く死を善道に守ること以外は必要ない。」
自身も常に、そのように行動していたという。
(士談)

そんな秀吉の元同僚のお話



510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/14(水) 00:01:48.69 ID:kj0e+PB+
>>506
かっての同僚が天下人となり
その天下人が築いた城の在番として生涯を終えるってのは、なかなか数奇なめぐり合わせだね

任官之事

2018年09月16日 17:30

290 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/09/15(土) 21:37:19.54 ID:g32iigv6
任官之事

諺曰。君択臣而授官。臣量己而受職。君無虚
授。臣無虚受。然羽柴筑前守秀吉。天正壬午春。
為追伐西戎征備州。闘争之半。明智日向守光秀
討信長将軍。於尋常之大将者。秀吉所可敗軍
也。不然還而武勇智計兼備退凶徒。即時上洛。
悉亡明智党。夷洛属静謐。信長将軍仰主上之
徳。修造宮殴。扶臣下之衰微被充行庄園。最忠
臣也。以之思之。光秀悪逆第一之朝敵也。秀吉
又討之。無比類之忠勤也。故被成下綸旨。被補
官位。其辞云。

去六月二日。信長父子上洛之処。明智日向守
企逆意討果之。剰乱入二條御所。狼藉之事。
前代未聞。無是非次第也。然処秀吉西国爲成
敗。備中國敵城。所所取巻。雖対陣任存分。不
移時日馳上。明智一類悉誅伐。属天下泰平之
段。?古今希有武勇。何事如之乎。因茲官位
之儀。雖有宣下。被辞申之條。重昇殿叙爵少将
之儀。堅天気候也。?執達如件。
天正十年十月三日 左中将在判
羽柴筑前守殿

かの大軍に気を呑まれてその指図に従われる

2018年08月29日 18:57

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/29(水) 17:04:21.36 ID:K7i/dcnH
羽柴筑前守秀吉は摂津尼崎に着陣し、神戸三七信孝ならびに丹羽・池田ら諸将へ使者をもって申し遣わした。

「秀吉は亡君(織田信長)の仰せを受けて討手として中国に向かい、備中高松城まで攻め取った。しかし、
毛利は大国といい大軍といい容易には決戦しがたく、援兵を申し願った。毛利は亡君の武威に畏服し3ヶ国

を避け渡して降参和睦の盟約はすでになるに及び、まったく思いも寄らず賊臣・光秀は叛逆して主君御父子は
討たれなさったと長谷川宗仁の方より告げ来たった。秀吉はこれを聞き、切歯扼腕して怨恨限りなく、

腸を断たれる思いだった。よって1日も早く亡君の弔い合戦をせんと思い毛利と和睦し、毛利より弓5百挺・
鉄砲5百挺・旗30流の加勢を受けて、今日尼崎まで着陣したものである。

只今より早々に上洛して逆賊光秀を誅戮せんと存ずるなり。信孝公はじめ諸将の軍議はいかがに候か」

信孝はじめ諸将は早く光秀と一戦せんと思うものの、あまりに小勢なので容易には打ち立ちがたく、かれこれ
評議に10余日を送っていた。そこに秀吉が今度2,3万の大軍で上着したと聞いて大いに喜び、信孝・長秀

らは早々に舟で大坂から尼崎へ至ってついに秀吉と対面し、秀吉の大義・大忠を感嘆して喜ぶにもまず涙は
先立った。追々に諸将も会合して軍議を凝らしたところ、合戦の場所は山崎と定められた。

その時、池田勝三郎信輝(恒興)は「今度の光秀誅伐の先陣は某が仕らん」と言った。高山右近友祥入道南坊
は声を揚げて「今度の弔い合戦の先陣は某、二陣は中川瀬兵衛清秀、三陣は池田父子であるべきだ!

池田殿は順序を越えて先陣とは何事ぞ!」と、双方すこぶる争論に及ばんとした。

秀吉がこれを聞いて「池田殿は亡君の御乳母兄弟でおられるから、とりわけて御在世の御陣定めを変えなさる
べきではない」と言うと、池田も承服して静まった。よって先陣は高山南坊、二陣が中川清秀、三陣は池田

信輝と定まった。蜂屋頼隆は密かに傍の人に囁き、「三七殿は亡君の御子、丹羽は当家一二の老臣、池田も
亡君の御乳母兄弟だ。いずれも当家において歴々の輩である。尼崎へ秀吉が参着と聞きなさったならば、

秀吉をこちらへ招き寄せて軍議されるべきことである。それを三七殿も丹羽も軽々しく秀吉の方へ参謁し、
かの大軍に気を呑まれてその指図に従われるとあっては、秀吉は早くも天下の主と見える。

きっと光秀を誅せられて後には、天下は秀吉の手に落ちるだろう」と申した。この言葉は後に思い当たった。

――『改正三河後風土記』


大徳寺総見院での信長の葬儀

2018年07月28日 19:08

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/28(土) 03:07:31.13 ID:NB6t5LP1
大徳寺総見院での信長の葬儀


惟任は長年将軍(信長)の御厚恩によりその身を立て、何度も栄華に誇り
遊楽をほしいままにしてきたので、(信長の)長久を希うべきなのに
故なく相公(信長)を討ち奉って、どうして天罰がないことがあるだろうか。
六月二日に害し奉れば、同十三日には自身の首を刎ねられた。
因果歴然なり。恐るべし恐るべし。

(中略)

秀吉の所生は、元来高貴ではなかった。しかしながら相公は五男の
御次丸(秀勝)を養子として下された。この上は秀吉も同胞合体の侍である。
御葬礼がないなどあってはならない。されども(織田家)歴々の年寄衆は
とりわけ御連枝が多いので、一旦(秀吉は御連枝に)憚って
六月より冬の十月に至るまで、少しの法事も行わないまま過ぎてしまった。
昨日の友は今日の怨讐、昨日の花は今日の塵埃といえど、誰が予期しただろう。
誠に下賤下劣の貧士貧女でさえも、その跡を弔う習いがあるのに
どうして人民の君主にそれがないのだろうか。
今法事をしなくては、千変万化の世間の行く末は測り難い。
よって十月初めより、龍宝山大徳寺でのべ十七日の法会を催した。

(中略)

十五日目の御葬礼の作法は諸人が目を驚かせるばかりであった。
まず棺を金紗金襴で包み、軒の瓔珞、欄干の擬宝珠はみな金銀を集め
八角の柱は丹青を施し、八面の間は紋桐を彩色していた。
沈香(香木の一種)から仏像を彫り出し、棺の中へ納め奉った。
蓮台野(火葬場)は縦横広大に作られており、四門の幕は白綾白緞子
方百二十間の中火屋があり、法経堂のような造りだった。
総廻に埒を結い*1、羽柴小一郎長秀(秀長)が警固大将として
大徳寺より千五百丈の間を、弓矢槍鉄砲を持った警固の武士三万ばかりが
路の左右を守護した。葬礼場には、秀吉分国の人々は言うに及ばず
合体の侍を悉く馳せ集め、そのほか見物の貴賤は雲霞のようだった。

(棺の)御輿の前轅は池田古新(輝政)*2、後轅は羽柴御次丸がこれを担いだ。
御位牌は相公の八男御長丸(信吉)、御太刀は秀吉が不動国行*3を持った。
両脇に連れた三千余りの人は、みな烏帽子藤衣を着用していた。

(中略)

秀吉は御次丸と共に焼香し、十月十五日巳刻に無常の煙となってしまった。
誠にこれが一生の別離の悲しみである。これを嘆かない人がいるだろうか。
特に秀吉は目も開けられない程で、涙を留められなかった。


――『総見院殿追善記』



107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/29(日) 10:46:53.44 ID:txEyc0Bx
猿は演出家やなぁ

108 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/07/29(日) 11:37:09.99 ID:GLoZA45F
何となく、諸君らが愛してくれだカルマは死んだ!何故だ!?
を思い出しました、ジークジオン

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/29(日) 15:39:06.51 ID:iCMkgUqJ
それは因果応報だからだよ

*1 馬場の周囲に囲いを巡らすこと。
*2 輝政はこの頃秀吉の養子となっており、織田家所縁かつ養子の二人に
信長の棺を担がせる政治的な意図があったとされる。
*3 信長遺愛の太刀。本能寺の変後に明智秀満が安土城から持ち去ったが
敗死ののちに秀吉所有となったとされる。

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/29(日) 19:50:44.01 ID:OOqoj3kL
サスロ兄爆死で世論操作やな

111 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/07/29(日) 20:16:49.81 ID:ufzNrPWL
秀吉に旧主の信長を悼む気持ちが無かったとは思わないけど、やはり後々の事を思うと某SF傘アニメの国葬よろしく政治工作と言うか政治利用だよなぁ

大阪冬の陣の和睦の時

2018年06月24日 14:44

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 00:07:50.74 ID:AYWzaaZT
大阪冬の陣の和睦の時、大阪城内では、城の弾薬、兵糧米などが尽きようとしているので、
豊臣秀頼一人が腹を切る事で、籠城衆を助けるのだと取り沙汰された。
そして、例え兵粮が多く有ったのとしても、大阪城から5里隔てた幕府方の附城4ヶ所ほどに
それぞれに大名衆を置き、結局兵糧攻めにされるのだとも言われた。

その時城内より遣いとして参ったのは松の丸殿孝蔵主であったという。
大阪章(ふみ)と申すのは文英清韓長老が書いたものだという。

(長澤聞書)

冬の陣講和の時に、大阪城内で言われていたこと



879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 15:54:28.25 ID:u7rojT8f
結局、遅かれ早かれだったな。

信長と秀吉の違い

2018年06月10日 13:48

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/10(日) 11:43:06.50 ID:+lBkktIw
天正13年7月、豊臣秀吉は摂政関白の両職を占められた。目出度いことである。
その御治世の賢きことを考えてみると、織田信長は義と剛のみを用いられたため、
敵対する者は不義であると、御身剛なるままにその根を絶ちその葉を枯らした。
また敵の方から降参する者をも、不義をして来た者であるからと、後になって害した。
そのようであったので降参するものも無く、故に天下も静まらなかった。

一方の関白秀吉は、柔と剛を兼ねて用いられ、敵対する者へは、或いは先に扱いを入れて
それを聞かなければ攻められ、或いは先に攻撃してその後扱いを入れた。そして降参する者には
過分の領地を与えた。故に天下は早々に治まったのである。

(氏鄕記)

氏郷記による、信長と秀吉の違い



984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/10(日) 14:15:52.84 ID:TtJ2yHhY
秀吉は、そうやって外様にいい顔したから、子飼いの武将があまり大身にならなかった側面があるような。

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/10(日) 14:24:34.85 ID:08xhiQlf
譜代の石高が低いのは徳川も一緒じゃないかな

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/10(日) 15:12:43.50 ID:KDd0fsGl
譜代に大身を与えたら反乱祭りになった足利幕府という例があるからな

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/10(日) 19:41:46.61 ID:Lmu5ih2J
秀吉の場合理不尽に奪うケースも多かったと思うがなぁ( 奥州仕置とかが判りやすい )

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/11(月) 00:42:38.28 ID:Vq/uASs5
恩賞の土地が無くなってきたとか?

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/11(月) 01:08:18.93 ID:r7KW5omB
理不尽っつーか、奥州とか九州とか、よくわからない土地は自分の功臣にどかっと領地を与えるのに使っちゃった、ってことだろ。
奥州とか九州とか、先祖代々の入り組んだ関係を理解して公平にさばくなんて誰にもできない。

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/11(月) 10:18:37.36 ID:1BvVKhuE
信長の場合、問題は、最初友好的だった戦国大名と、領土が近づくとことごとく敵対関係になっていること。

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/11(月) 13:11:49.75 ID:Vq/uASs5
友好的な戦国大名って誰のことだろう
分かる人いる?

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/11(月) 14:17:55.69 ID:sVJD/xBa
上杉や毛利でしょうね
ただし領地が接した途端に戦い始めるのは戦国大名としてはお約束の展開。
秀吉なんかも征伐、征伐だし

必要なのは頭と肉と腸

2018年06月02日 13:35

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/01(金) 21:04:39.75 ID:OgMQNIEj
 文禄2(1593)年12月、奉行の浅野長吉と木下吉隆が秀吉の意向を受けて、在陣武将た
ちに虎狩りを命じた文書が残っている。

 秀吉様の御養生のために虎を捕獲して塩漬けにして送れ。必要なのは頭と肉と腸で、皮
は自由にしていい

 この文書を読むと、当時虎は不老長寿の薬として重用されており、朝鮮での虎狩りは秀
吉の滋養強壮の薬を調達するために行われていたようだ。秀吉が文禄3年4月12日付で加藤
清正に宛てた朱印状では、清正が秀吉の命令に従って実際に虎を狩って秀吉に送っていた
ことがわかる。熊本日日新聞社編『加藤清正の生涯』p74

 虎の利用法。秀吉の仙薬調合の材料確保のために組織的に行われていた。加藤清正以外の部将も、虎狩りに従事していた。
 皮は好きにしていいというのは、実際に虎狩りに従事した大名たちへの反対給付の意味もあったのかも。



関白鶴ヶ岡参詣の事

2018年05月31日 17:27

829 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/05/30(水) 20:10:48.97 ID:m3QtbrAB
関白鶴ヶ岡参詣の事
秀吉鎌倉の鶴ヶ岡を詣でて、八幡宮の戸を開かせ頼朝の像を見られしが、背中を打叩き、
微賤より出て、日本を掌に握る事我と御辺と二人なり。然れども頼義父子鎮守府将軍とし
て東国の者共久しく親み多かりき。蛭が小島より兵を起こされしに、関東の靡き従えるも
謂われ無きに非ず。我は土民の中より斯く日本を思いの儘にすれば、功尚高し、と言われ
けり。                               (常山紀談)

 秀吉の感じが悪い話。この時点で、かなり調子に乗っていたのだな。ラスボス感が。
 そういえば、息子の世代で絶えたという点でも、秀吉と頼朝って、いっしょだな。どち
らも、一族や譜代の欠如が、弱点だったのかね。


上様日和という事

2018年05月30日 19:56

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/30(水) 19:38:44.80 ID:m3QtbrAB
上様日和という事
同時九鬼大隅守嘉隆日本丸といふ大船を乗廻し南の海上を取巻けり、此所は荒海にて、東
風吹く時は波浪山岳を倒しかくるが如し、船をかけ並ぶる事思いも寄らぬ所なるに、秀吉
城を囲まれし間五十余日風静に波穏かなり。是よりして小田原海辺風無き日を上様日和と
言慣しけり。
                            (常山紀談)

 秀吉が小田原城を包囲する間、天気がよかった話。
 北条氏は、天運にも見離されていたのか。まあ、海が荒れて、海上からの包囲に穴があ
いても、味方してくれる勢力が一つもない状況だったわけだが。豊臣方の海上輸送も阻害
されただろうから、包囲が続けられなかったかな。



965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/30(水) 23:47:37.61 ID:2DJug1SZ
上様日和って吉宗が屋敷に来て慌てる悪代官を想像してしまう

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/31(木) 11:53:15.30 ID:1OLpxP+u
そういえば富岳三十六景の神奈川沖浪裏もこのへんの海域か
あれも「波浪山岳を倒しかくるが如」くだもんな

柴田などに騙されるものか

2018年05月11日 08:05

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/10(木) 22:17:36.88 ID:ZZ5c1Vdw
清須会議の後、羽柴秀吉と柴田勝家の関係は徐々に悪化したが、この秀吉と勝家の間を
和睦させたいと、滝川一益より織田信孝へ申したてられた。

これを受けて、信孝も勝家へ異見をし、これにより勝家は、自分の馬廻り二名と、秀吉に縁のある
故信長の馬廻り二人を秀吉のもとに遣わし、浅野弥兵衛(長政)を通して存念を申し入れた。

秀吉はこの使いの四人を召し出し、彼らから直に話を聞いた。彼らは
「現在はお互いに用に立たぬことを申し立て、話し合いも出来ない状況です。ですので和睦を
すべきです。」
と申し上げた。これに秀吉は答えた。

「あなた方が仰ったこと、尤もである。あなた達の異見に従おう。」

「御心良く我らの異見を了解くださったこと、大いに喜ばしく思っております。
それではこの事に対し、墨付を下されますでしょうか?」

「墨付は、飛脚を以って直接勝家殿に届けよう。各々はここから帰る前に、大徳寺に参詣して
信長公へ焼香を致すように。」と言った。
このため使者たちは大徳寺に参詣して越前へと帰っていった。

それを確認すると秀吉は五畿衆を呼び寄せ、こう言った
「今度越前よりの口上を聞いたが、これは雪中では出馬が難しい所からの策謀である。
きっと滝川一益の考えた策謀であろう。
唐においては張良、日本においては楠などの策謀であるなら私も騙されるかも知れないが、
柴田などに騙されるものか。」

これを聞いた者達、何れも感じ入ったという。

(志津ケ嶽合戰小須賀九兵衛話)


汝が心を見んとして

2018年05月09日 19:51

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/09(水) 19:47:05.74 ID:wx5+9+Fx
太閤秀吉の父親(義父)は、尾張国ハザマ村の生まれで、竹阿弥といい織田信長の同朋衆であった。
秀吉は申の年の6月15日、清須水野のゴウ戸という所で生まれ、幼名を小竹といった。

ある時、清州城の大手口、松の木門の下を小竹が通った時、信長はこの門の二階に居て、その
節穴から小竹に小便をかけた。

小竹は「士ほどの者に小便をかけるか!?」と、これに激怒し二階門へと駆け上がった。
ところがこの時、信長は御供の衆が一人もなく、武器も脇差だけしか持たなかった。

駆け上がってきた小竹に信長は言った
「俺にてあるぞ!苦しかるまじ!」

「俺とは誰か!?」

「信長なり!」

しかし小竹怯まず
「いかに御主なりとて、小便をかけられたのは無念である!」と、信長に殴りかかろうと
した。その時信長

「汝が心を見んとしてした事だ、堪忍せよ。以後は取り立て、召し使ってやるぞ!」

それより信長の家来となり、木下藤吉と名乗った。

(祖父物語)



881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/09(水) 21:43:11.60 ID:rA67Gfwb
>>880
山岡荘八の小説だと信長が利家になっていたな
小竹が秀長でなく秀吉の幼名なのは新鮮

中村作り取りの事

2018年04月29日 12:40

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/28(土) 19:51:42.05 ID:av85IIge
豊臣秀吉による小田原征伐の時、小早川(隆景)といって筑紫の武士が在り、彼は大丈夫
であるとして、秀吉により清州城の留守を申し付けられた。

小早川は尾張中村まで秀吉のお供をしたが、そこで秀吉はこのように言った
「お主に言うのも恥ずかしいことだが、私はこの中村で生まれ、わやく(腕白・乱暴)な事もして
遠州へ落ち行き、松下石見に仕えた。考えてみれば武士ほど面白いものはないな。
ところで、この中村を百姓たちの作り取り(無税)にするというのはどうだろうか?」

小早川も
「かかる目出度き御代です。作り取りにさせるべきでしょう。」
そう申し上げた。しかし秀吉は

「ただ、かつての事、この村には二王というわっぱ(童)がいて、私より少し年長であったが、
ある時、この道筋で二王が刈り取った草を、私が少し取ったところ、この二王が
『遅く来て草を刈ってすらいないのに!』と、鎌の柄にて私を叩いた。
その遺恨、今も忘れない。

二王を呼び出し彼の首を斬って、その上で中村には作り取りを許可しよう。」

この二王はこの時もまだ生きていたのだが、中村の者達は彼はもう死んだのだと申し上げた。
そこで秀吉は「彼に子はないのか」と尋ねた。中村の者達「子も死んで、孫だけは居ります」
と答えた。これを聞くと

「孫ならば本人からも血縁が遠い。苦からず。」

そう言って中村一円の百姓に、作り取りの権利を与えた。

ところがその後、中村の田地一円は秀吉によって召し上げられた。
これは高麗陣の時、秀吉が

「中村の百姓が一人も見舞いに参らない!なんと憎き奴原か。見舞いに来たなら路銀も余るほど
与えたというのに。筑紫から大阪まで船で送ったであろうに!」

そう激怒し、その過怠により田地残らず召し上げたのである。

(祖父物語)



696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/29(日) 10:52:36.55 ID:/MEehMgy
まとめの3189だと市松が仁王が死んだ、と言ってることにしてるな
尾張中村の仁王と福島正則

戦国無双4では秀吉を美化してるせいで
仁王が死んでるのが嘘と気づいた秀吉が
「あのことは気にしてないぞ」と伝言して感動した仁王が野菜を献上するという、韓信の股くぐりの「仇を恩で返す」の類の
話に改変されてたのを思い出す

木下藤吉郎、堂洞城攻めの功

2018年04月26日 18:51

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/25(水) 19:54:47.09 ID:isUtGnGf
織田信長が美濃国ドウノ洞(堂洞城か)に出陣する時、当時まだ乗馬を持っていなかった
木下藤吉郎に対し
「汝の一門の内にて馬を借りて乗ってくるように」
そう仰せになると、藤吉郎は「畏まり候」と、海東郡のオトノコウという場所に、彌助という
綱差しが居り、これは藤吉郎の姉婿であったのだが、彼の所持する栗毛の草役馬(農耕馬)を
借り受けた。

しかしこの馬には、鞍はあるが鐙がなく、しかしながら腐った金鐙が片方だけあり、
もう一方には細引きを付けて鐙の代わりとした、

そして馬は準備できても、藤吉郎には供に連れて行く者も居なかったのだが、この時
彌助は、これから合戦に行くことを知りながら「私が付いていこう」と、藤吉郎の供をした。

藤吉郎は堂洞にて坪内十郎右衛門という者を討ち取った、堂洞城の城主である坪内某は、
本丸に追い詰められると詫び言をして開城し、助命を受けた。そして信長に対し、岐阜に
退去する間の安全のため人質を乞うた。

信長はこの坪内への人質として、木下藤吉郎を遣わした。その出発前、信長は藤吉郎に言った
「道中にて坪内を、汝もろとも打ち殺す事もある。お前の命を私にくれ。」
これに藤吉郎は
「何れの道にても、御用にて命を召されること、いと易き御事であります。」
そうしっかりとお請けした。

信長は坪内を藤吉郎もろとも殺そうと思っていたのだが、藤吉郎が潔く命を差し出すことを
不憫に思い、そのまま指し行かせた。その後、藤吉郎が各務原より無事に帰国すると、
美濃国の織田領の内より七千石の知行が与えられた。

藤吉郎は俄大名と成ったが、これを切り盛りする人材が居ないことに困り、七郎左衛門といって
清須で連雀商人(行商人)をしている者があり、彼は藤吉郎の伯母婿であった。
藤吉郎が小竹といった幼少の頃は、この七郎左衛門を主人のように尊重していたのだが、
今や七千石の主となった藤吉郎は七郎左衛門を呼び寄せ、七百石を取らせ
「末々いかほどの大名に成ってもその十分の一を取らせる」と約束し、木下家中のおとな(家老)と
した。後の杉原伯耆守(家次)はこの七郎左衛門の事である。

馬を貸した姉婿の彌助には五百石を取らせた。後の三位法印(三好吉房:豊臣秀次実父)と申すのが
この彌助である。

(祖父物語)



807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/25(水) 20:08:25.07 ID:h0+s79/n
>>806
秀吉が敵を討ち取った事があるんだね!
小男で非力なイメージだったから意外だった

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/25(水) 21:00:27.02 ID:E63W07aK
>>806
>豊臣秀次実父
(´・_・`)

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/26(木) 18:08:20.54 ID:7yEMWFBt
杉原伯耆も秀吉が天下取った直後に発狂して亡くなるんだよなあ…

810 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/04/26(木) 18:33:18.40 ID:0K6Usc3/
約束反故にされたもんな

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/26(木) 19:53:27.83 ID:fAuyfDAC
秀吉がいなかったら埋もれていただろう秀長とか浅野長政なんてのがいると思うと
実際に埋もれてしまった人材ってのはたくさんいるんだろうな

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/26(木) 20:36:51.10 ID:KtbdE/GA
爆弾正だって弟が長慶の目に留まらなければ埋もれていた人材だし