合戦は百日の内に埒の明くもの

2016年10月05日 11:54

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/05(水) 04:01:44.58 ID:Ib0P9j1i
合戦は百日の内に埒の明くものである。関ヶ原は、7月中旬から9月15日に埒が
明いた。大坂は10月から1月20日までに埒が明いた。大坂後の合戦は3月から
5月7日までに済んだ。有馬(天草一揆)は、1月から2月27日までに済んだ。

――『武功雑記』




155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/05(水) 07:37:24.77 ID:6nfw2tfV
石山合戦
三木城籠城戦
月山富田城籠城戦




応仁の乱
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「戦国武将と足利学校」展、開催中

2016年08月02日 16:04

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 13:34:11.02 ID:RrYizFxD
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20160607/2348267

戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将と足利学校の関わりを紹介する企画展
「戦国武将と足利学校」が昌平町の同学校旧遺蹟(いせき)図書館で始まり、
同学校が徳川家の吉凶を占い献上した「将軍家年筮(ねんぜい)」など史料約15点を展示している。

武将たちは家臣を軍師に育成する場として、経済面で同学校を保護した。
第9世庠主(しょうしゅ)(学校長)は、徳川家康(とくがわいえやす)に仕えていたという。

同展では、武田信玄(たけだしんげん)の子勝頼(かつより)が
同学校を守るためにしたためた書状「武田勝頼禁制」などを展示している。

企画展は2011年に開かれ、2回目となる今回は真田幸村(さなだゆきむら)に触れた歴史書など4点が新たに加わった。
劣化を防ぐため、史料の一部は期間限定で公開されている。



2ヶ月ほど前の記事ですが、期間は9/1まで、8/17から実資料公開だそうです
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/senngokubusyoutenn.html



34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/03(水) 19:22:09.54 ID:YiUvrEXo
>>28
軍師って言葉は三国志の軍師将軍って官職から来てるらしいけど
日本における軍師ってやっぱ諸葛亮が元ネタなのかな

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/03(水) 20:50:08.37 ID:RfrVrJLE
太公望もじゃない?


鎧を着ることについて

2015年11月17日 07:40

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/17(火) 00:48:23.64 ID:960EAe0F
鎧を着ることについて、昔の人は不鍛錬で、天井に鎧を釣って
下から身体を入れたという。これは人が笑い種に言うことである。

だが、武事鍛錬の人に問えば、急な時は鎧を釣って置いて、
下から身体を入れるのが、いかにも好ましいのだという。

――『老人雑話』



654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/17(火) 00:51:07.07 ID:UYRM3X49
消防隊員みたいやな

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/17(火) 12:13:01.91 ID:iccAgxgR
仮面ライダーみたいに飛ぶと鎧が装着されるわけね

昨日、東京国立博物館に行って来た

2015年07月06日 15:32

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 14:40:03.38 ID:HQudLpG9
昨日、東京国立博物館に行って来た
相変わらずのお宝尽くしだったが戦国関連のいくつか紹介

榊原康政像(重要文化財)
http://i.imgur.com/fPtEbOu.jpg
fPtEbOu.jpg

榊原康政所用 黒糸威二枚胴具足(重要文化財)
http://i.imgur.com/J398Pqq.jpg
J398Pqq.jpg
徳川頼房所要 大釘後立一の谷兜
http://i.imgur.com/rhBwpAl.jpg
rhBwpAl.jpg

武田逍遙軒作 普賢延命像
http://i.imgur.com/WOMnEXV.jpg
WOMnEXV.jpg

オマケ 

三日月宗近の見学に並ぶ刀剣乱舞ヲタ
http://i.imgur.com/KlYRQJv.jpg
KlYRQJv.jpg



305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 15:08:32.93 ID:hwcyjchQ
>>304
小平太の鎧かっこいいな

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 16:46:38.94 ID:l9yaohVx
慶長くらいになると甲冑の袖って無くなるよね
鎧はだんだん軽装化していく流れがあったのかな

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 16:58:39.50 ID:RPShjNjo
>>306
雑兵だと紙子の上着だけなんてのも居たらしいからなあ。もう完全に防御力より機動力って感じだったっぽい。
戦国時代がもう少し長く続いたら、近代ヨーロッパみたいに甲冑のない軍隊に成ってたかもね。

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 17:55:01.00 ID:WafE7F0k
小平太の鎧なら同じくトーハク所蔵の南蛮胴具足もいいよな

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 17:58:13.81 ID:mPv56eu4
>>307
鉄砲足軽はそうなってたな。鉄砲相手だと鎧の破片で怪我が余計ひどくなったらしい

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 18:07:37.90 ID:b67TShaf
袖で防ぐ様な矢なんかもう飛んでこねぇよって感じなんかね

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 19:15:53.35 ID:hvua1bAK
>>304
こういうのって撮影禁止じゃないの?

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 19:33:07.77 ID:8Yqs3qU3
>>312
施設や展示品による

※この場合撮影禁止品は劣化対策、個人寄託品や限定公開品等

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 19:38:17.21 ID:HQudLpG9
>>312
撮影禁止の展示物には撮影禁止マークがある

撮影禁止されてなくても、フラッシュ炊いたりするのは厳禁
AF補助光は、どうか知らんが俺は消して撮影してる

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 19:38:50.95 ID:8Yqs3qU3
○東京国立博物館の総合文化展(旧平常展)の撮影については、ホームページに下記の通り記載されています。
※なお、平成館2階は特別展の会場です。他の建物・室で特別展が開催されるときもあります。

○特別なイベント(博物館に初もうでなど)の期間や土日・祝日でなければ、館内は広いので混雑することはあまりありません。
通常は、午前中の早い時間帯や、閉館前の時間帯はかなりすいています。


TOP >> 来館案内 >> お客様へのお願い
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=127

撮影
* 平成館2階の展示室内は撮影禁止です。
上記以外の展示室であっても撮影を禁止することがあります。
* 撮影可能な展示室においても、撮影禁止マークのついている作品に関しては、所蔵者の意向により撮影ができません。
* 撮影可能な展示室においてはカメラを手で持って撮影してください。 フラッシュ、追加照明、一脚・三脚は使用できません。
* 携帯カメラなどシャッター音が出る場合は特に、他のお客様の迷惑とならないよう、ご配慮ください。

TOP >> 東博について >> よくある質問
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=156

トーハク=東京国立博物館の館内施設などについてのQ&A
Q:展示室で写真撮影はできますか?
A:総合文化展については、個人利用にかぎって写真撮影ができます。ただし、撮影禁止マークのついている作品は、所蔵者の意向により撮影をお断りしています。
また、一脚、三脚などの使用とフラッシュの使用はできません。他のお客様のご迷惑となるような行為(割り込んだり、撮影のため長時間その場にとどまるなど)はおやめください。撮影した画像を営利目的で複製・配布することはできません。
特別展会場については、写真撮影は禁止です。
総合文化展か特別展かわからないときは、係員にお尋ねください。

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 20:03:43.98 ID:hvua1bAK
>>313-315
へー、撮影OKな場合もあるんだ。勉強になった。ありがとう。

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 20:13:37.76 ID:A0Bx4ZtG
>>307
逸話準拠だと加藤清正の足軽隊がそういう装備だったと言われてる(名将言行録とかでも記載有)。
頭部を保護する為兜は付けさせたけど鎧は無し、んで鉄砲隊の場合は塹壕を掘らせる。
もうここまで来ると近代歩兵とさして変わらんな。

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 21:35:56.71 ID:tKnnyIQM
>>310
幕末はそうだったって聞いた記憶があるけど、戦国ですでにそうなっていたってことか

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 21:48:44.53 ID:iNl9VvN2
幕末はとんがり帽子にズボンが最先端。あとはモフモフをつけてたらそれは偉い人。

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/06(月) 23:26:17.42 ID:ON1KkSTM
やっぱ銃の発明の影響って半端ない

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 02:36:26.50 ID:YBIfurp9
それいうなら伝来でしょw

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 03:30:49.37 ID:C4Min6L8
いや、火薬の発明でしょ


城の天守、侍屋敷、石垣について

2015年07月01日 15:32

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/30(火) 19:00:11.83 ID:NGPAoWiZ
天守は、始まりは井楼より起こったものである。
材木を丈夫に組み上げ塀を塗ったのが、次第に高く大きくなり、後に天守となったのである。
信長公の時、安土において初めて五重の天守が出来た。
秀吉公の時代に七重となった。

侍屋敷も、古は周りを築地にしていたのを、後世には昔の多聞の形を写し、長く建て続けた。
これを多聞とは言わず、長屋と呼んだ。

また、石垣を築くのに穴生築と呼ぶ言い方があるが、これは近江に穴生という所があり、
そこでは古より寺院のための五輪を切り出しており、そのほか都の近くで石切の上手が多く
集まっている場所であったので、信長公が天守を作られる時、同国のことであったので、穴太より
石工を多く呼び寄せ仰せ付けられた。このため諸国でもこの穴生の石工を用いたため、次第に
石垣のこと上手になって、後には五輪を切り出すことを止め、石地築のみを業とした。
以来、諸国でも通名となり、石垣築者をさして、穴太と呼ぶようになったのである。

(明良洪範)

城の天守、侍屋敷、石垣についての逸話である。



実を失い虚を伝える事のみ多く

2015年05月17日 18:25

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/16(土) 20:28:02.55 ID:C5ZZpvZE
中世以来、公家の記録のほか、武家において書き置かれた日記や雑録は多い。
永正記の頃までは、事実を正して書いたものも少なくない。

ところが近世になって、関ヶ原や大阪の陣の事などを書いた書物は数十種類以上あるが、
それらは実を失い虚を伝える事のみ多く、中でも大阪の陣について最初に書かれたものは、
薦淵道士という物読みが、大阪城に籠もって生き残り、そこで書を説した。それをタネ本にして
難波戦記の類が書かれ、またその後、色々な所で話が作り出され、それらは虚実を論ぜられることに成った。

江戸において、鯰江正休という人物が、「佐々木族」という古系伝記を伝え、また浅羽氏、松下氏といった
人々も各々、現在の諸大名家の系図を語った。
これらの人々は、最初の頃は事実のみを伝えていたのだが、諸大名家より招かれ、また礼物などといって
人の伝記などを著述するようになり、そのため終にはあらぬ事をも付け添えて書くように成った。
このため識者の間では疑いを生じさせることが多い。

また、近江の六角氏についての伝記は殊に偽作であり、後世に至って大いに疑惑をなすことがある。
実に嘆かわしいことである。

(明良洪範)

江戸前期における、歴史の史料についての嘆きである。




789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/16(土) 20:53:15.56 ID:qw2ya1NQ
>近江の六角氏についての伝記
江源武鑑のことかな

天下三槍のペーパークラフト

2015年02月08日 17:21

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/08(日) 11:58:00.65 ID:SdTGFjB/
そういや天下三槍の1/4サイズペーパークラフトがあるんだよな

IMG_1456[1]
http://www.yonezawa-naoe.com/information/IMG_1456.jpg
http://www.yonezawa-naoe.com/information/tenka_3sou.pdf

すぐに京坂の糸物が高値となった。

2015年01月22日 18:42

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/22(木) 00:26:26.21 ID:u5Lar70V
慶長十八年八月四日

伊勢の国では南風が甚だしく、昨日三日は西国は風が烈しいので、
長崎から上る生糸ならびに唐物を積んだ船十五艘が浸水したが、これは公方の生糸ではないか。
その中で代官長谷川左兵衛の舟三艘が見えなくなった。
すぐに京坂の糸物が高値となった。
(当代記)


台風シーズンに船を出すとこうなるやもしれぬという一例




神仏を信仰する時の心得

2014年11月06日 18:54

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/05(水) 23:14:40.12 ID:kMx/Mb9Q
ある老人曰く、

「武士には、神仏を信仰する時に心得があるのだ。

戦場に出て味方一同が進む時、敵との距離が近くなると、
中々進むことができないものである。これは敵方もやはり
同じことだ。

その時、一人が日頃信仰する神号を一心に唱えて進むと、
その声に連れて人心は一致し、一同が進むことがあるものだ。

されど、心無く戦場において神仏の名などを唱える時は、
かえって味方の勇気を落とすものである。その意味は非常に
深いので口伝はできない。自ら知り、自ら覚るべし」

ということである。

――『明良洪範』




156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/05(水) 23:18:32.35 ID:QRNQ9poN
何となく理由わかるけど、口伝できないほどなんだから多分間違ってるんだろうな

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/06(木) 00:23:41.14 ID:gE5ID6qy
近代でも日本軍に南無阿弥陀仏が自然発生して突撃したって話が残ってるよ

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/06(木) 01:25:15.38 ID:/Db1jrw1
某げきょげきょ集団の統率力と言ったら、たしかに敵にしたら怖いからなあ…嫌な思い出しかないわ

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/06(木) 01:34:05.68 ID:AEQlnalX
厭離穢土ゴングショー

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/09(日) 08:14:04.30 ID:GSOItgqe
>>155
ショウ・ザマも南無三とか唱えてたからな

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/09(日) 08:16:26.12 ID:FbKU2cSI
ダンバインの歌いいよね

時には名前がダブることはよくある

2014年10月04日 18:50

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 13:13:27.37 ID:ldOnwHp9
ちょっと名前に関するネタ書いてもOK?

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 16:06:22.99 ID:952/XcN7
おk
ふさわしくなければ無理やりここの人が逸話にもってってくれる




451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 16:13:54.27 ID:ldOnwHp9
戦国時代はもちろんのこと、各地の武将は色々な名前を名乗ってきた。
時には名前がダブることはよくある。

一族内で同じ名前になることも珍しくなかった。
しかし、それは当主ではないただの一族衆も含めてである。

当主名前が『A⇒B・・・・A⇒B』となっている当主は朝倉氏景⇒朝倉貞景、松浦隆信⇒松浦鎮信、河野通宣⇒河野通直、岩城親隆⇒岩城常隆の4ケースがある。
毛利家の家臣である福原家の場合は広俊⇒貞俊と元俊⇒広俊がある。
見落としあったらすまん。

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 16:20:18.78 ID:ldOnwHp9
福原広俊カルテット
毛利家の家臣である福原家には4人の福原広俊が存在した。
1人は毛利元就の祖父。
1人は毛利元就の家督相続時の15人の宿老の起請文に署名した際に筆頭として署名した。
1人は関ヶ原で毛利家の断絶を防ぐために徳川家康と内通し、毛利家の居城の選定を話し合った。
1人は江戸期の人で当初広次を名乗るが、父・元俊の一字をとり広俊と名乗る。


河野通直カルテット
伊予の大名・河野家には4人の河野通直が存在した。
1人は南北朝の人で河野通堯であり、改名して通直と名乗った。
1人は通堯の曾孫であり、教通から改名して通直と名乗った。
1人は教通の孫であり、来島騒動を巻き起こした。
1人は事実上最後の河野家当主である。


朝倉教景クインテット
越前の大名・朝倉家には5人の朝倉教景が存在した。
1人は結城合戦で足利持氏の子を生け捕りにし、足利義教から偏諱を賜り教景と名乗った。
1人は教景の子で、最終的に家景と名乗った。
1人は家景の子で、敏景、孝景と名乗った。
1人は英林孝景の子で、宗滴の兄である。
1人は朝倉宗滴でおなじみの朝倉教景である。

朝倉クインテットのみ2名が当主となっていない。
それでも親子4代続けて同じ諱(一時的に名乗ったのも含む)はそうそうないだろう。
幼名ならば竹千代の親子8代が最高。

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 16:27:44.93 ID:ldOnwHp9
朝倉家当主の諱かぶりは更にあり、4つもあった。

4代目と9代目がつけた貞景
4代目と6代目が為景
3代目と8代目がつけた氏景
7代目と10代目がつけた孝景

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 16:33:27.45 ID:ldOnwHp9
ということでこの人たちの逸話を書くときは混乱する場合があるので注意が必要だ。
宗滴さんの場合は混乱しないだろう。



455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 17:06:41.37 ID:NnSZ5mC+
一条さんみたいに量産されてたのとはまた違うんだな

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 17:07:03.93 ID:lh91U3Xj
戦国初心者のころ島津家久さんのこと混同してたわ

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 17:13:33.48 ID:952/XcN7
当主じゃないのも入れたら色々いるな
服部正成(まさなり)
服部正就(まさなり)

牧野新次郎康成(やすなり)
牧野半右衛門康成(やすしげ)

松平家忠×3
深溝松平、形原松平、東条松平

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 17:15:36.63 ID:4MFqRPFY
その点伊達政宗は両者で200年ほど開きがあるから混同の可能性はない

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 17:49:49.29 ID:Pq5QPfOX
>>456
ここのスレで良い家久と悪い家久で覚えたら楽というのを知った。

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 17:50:55.40 ID:ldOnwHp9
相馬盛胤は2人しかいなかったから入れなかった
相馬義胤は3人なのでこれも同じ。うち1人は鎌倉前期だし

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 17:56:34.08 ID:ldOnwHp9
>>457
能登系 義続───義綱
二本松系 義継───義綱

畠山氏のサイトの人のところもちゃん親子の読みが同じってのを見てた。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 18:01:52.19 ID:ldOnwHp9
て、関係ないか

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 18:02:54.73 ID:mYD4KyOV
>>458
室町初期に、今川氏被官の駿河伊達氏に伊達政宗がいるな。

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 18:22:16.35 ID:ldOnwHp9
>>463
しかも息子が忠宗とは・・・
何かの一致ですか?
たぶん今川範忠からの一字だと思うけども

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/04(土) 21:48:30.67 ID:f60r///+
>>452

諱のかぶりは、極論すれば知られていなければ問題にならないから

逆に官名まで含めた被りは支障をきたすね
特に朝廷から正式に官職名をもらう場合は氏姓と官職名まで含めた重複は許されないし、
江戸時代に入ってからは結構厳しかったらしい

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/05(日) 06:10:03.26 ID:fA1T0Sss
そのおかげで幕末にもなると名前が誰も知らない漢字だらけに

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/05(日) 22:12:20.15 ID:qclDonCW
こんなだっけ?

河野氏
通直(通堯)┳通義━通久┳通直(教通)━通宣━通直━通宣━通直
        ┃        ┗(3代)━通直
        ┗(5代)━通宣


相馬氏
盛胤━顕胤━盛胤━義胤━利胤━義胤

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/05(日) 22:40:12.27 ID:uyeY3UZO
河野家や福原家の当主の諱が交代で重複してるのを見てると
漫画のおぼっちゃまくん家の歴代当主の写真(茶魔とお父さんそっくりの顔が代わりばんこ)を思い出す

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/06(月) 10:48:38.13 ID:Bd4LrDeL
>>437
ですよねーw

しかし、機転の効く者が

2014年08月11日 19:12

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 15:52:31.95 ID:+KpDkZT1
この流れだし、ちょっといい糞の話を


朝鮮の役の際、諸将は武具甲冑の破損に苦労していた
結局、漆を塗って修繕することになったのだが漆風呂(漆室)が無かった為に
なかなか漆が乾かず難儀していた

しかし、機転の効く者が現れて漆を塗った物の周りに馬糞を集めて
置いておいたところ、漆は一晩の内に乾いた



                                      【常山紀談拾遺】


511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 23:13:14.08 ID:wj9aVQnm
>>508
これ、なんで?

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 23:15:16.68 ID:k9s/OsBW
馬糞は乾燥してるから湿気を取る
のかどうかはしらん

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 23:49:48.19 ID:2A9Go/gj
ググったら、漆は湿度70%くらいで乾燥するんだと
馬糞は堆肥にも使われてて、太陽にあてるとホッカホカになるんだそうな

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/12(火) 00:21:03.76 ID:LSJYRDcD
馬糞サウナってわけか
クッソ~ウマいこと考えやがったな

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/12(火) 08:22:04.25 ID:wYsRkkcC
一般的な塗料は水分が抜けて乾くけど漆は水分を吸って乾くというか固まるんだよね
日本の風土に合った素材でもっと活用できないかと研究が進められてるけどコスト面で厳しいとか

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/13(水) 00:41:17.17 ID:HE1eSi5P
BANDAIと組んで漆塗りのガンプラとか?

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/13(水) 06:37:09.91 ID:/ldvhjCE
漆って、韓国だか中国辺りからの輸入が主だっけか?

人命の長短は、翁草version

2014年03月20日 18:53

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/19(水) 22:49:23.05 ID:zkx8ApC4
>>652
同じ逸話が翁草にあったのを思い出した。

昔の人は強健にして長寿であり、今の人は性質が弱くなり夭折するものが多いと言う。
石谷長門入道という老人がこれを聞いて

「そう言われるのには訳がある。昔の事を思いだしてみると、やはり強弱二通りの人々
が居た。今と変わりないが、そのうち弱いものが多く強い者は少しであった。

昔いた弱い者は皆死んでしまい強い者だけが生き残ったので、その人たちだけを見て
あのように言うのであろう。

今の人も弱い者は早く死に強い者は生きのこる。後世からみれば今の人々を強健と言う
のだろうな」

と語られたのは、実にもっともな話であった。

(翁草)




655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/19(水) 23:34:34.17 ID:uWOxnezA
まぁ、天皇を考えれば昔のほうが長命でいらっしゃったのは間違いないわけだが

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/19(水) 23:42:34.92 ID:1nQR0pzi
知り合いの宣教師が創造論者で
「ノアとかメトセラとか、昔はもっと長命だったのです。
古事記の日本の天皇も皆さん長命でしょ?」
って言ってた
戦国時代はこの説明で納得したかもな

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/20(木) 00:42:44.23 ID:NUh5ntI+
まあ戦国の世にも139年生きた坊主がいますし

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/20(木) 07:34:25.58 ID:/CsLEq9L
古事記だの聖書だの長命というより種が違うんじゃねーのかというレベル

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/20(木) 09:05:57.74 ID:MdcInIhj
事歴を記録し伝える文字を持たない古代社会では
口伝がその手段だったから
複数の人物の事績がまとめられて
長命の英雄が必然と多くなるんだよん。

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/20(木) 19:55:01.98 ID:EAqBVhFK
アレか、仏舎利すべて集めたら2トンになるとかそういう感じの

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/20(木) 21:52:19.68 ID:WJ2skcef
なぁーに、竹内文献の神さん達よりはまだ常識的さ

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/20(木) 22:12:04.81 ID:7mF3I8oQ
うちの神さんがね

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/21(金) 07:49:28.42 ID:6Bny1OIe
戦国刑事コロンボ
犯人はいつも三成

人命の長短は

2014年03月19日 18:57

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/19(水) 17:18:53.54 ID:hizg0GYy
ある人が「昔の人は生まれつき強くて長命だ。
今の人は生まれつき弱くて短命である」と言った。

傍には石谷土入がおり、彼は「いやそんなはずはない。
昔も弱い人は先に死に、強い人は残ったのだ。

今も弱い人は先に死に、強い人は残るはずだ。
だから、今よりも後世の人は、再び今の人のことを
昔の人は強く長命である、と言うことであろう。

人生にどうして今昔の変わりがあろうか。

現に聖人も『七十古来稀れ也』と言いなさったのだ。
人命の長短は古今同じはずである」と言った。

――『明良洪範』



653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/19(水) 17:30:06.99 ID:+ZJTRZRZ
適者生存の法則だと、今のやつの方が強くていいのに

Tencaichi(天下一)

2014年02月08日 19:24

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:36:10.49 ID:wfRVODml
天下一

真のsuky(数奇)を本業とする人の中には、すべての点で他の誰よりも優れた人が必ず1人いて、
そのために他の人から重んぜられ、尊敬される。
その人は、この宗門または芸道の師匠や頭領であり、それはjenxos(禅宗)―この芸道はそれを模倣している―を真似て、
俗にsukynovoxo(数寄の和尚)と呼ばれている。
その頭領すなわち師匠は、あたかも我々が「博士」と呼ぶように、この名前で呼ばれている。
この事に関連して、注意しておかねばならないのは、すべての学術、工芸には、
ふつうその道において他のすべての人より優れている1人の師匠や頭領がいるが、全ての者が彼らをそういう人だとして認め、
その方面で彼の教えに従っているという事である。
それらの中の何人かは、国王から称号を授けられ選び出されて、権能を与えられる。

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:38:25.13 ID:wfRVODml
(中略)
また、往々にして、ある者たちは、自分たちを認めてくれるような者がいなくて、かかる者として自分で名乗り、
Tencaichi(天下一)を自称する。
それは、この道にかけては国内で最も主要な者、caxira(頭)、すなわち頭領の意であり、
もしも世襲で、同一の団体が多数あれば、団体または仲間の頭領の意味で、zagaxira(座頭)という。
これらの人々は自分の家の戸口に看板や表札を掲げるのが習慣となっていて、
たとえば、書写用などの毛筆を作ることで、全国で最も優れている者は、Fude tencaichi(筆天下一)と書いておく。

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 01:40:37.72 ID:wfRVODml
かかる人の中に、剣術の師匠も含まれるが、彼らはその道における第一人者からその名を取ろうとして自信を持った者に立ち向かうのである。
天下の首都、Mayaco(都)という宮都では、門の入り口のように、全ての人が行きかう都市の広場や公道や大通りに、
次のように書いた立札を立てる。
「某地の某、日本国中、すなわち天下の剣術の達人、某通り、または某家に居住す。
 異議ある者、挑戦を希望し、木刀または真剣をもって試合したい者は申し込まれたし」
もしも、誰をそれを求めず、挑戦する者もなければ、
天下の首都に、あえてそれを否定しようとするものがいないのであるから、確認されたことになる。

(日本教会史)






『梅は百花の魁』

2013年12月14日 18:59

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/14(土) 16:20:06.33 ID:cP/j8n0+
『梅は百花の魁』

昔の武士は梅の花を好んだ。
まだ厳しい寒さが残る季節に他の花に先駆けて咲く梅を愛した。
また梅干しは、三毒を断ち今日の難をのがれる、と言う縁起物として、
また戦場での塩分補給、生水を飲んだ時の消毒用として、
梅干しと米粉と氷砂糖粉を練った梅干丸を携帯したという



880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/14(土) 18:04:23.19 ID:yoT5N7Fs
生水って何だ
みんな湧かして飲んでたのか?

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/14(土) 18:21:11.22 ID:Ng1smCtb
氷砂糖って戦国時代にポピュラーだったっけ?

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/14(土) 21:28:49.82 ID:cP/j8n0+
砂糖は奈良時代に鑑真によって伝えられたと言われてる
宣教師により多様な種類の砂糖が入って来たのが戦国時代あたりらしい。
織田信長のドラマに高確率で金平糖が出てくるのも時代背景の演出かも


たばこの烟のむ事

2013年11月28日 19:01

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 18:23:14.78 ID:yGYAMYLq
たばこの烟のむ事

見しは今。たばこという草が近年異国より渡り、老若男女がこの草に火を付けて煙を飲みなさる。
そのような者で、江戸町に道安という流行り薬師がいるのだが、夜も昼も飽きずにたばこの煙を吸いなさる。
愚老(三浦浄心)がこれを見て「このたばこは何の薬であろうか」と問えば、道安は答えて、

「昔から国では薬を焼いて、その煙を筆管を使って飲んでいる。我朝の人は賢くて金属で作り、
『きせる』と名付けた。序例には『人がいて久嗽を病んだ。肺虚して寒熱を生じる。
款冬花を三両使い、芽を焼いて煙が出るのを待って、筆管を使いその煙を吸う。口に満ちた時には
これを飲む。嫌になった時には止める。およそ数日の間五七にして癒える』と記している。

しかしながら、このたばこという草は医書にも見えず、薬とも毒とも理解しがたい。されども、
典薬衆を始めいづれの人も飲んでおられる当世の流行物だから、私もこれを使う」との返答であった。
これは愚かなることだよ。

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 18:25:35.77 ID:yGYAMYLq
論衡には「益無きの能をなし、捕無きの説といへる、猶夏を以て炉を進め、冬を以て扇を進むるが如し、
亦いたづらならくのみ(夏炉冬扇)」とある。その昔、神農は千草までもを味わい知って、今の世の人の
為になさった。「すべらぎのみつを其代の始にて」という前句に、「薬の草葉種はつくせし」と、
兼載はお付けになったのである。

さて、日本は粟散辺地にして大国と比べて及びがたいといえども、智恵第一の国と言い慣わし、
文武をもって国を治め、他国までも恐れ、絶えず御調をそなえなさる。そのうえ当代の名医には、
施薬院、寿命院、驢庵、以庵、(てへんに色)法印、延寿院などという数多の人がいらっしゃる。

これは薬師の変化かと沙汰される。少なくともこの草を知らなくては、異国の聞こえはよろしくない。
――『慶長見聞集』

悪い話だろうが、たばこ繋がりということでこっちに。






煙草のお話

2013年11月27日 19:00

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 20:46:12.86 ID:83o/nW8B
煙草は慶長十年に初めて南蛮国より種が伝えられ、長崎桜馬場に植えられた。
後に山城花山でも作られ刻み売られた。これを花山多葉粉と言う。さらに吉野、
続いて丹波にも植えられた。

はじめはキセルという物も無くて紙を巻いて吸ったり、あるいは葭または細い竹
を切り、それに煙草を盛って吸ったと言う。これには受け渡しの作法があったと
言うが今は廃れてしまった。

今のキセルのように前後に金物を用いるのは最近の事である。

元和元年六月二十八日、日本全国で煙草が禁止された。
その頃、白木屋某という人が江戸柳原土手を通った時に飢えている筈の乞食が
菰の下で隠れて煙草を吸っているのを見かけた。

これほど厳しく禁止されているというのに食べる物さえ乏しい者がこれを止めない
と言う事は、広く世の人が好むのは明らかだ。それならば程なく煙草は許される事
になるだろうと考え、それから京・江戸・大坂で捨てられるキセルやその他煙草の
道具をことごとく買い集めて蔵に収めた。

案の如くそれから少し経って禁止令が緩められたので、その際に一度にこれらの品々
を売り出して富裕の身となり、今も栄えていると言う。

(翁草)

慶長年間に流行り始めたと言う煙草のお話




718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 20:58:56.24 ID:yFvpZP1S
慶次が煙管持ってた。

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 21:00:27.91 ID:dKIre1kM
それ以前はキセル乗車なんて言葉はなかったんだな、なんて
薩摩守はいたかも

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 21:02:51.22 ID:WwPQEH4B
煙草って安土桃山時代のイメージがあったけど江戸時代からだったのか

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 21:47:45.60 ID:TOvKWCQp
紙巻の方が古いんだ

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 22:58:19.84 ID:Tk56WMrd
センゴクの秀吉がキセル持ってるけどあれウソか

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 22:59:10.73 ID:fLT7hjzk
だがこの通説には異論がある

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 23:53:15.00 ID:rGsWkNvA
ヨーロッパ人が持ち込んだはずなので、戦国時代には入ってきてたはず。
ただ、日本で生産が盛んになった時期はよくわからんね

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 23:56:37.88 ID:3UzO46mS
江戸になる前から薩摩か大隅で栽培が始まってたような

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 01:06:01.40 ID:8/JHbvO0
麻の葉をだな…

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 11:10:24.95 ID:WN/XovJd
>>726
痛み止めとして大麻は全国的に栽培されていてもおかしくない

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 11:36:15.92 ID:yrZQW2db
秀吉は大麻やってたんだろ

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 11:53:03.83 ID:WN/XovJd
木綿が入るまで日本の庶民の服は麻が多数でなかったかな?、だから大麻も広く…
南米のコカイン(コカ)のように

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 12:32:04.65 ID:jMABUFqu
しかし薩摩の人間は素面でもハイでもさして変わらんのである

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 12:43:46.25 ID:Hbx4tM4G
大麻はダウナーじゃないの

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 12:44:30.44 ID:b/2kwER5
日本の大麻は幻覚物質ほとんど無いし

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 13:04:33.41 ID:wBXaRz6z
日本は諸外国と違って大麻を麻薬として使用する文化は発達しなかったと宗教板でみたな

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 13:40:20.88 ID:wBXaRz6z
>>729
一般南米人はコカ葉を噛んだり茶にする(ハーブとして生活利用)
南米マフィアはコカ葉を科学合成してコカインにする

この違いハッキリさせとかないと南米人(先住民系は特に)は怒るみたいだよ

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/27(水) 14:20:04.14 ID:4BPVaUIu
日本の繊維用の大麻は
熱処理中に「酔う」と
作業効率が落ちるので
幻覚成分をほとんど含まないように
品種改良されたものらしいです。

武士たちの軍装

2013年07月09日 19:51

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 20:51:30.26 ID:IOjK+Hvw
754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 22:52:29.96 ID:IhonAuQA
実戦期である戦国時代の甲冑がそのままの状態で残ることは極めて希で、
身分の低い雑兵のものに至っては単なる消耗品なのでまず現存しないという。
実戦期の軍装の詳細についてはよくわかっていない点が多い。
その点、当時の日本を訪れた宣教師や、文禄・慶長の役で実際に日本の鎧武者を目撃した明・朝鮮人の証言は
誇張や卑下表現が含まれているとしても、参考になると思う。
何故なら日本人にとっては当たり前でいちいち記録に残さないような事柄でも、異国人である彼らには
驚きの目で捉えられることが少なくないからだ。

というわけで、以下にまとめてみた↓


「我々の武装具は極めて重い。日本の物はとても軽い」
「我々の甲冑は、すべて鋼鉄で出来ている。彼ら(日本人)のは角または革の薄片を、縒り糸で縫い合わせたものである」
「我々の兜は瞼甲(ヴィゼイラ)を着ける。日本人は顔に悪魔の半分の仮面を着ける」
・・・ポルトガル、ルイス・フロイス「日欧文化比較」

「倭国軍は鬼や獅子の面を被っていたので、人馬が驚いて退き、ぬかるみにはまって動けなかった」
・・・明国、宋応昌「両朝平攘録」

「奇怪な身なりをして敵を驚かせ、牛頭に鬼面をした者もある」
・・・明国、李睟光「芝峰類説」

「おおむね倭人たちは紅黒の鉄の甲冑を着て色とりどりの鉄兜を被り、口角には髭を縦横に生やし
鉄広大(鉄の衣を着た道化方)のような姿をしており、金冠の黄金色の羽根・金挿・羽衣・羽箒・螺角などことごとく奇怪な形相である。
奢侈であり、鬼神のようでもあり、獣のようにも見えたので、これを見る者、驚かざるをえなかった」
・・・李氏朝鮮、李舜臣「忠武公全書」

「華麗多く虎皮及び鶏尾をもって戦服を作り、金銀をもって仮面を拵え、馬面及び人面を表す、それは偽り驚かすこと甚だしく、
人の眼に眩いばかりに光り輝いた。壬辰年に敗退した軍の者たちは皆、虎・豹・水石の怪物が一時に出現したようで、不覚にも気を失い、
魂を奪われたと言っている」
・・・李氏朝鮮、姜侃「倭情録」




635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 21:13:13.43 ID:BwAmEKdz
姜ハン「看羊録」にも確か、
獣の皮を軍服につけるようなコケオドシに驚いて逃げてどうする、と
朝鮮軍を批判している箇所があったような

ついでに、日本ではしょうもない茶碗に何両も出して馬鹿じゃないのか、と書かれた箇所も

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 22:47:23.83 ID:L5vtjPnZ
ただ転載してくるんじゃなくて
もうちょっと体裁整えてほしい気がするなあ

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 22:50:27.86 ID:pEeQQoRE
結局雑兵の装備の話ではないのか

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 23:09:28.67 ID:L5GXRMT6
ドラマとかだと面頬がされないこと多いからな
やっぱり面頬あってこその具足だと思うぜ

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 23:55:15.53 ID:dyP9ywVX
日本てやっぱ南方系の戦闘文化も混じってるんだな
マレー系やポリネシア系も獣装ったりするでしょ

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/09(火) 08:41:13.66 ID:gVAVZrex
>>637
おおむねって言ってるから多分雑兵含んでるんじゃないか?
意外に着飾ってたんだな
雑兵は鎧もつけないってのは嘘か

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/09(火) 11:55:36.06 ID:x5lDZsPG
雑兵と言っても朝鮮征伐に出たような人はほぼ正規兵みたいなもんだろ?
人数とか装備とか揃えて出してるだろうし
戦国中期ぐらいまでの地侍が集めてきたようなほんとの雑兵(?)はバラバラだと思う

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/09(火) 11:57:44.64 ID:OOoYPZdE
ルイス・フロイスのは雑兵っぽいな

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/09(火) 12:15:12.26 ID:KgHgRreq
>>641
大名直属の兵でさえ装備が揃ってるのは珍しいよ。

しかも豊臣政権は軍役が過重だったから、どこも人数を揃揃えるのに苦労して
地侍層も動員されてる。

【アドバイス】逸話を探したい人は

2013年06月23日 19:05

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/22(土) 22:54:18.22 ID:/wrYC/HC
逸話を探したい人は、まずはここで適当な武将の名前を入力して軍記物なんかを探してみよう
http://kindai.ndl.go.jp/

甲冑のことについて

2013年03月01日 20:11

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/28(木) 21:15:29.68 ID:dh2WKYlt
古代の鎧は格別としても、例えば八幡太郎義家の鎧は、現在我々が知る当世具足とは
似ても似つかないものである。
右大将(源)頼朝公の時代は大袖の鎧である。
しかしそれ以降時代が下って、甲冑もそれに付属するものも、全て変わってしまった。

天正の頃から現在までは、甲冑の作りなどは変化していない。尤も天正の当時は、
甲冑を着る時は袖を付けず、飾るときには袖を付けたと言う。
実際の戦闘の時に袖を付けないというのは、武田家の侍大将、馬場信房の工夫であると伝わる。

おおよそ、甲冑の製造、またその他の武具の造り方は、武士が学ぶべき第一のことである。
それが今のように平和な世の中に安んじて、鎧の毛の引き方、弓矢の拵え、鑓刀の利害も知らないような
者がいる!こう言った者たちを武士と呼ぶべきだろうか!?

それに加えて、甲冑を着るにも習いというものがあり、普段から着慣れておかないと、甲冑を着たまま
遠くに行けば股を擦り行動が困難になる。
しかしこういう時は、草摺の付け方を工夫することによってそういったことが起こらなくなる。

こういうことがあるから、故実というものは良く学んでおかないといけないのだ。
(慶元記)

甲冑の変化の説明から最近の若い者への不満の吐露に繋がってしまった、慶元記の既述であるw




784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 00:52:53.10 ID:SGpO814R
>>781
三歳「故実に詳しいからって俺に甲冑作らせるな!」

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 01:01:10.33 ID:awcaMlqh
200年以上昔のいでたちで鉄砲の的になる為、
はるばる遠征するに井伊さん...(´;ω;`)

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 02:05:24.76 ID:AgSfvIFC
>>784
などと発言しているものの、まんざらでもない模様

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 05:39:42.69 ID:0SSTrw88
>>785
いいカモんされる訳ですね、わかります

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/01(金) 09:22:57.77 ID:nQUW0JjW
勝頼「時代が俺に追いついた」