熊谷弁治、山伏を打殺

2011年09月20日 22:06

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/20(火) 00:37:15.72 ID:FOKRKaW/
あくまで伝承


天正10年(1582)2月の頃、一人の山伏が殿島(現長野県伊那市)で神坂峠への道を村人熊谷弁治に訪ねた
詳細は不明だが会話の流れで口論となり…

『たった一つの単純な答えだ。テメーは俺を怒らせた』

熊谷弁治、山伏を打殺
山伏の遺体は街道脇に打ち捨てられた

その後間もなく、近隣の村で疾患で苦しむ人が続出した
原因は不明、医者もお手上げ状態

ある晩、疾患に苦しむ一人の村人の枕元に霊が立ち
「我は武田信豊。キチンと供養してくれ。(超意訳)」
と言って消えた

弁治は思い出した
ぶっ殺した山伏は武田の落武者を名乗っていた事を
自分が熊谷直実の子孫であり、武田は源氏の直系である事を

住人達が山伏の遺骨を探し出し社を造って安置すると疾患は止んだ

現在、同地にある大平神社がその社であり、御神体は‘頭蓋骨’である
史実資料では信豊は小諸で自害しており、その首は勝頼や仁科盛信の首と共に京都で晒されたとある

伝承の真偽はともかく武田一族の肖像画の裏付けやDNA採取が可能な遺物の可能性があるのだが…
医学的な調査はされていない

同神社は‘参れば頭が良くなる’とされている





31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/20(火) 17:12:16.88 ID:/o4M+j+a

>>30
真偽はともかくとして、やたらと血の気が多いな、戦国時代の村人はw
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