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ごめん、俺は毛利の人間だから

2014年03月08日 18:56

690 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/08(土) 16:45:08.91 ID://zq9liD
まとめの毛利秀包の逸話に無かったので投下。
立花宗茂で既出だったらゴメン

毛利秀包立花宗茂は義兄弟の契りを交わすほど仲が良かった。
領地もご近所さんだし、九州攻めや朝鮮でも肩を並べ共に戦った。

そんな二人の関ヶ原のお話。

二人は大津城攻めに参加し、これを攻め落としたが、関ヶ原の敗報を受け大坂城に撤退した。
宗茂は大坂城での籠城を主張するが、大将の毛利輝元がウンと言わない。
そこで秀包に相談した。

宗茂「なぁ兄弟、こうなったら九州に帰って二人で大暴れしてやろうぜ。負けたってかまわない、俺たちが武門の意地を見せつけたら家康だって悪いようにはできねえよ。」

しかし秀包の答えは(宗茂にとっては)意外なものだった

秀包「ごめん、俺は毛利の人間だから・・・宗家には逆らえないよ。」

帰りの船で秀包は宗茂に鉄砲で撃たれた。
そして、その傷が原因で死んだ。



※出典がどうにも思い出せず記憶を頼りに書きました。
チラ裏ですいません。




691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/08(土) 17:06:12.54 ID:exdl8bBF
>>690
死んだまで書いてあるのは黒田家譜かな

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/08(土) 23:31:37.57 ID:3C+YaYsE
久留米市誌とかだと、宗茂は家康に和睦の使者を送りつつ
西国の諸将で連合軍を作って家康に対抗しようっていう和戦両面策
を考えてたけど、秀包に断られて先に帰ったって感じだったかな。

いずれにせよ、秀包が大坂をでたのは輝元が退去した9月24日以降だと思うけど、
宗茂は20日くらいに住吉屋から船を独自に調達して大坂から帰ってるから
帰りの船は別々だったようだね

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/09(日) 01:13:29.32 ID:lk8X/oHd
>>690
宗茂さんに限ってそれない。
だって宗茂さんは弓矢派だから。

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麟圭はどうも成仏できなかったらしい

2014年03月07日 18:51

555 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/07(金) 09:44:23.06 ID:FhnW4AgG
いい話か悪い話かよくわからんけど、流れ的にこっちに

548の麟圭はどうも成仏できなかったらしい。

とある侍の女房が留守番をしていると、夜中に訪ねてくるものがあった。
女房が戸を開けると、そこには
立派な袈裟を着た、血まみれの坊さんがいた

坊さんは
「何故あの木を伐ってしまったんだ!俺が愛してやまない木だったのに!」
と言うようなことをまくし立ててくるが、女房はよくわからないし、気味も悪いので
戸を閉めて無視した。
すると、いつの間にか坊さんの姿は無くなったが、墓地から鬼火が出るようになった。

女房は帰ってきた主人にこの話を伝えると
「和尚さんに相談してみよう」
となった。
和尚さんは話を聞くと
「それは毛利秀包にだまし討ちされた麟圭だろう。」
と麟圭の墓に行き、ねんごろに経を読んだ。
すると鬼火は出なくなったという。




556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/07(金) 11:34:27.38 ID:Zj3W59Uv
何事かまくしたてる悪霊をスルーかw
女房つよいな

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/07(金) 22:34:54.07 ID:A+OqaWOT
>>555
>坊さんは 「何故あの木を伐ってしまったんだ!俺が愛してやまない木だったのに!」
>と言うようなことをまくし立ててくるが、女房はよくわからないし、気味も悪いので戸を閉めて無視した。

なんという冷静な対応w

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/07(金) 22:38:12.91 ID:HGwOwZIU
木ってなんだ
幽霊の癖にボケたのか

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/07(金) 22:40:43.56 ID:sOzeb44I
きにしない、きにしない
一休み、一休み

八ツ墓

2014年03月06日 19:10

548 名前:人間七七四年[unko] 投稿日:2014/03/06(木) 15:17:17.08 ID:LcMxfBHr
いい話じゃないけど522のつながりで


毛利秀包が久留米に入ったころ、領内の高良山には大きな宗教勢力があった。
高良山は座主の麟圭を中心に、秀包に敵対的な行為を繰り返したため、ついには合戦となった。
しかし高良山は要害だし、僧兵も満ち満ちている。しかも座主の麟圭は若いころに久留米城主をしていたこともあり、地の利を知り尽くしている難敵だった。

秀包は勝ちを収めることができず、遂には秀包から和議を申し入れることになったが、これは罠だった。
秀包は、座主の麟圭と息子の良巴を和議の宴の席で謀殺することにしたのである。
宴の最中に麟圭と良巴は殺気を感じ、脱出するも追っ手に惨殺された。

所の人々はこれを悼み、討ち取られた麟圭主従八人を弔うために墓を建て供養した。
これを八ツ墓という。
しかし麟圭の霊は慰められなかったらしく、幽霊になった怪談がある。

八ツ墓は久留米駅の側にあったが、昭和のころ医王寺というお寺に移転した。





549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/06(木) 17:30:22.35 ID:ut4gekwu
きたないな秀包さすがきたない・・・元就の子供だっけ。じゃあ仕方ないな

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/06(木) 17:32:52.62 ID:95x29Z4S
むしろ立花宗茂と義兄弟の契りを結んだとか、勇猛だったとかきれいなイメージだったが

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/06(木) 17:53:18.88 ID:Aqlq0mLu
惨殺された麟圭は怪談となって生き続けています

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/06(木) 18:11:02.29 ID:tE/xc2/c
wikiみたら末子を座主にしてるじゃねーか

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/07(金) 01:34:48.79 ID:PpZAWpP4
黒田「さすが毛利きたない」

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/07(金) 01:44:16.33 ID:A0TphRWE
小早川秀包「誰のせいで小早川本家を継げなかったのか忘れたか」

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/07(金) 22:26:56.40 ID:sOzeb44I
>>548
この話は八ツ墓村と関係はあるのか?

小早川秀包と上方の相撲取り達

2013年05月01日 19:50

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 06:33:01.25 ID:4dboLDCB
ある時、上方より優れた相撲取り達15人ばかりが、許状を取った上で西国を廻り筑後へと来た。
この事を小早川秀包が聞き、元より相撲を好まれ、それまでも、相撲に名のあるものを20人ばかり召し抱えていたため、
彼らと相撲を取らせようと、相撲取りたちに宿を取らせ、4、5日休息させ、その後白洲に召されて手の者達と相撲を取らせた。

ところが、さすがに上方から許状を取って下って来た程の者達であり、何れも手練にて、秀包の20人ばかりの相撲取りを、
尽く打ち負かした。

秀包は顔色が変わり機嫌もすっかり悪くなり、御前の人々もすっかり盛り下がっていた所、行事が言った
「御相撲はもはや尽きたのでしょうか?取り組みのお望みがもはや無いのであれば、撤収したいと思います。」

これを聞いて秀包は
「私の抱えた連中は何れも脛の立たぬとは、なんという浅ましさか!野津の仁兵衛はそこにおらぬか!?」

仁兵衛、承って御前に出ると、秀包これを見て
「私の相撲取り共は尽く負けた!汝出て責任をとれ!」(汝いでてせきをとれ)

仁兵衛驚き、『これは何とも思いもよらぬお言葉だろう。私は侍の役儀に関しては調練してきたが、相撲の取り方など
調練しておらぬ。しかし御命令である以上、出るより他ない』と、裸になり下帯をよく締め、9寸5分の鎧通しをしっかりと挿して
出てきた

『例え彼らと相撲をとっても、10回やっても100回やっても負けるであろう。どうしても彼らに下されるくらいなら、あの腹を背中まで
突き通して打ち捨てよう。それにどれほど難しいことが有るだろうか。』

上方の相撲取りたちは仁兵衛の姿を見て当然ながら抗議した
「その脇差はいかがなものでしょうか?どうかそれを取って頂きたい。」
しかし仁兵衛これを聞いて
「お前たちのような相撲取りはそう思うだろうが、それがしは産まれてから刃物を片時も離す事が無かった。これは侍の身の道具であるから
こう挿しているのだ。お前たちは少しも気遣いすることはない!さあさあ、そんな事より立ち会いを合わせよう!」

行事はこれに「仰ることはご尤もではあるのですが、相撲をとる上は、同じようにお取り下さい。」
しかし仁兵衛「お前たちは要らぬ所に気遣いをするものだな。さあさあ、そんなことより早く取ろうではないか!」と怒って言い放った。

これには仕方なく、立ち会いを始めたが、立ち会った相撲取りが心に思ったのは
『この相撲にもし勝ったら、私の腹を刺し付かれる事は疑いない。命を失っては何にもならない。』と、引き組んで程良いところで、
土俵の真ん中で負けた。

この取組に、秀包を始めとして御前の人々、一度にどっと笑った。このようにして仁兵衛は二番打ち勝つ。その次の”かんせき”という相撲取りも、
もし勝ったら脇差で突かれると恐れて、様子よく相撲を見せて土俵の真ん中で負けた。

仁兵衛が都合三番打ち勝った事で、座中は大いに笑い、秀包も機嫌よく、相撲取りたちはそのまま退散した。

後に野津仁兵衛が語ったことには
「彼らはさすが上方の者達だけあって、心きいていた。無才覚の奴らだったら、2,3人は腹を突き通すことになっていただろう。」
と、大笑いしたそうである。

それから秀包は、それまで召抱えた相撲取りたちを尽く召し放ちにしたそうである。
(義殘後覺)




470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 06:55:40.34 ID:FzF2uBvz
八百長相撲ならぬ仁兵衛相撲と呼ばれたそうである
なんちて

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 09:11:27.84 ID:eYbbqQTy
なにこのシグルイの世界こわい

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 09:37:31.32 ID:ZEPS/1lc
これ現代のスポーツマンシップや平等観からみたら?だが、
仁兵衛さんの対処はこうするしかないだろ。
一度は主君の無理難題を諌めてるし、、、
相手の土俵で正々堂々やって負けて理不尽に悔しいのは仁兵衛さん一人。
相撲取りは刀がなければ…と後から理屈はつくしね。
秀包もこの展開を読んで小早川家の面目晴らしたならさすがだが、
それでも無茶だよなあ、と思うオレも現代人だな(笑)

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 10:59:36.65 ID:OYTBu6sV
イイハナシダナー

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 11:38:37.35 ID:mu3gU2Le
観客を楽しませつつ程よいところでわざとらしくなく負けるって難しいよね。

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 12:05:11.31 ID:nn1ElgKs
立ち合いは強く行って、あとは流れでお願いします。

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 17:26:18.36 ID:4/41+WON
これって…北の将軍様と大して変わらんな

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 21:50:20.17 ID:DE1+Hoq+
>>469
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6599.html
>395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 06:41:24.95 ID:u1g3oh1k
>>どの辺が相手を斬っていいラインなのかね
>これ時期にもよるし藩主の考えにもよる
>戦国期なら百姓町人を切っても事情があれば許されたし褒められもした
>江戸期に入ると、刀を抜いただけで処分もありえた
>(更に刀を抜いて相手を殺せなかった場合は武家の対面という意味でも処分された)
>
>たしか商人に呼ばれて、相撲取りと相撲しろと強要された侍が相撲取りを切り捨てた話があったはず
>この人は処分されておらず、切ったのはもっともな話ってオチだったはず

斬られなくてよかった

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 22:40:27.27 ID:QeAhPR5A
>>469
仁兵衛のとった行動は武士らしくていいんだけど、秀包は酷いな

秀吉から久留米を任されていた殿様がいたそうな

2011年09月28日 22:01

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 15:28:34.73 ID:wPD8Jbor
江戸時代の怪談話調べてたら面白い話があったので


まだ大坂の豊臣氏が政権の座にあった頃の話
秀吉から久留米を任されていた殿様がいたそうな
ある時修行中の旅の僧がささいな事で他領の者と口論し、訴訟となった。殿様は事実を調べず、一方的に
僧に非があるとして処刑してしまった、僧侶は殿様を呪いつつ首を落とされた。
それから暫くしたある日、殿様は小姓を呼び刀を持ってこさせた。小姓が言われた通り持ってくると、
殿様はその刀を抜いて「覚えたるか」と小姓に斬りつけた。
小姓はとっさにかわして逃げたが、殿様が更に刀を振り回して暴れるので他の家臣達は殿様を座敷に閉じ込め、
戸を締め切った
家臣達はかの僧侶の祟りではないかと思い付き、どうしたものかと思案していたが、家中一の剛強者が
床下から座敷に忍びいって殿様を足を捕まえ、そのうちに取り押さえる
という案を思い付いて、実行し無事殿様を取り押さえ、座敷牢に放り込む事が出来た。
その後、かの僧侶を神として祭り上げた所、50日後に殿様は正気に戻った。しかしすでにこの事件は
秀吉の耳に入っており、結局御家断絶と言う事となってしまった


この殿様は小早川秀包って事になってるけど、史実の秀包は断絶されてない以上、この逸話の信憑性は
ゼロなんだけどね
この逸話が書いてある本の作者に秀包が馬鹿殿だのなんだのメタクソに叩かれていたし、こういう
変な逸話作られた秀包の可哀想な話と言う事で




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 16:13:19.44 ID:7X5EmFF7
小早川秀包さんって、だれだかに異様に評価されてたような覚えがあるな~

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 17:33:27.21 ID:gWgZg9+i
西のパーフェクト超人と義兄弟だったとか聞いたことがあるが。>小早川秀包さん

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 18:50:56.25 ID:wPD8Jbor
ちょっと調べてみたら秀包は高良山の座主を殺してるのか
キリシタンだったみたいだし、そういう事を意識して作られた逸話なのかな

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/29(木) 00:40:48.74 ID:8hgQR677
>>123
高良山の座主を殺したのも理由があるし、非道な人じゃなかったんだけどね。
やはり、関ヶ原の後改易されてそのあと1年で急死したのと
キリスタンだったりしたのが後の世にマイナスイメージだった?