185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/18(土) 09:28:06.28 ID:Pkf2Ft4G
為景(長尾為景)は16歳の頃に父・能景に従って関東に出陣し、これを戦の始めとして
信濃・越中・越後において戦功はもっとも多かった。
特に寺泊・椎谷の一戦では大いに勝利を得られ、積年の戦功によって天文4年(1535)
6月13日、後奈良院(後奈良天皇)より綸旨ならびに御旗を賜った。
およそ為景は一生の間に諸国所々において百回余りの合戦を行い、他に類を聞かずという。
この時の御旗は今に至って上杉家の重宝として相伝わる。
為景は歌人でもあり、後奈良院に一巻を奏覧した。その中に次の一首あり。
「蒼海の 有とはしらて 苗代の 水の底にも 蛙なくなり」
後奈良院はこの一首に叡感なされたという。
――『北越太平記』
為景(長尾為景)は16歳の頃に父・能景に従って関東に出陣し、これを戦の始めとして
信濃・越中・越後において戦功はもっとも多かった。
特に寺泊・椎谷の一戦では大いに勝利を得られ、積年の戦功によって天文4年(1535)
6月13日、後奈良院(後奈良天皇)より綸旨ならびに御旗を賜った。
およそ為景は一生の間に諸国所々において百回余りの合戦を行い、他に類を聞かずという。
この時の御旗は今に至って上杉家の重宝として相伝わる。
為景は歌人でもあり、後奈良院に一巻を奏覧した。その中に次の一首あり。
「蒼海の 有とはしらて 苗代の 水の底にも 蛙なくなり」
後奈良院はこの一首に叡感なされたという。
――『北越太平記』
スポンサーサイト