池田話三連発

2016年04月10日 10:04

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/10(日) 00:04:29.42 ID:bPmoY5Ei
昨日になってしまったけど今日は小牧長久手戦の日ということで恒興の話に便乗して
池田話を三連発で。
(悪い話かなと思う微妙なのもあるけどそこは恒興の命日に免じて許してくだされ)

その壱
恒興が10才になった頃信長の遊び相手として信長に仕えることになった。
その頃、母養徳院は吉法師の麻上下(肩衣と袴と思われる)を拝領しており恒興が
仕えるにあたり信秀と謁見することになった時にこの上下を着用させた。
信秀はその恒興を見てその上下がとても似合っていると言ったという。
この上下には織田家の紋である蝶紋が入っていたが池田家でも代々蝶の紋を用いることを
この時に許されたそうな。

(池田勝入斎信輝公少伝)

その弐
恒興が13歳の時、同列の小姓と口論となった。
この小姓は信長のお気に入りでもあったが恒興が父無し子であったことを
普段からバカにしておりこれを元になじることも度々あったという。
(多分この日の口論もそれ絡みであったと思われるが)恒興は無念に感じながらも
信長の屋形でのことだったので憤りを押し込めその場を去った。
しかし憤りが収まらない恒興はこの小姓を待ち伏せし帰宅途中であったところを
バッサリと造作もなく斬り倒してしまった。
その場に居合わせた小姓の仲間達は一斉に刀を抜くと恒興に斬りかかったという。
近くにいたのか運良く森寺がこの騒然の場に来て恒興に斬りかかる者達を次々と
斬るなどして追い払うと恒興を連れ出奔してしまった。
信長は怒りまくったが帰参を許されるまでの間、森寺は信長の気性を知っていたためか
恒興を故郷の伊勢で匿っていたのだという。

(同少伝及び信長の逸話関連あれこれ等を加味)


その参
輝政は年をまたいで産まれたが生年決定で論議になった。
産気づいたのは子年だが産まれ落ちたのは丑年、さてどうするかといった具合である。
最終的に産土神である中村八幡宮に占って貰うことになり出た結果は子年であった。
そのため、輝政は以降子年生まれとされたという。

(同少伝)

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/10(日) 01:12:10.50 ID:bPmoY5Ei
>580の補足を少し

その壱関連
池田履略で光政によると池田の家紋は蝶以前は釘貫だったらしい。
恒興戦死時に着用していた柿色の布が残っていたらしくそれには釘貫と丸貫の違い紋が
入っていたそうだ。
この布の所在地も書いてあったけど今もあるかはわからん。

その参関連
輝政の出生地、通説では清洲なんだが(池田履略も清洲)こっちでは小牧となっていて
当時の池田の館は小牧山山中にあったとされている。
館跡があるらしくここが輝政の出生地らしい。

その弐関連
こっちにも鉢巻話は載っていた。
戦も年代も違っていたりこの弐とつながっている感じではあるんだけど、具足を
用意しようにも金がないから養徳院に助けを求め彼女が集めた綾といった上質の布や
彼女の持ち物である鏡の類まで森寺は売って金を工面して古具足を調達したが兜はなく
鉢巻で戦に出たと大筋は合致していた。
だからどちらにしても若い頃の恒興が苦労したというのは間違いないなさそうかな。


小牧の日に恒興や池田家についての史料をじっくり見ることになったのも何かの縁だろうけど
個人的に楽しかった。
こういう縁を結んでくれたこのスレや鉢巻話レスに感謝!




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池田恒興の若かりし頃のお話

2016年04月07日 13:58

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/07(木) 00:02:07.84 ID:f9PHNxji
池田恒興の若かりし頃のお話

池田恒興は織田信長の乳兄弟だが、母養徳院が信長の乳母としてまた信長の父信秀の
側室として城に上がっていたため幼い頃より恒興の父親である池田恒利配下の森寺に
預けられ養育されていた。
しかし母親がそのような立場であっても特別に扱われるわけもなくその生活は決して
楽ではなかった。
そして月日が流れ桶狭間の時、周りの同輩の者達はこれが最期の戦になるだろうからと
鎧兜の類を良いもので揃えていた。
養父森寺も恥はかかせたくないとしていろいろ工面し養徳院にも助力を願い鎧はどうにか
用意することができたが兜までは用意できないままいよいよ出陣の時を迎えた。
事情を知った恒興は兜があるとかえって臆病になるからこれでよいと戦勝と安全を祈り
母自らが縫ったという鉢巻を付け今までの恩の礼を述べた後出かけていった。
かくして恒興は鉢巻姿で桶狭間の合戦に挑んだという。(池田略記他)

後世、信長と信忠を祀る建勲神社に池田家家臣が信長の忠臣達として彼らを描いた肖像画を
奉納したがこの中にある恒興の絵はこの逸話に倣い鉢巻姿となっている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自ブログに書こうと思っていたんですがここでは池田家関連はあんまりパッとしない話が
多いのととある池田関連ブログ由来の恒興異常な持ち上げ話が一人歩きしているようなので
牽制の意味も込めて書いてみました。



568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/07(木) 23:33:56.98 ID:oMmc4p0+
江戸時代にあれ程栄えた池田家の始祖の苦労話

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/07(木) 23:47:59.15 ID:nN/joG22
池田恒興って遅咲きだよな咲いたら死んじまったが

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/08(金) 02:28:37.54 ID:YBc4GxC4
臣下の妻女を略奪して側室にするなんて尾張の殿様はキチガイが多いね

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/08(金) 03:54:19.53 ID:ny74cQy8
恒興は子供時代から信長の遊び相手として召しだされてたというのに、
桶狭間(24歳)の段階でまだ森寺に養育されてたっていう話?
24歳なら信長の弟の元嫁をもらって、すでに所帯持ちなのにと考えると変な話

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/08(金) 05:55:02.41 ID:3vef3Usw
織田の家中は信長にケツ掘られた奴ばっかやん
だから皆晩婚で若い時に子供が出来ないのさ

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/08(金) 06:13:29.00 ID:pyx04zEo
利家「せやな」

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/08(金) 19:13:31.17 ID:Hujt822F
>>571
書き方の問題なんだろうが桶狭間の頃まで養育されていたというわけではなかろう。
森寺は後見も担っていたから用意したとしてもおかしくはないよ。
同輩が立派な備えなのに我が子も同じと思われる恒興が見劣りするのは自分も
恥をかくようなもんだし所帯持ちだからといって立派な甲冑まで揃えられる程
裕福だったとは限らないと思われ。(良い甲冑は当時もかなり高価)

あと幼いといっても信長の元に出仕し始めるのは10歳の頃だしこっちもだからといって
楽な生活だったとは限らないわけで少し恒興を特別視しすぎなんじゃないかと。

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/08(金) 19:58:30.97 ID:ny74cQy8
特別視してる持ち上げ話の実態を知らないから、話についていけない
でもこの話も眉唾だよね。恒興が桶狭間に従軍したって事実なのか
岳父の荒尾善次が今川方についてるのに

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/08(金) 20:38:27.51 ID:Hujt822F
俺は逸話を書き込んだ人間じゃないから持ち上げ話は自分もわからない。
特別視と書いたのは信長との関係なんかからそんな貧乏めいたわけがないと
決めつけ前提で書いているように読めたからなんだよ。
もし違ったら謝る、すまない。

池田恒興の家臣森寺政右衛門忠勝は昔

2015年10月11日 19:23

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 13:03:43.17 ID:7oCeuLK0
池田恒興の家臣森寺政右衛門忠勝は昔、美濃の豪族高木何某を暗殺したことがあった。
ある時江戸へと使いに行く森寺を高木の息子達が仇を取ろうと待ち伏せしていた。それを噂で聞きつけた森寺、わざわざ待ち伏せ場所にまで見に行くとそこには800人程が待ち受けていた。しかし森寺は堂々とその間を通り抜けていくが、何故か誰もかかってこない。
何事もなく通り過ぎた後、従者を使いに送って
「そこにいるのは本当に高木の倅共か?お前らの親の仇がここにいるぞ?どうしてかかってこないのだ。さあ、来いよ」と伝えさせたが、結局誰もかかってこなかった。
「あーあ、仇を取る絶好の機会だったのに。もう仇はとれないぞwww?」と森寺は笑いながら去っていった。

その後、高木は場所を問わず親の仇を取ることを許されたが、森寺にも身を守らせた上、「仇とれなかったら森寺の勝ち」というルールが決められた。
そこで森寺、火縄に火のついた鉄砲五丁・矢を番えた弓10丁、鞘を外した槍5本を持った家来30人を常に引き連れるようになった。秀吉の前に出仕した時も同様であり、殿中での帯刀を許されていた。
伏見城の落成を祝って諸大名が集まる中、周りから「今日こそ危ないからやめておけ」と忠告を受けたが森寺は意に介しない。いつもは持っている刀も従者に預けて手ぶらのまま、広間にいた仇の連中の間を堂々と通り抜けていき、そのまま帰っていった。

その後、慶長4年に病死という最期を遂げたそうだ。

『常山紀談』

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8795.html
↑稲葉一徹の前で主君恒興への贈答品を粉砕した男のその後の話



砕けるものなら砕いてみよ

2014年09月27日 18:45

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/26(金) 20:00:18.13 ID:XYmsWdGL
池田勝入の家臣に、森本政右衛門忠勝と言う者があり、彼は優れた荒武者であった。
この森本政右衛門が18歳の時のこと

勝入の元に、稲葉伊予守一鉄より備前焼の焼き物が贈られてきた。しかし政右衛門はこれを見て言った

「これは備前焼ではありません。偽物です。こんなもの、伊予守の面前で打ち砕いてみせましょうか。」

勝入はそれを聞くと
「それは無礼なことだ。しかし伊予守の面前で打ち砕くことが出来るものなら、打ち砕いてみよ。」

「どうして彼の面前で打ち砕くことが難しいでしょうか!」
そう答えると焼き物を持って稲葉一鉄の元に向かった。一鉄はそういうことだとも知らず対面すると、
政右衛門はその焼き物を取り出して

「これは備前焼にあらず、偽物でありますからお返し申す!」

そう言うと側の柱に打ち付けて砕き、そのまま走って逃げた。
この事態に一鉄は「そいつを止めろ!」と下知したが、政右衛門は逃げ延びて勝入の元へ帰った。

勝入は政右衛門の身を心配して門の内で待っていた所に彼は帰ってきて、「しかじかしました。」と、
証拠として砕けた焼き物の一片を見せた。
その後、政右衛門は勝入に申し上げた

「先程殿は、『無礼であるが砕けるものなら砕いてみよ』と張り合いをかけられました。
このように煽られては、若き者達は、例え骨を砕かれようとも必ずやってやると思うでしょう。
今回私が、逃げ切って帰ってこられたのは幸いでした。どうか、以後お慎み有りますように。」

(明良洪範)

森本政右衛門、稲葉一鉄の目の前で焼き物を砕く、というお話。




376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/26(金) 20:14:21.86 ID:1tk20FeK
やれるもんなやってみろ(チラッチラッ)という主君のネタフリに応えたいい話じゃないか(白目)

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/26(金) 20:25:58.62 ID:yY2ICs9n
鬼武蔵に家康がいない岡崎を攻めましょうといわれて、
よしやってみろと乗っかり不幸にも逃げ帰れなかったお話ですね

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 11:44:49.06 ID:Y4GRFGo0
>>375
池田勝入に森 ときたから、あの人の逸話か?
と思ったら別人だった。

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 12:19:23.36 ID:iPkEM/Cw
四天王のあの方と森本を混同してたら成敗されるところだったセーフ

昨日の広言にも似ぬものかな!

2014年07月25日 18:50

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/25(金) 01:01:08.38 ID:MsYe8bme
姉川の戦いの前夜、織田信長の御前にて軍議が行われていた時、徳川家康
「今回の合戦は、二の手の働き次第で勝利を得るでしょう。」
と発言した。しかしこれを聞いた池田勝三郎(恒興)は

「どうして敵を二の手まで越させようか!」

そう傲慢げに発言した。家康はこれに「そのようにあってほしいものです。」と、
さにあらぬ体で席を立った。

さて、姉川の合戦が始まると、池田恒興の備は浅井の先鋒にさんざんに切り崩され、
酒井忠次の備に崩れかかった。
忠次はこれを見て

「おことは昨日の広言にも似ぬものかな!」

と言いながら、長刀の石突の部分で、恒興の馬の三途(馬の尻の方の、背骨の盛り上がって
高くなっている部分)を打つと、馬は驚いて恒興は落馬した。
その頃の人々は、池田常興が忠次によって落打ちにされたと、誤り伝えたこともあったそうである。

(落穂集)





善悪報応の理は決しがたい

2013年01月29日 19:51

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 23:46:18.10 ID:aBPZahBa
善悪報応の理は決しがたい。細川はかつて不仁だったが、今子孫は盛んである。

池田勝入は信長の乳母の子で、城介殿や常真と同じ乳房に育った人だ。
常真に向けて弓をひく理はないのに、小牧の陣で太閤の黄金五十枚の賄にあざむかれて
常真の敵となった重悪の人である。

しかし、その子は備前、備中、播磨に手を伸ばし、因幡、伯耆に手を伸ばす子孫もいる。
一方で加藤肥牧(清正)などは律儀な人だが、子孫は既に絶えてしまった。

――『老人雑話』




329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 00:03:32.99 ID:piD4P2sK
ちょっとまって!
勝入入道と同じ乳房で育ったのは、城介殿や常真さんのパパの信長さんだと思うの・・・

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 12:14:37.59 ID:hpGkLg9I
息子たちの乳母も兼任してたんだろ
俺は50手前だがまだまだ元気で白いミルクがいっぱい出るぞ

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 12:17:13.67 ID:d1qysb2o
こういう伝承ミスで構築される逸話の成立過程に興味がある

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/29(火) 12:51:37.96 ID:e+3He9uu
老人雑話「なお武田や大内が滅んだのは当然の報い」

森寺政右衛門忠勝「以後、ご自重あれ。」

2011年09月02日 22:04

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 00:32:59.02 ID:NkInj7FZ
出遅れた感もあるし、いい話か微妙だが引き続き池田勝入

池田恒興の家臣に、森寺政右衛門忠勝という男がいた。恒興の守役と言うべき藤左衛門秀勝の子であり、
若いころから恒興に仕え、伊木清兵衛忠次とともに恒興の両腕たる男であったが、「常山紀談」に
『優れたる荒者』と書かれるように武勇に優れ、そして荒々しい男だった。

ある日、恒興が政右衛門に徳利を見せた。「どうじゃ!備前焼の逸品だとか。稲葉一鉄にもらった物だ。」
徳利を見た政右衛門、一言「ニセモノですな。」
「何だと!?」
「今ごろ一鉄殿は、さぞかし笑っておりましょう。にっくき奴輩ですな。この徳利を一鉄殿の目の前で
割ってやったら、さぞかし痛快でしょうな。」
「そりゃそうだが、さすがに無礼だろ。というか、あの一鉄の前でそんな事、やれるモンならやってみろ。」

恒興の言葉を聞くが早いか、政右衛門は徳利を抱えて飛び出した。
「…いかん!アイツの気性では、本当にやりかねん!」

ようやく気づいた恒興だったが、時すでに遅し。屋敷の門前まで出てハラハラしながら待っていると、
政右衛門が五体満足で駆け戻って来た。「せ、政右衛門!お前、無事だったか!」
「おう、殿!これを御覧あれ!!」
政右衛門は懐から、首だけになった徳利を差し出した。
「やりやがったぁぁああ!!」

「使者と申して一鉄殿に対面し、縁側の柱に徳利を叩きつけて、木っ端微塵にしてやりましたわい。
『そやつを捕らえろ!!』と叫んだ一鉄殿の顔、殿にも見せてやりとうござるな。まあ、縁側に出ていた
おかげで、こうして逃げ延びて参りました。」
「な、何という事を……」

「殿が悪うござる。およそ人の主たる者、一言たりとも慎みあるべし。わしの発言は確かに無礼でしたが、
それを『やれるものならやってみろ』などと侍が言われれば、たとえ骨を刻まれようと、やらいでか!
今回、帰って来れたのも運が良かっただけ。以後、ご自重あれ。」




393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 00:38:47.83 ID:qltNker9
悪い話の方が良い気もするがw

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 01:05:13.46 ID:L6/ZS2/d
主君の失言に対し身をもって諌めた…といえば良い話なんだろうけど
そもそも政右衛門の偽物指摘が発端だからなあw

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 01:53:04.32 ID:2wEtdf1N
殿の胃腸がマッハ

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 02:22:38.95 ID:dqmKRenL
>今回、帰って来れたのも運が良かっただけ。以後、ご自重あれ。

これ一瞬恒興の言葉かと思ったら、割った本人の言葉なのかよw

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 02:58:07.90 ID:wNbJCAQ6
正直、どの辺がいい話か分からない
>>394の解釈にしても、失言ってほどでもないと思うしなぁ…

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 05:36:09.56 ID:hSSto5aG
政右衛門の度胸がいい話

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 05:56:11.51 ID:+Xlvpj6r
で、本当に偽物だったのかな?

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 06:39:41.89 ID:obEJMzYV
>>392
めんどくせえええええええ

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 07:17:33.71 ID:Os8P/mhs
一鉄の反応からして本物だったような気がw

秀吉、池田恒興の母親の養徳院に宛て書状

2011年03月23日 00:00

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 22:05:40.07 ID:o9Epjr9y
長久手の合戦の後、討ち死にした池田恒興の母親の養徳院に宛てたラスボスさんのお手紙。

息子さんの討ち死の報を聞きさぞ悲しんでいると思いますが、孫の三左衛門殿と藤三郎殿が
無事であった事が不幸中の幸いかと思います、私がこの両者を引き立ててあげようと思ってますので
お袋様のお嘆きは御尤もですが亡くなった勝入親子の供養のためにも孫二人の面倒を
お願いします。またお袋様がよろしければ私を勝入斎の代わりと思って下さい、どんなことでも
お世話します。またお袋様には物詣もなされるように取り計らいますので人の言う事も
良くお聞きになって身をご寛容になさって下さい。

で、その後もちょくちょく手紙を出してたようで。

「貴女様も私の母と同じようにお世話しますので私の母と一緒に京や堺に遊山にお出かけ下さい、
必要なものがあればご用立てしますので」みたいな手紙の内容が伝わってたりも。

ラスボスさんは池田恒興のお母さんに凄く気を遣ってるんだけど、若い頃に世話になってんのかいな?




460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 22:13:48.52 ID:aa+YH4EW
>>459
この当時の恒興がまだどちらかというと「協力してもらっている」感が強かったことに加え、
信長の乳母だったってのもあるんじゃないかと

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 23:40:42.08 ID:RN3Gn2ky
養徳院さんは池田恒興の母であり、織田信長の乳母であったと同時に
池田恒利と離縁して織田信秀の側室にもなっていたからな。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 23:56:59.97 ID:6nevVd9t
養徳院見てきたけど94歳ってすげー

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/22(火) 09:00:20.60 ID:S2MJJPg7
かつての憧れの人だったりして
憧れだから強引に物にとかそんな気にならなかったとか?

織田信行謀殺事件

2011年02月15日 00:00

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/14(月) 01:41:58 ID:nyeM28P7
弘治3年(1557)、尾張、清須に置いて織田信長は病気と偽り、その実弟、武蔵守信行を
謀って招き、これを謀殺せんとする。
このとき信長は信行を殺すため、三人の士を潜ませた。

が、信行もさるものである。座敷に置いて謀を察すると、三人の刺客を巻き、いち早く廊下へと逃れた。
このまま信行の家臣団が控えているところまで行き着かれれば、城外へと脱出も不可能ではない。
信行の謀殺は失敗か!?と、その時である

廊下に控えていた池田恒興がとっさに信行を捕らえ、これを刺し殺した。
信長の謀があわや失敗するところを救ったのだ。
これにより信長の尾張統一が大きく進んだのは、言うまでもない。

織田信行謀殺事件に関する逸話の一つである。

結果はいいけど、これ自体はそれほどいい話でもないなと思ったのでこっちに。
(寛政重修諸家譜)




822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/15(火) 00:31:59 ID:vTNhSUf/
>>804
命だけでなく嫁まで奪ってしまう勝入斎さんはやりてやなぁ~

雑談、池田恒興のことなど

2010年04月01日 00:03

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 20:47:21 ID:haTZeeyI
>今の浮世は結構づくし 森の武蔵に池田が無くば 諸国諸大名は長袴

この池田ってのは恒興のことですよね?
鬼武蔵と並び称されるのだけの伝説があるのでしょうか?

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 21:26:14 ID:O27qgtf/
>>791
池田恒興と森長可のコンビは、信長に露骨に贔屓されてる乳兄弟(地位)と
信長に露骨に贔屓されてる若手武闘派(暴力)の婿舅って言う、
例えて言えば悪い正太郎少年と鉄人、って感じのもの。

池田恒興のエピソードって言えば、本人ではないが家臣が、恒興が信長の乳兄弟なのを良い事に
裁判とかでも自分達のいいようにねじ曲げようとしたところ、信長が偶然通りかかって
これをやめさせた
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-269.html
と言う話がある。

能力はともかく、そういう家臣をのさばらせているような池田恒興と言う武将の人間性は
押して知るべきかと。

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 21:30:55 ID:vq2a1H5/
ってか池田の娘と森武蔵が結婚してるし

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 22:01:58 ID:QjogELsM
筑前か信雄様か…
筑前は2国くれるだと!?
ヒュー、旧主とか関係ないぜ!今すぐ犬山城攻め取っちゃる!!

とかやる方ですな。

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 22:33:28 ID:HbLO2cFL
>>792
その二人は織田が天下をとっていた場合
重臣中の重臣として政権の中心になる人たちだよね。

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/30(火) 23:20:18 ID:bGda1QTQ
池田さんちはとにかく「女が強い」っていうイメージがあるな
元々信長の乳母兼信秀の側室っていう立場から成り上がって感じがあるし、
恒興の娘も鉄砲隊率いただの妖怪退治をしただの物騒な逸話のある女性ばっかだし

799 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2010/03/30(火) 23:29:38 ID:t+OuzUPU
そんな家に娘を嫁がせる感覚は畏敬すべきなんだろうか。

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/31(水) 10:49:30 ID:7FMcw/JK
>>797
だがしかし、天はめんどくさい者をお選びになるのですた

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/31(水) 10:53:44 ID:BdiXVpay
「人生とは無情だ!天はこの長可を地上に生まれさせながら何故家康まで生まれさせたのだ!」

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/31(水) 12:01:24 ID:1QHFXp5Z
御遣い殺す奴なんとかさせるために神々が仕組んだに決まってるだろう、jk

小牧長久手、犬山裏工作

2010年02月21日 00:09

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 22:03:56 ID:4vxBnjAU
小牧長久手が始まった頃のこと

信雄方の犬山城主、中川定成は伊勢における羽柴秀長、蒲生氏郷などとの戦いで討死。
犬山には少数の守備兵だけが残っていた。

これを池田恒興は大垣で聞いた。彼は信雄から寝返り秀吉方についたばかりであった。

「我々は秀吉に従うことにしたが、未だ旗幟をはっきりと見せていない。
早く尾張に攻め入り秀吉に味方した証拠を見せねばならないが、犬山の城主が討たれ、
残兵も少数だと言う。これは尾張に攻め入り、犬山を攻め取る手柄を立てるチャンスである!
幸いにもわしは元亀の頃犬山を領していた…。そうだ!日置才蔵を呼べ!」

日置才蔵は恒興の犬山時代、犬山城下の奉行を務めていた。
彼は恒興の元から、かつて懇意にしていた犬山の町人のもとに密かに派遣され、
町人たちが連歌の会を催す会合に顔を出した。

「私がここに来たのは別儀ではない。この度信雄様と秀吉様が一戦に及ぶことになった。
秀吉様はその軍勢30万で大阪を発し、美濃に侵攻し犬山に討ち出る。
この犬山は尽く放火され人々は撫斬り(皆殺し)となり、全ての者が家を失い身を滅ぼすであろう。

恒興様はその事を知り、縁の深い犬山がその様な目に合うのは気の毒だと考え、
私をしてそれを知らせるため派遣されたのだ。」

町人たちは大いに驚き
「それはなんと迷惑なことでしょう!どうかその様にならないように、恒興様に申し上げては
頂けないでしょうか!?」

「なるほど。さほどに是非是非と言うのならば手は無いわけではない…。恒興様に従うことを誓うのだ。
誓った者には褒美としてこれを与えよう。」
と、懐中より金子を出した。町人たちは大喜びでこの金子を受取る。
才蔵、してやったりの気持を抑え

「が、証拠が無くては恒興様にこの事を申し上げるわけにはいかない。従う気持を形で表すため、
お前たち全員、人質を出すのだ。」

既に金子を受け取ってしまった以上、これを断ることは出来ない。
町人たちは致し方なく人質を出し、才蔵はこれを大垣に連れ帰った。
これが3月12日のことであったと言う。
翌13日に家康が清須に到着、27日には攻略された犬山城に秀吉が入り、合戦はいよいよ本格化する。

小牧長久手の頃の、犬山における裏工作のお話




池田恒興の子育て・悪い話

2008年12月17日 00:02

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 17:36:15 ID:uHUJbZb6
ちょっと前に、立花宗茂の育てられ方のお話があったけど、池田家の場合


あるとき、池田恒興が囲炉裏で栗を焼いて食べていると、側に十歳ほどの子供が座った。

そこで恒興はふと思い立ち、囲炉裏の中から焼けた栗を取りだし、その子供に熱いまま渡した。
ところがこの少年、それを手にとっても熱いとも言わず、そのまま皮をむいて食べてしまった。

それを見て恒興は、「こいつ、根性あるなあ~。」と、感心した。

この少年、名は池田恒興次男、古新。後の池田輝政である。


なんかいい感じで〆られてるんだけど、いい話とは違うよなあと思ったのでこっちに書いてみたw



387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 17:54:42 ID:J8XrLaMO
>>386
逸話を先に書いて名前を後で出すことが結構あるけど
この場合は意味もなくわざとらしい気がするなあ

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 18:46:19 ID:vNGregoV
出来ておる喃

池田恒興の人質と織田信雄・悪い話

2008年10月23日 00:04

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 00:55:08 ID:M7uaG5UQ
小牧・長久手の戦いの頃、
池田恒興は織田信雄に味方していたが
本当は秀吉に味方したかった。
だが次男の輝政を信雄に人質としてだしていたので困っていた。
すると信雄が
「恒興は忠臣だ。そんな者から人質を取れば諸将は
わしを疑うだろうから、輝政は返す。」
と、輝政を返してきた。
しめた!と思った恒興はさっさと裏切って犬山城を落としてしまった。




917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 09:23:37 ID:uv51fFlY
>>914-915
ミルクティー返せww