因果は巡り

2011年11月03日 22:02

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 20:23:01.20 ID:CByWOhZ5
因果は巡り

里見越前守義近は出羽上山口の城代だった。
天童八楯に属するもののたびたび長井の伊達氏から攻撃を受け、互いの利益のために八楯と敵対する
山形にも次男の民部をして繋がりをもっていた。

山形で最上義光が父義守を隠居させると
ある日谷柏直家と氏家尾張といった最上の重臣が義光の書状を義近に差し出した。

・上山(里見)満兼を消さば、上山里見本家の総領の地位と上山城を安堵する

義近の長男里見内蔵は上山満兼に重用されていたが、これを手討ちにすると義近は上山城を一族衆を動員して
乗っ取った。

つづく
728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 20:36:40.75 ID:CByWOhZ5
つづき

義近の息子の民部は義光に重用され、
慶長出羽合戦でも直江方の別働隊大将本村造酒親盛を討ち取るなど、更に加増があった。

しかし最上家内での発言力を強化しようと
里見民部と民部の息子権兵衛正光が義光の長男義康を櫛引で暗殺してしまう。

最上義光はこれに怒り、正光を切腹させようとするが、里見一族は加賀前田家を頼り出奔する。

1614年
義光の死後、最上家親が「遺恨は水に流し里見一族を赦す」と前田家から里見一族を引き取った。

しかしこれは義光の「なにがあっても里見一族を絶て」といった遺言を実行するための策。

家親の兄義康が殺害された櫛引で
里見義近・民部・正光は切腹
加賀から山形に一緒に戻ってきた一族の者も全て斬られた

諸説が伝わり
正光だけが山形から逃げた、民部親子は片目・片足・片腕を斬られ野垂れ死にした、切腹は許されず
皆斬り殺されたといった話も伝わる。




734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 22:48:16.05 ID:QlcrUh6H
廃嫡されたとはいえ落ち度もない主君の息子を家臣の一存で殺せるもんなの?

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 05:35:10.85 ID:hbtXZmd+
>>734
だから里見民部の息子が最初に生贄に選ばれたんだよ。
主命なら特に憚る必要はない。

里見民部「廃嫡の上追放って事は殺っちまいな、って理解していいんか」といった雰囲気でもあったんだろうね。
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