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江刺兵庫頭重恒は酒好きで

2011年11月27日 22:01

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 17:03:47.28 ID:RaWjvp9X
陸奥国江刺四十四郷の主、岩谷堂城主の江刺兵庫頭重恒は、葛西七人衆のひとりにして
遠近に威を振るう、実質半独立の大身だった。
だが彼は酒好きで、常日頃から酒にふけり、昼夜の境もない有り様だった。

ある時葛西氏から相野矢金吾という者が使者として派遣されてきた。
だが重恒は長酒しては伏せてしまい、使者に八日間も対面せず、城下に待たせたままだった。
家臣達が意見しても重恒は承引せず、弥々酒に乱遊して日々は過ぎていった。

これに江刺氏菩提寺である光明寺の現住没岩和尚は、これを聞いて嘆いた。
「およそ大身であろうと小身であろうと、身を滅ぼすのは自身の無道によるものだが、
その多くは酒によって事起きて、国を滅ぼす者も多い。
故に仏陀は長老沙伽陀を戒めて飲酒戒を立て、夏王朝の禹王は酒の美味さに、かえって酒を造った儀を疎んだ。
酒池槽山の楽しみ、長夜痛飲のもてあそびは、その果てに国を滅ぼし身を失うこと、古人その例は少なくない。

しかるに兵庫頭殿の振る舞いを見ると、昼夜酒を好んで国事を怠り、年月に貨を費やして、民の愁いを省みない。
これは敗亡の端だ。
その上、到来の使者を城下に数日まで留め置き、対面もしないとは、いかなる理由だろうか。
これは諸人の批判を招き、一家不破の仲立ちになろう。
家中の家臣達は、かかる時どうして諌言を申さないのか。我出家の身ながら、この時、相止めるべきではないと思い
一首の歌を詠んで、兵庫頭殿へ進上する」

  わざわひの その源を 尋ねるに 兎して角(こう)して 酒にこそあれ

これを見た重恒は、没岩が自分を制止する歌だと理解し、されば返歌をしなければ、と歌を詠んだ。

  酒ゆへと 思えば責めて 慰る 直しがたきは 下戸のわざわひ

この後より重恒は酒は止めなかったが、日々の行いは謹むようになったという。





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