最上川合戦

2011年12月15日 22:00

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/15(木) 18:37:30.70 ID:LYjS0cQR
慶長5年(1600)10月、最上義光はついに宿願である庄内平定を開始。
三男の清水大蔵太夫義親、並びに舎弟である楯岡豊前守満茂を大将として5千の軍勢を差し向けた。
この軍、山形を出発すると月山の獄を越え、狩川を夜の間に渡り、酒田の城へと押し寄せた。

この頃酒田の城には上杉家より、川村兵蔵、志田修理と言う者が置かれていたが、最上軍の接近を聞くと
「さらば勝負を決せん!」
と、即座に城を出て最上川の岸に陣を取った。

最上軍の先陣もその対岸に進み、これを渡ろうとしたが、そこは水深も深く、音に聞こえた凄まじい急流であり、
また一町ほど下れば海になるという場所で、一向に渡るすべが見つからなかった。

暫く船を探しているところに、十町(約1㎞)ほど川上より、14,5艘の船団が現れた

「今度の御先駆け、下次右衛門である!!」

声高に名乗る。そう、新たに最上に臣従した、下次右衛門の部隊であった。
これに最上軍の者共大いに喜び、続々とこの船に打ち乗り、太刀を真向に差しひるがえし、喚き叫んで
攻め寄せた。

しかし敵もこの事は想定している。川村・志田は堤の上に伏せ置いていた数百丁の鉄砲を入れ替え入れ替え
射撃した。これに最上勢多数討たれ、進みかねているところに、下次右衛門の家臣、戸井半左衛門という者、
前に敵がいるとも思えぬ風情で叫んだ。

「これは何という怯えた者たちか!?ただひと揉みに、揉み崩せ!!」

これにて士卒の気色を励まし、自らは真っ先に馳せ向かうと後ろの者たちも『戸井を討たすな!』『半左衛門を討たすな!!』
と、下家の組子五百余人、喚き叫んで駆け入った!

さてこの時、大将の清水義親は未だ対岸にあった。彼は眼前の戦況を見て心騒ぐ

「私がここにいるというのに、先駆けの味方を目の前で討たせるなどあってはならない!もし水に溺れるなら
溺れても良い!なんとしてもここを渡るぞ!!」

義親は馬を最上川に乗り入れる。この大将の姿に、従う者たちも我先にと川に乗り入れ渡り始めた。
本来なら船なくして渡りがたき場所であるのに、一騎の剛気には毀れぬ物はないとはこの事であろうか、
程無く向こう岸へと駆け上がった。その姿は治承の古の、宇治川合戦での足利又太郎もこれにはいかで勝るべきか、
というほどのものであった。

ここに川村兵蔵、志田修理も、これでは多勢に無勢、もはや叶うまじと、酒田の城へ撤退したが、これに
下次右衛門は城際まで追い打ちをかけ、百余人の頚を取った。


庄内平定戦、最上川合戦についての挿話である。
(最上出羽守義光物語)




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