「普尊」平井貞利

2013年02月19日 19:52

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 14:57:33.00 ID:5xyDwjl/
赤松広秀の臣・平井備中守貞利は、主家の移封に従って播磨の龍野から但馬の竹田へ移ったが、
鳥取城の一件で広秀が自害に追い込まれ、赤松家が改易となると、故郷の龍野へ戻ってきた。

龍野赤松家の旧臣の中には、円尾孫右衛門横山五郎兵衛宗信片岡治兵衛など、龍野に残って
醸造業を営んでいるものがあり、
平井貞利もまた、醸造業「石橋屋」を開業したのである。

醸造業者となったとは言え、貞利は家康によって処断された大名家の旧臣。
役人がたびたびやってきては、赤松家のことを詮索していった。
しかし貞利は、他の者たちのことを慮って「赤松のことは存ぜず」としか答えず、
死ぬまでそれを貫き通したのである。
そんな彼はいつしか「不存」と名乗るようになり、戒名もまた、不存にちなんだ
「普尊」と付けられている。

なお、龍野赤松家の旧臣たちが始めた醸造業は、円尾氏が発明した淡口醤油によって
その名を轟かせることとなる。
また、片岡治兵衛の開いた「幾久屋」が合併等の変遷を経たものが、今のヒガシマル醤油である。





462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 20:15:05.31 ID:j/KRVdar
>>460
旧臣等はなんでみんな醸造業を営んだんだろうな。
ところで、ヒガシマル醤油って関西の方だと有名なの?

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 20:38:02.16 ID:TN0rvxxE
>>462
ヒガシマルは全国シェアでもトップ5に入るメーカーだよ。
関西は、関東じゃあまり造らない淡口(うすくち)しょうゆの需要が多いしね。

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 20:42:54.47 ID:2PJn0+PE
鴻池「醸造業といえば、山中鹿之介の子孫であるわれわれだろう」



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「赤松さんの墓」

2011年12月25日 22:00

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 17:26:44.03 ID:J0wjrkZB
「赤松さんの墓」

元文3年(1738年)但馬・円山川流域で大洪水が発生し、小佐郷に大きな石が流れ着いた。
その石は墓石にするには理想的な形状をしていたのだが、高さは1,5m、幅は50cmもあるので、村人たちは
とりあえず永源寺の住職・了覚和尚に預けることにした。

その翌年、了覚和尚から村人たちへ一つの提案があった。
「お前達もよく知っているとおり、この小佐郷は120年ほど前には竹田城主・赤松広秀(広通)公によって
治められておった。
広秀公は民を非常に慈しみ、この郷が凶作となった時など3年間にわたって年貢を全免してくださった。
さらに、氾濫地には桑を植えて養蚕を奨励されたことで、今もこの地は恩恵に浴し、昨年の飢饉も生糸の収入で
乗り切ることもできた。
このご恩を忘れぬためにも、あの石で広秀公の供養塔を作ろうではないか。」

「赤松さん、赤松さん」と広秀のことを語り継ぎ、敬愛してきた村人たちのこと、これに反対する者のあろうはずもない。
早速「乗林院殿可翁松雲居士之墓・前竹田之城主赤松左兵衛廣秀」等の文字を刻み込むと、
自分達の先祖によって密かに築かれていた、大森(養父市八鹿町)の墓に据えたのであった。
後には、この墓が雨露に濡れることの無いようにと祠で囲い、祭祀を欠かすことなく今も大切に守り伝えられている。
また、収穫を祭祀の費用に当てるための田畑は「赤松散田」として伝えられてきた。

なお、竹田城下ではこの墓の事を「腕塚」と呼んでいるそうで、
赤松の遺臣や竹田の領民が、広秀が自害した鳥取でその片腕(片袖)を下げ渡してもらい、
どうにかして竹田へ持ち帰ろうとしたものの、
城接収のために城下には入れなかったので、やむを得ずこの地に葬ったものだという話が伝えられている。

大森にも竹田にも「赤松さん」への思慕は今なお残っている。




140 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/25(日) 19:04:54.50 ID:ptZR+4GR
善政でんな

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 20:26:51.40 ID:4Mny2YgA
家康に切腹させられた人としか知らなかったが
おのれ亀井茲矩め
和尚さんGJ

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 20:28:17.68 ID:ekVvFgtH
赤松政秀の子供だったねこの人

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 21:45:14.33 ID:J0wjrkZB
竹田の観光案内所で色々教えてもらっていた時に聞いた
「私たちは今でも、赤松さんに治めてもらったことを誇りに思ってるんです。」
という言葉が忘れられません。

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 23:10:56.56 ID:2LzmoaPT
藤原惺窩がめちゃくちゃ買ってたのも頷ける>赤松さん

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 03:54:43.43 ID:71kzmdJL
竹田城行った時、亀井さんがすげーdisられてて不思議な気分だった
亀井さんが地元の殿様だったから

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 07:57:58.18 ID:d2WqDJyr
こんなの見つけた。
竹田小学校校歌(1番)だって。

「虎臥山に 年ふりて その名も高き 赤松の
葉末の雫 むすびつつ 二葉の小松 茂りゆく
学びの園は 千代八千代」

147 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/26(月) 08:05:29.24 ID:Z+T6d6Py
年貢三年免除って、実際有り得るの?

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 09:20:59.43 ID:nCx9g6Lh
当たり前だが支払い能力が無い者に払うことを強要しても
意味が無いどころか逃げ出して将来の収入増の可能性を無くすので害になる
 
3年かどうかは知らないが状況に応じてある程度の期間減免はありうる

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 10:48:05.39 ID:wEUFfWEO
年貢以外にも税収はあるから財政に余裕があれば年貢の免除もある
さすがに領国全域での全面免除はそうないと思うが

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 11:30:15.96 ID:8KH1fnb3
>>146
やっぱ校歌はこういうのがいいよな土地に根ざしてような
おれは新設校の薄っぺらい校歌だったからあほくさかった
大人になって歌詞読んで色々感じられるのがいい

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 12:41:28.78 ID:azna+/Pd
年貢を3年免除しても運営できる藩政だったのだから
非常に優秀な統治をしていたんだろう。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 16:52:33.19 ID:YOViG9M4
どっかのフォレストさんとは大違いだな。
巷はやれ伊達だ真田だ言ってるけどやっぱりこういう人達が評価されてほしいな・・。


153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 16:55:32.89 ID:YOViG9M4
連レス失礼。
決して隻眼や具体的に何したか分からん人をけなしたわけではないのであしからず・・。
森さんについては否定しません。

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 22:37:58.62 ID:oagGq/Hn
なんか珍しく俺の好きな広秀さんの話だが、今投下できるものがない...無念

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 00:05:55.92 ID:q1XTyam5
ラフォーレさんは今日も大人気。