王旗翩翻たり

2013年03月16日 19:51

753 名前:人間七七四年[mage] 投稿日:2013/03/16(土) 09:37:32.06 ID:K7BgRwpn
王旗翩翻たり

加賀美長門(正行)の最期があがってなかったんで僭越ながらあげます。

加賀美氏は初代・四郎遠光以来、勅許によって「王」の一字を家紋としていました。
これが「三階菱に王」だそうです。
(厳密には、加賀美の家紋から「王」を抜いたのが三階菱?)

しかし加賀美氏は小笠原等の分家は栄えたものの本家は衰微し、
いつからか「王」の字を使わなくなっていたようです。
多くの武田分家が、四つ菱や武田という苗字を使わなくなったのと同じような理由ではないでしょうか。

天正十年三月。
「鏡(加賀美)の城を団平八らが囲んだが、城方は王旗を掲げた。
団らは逸って取り付いたが、激しい抵抗にあって落とせなかった。
長門殿は夜襲して、これを散々に破った。
団は逃亡し、毛利長次郎は討ち死にした。

ここへ鳥居彦右衛門尉と平岩吉助(おそらく七之助=親吉)が到着した。
この時、「人々が立ち戻る前に攻めましょう」と言う者が多かった。
しかし二人は城を見ると「王旗翩翻たり」と語らって、固く陣組みをした。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/16(土) 10:03:19.82 ID:K7BgRwpn
翌日、激戦の末、ようやく小口(虎口)が落ちた。
すると王旗が下ろされたので、大いに喜んだ。

ところが夜半、火の手が上がり、城は焼け落ちた。
人々は焼け跡を捜索したが、徒労に終わった。」

正行はこの時自決したと考えられます。
まとめにあるとおり、彼の遺児正光は、正行の死を惜しむ家康によって後年召し抱えられました。
しかし、この王旗は、正光と一緒に脱出したのか不明です。
城攻めより先に正光は脱出していて、旗は城と一緒に炎上してしまったのかもしれません。






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家康からも賞賛されていた・加賀美正行(3)

2012年01月10日 21:59

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/09(月) 22:23:05.63 ID:jt+d33Sr
家康からも賞賛されていた・加賀美正行(3)

武田が滅亡し加賀美正行が死んだ時、その子・正光は幼年であったので落ち延びていった。
天正16年、家康は正光を召しだし、烏帽子親を選んで元服させた上で直接対面した。
家康は亡き正行を褒め、その死を残念がり、正光に仕官を勧めた。正光は平伏して応諾した。

これは特別のことで、人々は不平を口にし、それが家康の耳にも届いた。
それに対して家康はこう諭した。


「お前達はわしが甲州の名門旧跡ばかり喜んで特別扱いするというが、そんなことはないぞ。
その家の者が優れていると思うからこれを重用するのであって、家名を選んでいるのではない。
例えばあの正光の父である加賀美正行は、比類ない剛の者であった。

わしが武田に勝利したときのことだ。追撃していたものが使いを寄こして、しんがりの抵抗が
激しいから加勢が欲しいと行って参った。わしは不思議に思って内藤四郎左衛門をやった。

眺めてみると、敵のしんがりは地勢ををうまく味方にしていて、こちらを近づけない。
飛び込んでは引き、引いては飛び込み、まさに鬼神のごとき働きとはこれであった。
ここが死に場所と、軽輩雑兵に至るまで根が張ったごとき必死の覚悟がみえた。
このようになった敵をよく追い払うことはできないものだ。

誰かと(内藤に?)聞けば、あれは加賀美殿の息子でしょうと言うので然りと思った。


ところが後から聞いた話によると、正行はこう言っていたそうだ。
『お味方敗軍のことまこと意外であり、また急に退くとなって動揺した。
自分が殿軍に指名されるとは、まったく思いもよらないことだった。』

しかし平素から覚悟が座っているからこそ、変にあってもこのように振る舞えるものなのだ。
ただ退くだけなのに大げさな様子で殿軍を申し出たり、手落ち傷を誇らしげに見せにきたり、
そういう浅はかな覚悟とは違うぞ。

旧家名跡の子というのは、それだけに却って重んじられないこともあるから、お前達にとって
意外な人事となり、それはわしがブランドに弱いからだと思うかもしれないがそうではない。」

(加々見呈譜)


最後のあたりはかなり意訳。主語がところどころ分からん…。
他国者の登用に不満たらたらの、譜代の子弟に皮肉を言っているのだと思われます。

なおその後正光は小田原征伐、九戸一揆、関ヶ原、大坂の戦いに参加、書替奉行となった。
加賀美家は次々に加増を受け本家は500石、一族で1000石を越えた。
息子は大阪で先手弓頭として活躍、孫達は将軍の子弟の小姓などに取り立てられて行く中、
正光は寛永5年(または6年)に57歳で死んだ。幸せであったことだろう。

正行シリーズ終わり。

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:16:05.68 ID:tK7p5aY4
追加:

意外な人事となり、それはわしがブランドに弱いからだと思うかもしれないがそうではない。」

このようにして家康は、厚遇している新参・当参者たちの理由を列挙していったので、
彼らは大いに面目を施したという。

(加々見呈譜)




363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:22:08.15 ID:gXZKP/FC
家康が間違ってるとも思わないけど、
本人の戦功じゃなくて、親の戦功で特別に召しだしたんだったら
三河者たちが納得するとも思えないなあ

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:49:17.58 ID:rMrsSkIs
>>363
むしろ譜代としては、父祖の戦功を評価してくれないと
困るんだから、それで良いんじゃね?


365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:50:06.71 ID:afxWu2oK
天正十六年だと、三河者でも共に泥水すった世代はすでに引退していて、
親の武功で取り立てられた第二世代になっているとか?

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:51:34.03 ID:k1jYGRTe
武士の棟梁の重要な機能として、戦死した親の武功をきちんと認識し、その子を
親の武功に応じた待遇を取らせる、というものがあるので、武士社会においてこれは圧倒的美談だね。

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 01:00:25.68 ID:afxWu2oK
昔の敵であっても、源氏冠者であるワシはきちんと評価するんだからね!
圧倒的…………美談…………!!

源氏を名乗り始めたのは、ちょうどこの頃だっけ?

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 01:18:51.07 ID:k1jYGRTe
>>367
源氏自体は祖父の清康の段階で名乗ってる。
というか家康の安城松平はその祖である松平長親の段階で既に新田源氏を名乗っていた、
という説もある。

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 01:27:24.87 ID:UM/hR5J+
>>363
とはいえ、殿の見事さは正光の武功でそ。

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 03:35:30.93 ID:oYPii3Nq
家康と家来の話はいつも和む。

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 03:56:42.21 ID:tK7p5aY4
>>369
すみません。

>>誰かと(内藤に?)聞けば、あれは加賀美殿の息子でしょうと言うので然りと思った。

とあるので勘違いされたかと思いますが、加賀美殿の息子=正行 です。正光のことではないです。


原文を直訳して書いたのですが、分かりづらくてすみません。
たぶんこの時まだ正行は若くて、父親の方が有名だったのではないでしょうか。

武田滅亡時に正光は10歳くらい、正行は40前といったところです。
この逸話がいつの話なのか分かりませんが、長篠だとしても30ちょいですね。

このころには武勲も立てているはずですが、それでも父親のほうがイメージが強かったのでしょうか。

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 13:31:39.35 ID:YhSPlZgv
当時から武田好きは言われてたんだな。
本人が気にするくらい。


374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 18:00:33.92 ID:9nasp5MP
>>361

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. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ  ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'   お前それ三方ヶ原でも同じこと言えんの?
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、    
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戦働き以外でも割と活躍していた・加賀美正行

2012年01月05日 22:00

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 00:18:20.79 ID:57XaGzHK
戦働き以外でも割と活躍していた・加賀美正行(2)

しかし正行はただの脳味噌筋肉ではなく、行政能力もそれなりに高かったらしい。
父の跡を継ぎ、義理の兄弟である飯富昌景、武田正昌らに与力し文書も発給している。

そのような功績もあり、父の死後、念願叶って本領を回復し直臣に取り立てられた。
その後は北条家との取次役をを務めており、北条武田間の贈答・交易について、
梶原景宗と取り交わした文書が残る(前後は不明だが、子は梶原の娘を娶っている)。

さて、かつての仇敵の家の子ながら、この正行に感服した才気溢れる若い侍がいた。
(調べてみると二人は年齢が一回りほど違う。それが良かったのかも知れない。)

ある時この若者が、正行に相談した。
「私は常日頃の働きでも周りとうまくいかず、臆病者で戦でも人並みには働けないのです」

正行は考えた後、彼らしく簡潔に答えた。
「自分の働きは大したことではないと常に考えることだ。大体自分の受け持った仕事は
大変に思え、他人を侮ってしまいがちだ。特に一人仕事のときはそう思いなさい。
また楽だと思ってやれば楽になるものだし、楽な働きをしていると思えば自然謙虚になる。

戦も同じだ。そもそも命を賭けるのに勇気がいる戦というのは、懸命する必要のない戦だ。
恩賞目当てでなければ別に臆病でも良い。男子一心あれば、必要なとき身体は勝手に動く」

若者はやがて頭角を現し、信玄から次代の中心人物と目されるようになる。
その名は金丸惣蔵、後に「片手千人斬り」で武田の末期に花を添える、土屋昌恒である。

(加々美呈譜)


しかしwikiによると昌恒は13の初陣で父の仇の部下を討ち取っているという。
決して臆病ではないと思うのだが。がむしゃらの初陣以来、スランプに陥っていたのだろうか。
正行はそれを慰めようとしたのかもしれない。





274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 01:30:18.00 ID:lVAXxZtt

>>271
どこの系譜でもそうだが、後世名門で高禄なほど完全超人に近づくんだよなwww
かがみんならまだしも、大老を出した土屋さんの「十三の初陣で敵討ち」がどこまで本当か・・・・。

275 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/05(木) 02:13:59.78 ID:fCq9P/8C
>>274
偉くなるほど箔付けをしたがるものだけど
仮に本当だった場合、そんな話が掃いて捨てるほど武田家は猛者揃いだったのかもしれないw

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 03:51:06.43 ID:ymtgiK8i
>>274,275
土屋昌恒の初陣の逸話は、別に後世に子孫によって先祖顕彰のために作られたわけじゃなくて、
たしか甲陽軍鑑に載ってる話で、
元今川水軍の岡部貞綱が昌恒を養子に迎える切っ掛けになる話
(駿河侵攻の際、昌恒が初陣で今川家臣だった岡部一族の家来の首級を上げた。
貞綱が武田家に降って信玄から土屋姓を与えられた後、初陣での昌恒の戦いぶりを覚えていて、
その武勇に惚れ込んで強く希望して昌恒を跡継ぎとして養子に迎えたってな感じの話だったはず)
だから、
甲陽軍鑑の信憑性を疑うっていうなら、まぁ別に異論はないけど、
子孫が箔づけに話を盛ったんじゃないかっていう突っ込みは的外れだと思う。

あと、土屋昌恒の天目山での戦いっぷりに関しては、甲乱記や武田三代記だけでなく、
信長公記でも褒め称えられているほどだから
(土屋昌恒は、弓を取り、矢をつがえては放ち、つがえては放ち、矢数が尽きるまで射尽くして
屈強の武士を多数射倒した末、勝頼の後を追って切腹した。高名を後代に伝える、比類なき働きであった。)
昌恒が当時甲斐によくいた猛者の一人だったってことは、間違いないと思われ。

土屋家が後に引き立てられたのは、孫の数直が家光とアレな関係になったってのも大きいけど、
もともとのきっかけは、昌恒の忠節と武勇が当時有名で、その七光りに子の忠直が与ったっていうのが素直な見方で、
子孫が出世したから昌恒の経歴が派手になったわけじゃないと思うよ。

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 09:11:47.87 ID:Vo6zjDew
確かに親の七光りだったろうな 家康が昌恒の忠勇を知ってその子供を探し出して秀忠の小姓にしたそうだし

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 13:09:24.89 ID:lVAXxZtt
>>276
そうなのか。浅学失礼した、ご教授ありがとう。
そうするとこの逸話も、本当に初陣以降のスランプを慰めた話なのかもしれないね。

臆病と思っていても、見事に体は動いたんだな・・・・。

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 13:50:01.22 ID:YwwRjh6Y
>>277
高柳光寿先生もそんなこと書いてたな。

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 15:41:32.78 ID:ymtgiK8i
>>278
土屋昌恒って人は、色んな逸話から知る限り
幼い時から英明で知られ
武勇については上で述べたとおり、修羅の国甲斐でも名が高く、
忠義についても、天目山だけでなく、長篠の戦から敗走するときも
初鹿野伝右衛門とともにただ二人勝頼の傍から離れず警護していて、
加えて、内政官としても、跡部勝資には及ばないものの、
10代のころから奏者として働き、結構な数の朱印状の発給している有能っぷり、
更に分をわきまえた性格良しっていう、
リアル完璧超人で、
武田家があと10年生き延びていたら、
東のミスターパーフェクトと呼ばれていてもおかしくない逸材なんだけど、
今一知名度が低いのが泣ける。

>>271の逸話も、昌恒の経歴を知ってから読むと、
実際にスランプだったってよりは、兄の土屋昌続と義父の土屋貞綱が共に長篠の戦で討死したせいで、
わずか19歳(数えで20歳)で、兄の土屋家と義父の土屋家を両方継ぐことになり、
かつ重臣総討死状態の武田家を若年の身で支えなくてはいけない立場になって、
武田家を守るべく、早く実力をつけるために
どんなことでもいいから先輩から学びたいっていう向上心の表れにしか見えなかったり。

甲斐のクリーチャー・加賀美正行(1)

2012年01月02日 22:01

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/01(日) 20:12:44.15 ID:0Ztm13qz
甲斐のクリーチャー・加賀美正行(1)

信玄に仕えた加賀美正行は、長身だが痩躯、頼りない態度で何かと侮られることが多かった。
しかしモヤシっぽい見た目、堂々とはほど遠い雰囲気によらず、この正行、実はクリーチャーであった。

正行は幼いころから甲府に致仕していたが、そこで他の少年たちから執拗ないじめを受けた。
ある時ついに逆上し、額を割り、首をねじ切って残らず殺してしまった。
相手は権門の家の子たちだったので、正行の父は驚いて、我が子を遠国の寺に入れてしまった。

ようやく甲斐に戻り、信玄の前で神垣(おそらく現在の武田八幡)に騎射を奉り、それが
見事であったのでついに許された。
初陣では敵中にあって縦横に馬を馳せ、五つの兜首を取り、以後敵から夜叉次郎と恐れられた。

例えば、正行の弭槍(弓の上に刃を立て、緊急時に槍代わりにする補助武器)は非常に強く、
本物の槍を持参する必要が無かった(それほどの強弓を使っていた)。

また、祖先の加賀美遠光が建てた寺である加賀美山法善寺で、あるとき大鐘を移動するために
転がしていたところ、(坂かくぼみか何かで)いくら押しても動かなくなってしまった。
そこへ正行が押す(のに加わる?)と、鐘は難なく転がったという。

(加々美呈譜)

なおwikiによると……
『重要文化財 山梨県指定文化財 鐘楼・銅鐘……(略)
法善寺所蔵の銅鐘は、総高147.7cm、鐘身高111.3cm、口径89.1cm、撞座(つきざ)高12.0cm、
梵字外縁円径19.3cmの中世鐘で、県内では塩山向嶽寺鐘と並ぶ巨鐘である。…(略)…
鐘身には疵が多く、何らかの事情で他所から移されたものであると考えられている。』

http://www.kagamisan.com/bunkazai/kenchiku

こんなもん、ヒト一人加わったところで転がり出すようなもんじゃないだろう……。





219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/01(日) 20:25:20.25 ID:wsfEYtf/
センゴクも道成寺の鐘を京都に

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/02(月) 00:29:50.25 ID:LKkpUcvV
鮭さまとか建築家のギリワンさんならいけそうな気がするw

229 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/02(月) 16:36:34.13 ID:3yhI/wiu
>>218
なんという逸材

たしか先祖の加賀美武光は犬に噛み殺されたんだっけ
そのときの教訓を生かしてその場で皆殺しw

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 21:04:18.81 ID:Lj0g3tcV
>>229
武光の孫だね。