南部但馬守信長 都会生活を満喫する

2012年01月07日 22:04

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 00:33:42.45 ID:QngnlNrT

ちなみに伊達は鷹を送るくらいの親善はしていた…けど潰されるよなぁどのみち
南部くらいの僻地だと服従で済むかもしれんが



329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 15:41:37.14 ID:zS9x57hy
>>320
南部と信長でふと思い出したんで投稿してみる。

南部但馬守信長 都会生活を満喫する

南部家から上洛した南部但馬守信長は、国元の七戸氏に書状を出した。

『今春の慶び、言い古されてはいますが、慶び終わることがありません。
去年は遠路にもかかわらず、鷲の尾を十尾も送っていただいて、ご懇切の段、お礼申し上げます。
当年は国元に下向するつもりでしたが、信虎(武田信虎か)に色々ととどまるよう言われちゃって
やむを得ないこともあり、(逗留を)引き延ばすこととなりました。来年は早々に下国するつもりです。

昨年は禁裏様(天皇・正親町天皇か)の前に置いて能が催された際に召し出されちゃいました!
また今月の五日には上意様(将軍・足利義輝か)のところで能の笛を吹かせていただきました。
上意様には特に懇ろにお言葉を掛けていただき、生前の思い出になりました、もうなにも言うことありません!
くわしくはかならず、助五郎から話があると思います。

追って申し上げますが、お届けした一枚起請文は梶井殿様の直筆のものなので、秘蔵されるなら本望です。
また、そちらに留め置いている足弱達を扶助していただいていること、祝着至極です。
来年は下国し、お目にかかりましょう。

南部但馬守
  信長(花押)
四月十日
南部七戸殿』

ちょっと微笑ましい、笛の名手の南部但馬守信長さんのお手紙。
この書状、いまだに年代比定が定まってない(文明19年説・永正15年説・永禄6~7年説等)のですが
個人的には、言継卿記の永禄12年の条に、『南部但馬守が知行のことについて話しに来たので
、織田信長の奏者に引き合わせる』
という記事があるので、もしかしたら二人の信長が対面したこともあったかも、ということで
永禄説を(勝手に)推してますw




スポンサーサイト