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大関盛憲という人物がいた

2022年05月16日 18:09

186 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/05/15(日) 18:59:32.65 ID:Davxrel8
越後の大関城主に大関盛憲という人物がいた。

盛憲が青年の頃、深夜荒れ野を歩いていたところ、火葬場の荼毘の中からものを拾っては口に入れている女がいた。
髪を振り乱し、歯は黒く、鬼女かと思った盛憲が近寄ろうとしたところ、女は突然逃げ出した。
女を捕まえた盛憲が「なぜ人骨を食べるのか!」と尋ねたところ、女は「けして怪しいものではありません。荼毘の火で鉄奨(お歯黒)を温めると剥げなくなると聞いてこうしているのです」と火中からお歯黒を入れた小壺を取り出してみせた。
盛憲はその豪胆さに感じて、女を妻とした。

そして二人の間に生まれた息子を弥七と名付けた。
後の水原壱岐守親憲である。


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杉原常陸介を此の方に給われ

2021年12月23日 16:38

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/23(木) 14:41:39.94 ID:dDjxcVds
別記に、上杉家家臣の杉原常陸介(水原親憲)は武功の者であった。

上杉景勝卿がある年、江戸より米沢へ帰城された時、常陸介を始めその他大身の輩が皆迎えに出た。
景勝卿はそれぞれに詞をかけ、常陸介の居た所を二、三十間過ぎた時、常陸介が忽ちに頓死した。
(意識不明になったということだろう)
人々は薬を与えて呼び返したがその甲斐もなく。景勝卿も早く帰って保養するよう下知したのだが、
遂に死んだ。

この知らせに景勝卿は涙を流し
「前夜の夢の中に、不識院殿(上杉謙信)が枕にお立ちに成り、『杉原常陸介を此の方に給われ。』と
宣われた。夢覚めて近習の者達に此の事を語り聞かせ、常陸が死すべき兆を夢に見たと言ったのだが、
その如く只今相果ててしまった。」
と、甚だ惜しまれたという。

新東鑑



こんな道の付け方が

2017年08月14日 16:44

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/13(日) 23:30:22.10 ID:xXH2oUX+
大阪の陣において、堀尾山城守(忠晴)の寄せ口の備えを、上杉景勝の家臣である杉原常陸介(水原親憲)が
見て

「堀尾の備えは後ろから崩れるだろう。裏崩れというやつだ。」

そう言ったが、果たしで後ろのほうが騒ぎ立てた。
これは、杉原が堀尾の備えにおいて、馬を近くに引き付けていたのを見て、もし馬に鉄砲が当たれば
馬は必ず跳ね合う事から、これで騒ぎが広がり裏崩れに成る、と見て摂ったのである。

その後、堀尾の持ち口を上杉景勝に渡して陣替えをするように、との将軍からの命があった。
この時、景勝方より軍使を以て、堀尾方に「道を作って陣地を渡すように」との申し入れがあった。
これによって堀尾方は道を作って陣地を明け渡したが、景勝の軍勢はこれを見て罵倒した

「上方衆は、弓矢の事に巧無き者達だ!こんな道の付け方があるものか!」

そう声高に言い放ったが、堀尾の衆にこれについて返答をするものは居なかった。
これは、堀尾の者たちは通常のように、往来しやすいよう道を作ったのであるが、
景勝方の人々にとってこの場合の道とは、敵の攻撃から身を守り、負傷者が出ないように
作られるもの、だったからである。

(士談)



42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/14(月) 01:04:03.19 ID:vlaYX3eR
家康も嘆いていたけど、たった15年戦がなかっただけで
その辺のノウハウはボロボロになるもんなんだなぁ…

44 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/08/14(月) 21:02:50.32 ID:TDVqvO2W
>>41
我ら上方の者に取って織田家に仕えし頃より道は攻め、武功を挙げるために造る物でござる。
謙信公の頃より武門の誉れ高き上杉家において道は敵やその矢弾より身を守り命を惜しむ為に造る物であったとは知りませなんだ。
此度は越後の軍法を学ぶ良い勉強になり申した。子々孫々までこの軍法の違いを伝え奉らん。


位言い返せる古参の兵は居らんかったのかね…

杉原親憲の大阪冬の陣

2013年04月09日 19:51

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 06:15:13.50 ID:XyZ8bU0F
大阪冬の陣により、幕府は諸大名に出陣を命ず。
時に米沢の上杉景勝家臣・杉原(水原)常陸介親憲は大変悩んでいた。

「私には先祖伝来の鎧一領しか無く、これは数度の合戦に着古した物の具である。
国元の坪軍(小さな合戦)であればこれで構わないのだが、今度、両御所様は二条伏見に
御在城であり、京に着到した軍兵は皆、野路、篠原、石部、坂本より華麗な物の具を着けて
入京する、との風聞である。はげた鎧では見苦しい。どうするべきか…。」

これを同僚たちに相談すると、

「我々は、一手の物頭でさえ替えの鎧を持っておらぬ。田舎であるから、鎧を借りると言うことも
出来ない。常陸介殿は機転のある人だから、何とか上手く考えてほしい。」

そこで親憲は、猿楽の能装束の法被を具足の上に着て、摂津まで罷り立った。

さて、大御所様(家康)は親憲の姿をご覧になり

「上杉はさすが古い家だ、常陸介の武具立見事である。
古風にも紺地に綿の鎧直垂を着ている。皆々、後学のためあれを良く見ておけ。」

と言われ、天下の話題になったのも不思議なことだ。

さて、親憲はこの戦いで感状を拝領したが、それを頂いて帰る時
「しかし思いもよらない物を貰ってしまった。今回の摂州御陣は子供が喧嘩して礫を投げ合うのと
同じようなものであり、互いに恐ろしい事など何もない。

昔、関東北国において、今死ぬか、明日死ぬかと思うほど激しい合戦に、朝も晩も戦っていた時には
御感状頂いたことは無かったのに、今回のような礫の打ち合いのような戦で、公方様(秀忠)からの
御感状を取ってしまったわ!」

そう、大笑いしたそうである。
(北越太平記)




5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 08:03:49.03 ID:LEAfepJf
豊臣冬の大感謝祭☆感状大量発行中!

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 08:47:10.51 ID:W0KcGvTL
上杉ってどこ方面担当だったの?楽しすぎ

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 09:48:05.98 ID:BTECQ8AV
>>6
なにが楽しすぎる?
一行目から二行目への飛躍がわからんw

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 10:00:18.53 ID:nCkaafnu
なにが楽してたんだって、そりゃ上杉だろ

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 10:10:44.55 ID:A2R2u8oJ
たのしすぎうえすぎ

10 名前:7[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 12:29:08.20 ID:BTECQ8AV
たのしすぎとだけよんだ
なぜらくがあたまのなかからきえていたのかはわからない

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 16:54:01.93 ID:9GVZM0Xd
今福・鴫野で佐竹の救援とかやってるけど楽か?

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 17:52:55.58 ID:VpFQyUjs
>>11
救援されるほうならともかく、するほうなら比較的楽じゃない?

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 19:15:33.38 ID:6IQdFSk7
前半の話(水原常陸の錦の直垂)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3402.html
後半の話に似たの(そんな恐い景勝の大坂の陣エピ)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3840.html
後半は景勝の話だから上杉の将兵みんな子供の喧嘩程度としか思ってなかったのかもしれない

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 20:27:04.43 ID:Nf2lKSWt
ある程度楽ではあるけれど、経験の薄い武将が多くなってくる時代においては重要な役回りじゃないかな

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 10:49:44.94 ID:B/tnBpqF
その割には、ぷっwwwなんなのあの格好わwwwって家康に爆笑されてたよな

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 11:07:06.24 ID:AUX/BoND
前半は当世具足の普及が高くなってて「伝統あるレトロな鎧もありやね」みたいな感じなんかね?

水原親憲の最期

2012年01月12日 21:59

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 14:07:41.37 ID:4oG6Zm3+
上杉家家臣水原常陸介親憲は鴨居に頭をぶつけるほどの長身で
顔は馬のように長く大きく、更にその顔にはほくろが無数にあるという異相だった
また豪胆でかつ芸もよくする風流人であり、
その異相の顔におしろいと紅を塗りたくって頭に真っ赤な頭巾を巻いて女装し
ほうきを持って踊るという宴会芸の持ち主で、この芸には流石の景勝も微笑み気に入っていたという。
水原は武勇の士らしく平時戦時に拘らず
いつも兵糧代わりに味付けされた餅を懐に入れていた。

彼は謙信に従って川中島の戦いにも出て武功を立てたという老兵であり、
大坂の陣に出陣したころにはもう既に70歳。
その後景勝が米沢へと帰還してくる際、上杉家家中は全員城の前に居並び
主君の帰還を出迎えることとなっていたのだが、その中に当然水原の姿もあった。
家中の者たちが老年のこの武者を「年寄りが無茶をする」とからかうも笑って取り合わず
主君の帰りを平伏して待った。
米沢城へと帰還する景勝の行列が家臣一同の出迎えを通り過ぎる中
ふと景勝は水原の姿に目を留め、彼の前で輿を止めさせた。

「常陸、変わりないか」

景勝から声がかかるも、水原は一向に顔をあげず平伏した姿のまま動かない。
周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い
彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。
これが水原親憲の最期の姿であったという。


米沢土産のおもちの由来だったり。
いつもと変わらない姿で主君の前で死んだって所が忠義の士らしくて
好きな話なんだがちょっとうろ覚えなんで細部が違うかもしれん




395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 18:15:10.02 ID:Qzo3384e
一回しか笑ったことのない景勝を毎度微笑ませるなんて
と変なところに感心してしまった

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 18:48:25.06 ID:xt21/gtT

懐に入れてるだけで死んでしまうなんて!!

餅はやっぱり危険な食べ物なんだ!!!!

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 19:24:41.29 ID:7BaT/NPB
>>394
>周囲の者たちは、水原も老齢であるからさては待っている間に寝たのかと思い彼の体を揺すって起こそうとすると、彼の懐から兵糧代わりの餅が転げ落ちた。

「おい、爺さん寝たのかよ」

ユサユサ

ゴロン

「死、死んでる」

なんかコナンにありそうな展開だなw

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 19:30:45.39 ID:+3S3rTJT
>>394
なんとも、日本が作る時代物の映画の終わり方みたいだな。
血気盛んな若者の話も好きだが、老いてからの島津義弘とか
こういう老齢の士の話も好きだ

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 19:34:04.34 ID:gBFBYdhA
微笑みは上杉家中では笑いのうちに入らないのか

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 20:25:33.75 ID:3Sj/wWjg
>>397
コナンと言われて、シュワルツェネッガーが最初に頭に浮かび、次に未来少年が頭に浮かび

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 20:27:17.65 ID:LLNJLeD+
>>394
熊井ちゃんは鴨井ちゃんと呼ばれる

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 20:27:54.34 ID:LLNJLeD+
>>394
熊井ちゃんは鴨井ちゃんと呼ばれるようになったと言うのに・・・

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/12(木) 21:20:48.78 ID:MDNpxjbR
>>394
こんな格好した、鴨居に頭ぶけるようなオッサンが居たら笑うしかないな

http://webgalerie.chez-swan.net/galleries/Films_d_animation/Kiki_la_petite_sorciere/Kiki_la_petite_sorciere_01.jpg

404 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/12(木) 22:25:15.86 ID:Tx1ux6yL
>その異相の顔におしろいと紅を塗りたくって頭に真っ赤な頭巾を巻いて女装しほうきを持って踊るという宴会芸の持ち主で

これには景勝公も苦笑い

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 10:03:34.94 ID:Y7hHO2Km
>>394
水原は兼続や慶次郎などよりも
落日の上杉家に清涼感を与えてくれた気がする

もっと顕彰されないだろうか