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木下勝俊と春日局

2022年05月23日 17:21

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/05/22(日) 23:42:55.82 ID:N8u6mvGT
槐記享保十三年七月十二日の記事より 木下勝俊春日局

長嘯子は歴々の者と見える。中井常覚の話に。
昔、春日局が上洛したおりに、板倉周防守がお誘いして祇園の清水へ参ったが、当時私(常覚)は十三歳でお供仕ったが、瀧の下の腰掛けに一同腰掛けて瀧を賞翫していたところ、その瀧で足を洗っていた熊野比丘尼が春日局を見て、「実に久しいことお目にかかっておりませんでしたが、お上がりなさるよしを承りまして、つい今しがた熊野から参ったところで、未だ御挨拶申し上げませんでした」と申せば、
「この尼の申す通りです。故あって懇意にしているのですが、京の建仁寺のあたりに住居しているとのよし、周防守様も常々お目にかけて下さいませ。この者と会ってふと思い出しましたが、長嘯様のいらっしゃる霊山はこの近くにございますので、参りてお会いしたく存じます」と、私を連れてそちらに向かわれた。周防守は、今日は東本願寺の門主が主人になって祇園林で宴席を張って待っているとのことなので、一足先ににそちらに向かわれた。
さて、長嘯子のところへ参ると、長嘯は紙子の軽装で気軽に縁側に出て、「よくこそいらっしゃった。二階の方が景色が良いから上がり給え。茶の一杯も振る舞うべきだが、あなたのお持ちの茶の方が上等でしょう」と言った。茶弁当なども二階へ上げて主客ともに楽しまれたが、周防守から「東本願寺の門主がお待ちかねです。早くお出で下さい」と幾度も使いが参ったので、立ち帰られた。彼の春日局に対する態度はまるで主人であるかのようだった。
さて、祇園へ参ると、林一面に畳を敷いて杉折の提重おびただしく、饗応の限りを尽くされたこと言語に絶していた。こう常覚が申し上げると、家煕様も、そのような話を聞いたことがあると仰られた。



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松永貞徳、友人の木下長嘯子を訪ねて

2016年08月28日 13:30

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/28(日) 11:05:37.50 ID:LyHxlujO
松永貞徳、友人の木下長嘯子を訪ねて

松永貞徳と木下長嘯子は、細川幽斎の高弟同士であり親交があった。

ある日、貞徳は長嘯子を訪ね、ちまき五把に歌を添えて渡した。
「近き山 紛はぬ住まひ 聞きながら こととひもせず 春ぞ過ごせる」
(近き山の紛れぬ住まいを聞きながら訪ねないまま春が過ぎようとしています)

「千代経とも またなほ飽かで 聞きたきは これや初音や 初ほととぎす」
(千代経てもまたなお飽きずに聞きたいのはこのほととぎすの初音です)
と、長嘯子も返歌し喜んだ。

――『挙白集』

この二句は沓冠折句になっており、五七五七七各句の頭の文字を読んだあと末尾の文字を読むと
貞徳「ちまき五把 まいらする」長嘯子「ちまき五把 もてはやす」という語句が浮かび上がる。
歌人らしい技巧を凝らしたやり取りであった。



ラスボスが出した書状に

2014年09月07日 18:59

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/07(日) 00:34:49.85 ID:2Oaj9lMo
明の使者に罵詈雑言を吐かない事を家臣に申し伝えるよう
ラスボスが出した書状がトーハクにあったけど
徳川、前田、蒲生などの大大名に並んで木下勝俊の名前があったのに
驚いた

http://i.imgur.com/jPe60KQ.jpg
勝俊

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/07(日) 00:41:06.83 ID:jTF9m9zr
侍従&一門衆としての列挙なんでね?


157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/07(日) 12:39:47.98 ID:27UEwbW9
>>152
テルとか宇喜田、小早川は国元に帰ってたんですよね...多分...

木下勝俊歌を詠む・悪い話

2009年02月17日 00:38

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 11:05:38 ID:IDX7tmEU
伏見城からまさかの敵前逃亡をやり
妻から三行半歌をもらった事で有名な木下勝俊。
(木下勝俊の妻・悪い話)
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-355.html
     
ある日の事、叔父さんでもある太閤殿下秀吉より
花に関する歌を作ってみろと言われた
よっしゃと奮起した勝俊、一晩で何と五十首も作ってしまった。
それだけでも尋常ではないが
しかもその中の一つにこんな歌があった。

月の比夜はすがらにわぎも子が手枕かれて花をみるかな
(月がキレイな頃は妻の手枕から離れて夜通しで花を眺めるんだよなぁ)

花>妻だろと言い切ったこの歌を読むと
三行半も当然と納得できる、勝俊のちょっと悪い話。




79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 11:56:39 ID:6ATR2qsf
木下勝俊といえば最近こいつが天下人になってしまう仮想戦記なんてのもあったが…

ところでこいつ幽斎の縁続きって説もあったんだな
なんとなく雰囲気的には納得しやすい気もするが
http://www4.ocn.ne.jp/~kouyouan/kinosita-no-nazo.htm

木下勝俊の妻・悪い話

2008年10月24日 00:00

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 22:41:13 ID:2+5A9/D8
関ヶ原の折、伏見城から逃れ、改易を受けたが、歌人として今も名を残すこととなった、
木下長嘯子こと、木下勝俊。
彼は武将よりも、文化人としての生活のほうが性に合っていたのだろう。

伏見から退去してきた勝俊に、その妻、うめが、このような歌を送ってきた。

「命やはうき名にかへて何やらん まみへぬためにおくるきりかみ」
世間の評判を捨てて命を永らえるとは何事ですか。あなたに会いたくないので髪を切りました。


そう、勝俊が城を落ちた事を知ったうめは、憤りのあまり彼を見限り、さっさと髪を切って尼になり、
実家に帰ってしまったのだ。
彼女には武士たる者が、篭城に参加もせずにのこのこと逃げてくるような惰弱な行為は
全く理解できなかった。

戦国は女性も、好戦的でパワフルなのだ。



957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 22:58:23 ID:OG/q/PKl
>>956
大河化 さ れ な い こと決定(w

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 21:48:41 ID:8VZkefsG

このうめって・・・鬼武蔵の妹で蘭丸の姉だよね
そりゃパワフルなはずだよ
別の妹は信忠の側室だっけ?

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 21:54:47 ID:JWHCzYVR
>>211
いや、全然パワフルじゃないな。
森家の人間なら、帰宅⇒即殺害のコンボがくるはず。
つまりこの人はおしとやかと言っていいレベル。

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 22:11:53 ID:43WKKX+5
この時代に夫に三行半突きつけるってなかなか出来ないよな
何で清和源氏の血筋の私がこんなとこに嫁にこなきゃなんねーの的な不満がくすぶってたと見た