お安の方の生涯

2012年02月07日 21:53

妙安尼   
16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/07(火) 16:52:03.18 ID:AaiOcSAR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1008.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3909.html
このあたりで出ている人だが、お安、後に秀の前と呼ばれる女性についてまとめてみたいと思う。

お安は龍造寺胤栄の娘であり、後に龍造寺隆信の養女である。
父の胤栄は水ヶ江龍造寺家当主だったが、病死してしまう。
胤栄の妻は隆信に再嫁し龍造寺家を統合することとなったが、彼女は前の夫を忘れず隆信と不仲であった。
これを憂えた家老小河信安がまだ幼い娘に刃を押し当て、未亡人を諭したのは既に語られているところだが、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3909.html
その娘こそ、まさしくこのお安なのである。

お安は美しく成長し、蓮池城城主の小田鎮光のもとに嫁ぐことになる。
この鎮光の父小田政光は、龍造寺隆信によって見殺しにされて戦死しており、
蓮池城は龍造寺隆信によって占拠、鎮光は筑後に落ち延びたという過去を持っていた。
隆信はそんな鎮光を要衝蓮池城にはおいておけないと考えたのか、
蓮池城を弟長信に渡し、鎮光はお安と共に多久の梶峰城へと移ることとなってしまった。
父祖伝来の地を失った鎮光はこれを恨み、大友宗麟が龍造寺家を包囲したときはそれに呼応して
龍造寺家を攻めた。
しかし大友の龍造寺包囲網は瓦解、鎮光はお安を隆信のもとへと戻し自身は筑後へと落ち延びていった。
隆信はお安を使い、鎮光宛てに書状を出させた、改めて詫びるのであれば裏切りを許してやるというのである。
義父の言葉を信じ佐嘉にやってきた鎮光は、そこで隆信により皆殺しにあってしまう。
お安は隆信に謀略の道具として使われたのであった。

鎮光の死後、お安は自害しようとしたが果たせず、次は松浦党の波多氏へ嫁ぐこととなった。
この時からお安は秀の前と呼ばれるようになったという。
秀の前が嫁いだ波多鎮は子がおらず、隆信の孫を養子に受け入れることになった。
さらに九州征伐の折には遅参を豊臣秀吉に咎められ、鍋島直茂のとりなしにより改易を逃れ、
以降龍造寺家に従属することとなった。
波多鎮は朝鮮出兵のときも遅参や軍令違反を犯し、秀吉の不興を買ってしまったという。
一方で秀の前もその美貌からか秀吉に目を付けられていた。
秀吉から、名護屋城へ出向くように使者が送られ、やむなく秀の前は名護屋城へと赴いた。
秀の前は秀吉に対して不服従の意思を示す為に、わざと懐剣を落として見せたというが、
それが災いして大いに秀吉の不興を買ってしまった。
これらにより波多氏は取り潰し、鎮は常陸へと流されることとなった。
秀の前は佐嘉へと戻り、妙安尼と名乗って仏道に入った。
その後寛永元年(1624)まで生き、79歳で生涯を終えたという。


生涯翻弄され続けた武家の女のちょっと悪い話
ところでまとめブログは龍造寺隆信のところにある小河信安の話とかは本人のところに移した方がいいと思うんだ

※直しておきましたー




17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/07(火) 20:08:35.34 ID:WsVDhmBh
秀吉から見たら脅す気かこやつ、になるからそりゃ不興買うわな

権力者の我侭への意思表示は難しいとは言え
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