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大石良定の事

2012年03月17日 22:37

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 20:54:12.82 ID:YTm1BlJQ
山口玄蕃允正弘(宗永)の家臣・大石平左衛門良定は生涯武功が多く、傷を得ること数々で大きな傷も数箇所にある、そんな武人だった。

彼は「高麗両度ノ役」にも従軍し、ひたすらに武勇に励んだのだが、主君である正弘が誉れ無きために、
せっかくの武功もまったく無意味なものになってしまった。

「やってられるか!!」
帰朝の後、良定は病と称して故郷・近江国大石に退いてしまった。
山口正弘は加賀大聖寺城主に取り立てられた際に再び良定を招こうとしたが、彼がこれに応ずることはなかった。

良定は「高麗」で3人の童女を捕らえて連れ帰り、幾以、津留と名付けていた。残り一人の名は詳らかではない。
彼女らはとても凡下の者のようには見えず、耳に穴が有ったという。

3人のうち津留は、良定の甥で、真壁(赤穂)浅野家の家老となった大石内蔵助良勝の若党・与右衛門の妻となり、
良勝の子・良秀の乳母となっている。
(大石家系図正纂)

この時代の価値観では山口正弘が悪い話かな。
関が原のことを考えれば良定はラッキー&好判断!




336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/17(土) 02:22:17.13 ID:6iSXT3Vw
>>335
>耳に穴があった
東洋におけるピアスの初見である。


337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/17(土) 02:23:29.73 ID:oras4JSN
普通、耳に穴はあんだろ
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