106 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 01:22:25 ID:8N2Vo0En
関ヶ原合戦の後、捕縛された三成に対し、家康の命により、本多正純がこれを尋問した。
「冶部殿にお尋ね申す。
今、秀頼公はまだ御幼少であり、大老、奉行相計って、天下静謐になるようにと
心を砕かれるべきであるのに、かえってこのような戦乱を起こし、ただ一度の決戦で
その全てを失った事、これはまるで、愚者の立てた計画のようです。
一体この乱の張本人は誰で、どういう御思慮で挙兵されたのでしょうか?」
これに三成
「その方は陪臣である。
井の中の蛙が大海を知らないように、しょせん陪臣でしかないお主に、天下の安否を
計る事など、出来ようはずも無い。
まあ、今回の企ての全てを、わし一人に詳細に説明しろといわれてもそれは無理だ。が、
大老である宇喜田秀家、上杉景勝、毛利輝元から、奉行の前田玄以、増田長盛、
長束正家に至るまで、お主が言うように、波風は立てたくないと、最初は皆、わしの企てに
賛同はしなかった。
それを一人づつ説得し、この乱を起こした事。これはお主が究明するまでもなく、
このわし一人が行った事である。張本人は、私だ。
この上は、他の人々の罪は軽くし、わしの首を刎ねるようにと、内府に申し伝えよ。
…が、このように言ってしまえば、まるで戦略も無く大事を企てたように思われるかもしれないが、
あの合戦の時我らは、裏切りや、動かない者たちがいたがために、勝つ事ができなかったのだ。
当初からの計画通りにみなが動いていれば、敗北していたのは、おぬし達の方だ。
しかし、そうはならずに、今わしは囚人の身となり、おぬし達の手に渡ってしまった。
これでは、浅ましく負けたものだと批判を受けるのもしょうがないだろう。
が、裏切りがあって壊乱するまで、宇喜田秀家を始め、大谷刑部、島津義弘、
そして我等は陣列を乱すことなく敵と堂々と渡り合った。決して不覚の負けを取ったわけではない。
この上にわれらを口汚く罵る輩があれば、こう言ってやるだけだ、
我心において、恥ずる所、無し。」
107 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 01:23:30 ID:8N2Vo0En
しかし正純、これに納得しない
「貴方の御弁舌は承りました。が、いささか疑問があります。
おおよそ智将と呼ばれる人は、人々の人情、機微を察するものであると聞いています。
あてつけに聞こえるかもしれませんが、我が内府は、鳥居、内藤の注進を聞いて、小山より
引き返し、直ちに西上すべきであったのに、それをせず出陣を遅らせたのは、
衆情をうかがい知る為でありました。
貴方は諸将の心も計らず、軽卒に出陣なされた。そのために、ついに裏切りにあったのでは
ないですか?
なのに今になって、『返り忠の輩が居なければ勝っていた』などといわれるのは
心得かねます。
それに、秀家卿から貴方、長束殿にいたるまで、美濃にご出馬あった日から、討死の
御覚悟があるべきなのに、実際には大谷殿を捨て殺しにしただけで皆逃げ出し、
その上ここに生け捕りになっています。
これも貴方の、戦略だと言うのですか?」
この時、三成打ち笑った
「実に、おぬしの言うとおりだ。諸将の心を知ることが出来なかったために、
裏切りにあってしまった。これについて今更、言うべき事も無い。
ただし、大谷を敵に討たせて、我々が逃げたのは不覚であるように言うのは、
お主の小さな頭で考えた、勝手な理屈と言うものだ。
大谷は多年の病で、先はもう長くなかった。そのため死を急いだのだ。
わしや秀家が逃げたのは、時節を待つ為であった。
その後、田中吉政の家来がわしの隠れ家にやって来た時、これを刺し殺して
自害するのは容易い事だった。が、わしは関ヶ原の合戦以後、他の人々の
動向を知ることが出来なかった。それを知り、泉下の太閤にその事を語り聞かせるため、
こうやって生きながらえたのさ。
さて、もうこれ以上、そなたに話す事は無い。口を利くのは、ここまでだ。」
その後は、一切口を開かなかった。そして正純も席を立ち、下がっていった、とのことである。
108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 01:46:13 ID:Vl8HtrZQ
なんか時々思うんだが三成ってちょっと自意識過剰なところあるよなあ
基本的に若くして才能認められてエリート街道走ってきた男だから仕方ないかもしれないが
109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 09:05:03 ID:L1kd5e4k
それこそ語って聞かせることでも無いよな。
自分がわかっていればいいことだ。
110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 09:06:09 ID:fkB8NRS8
どちらも中世の人としては
異様に理屈がうまいな。
111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 09:34:11 ID:h5onptcL
理屈っぽい上自分が正しいと信じてるから分かりの悪い他者への説明が足りなくなりがちなとこまでそっくり。
112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 09:36:03 ID:NYO+xIQd
正純はなんか藪つっついて蛇出しちゃっているような気がするがw
>一体この乱の張本人は誰で、どういう御思慮で挙兵されたのでしょうか?
これを訊くことが仕事なのに「オメー戦起こして全部失っちゃったねw」なんて前置きするから
113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 14:13:51 ID:T2SKtnBz
>>112
「こんな愚かな計画を貴方が企てるわけはない」という意味で放った言葉に対し、
正純の性格に合わせて理屈で挑発して論争に持ちかけたとしたらすごいな。
そして真実は闇の中に。
114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 16:50:48 ID:qBqAneTO
正信が凄く残念な表情で二人を見ています。
119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 23:53:11 ID:80svrzi+
>>106,107,112
そうですね、正純、尋問者としては稚拙ですね。
三成を、お疲れ様とか、惜しかったですね、といたわるべきです。
持ち上げといて、謀議の全貌を吐かせる。
後年、井上筑後守政重、切支丹転向、転ばせ屋で名をあげましたが、
最初は相手をいたわりソフトムード、好々爺然としていたことは有名。
126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/12(木) 04:02:03 ID:ERazUBDd
>>108
豊家を自分が支えなきゃ、って覚悟があったのはいいが、ちと気負いすぎたかな。
いち奉行、それも元奉行に過ぎない立場からよくあれだけの連合軍を仕立て上げたんだが…
132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/12(木) 20:03:05 ID:dE7P+ki9
>>111
前に出てた三成が本職の奉行より速く城のほころびてるところを秀吉に報告して
周囲が迷惑したって言う逸話は本多正信が正純にした話で
話した後に「ああいう空気が読めない男にはなるな」と諭したという話を思い出した
で、正純がどうなったかというと・・・・
石田三成の勤勉・いい話
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