西野隆元の最期

2012年05月05日 21:00

23 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/05(土) 18:37:13.46 ID:k5l/dyur
島津家に西野隆元という侍がいた。
島津家では名の知れた武辺者で前後朝鮮の役では大将首6つ、雑首23個を取る大功を立てた。
島津兵は合戦になるとつねに保身の為に彼の後ろに群がった。

…が これだけの戦功を立てたにも関わらず西野は一向に出世せず足軽頭の補佐のような役に
任じられるに留まった。

何故か? 彼は気に入らなければ上司を平然と怒鳴りつけ、島津義弘にさへ憎まれ口を叩くような男であった。
かの中馬と殴り合いの喧嘩をすることもしばしば、中馬でさえも彼を見かけると身を隠す有様となった。
だが義弘はこの男を愛してたらしく、領地を与えない代わりに大将兜や黄金造りの刀をしばしば与えた。

さて関ヶ原、 島津軍の決死の敵中突破が始まった!
西野は追い縋る敵を突き臥せ突き臥せ鬼神の働きを見せる! いや西野だけではない、島津軍全員が
修羅となり群がる敵にキリを揉み込むように突き進んだ。
だが次第に数を減らす味方の中、島津軍は遂に捨て身の鉄砲陣をしいた。(狭道の両側に間隔を置いて
一列に座り鉄砲を順に撃ちかけ撤退の時間を稼ぐ。当然鉄砲を撃ち終われば群がる敵に鯰斬りにされる)
中馬が鉄砲陣の最後尾に座らされた。

…が
西野が中馬を殴りとばした。「ここで早々死ぬとは臆病千万!義弘様を守って貴様は薩摩に帰れ!だが
ここからの道は死ぬより辛い。貴様にその度胸があるか!?」
中馬「……西野」
西野「朋よ、生きろ」
中馬が最後に見た西野の姿は最高の笑顔だった。

老いた中馬が一度だけ語った回想録である。


24 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/05(土) 18:56:58.84 ID:k5l/dyur
なお、この話しには続きがある。
西野には家族はなく家名は途絶えた。
だが数年後、内縁の妻と男児が一人いることが分かった。
義弘は男児に家名を復させようとしたが、西野の妻はもう辛い思いをしたくないと涙ながらに辞退した。
義弘は母子を哀れみ名字帯刀を許し僅かながら田畑を与えた。
母は息子の武士の道を絶つために西野という性を改めた。



…時は経ち、幕末。
西野隆元の子孫、西郷隆盛は幕府を倒し先祖隆元の恨みを雪いだ。


25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 19:34:44.79 ID:PavKPiIR
義弘「おいどんの隆元ーー!」


26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 19:43:04.71 ID:1Uc/TOWO
さすが島津、ばねぇな!
しかし、末裔の隆盛どんが、薩摩武士の道を断つために西南戦争をおこすとは、
隆元どんの奥方が、極楽で喜んでいるだろうな。

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 19:44:03.31 ID:T5E/55L5
あれ、西郷隆盛の家って江戸時代になってから島津家に仕えた下級武士だったんじゃ……?

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 20:25:37.03 ID:1Uc/TOWO
>>27
西野→西郷(百姓)→下級武士として士官(家祖の教えを破る)→幕末西郷どんじゃね?

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 20:29:36.47 ID:6tTWmiMu
そういえば西郷隆盛の薩摩西郷氏は、徳川秀忠の母親も出した三河西郷氏の庶流、ということになってるらしいな。

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 21:29:55.90 ID:q4KaNZRn
事の真偽はともかく、西郷さんもこういう逸話がでる程の英雄ってことなんでしょ~

33 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/05(土) 21:59:40.27 ID:k5l/dyur
>>32
おそらく西郷さん自身、もしくは西郷さんの周囲が倒幕後に創作したのではないかな。
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