秀満は人目に触れないよう隠させた

2012年06月03日 21:04

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 00:51:07.53 ID:AdnI7bmv
明智左馬助秀満は本能寺の焼跡から信長の屍を捜索していた。
すると並河金右衛門が自ら討ち取った信長の首と白綾衣袖を持ってやってきた。
秀満はすぐにこれを人目に触れないよう隠させた。
金右衛門は「左馬助殿はそれがしの功を隠されようとなさるのか!」と怒った。
秀満は金右衛門を諭して言った。
「前右府殿(信長)はかつて甲斐征伐において勝頼公の首を罵詈されたが、今になって人々はこれを誹誇している。
もし今、殿に前右府殿の首を御見せすれば恨み骨髄に達しているゆえ、必ず陵辱されるであろう。
そうなると殿の汚名が末代まで残ってしまう事は必定だ。天命とは実に畏るべきものである。
そなたの功はわしが後日必ず証を立ててやるゆえ、今は黙ってわしの言う事を聞いてもらいたい。」
そして涙を流しながら頼み込んだ。
金右衛門もその志に感じて秀満に托す事を了承し、秀満は僧西誉に命じて信長の遺骸を葬らせた。

光秀は信長の屍がなかなか見つからないので斎藤(内蔵助)利三を遣わして秀満にこう伝言をさせた。
「その方は先陣となっておるのに未だ前右府殿の生死の明証を得ていないとはどういう事だ!
もし生き延びて逃げられていたならば既に我等は為す術が無くなってしまう。」
これを聞いて秀満は真実を利三に告げた。
利三も感じ入って、焼け焦げた白綾の衣を取って信長の死の証としたのである。

ところで織田信長を討ち取った並河金右衛門だが、明智軍が山崎の合戦で敗れるとその素性を隠して
後に加藤清正に仕え、江戸時代になってからも長生きていたそうである。




741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 01:02:18.69 ID:KXdInI4V
信長は死体損壊ばっかしてたから評判最悪でしたね
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