226 名前:1/2[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 02:21:57.43 ID:2R3C01cP
真田昌幸が沼田城を奪取したあと、昌幸は海野能登守(輝幸)を城代として置いていた。
彼は昌幸より吾妻郡岩櫃城の支配も許され、権勢高く、城代といえどもまるで本主のようであった。
時に、海野信濃守棟綱の三男、矢沢薩摩守頼綱と言う者があった。すなわち真田弾正入道一徳斎(幸隆)の
弟であり、昌幸にとって叔父であった。
また海野能登守の嫡子・中務に娘を嫁がせ、舅となっていた。
そんな矢沢頼綱が、昌幸にこう進言した
「海野能登守はその心、至って猛勇であり志も高く、仮にも人の風下には立たないと欲している人物です。
ですので、彼を速やかに誅罰すべきです。
そうしなければ、彼は北条か上杉景勝に与して我々に逆心を企て、沼田や吾妻を我が物としてしまうでしょう。」
昌幸はこれに
「仰るように、私も内々そう考えていた。ただし尋常に討ち取ることは難しい。不意を突いて討たなければ。」
そして舎弟である真田隠岐守信尹を大将とし、田口又左衛門を検使として差し遣わし、これを北条と戦う
軍勢だと言って十月二十二日、沼田に到着した。
海野能登守は、この軍勢が自分に向けられたものとは知らなかったが、翌朝妹婿である摂津守が馳来たり
密かに告げた
「北条方が攻めてきて、それを防ぐためとして隠岐守殿が軍勢を率いてお越しになりましたが、
昨夜ある者が来て知らせるには、一体どういうことでしょうか、殿を討つために来たとのことなのです。
どうかご油断ありませんように。」
能登守は城代であったので、二の丸北条曲輪にあった。真田隠岐守は本丸へと入っていた。
能登守はこの話を聞いても信じられず、「どうしてそのような事があるだろうか?汝、本丸に行って
事の体を聞いてまいれ。」と摂津守を遣わしたが、彼は本丸においてたちまち討ち取られ、
帰って来ることはなかった。
摂津守が帰ってくるのがあまりに遅いので、不審に思い能登守は「見てくるように」と富澤某を遣わした。
これも討たれ、帰って来ることはなかった。
これにより二の丸の人々の気色もにわかに変わり、足音も高く、騒然とした雰囲気となった。
能登守は言った
「本丸に遣わした二人は、両人共に討ち取られたと思われる。何と不憫なことをさせてしまったのだろう。
これは我が身に降り掛かった珍事である。然れども我においては、天のご照覧もあれ!全くもって
逆心はない。定めて佞人のために讒言をされたのだろう。であでば、今一度使いを立て弁明をしたい。」
そうして安中勘解由という者を召して、
「事の安否を見聞きしてまいれ。先に遣わした者達は二人ながら帰らぬ。充分に用心するように。」
そう忠告して三度遣わした。
案の定、二の丸から本丸に通る橋詰に武士たちが待ち受けていた。勘解由が橋を通っている最中、
彼らのうち逸った若武者が馳せ来て撃ち掛かり、棒を以って強かに打たれたため、橋より打ち落とされた。
それでも勘解由は起き上がったが、堀を伝って落ちていった。
227 名前:2/2[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 02:24:59.11 ID:2R3C01cP
勘解由の伴をしていた童が急ぎ帰りこれを伝えると、能登守は子息・中務に言った
「私が本当に逆心したのであれば、例え百万騎に囲まれたとしても、彼らを打ち破って出ることたやすい。
しかし私には毛頭そんな気持ちはない。ただお前の妻子のため、私は加葉山に向かい、誤りのないことを
申し訳する。それでも承知無くば、寺にて自害しよう。」
これに中務
「仰せ然るべしと思いますが、このような火急の状況になった以上、もはや陳謝も立ち難いでしょう。
我が妻は薩摩守(矢沢頼綱)の娘ですから、危害が加われることもないと思います。
子供については、例え敵に捕まり馬の蹄に掛けられたとしてもかまいません。
さあ、早くあの者達を蹴散らし、いづ方へでも行って運を開きましょう!」
そう言って諌めたが、能登守
「私はもう年老い、この身も惜しくない。
そして罪なき孫達をはじめ、下人たちに憂き目を見せる事こそ口惜しい。
唯我に任せよ。」
そして馬に打ち乗り従僕に下知した
「敵を討ってはならない!ただし敵が打ちかかってくれば打ち払って押し通れ!
上田・沼田に武士多きといえども、私と太刀組み出来るような者は居ない!」
そして雑兵百五十あまりを率いて突撃した。
中務は恩愛浅からざる妻子を打ち捨て出撃しようとしたが、この時8歳になる娘が
泣き悲しんで後を追いかけ、袖にすがりついて「私も連れて行って下さい」と叫んだ。
中務は人に弱さを見せてはいけないと強いて袖を振りきって出撃した。
海野能登守はこの様子を見て、「さればあの娘も連れてくるように」と、馬に乗せて連れた。
二の丸を囲んでいた者達は、出撃した能登守勢を恐れ、風に木の葉が舞い散るように逃げ散り、
あるいは堀へと落ちた。こうして加葉山に向かって馳せ退く。
この前に、
真田昌幸は隠岐守にこう言い含めていた。
『能登守父子の事だが、中務の妻子を絶対に失う事無いように、よくよく奪い取れ。』
この言葉があったので、隠岐守は下知し、中務の娘の乗っている馬と能登守たちの間に
大勢の兵を入れ分断した。そのため分断された者達はみな散々に逃げ落ちた。
娘に付いていた舎人は道端の畑に馬を引き退き、彼女を馬から下ろすと、
能登守が孫娘に持たせた、金銀を入れた小袋を奪い取って逐電した。
海野能登守・中務父子は追いすがる敵を打ち払い、田口又左衛門、木内八右衛門といった豪の者達も
討ち取ったが、やがて中務が敵を追い立てるのを能登守止めて
「罪無く殺すな。先刻、その方の娘が敵に押し隔てられてから姿が見えない、おそらくは敵に
捕虜とされたのであろう。
我ら父子が連れ立っていけば、敵が何千騎あっても打ち破ることは出来るだろうが、
孫娘はもはや逃れるすべはない。
先に二の丸で言ったように、私に逆心はない。陰謀によってこのようになってしまった。
しかし私の誠心は、死後に知ってもらえるだろうから、今はもはや、思い残すことはない。
さらば、刺し違えよう。」
そういって父子ともに追手の田口又左衛門の死骸に腰掛け、同音に「これに勝ることがあるだろうか?
なんとも面白い今の気分である。」と歌い、父子刺し違えて相果てた。
隠岐守がこのことを昌幸に注進すると、昌幸は大いに喜んだという。
(羽尾記)
真田昌幸による、海野能登守父子謀殺の逸話である。
228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 09:12:32.73 ID:v3sulBcy
被害多すぎじゃね?
229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 09:43:38.19 ID:eEne3kgX
悔いたんじゃなくって喜んだのか...。
230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 10:29:10.80 ID:/xsyciHV
汚いさすが真田汚い
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 11:54:15.17 ID:2o0UyTcL
武田氏配下時代の真田信尹って昌幸の家来でも寄騎でもないし色々とおかしいね
まあそもそも当時の名からして違うとかは大目に見るとしてもさ
232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 13:29:50.01 ID:MtzFMxeZ
何でこんな策略大好き人間から、忠義一徹の真田幸村が生まれたんですかね
234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 18:58:29.92 ID:V30zpDvx
>>232
どこぞの心理学によると子は親をコピーしたような性格か真逆の性格になるらしいぞ。
235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 21:50:03.98 ID:liC2NIq+
じゃあ親爺と一緒で家康が嫌いなだけか
236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 22:01:59.20 ID:lQFIXTT3
親父も祖父も忠義は貫いてたぞ。
237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/12(月) 22:06:20.94 ID:qd0IuZhm
長篠で死んだ伯父2人も入れて