fc2ブログ

松乃露ものがたり

2011年11月11日 22:02

森忠政   
484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 00:00:33.08 ID:NFQgJ0Da
岩城御膳っておいしそうだなw

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 00:12:22.22 ID:r/ygYmPP
おいしそうと云えば、信玄餅旨すぎて大好きなんだが
ああいう戦国武将由来のお菓子ってどれくらいあるんだろうね

486 名前:480[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 00:23:00.86 ID:rOejoffy
>>484
あっ、しまったw

>>485
謙信の笹団子、政宗のずんだ(信憑性薄い)とか
まとめスレに「戦国、お菓子関係話!」があるよ

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 00:25:23.98 ID:r/ygYmPP
>>486
あ、まとめにあったのか ありがとう
如水の「筑紫もち」がどうみても信玄餅だった

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 01:12:32.81 ID:uPDXiV4u
信玄餅って、昭和のお菓子で甲斐の国だから信玄って名前を付けたとかそんなんだっけ?
安倍川餅の方がそれっぽい名前の付き方だったような・・・

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 01:13:45.00 ID:ccvf/tog
安倍川餅は江戸時代から家康由来とされていたりするね。実際はともかくw



488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 00:29:29.04 ID:c8LmnpeK
>>485
【松乃露ものがたり】
今から400年以上も昔、江戸時代のはじめごろ、どこからともなくやってきて津山に住みついた菓子職人が
「唐の珍菓」をつくりました。
その菓子はとても美味しく、噂はたちまち城下に広まり、津山城内、そして藩主・森忠政公の
耳にも入ることとなりました。早速にその菓子職人を呼び寄せて、噂の珍菓を作らせました。
森忠政公はその珍菓をおおいに気に入り、愛用の銘菓としました。この銘菓はお城の
松の常緑に映える朝露のよう・・ということから「松乃露」と名付けられ、
「茶の湯にはきっとこの菓子を用意するように」と家臣に言いつけ、城内の茶会に必ず出されるまでになりました。
しかしその後、菓子職人は津山の町を去ってしまい、銘菓「松乃露」だけが残されたのです。


・・・という言い伝えの元に再現されたお菓子がある
ttp://item.rakuten.co.jp/kasyoukuraya/c/0000000121/




489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 00:39:10.69 ID:20WuvwWR
戦国ではないが大名由来の有名菓子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E5%B7%BB

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/11(金) 01:07:19.08 ID:rOejoffy
おいしそうな話題がちらほら

>>489
吉良さんも素直に賄賂要求しとけばなぁw
吉良邸のあった両国には吉良さんに因んだ吉良まんじゅうの店があったり
忠臣蔵のシーズンには吉良祭・義士祭があって、静かな街が和やかに賑わうのですよ

森家屋敷の怪女

2011年10月07日 22:00

森忠政   
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/07(金) 15:05:48.72 ID:UVoyDIct
森家屋敷の怪女

ある時森美作守忠政殿が近習の者を集めて夜話をなされた時の事、
髪を垂らした女の二人連れが屋敷のあちらこちらを歩き回る影が壁に写って確かに見えたそうな。
美作守殿は不思議に思い、侍共に屋敷をくまなく探させたがそれらしい者はいなかった。ただ影のみが
あちらこちらに歩き回るのが人々の目に見えたそうな
それから一年ほどして、美作守殿は死去なさったとの事だ。

参照
森の美作殿、屋敷の池に化け物すみし事



213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/07(金) 16:04:32.26 ID:/3eNJ2ca
おい幽霊、祟る相手間違ってるぞ

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/07(金) 18:55:06.95 ID:CkDs/NNE
先代に祟って斬殺されたら大変だろ

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/07(金) 19:48:51.64 ID:VgxB3Yc1
忠政って美作守じゃなくねw

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/07(金) 19:49:08.80 ID:1sChpJMM
まー忠政も磔で沢山粛清してるから怨まれててもしょうがない

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 09:34:56.93 ID:24Iqr3Oz
幽霊「祟れるなら誰でもよかった。いまでは反省してない」

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 12:36:18.07 ID:P7nTddbC
本当は鬼武蔵んとこに行きたかったけど、あれは怖いから…

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 17:54:59.64 ID:bKo91DdR
>>217
幽霊が幽斎に見えて
あれ、幽斎さんて死後誰か祟ったっけ? て思っちゃった

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 19:48:20.72 ID:Hh9fEz7l
鬼武蔵はとっくに成仏して気持ち良くなってそう

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 19:57:36.83 ID:bKo91DdR
ヘブン状態か

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:03:35.62 ID:BiphwJWz
地獄で鬼と一緒に他の亡者を折檻する鬼武蔵の図、と。

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:46:43.91 ID:W1BoGxlS
あまりにもドSすぎるでしょう…

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:44:09.15 ID:A7Ttqns1
むしろ閻魔大王を成敗して後釜に座ってそうだ


225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 22:42:49.18 ID:W1BoGxlS
それ前田さんの仕事

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/09(日) 00:19:19.45 ID:PcOX9E56
>>225
無駄に人を斬ったことはないって死ぬ前に言ったからなあ

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/09(日) 02:42:46.75 ID:6AWhGhxd
焼き殺したり、釜で茹でたりはしてるんだぜ

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/09(日) 08:01:57.20 ID:AUIDzGrA
閻魔大王後継者決定トーナメント

229 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/09(日) 08:58:43.58 ID:qftO/ZMC
>>218-228旧ソ連圏のアネクドート(政治小話)を改変

森長可が討死して冥府に向かう途中、阿弥陀如来に行き逢った。
「俺も極楽とやらに行けるのか?」
「そなたは無闇に人を殺し過ぎた。残念乍ら地獄へ堕ちるしかない」

暫くすると、地獄の鬼たちが西方浄土へ押し寄せてきた。
「どうしたのです?」阿弥陀如来が聞くと、鬼たちはこう答えた。

「武蔵守に殺されそうになったので、逃散して参りました。お助け下さい」

信じない男

2010年06月22日 00:00

森忠政   
518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 21:19:12 ID:exf9XOVU
信じない男


慶長8年(1603年)津山藩主、森忠政は新たに藩政の要となる城を鶴山の地に建てることを決めた。(後の津山城)
当時、鶴山には鶴山城がありそれを中心に神社・仏閣や集落などが既に形成されていたのだが忠政は
そんな辺鄙な城下町ではなく
新たに大規模な城郭都市を形成することを計画していたので神社・仏閣は移転させ、集落の住民も山下に移住させた。

そんな移転された神社の一つが『鶴山八幡宮』である。
この神社は名前通り鶴山に建っていたから鶴山八幡宮だったのだが近くにある覗山という場所に移されてしまった。

それから5年後の慶長13年(1608年)、忠政は鶴山八幡宮大祭の前日に、宴を催した。そしてその夜、忠政が
眠ったあとの事。
「鶴山八幡宮の神」を名乗る翁が忠政の枕元に立ってこう言った。


翁「そなたの信仰の厚さは分かった。しかしながら今、この社が立っている場所は以前の地より他群である。
  すみやかに前いた郡の西北の地に遷宮せよ。必ず国家の鎮護となるであろう。」


翌日、この夢を見た忠政は内容をしっかりと覚えていたが「最近は臓物の具合が悪いのでおかしな夢を見た」と、
とても現実的な結論を出しスルーした。
そしてその日の夜も同じ夢を見せられたが、これもまた体調のせいにして無視をした。しかしながらまた
次の日の夜にも神が現れ同じ夢を見せてきた。
これで3夜連続で同じ夢を見せられたことになる・・・ようやく忠政もこの夢の内容が気になってきたので
鶴山八幡宮の神主と家臣の伴惟利に郡内で良い移転先を探すように命じた。

神主は神に良き移転先について八幡宮の神に伺いをたてると「城の乾(西北)、十六夜山がいい」
との神託が下ったので伴はそれを結果として報告した。
驚いたのは忠政である。夢の内容などもちろん誰にも口外していないが、まさにお告げ通りの結果が出たのだ。

忠政は、即刻家臣に命じて十六夜山に社殿を造営して、久米郡の覗山より返遷し、神器を奉納した。
こうして現在の位置に鶴山八幡宮は移ったのである。



520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:41:16 ID:0hqnizAe
>>518
忠政の枕元に立ってたのは八幡宮の神主とかいうオチはないのか

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:53:07 ID:s76c9VdC
>>520
八幡宮の神主はどんなすご腕忍者だよw

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 10:42:35 ID:kWT/FMYl
>>520
それ切られるから

共犯者?

2010年05月05日 00:03

森忠政   
528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/03(月) 23:55:27 ID:5wNoMg3v
共犯者?

ある日、徳川秀忠のもとに諸将が集まり武辺話に興が湧いた際、ひときわ良く語る男に井伊掃部頭が質問した。

「森右近どのは先年上田で、真田と槍を合わせて逃げたというが、撤退戦でのご武功などあったのですか?」
「・・・・・・・・」
森右近大夫忠政は、黙して語らない。

「・・・・その辺どうだったんですかね、秀忠さま?」
「・・・・・・・・」
忠政について語られるどころか、秀忠もあらぬ方を見て黙り込んでしまった。





慶長8年(1603)、忠政は「自領の一揆を鎮定した」という謎の名目により、津山18万6千石に栄転した。




529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 00:13:03 ID:YZCiAKdB
実は出撃すらしてねぇからなぁw

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 00:17:54 ID:PdfAARED
自領の一揆って右近検地の一揆ならマッチポンプじゃないかw

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 00:32:23 ID:MozPGqwX
実際に苦労してたのは井戸さんだしねぇ↓

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2530.html

あの秀忠にしてこの甘さ
秀忠と忠政の間に何があったというのか…

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 14:25:45 ID:FMAuUb+V
>>531
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3852.html
この話からすると秀忠は突っ込むタイプのようだから
危ないところを助けられたとかかな?「天下人が後先考えずに突っ込むってどうよ。」で隠匿されたとか。

森忠政と清巌宗渭

2010年01月20日 00:09

森忠政   
158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 06:04:05 ID:K2X3M93Q
森忠政と清巌宗渭

書画、茶道の達人として知られる清巌宗渭(せいがんそうい)は
幼い頃に預けられ、養雲院という女性が養母となって育てた。
清巌宗渭が五歳の頃になると、兄の宗園(名古屋山三郎)が
母の元に顔を出したが、暫くの時が経つと還俗してしまい
姉達も森家家臣のもとに嫁ぐ事が決まった。

森忠政も義母養雲院に、何度か森家へ住居を移すよう誘い
清巌宗渭も幼いながらに実子が4人もいる森家に母は行き
自分は小坊主となり、一人で生活していかなければならないのだと思っていた。
清巌宗渭は母に捨てられるものだと思っていたが母養雲院は
女手一人で京に残って育ててくれた。

いつか立派になって恩返しがしたいと9歳で兄宗園と同じ
玉甫紹(細川忠興の伯父)に参禅し、苦しい修行を乗り越え
15歳の立派な少年に育ったが、兄が森家でとんでもない死に方をし
当主である我が子を失った母は病で伏せ気味になってしまった。

森家中では親類だけで小規模の葬儀が行われたが、せめて母に
実子であり嫡男の遺骨や遺品を渡したかった清巌宗渭は山三郎が
師である玉甫和尚と生前に墓所を決めていたのを知っていた上で、
思いきって全く面識のない忠政室の姉を通して森忠政に
「同じ師に参じ、同じ母に育てられた兄をこちらで預からせ頂きたい」と
書状を送ると「この度の御不幸は云々...こちらから使者を使って送らせる」
とえらく丁寧な文が帰って来た。

義母への義理立てもあっただろうが、山三郎の嫡男が森家に居るにも関わらず
配慮してくれた事に感謝した清巌宗渭はのちに大徳寺の住職となると
高桐院に山三郎の墓を移し、忠政が亡くなり大徳寺三玄院で忠政が眠りにつくと、
二人の命日には欠かさず訪れ、墓を綺麗に磨き供養をしたようだ。

伝承のようなものなので本当に忠政なのか疑問だがこれくらいは優しかったんだろうか





真の後継者は

2010年01月19日 00:03

森忠政   
813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 17:06:54 ID:v9OsxzXn
「真の後継者は」


森忠政とその子忠広・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-444.html

寛永10年(1633年)森忠政が嫡子、森忠広が色々あって30歳の若さでこの世を去る。(上記逸話参照)
これにより忠政の実子はみな親に先立って亡くなった事になり、忠政は
新たな後継者を決める事になった。

忠政「やはり関家の兵助かなぁ・・・」

まず最初に頭に浮かんだのが関兵助(当時24歳)。兵助の父の関成次は
忠政の娘を娶っており兵助は忠政の外孫にあたる。
更に成次の母も森可成の娘であり兵助は森家の血を色濃く引き継いでいる。
それになかなか聡明な男であった。
そういう訳で後継者を関家の兵助に定めた忠政は早速、津山に兵助を
江戸へと呼ぶ書状を送った・・・のだが

忠政(いや・・・待てよ。果たして本当に兵助でいいのか?)

書状を出した後で忠政はにわかに変節する。
というのも忠広は徳川秀忠の養女を娶ったいわば将軍家の
準一門だったのであるがその後任が家臣筋の関家というのも如何なものかと思ったのだ。
やはり未練があったのか忠政は家格的に考えてもっと良い後継者を考えた。

忠政「本多家の唐之助!そうだあの子にしよう。」

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 17:07:50 ID:v9OsxzXn
そこで思いついたのが忠政の娘婿である本多忠義(忠勝の孫)の子である唐之助であった。
ただ当時2歳の子供である。
しかしながら思いついたら即行動、忠政はすぐに本多家の屋敷に行くと交渉に乗り出した。
実はこの当時はまだ忠義と忠政の娘の子は唐之助一人しか居ないので
本多家としても思うところあっただろうが忠政は無理やり話を通してしまった。
こうして唐之助の森家への養子縁組の話が決まったのである。しかしながら忠政は
兵助を江戸に呼び出したという事はすっかり忘れていた。

忠政「『兵助は津山に帰れ』・・・と。これでよし」

唐之助に継がせると決めたので兵助は津山に戻るように書状を出した・・・のだが。

兵助「ただいま到着しましたぞ」
忠政「え・・・?手紙は?」
兵助「届きましたが納得行きませぬので処断覚悟で参りました!」

兵助としてもあそこで引き返せばもはや自分への相続は無いという事を悟ったのか
忠政の手紙の言い付けを破って江戸へとやって来てしまった。
森家の濃く血を継ぐ自分の方が本多家から養子を取るよりふさわしいと熱弁する兵助と
関家付きの家臣達。
忠政も帰れとは言いにくい雰囲気になってきて悩んでしまった。兵助か、唐之助か、決めねばならない。
答えに窮した忠政は細川屋敷へと駆け込んだ。

忠政「という訳でかくかくしかじかで~どっちにしよう?」
三斎「俺に聞くんかい・・・まぁいいけど」

相談するのはもちろん親友の三斎どの。
そうして話合った結果、「本多家に謝って養子縁組を白紙にしてもらい、やはり兵助が跡を継ぐ。」
という事に決まったのである。

そして同年10月8日。忠政のの決定を受けた老中酒井忠勝と細川忠利(忠興のお節介で同席)の2人が
幕府に届けを提出。
これによって関兵助改め関家継。後の津山藩2代藩主、森長継が誕生したのである。




「キリシタンなど居ない!」

2009年12月25日 00:29

森忠政   
478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/24(木) 19:45:12 ID:k7GiXHDF
「キリシタンなど居ない!」


江戸幕府がキリスト禁止令を布いて諸大名に領内にキリシタンが居ないか
厳しく取締をしていたというのはよく知られたお話。
幕府に目を付けられぬようにと諸大名もこぞってキリシタン狩りのような真似をし、
バテレンを処刑したりと日本のキリスト教徒にとっては厳しい時代。
しかしながらそんな流れに別にキリシタン大名でも無いのに真っ向から逆らっていた人物がいた。

レオン・パジェス著の『日本切支丹宗門史』から

元和10年(1625)年
「美作の領主は、領内にキリシタンはをらぬと政庁に報告させ、目を閉じた。
彼の城下の近くに、或る美しい墓地があって、キリシタンはそこに行っては、祈祷を捧げてゐたが、
その中央に高さ十五パルムの素晴しい十字架を立てた。
之は『汝はもろもろの仇の中に王となるべし』Dominare in medio inimiocrum tuorumといふ、
詩篇の言葉を実現するためのやうであった」


元和10年(1625)年当時の美作の領主・・・すなわち津山藩主、森忠政であった。
忠政は「領内にキリシタンなど居ません」と幕府に報告しつつも、キリシタンが
津山の城下の近くに墓地を作り、その中央に十字架を立てて日々祈りを捧げているという事を
知りながらも見てみぬ振りをしてやっていた。
もちろん、幕府の上使の領内見回りなどで墓地が見つかれば言い訳のしようも無いのだが
のらくりらりと忠政はかわしていた。
後年、日本のキリスト教弾圧の歴史を調べていたレオン・パジェスはこの事実を知って
忠政の姿勢を旧約聖書のイスラエルの王に送られた詩篇の言葉を流用して評価したという訳である。



しかしながら幕府の津山藩の甘さをやはり認知していたのかもしれない。
寛永15年(1638年)キリシタン弾圧で島原の乱を生んだ松倉勝家の斬首刑は
わざわざ2代目津山藩主森長継の江戸の下屋敷で執行された。




481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/24(木) 20:45:20 ID:vw1I1YHb
イスラエルの王=森忠政とは大きく出たな


482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/24(木) 20:47:46 ID:KYuIpmHJ
確かにヤハウェは四天王級のDQNではあるが

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/24(木) 20:55:44 ID:CVv6LmVG
ふと5人いる四天王を思い出した

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/24(木) 21:46:38 ID:wl5es4RO
>>483
派閥の長が子飼を無理矢理推し込んだのが真相だろ

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/24(木) 21:47:02 ID:tbmJ6hMQ
まあ、江戸町奉行所の与力にキリシタンがいるような政権の取り締まりだから
ヌルヌルなんだわさ、キリシタン弾圧。

しまいにはキリシタンが発生すると責任問われるので、連中がよほどつけあがらない限りは
見て見ぬふり。

森忠政と武並神社のご神木

2009年12月16日 00:08

森忠政   
91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 11:07:36 ID:a7hX4Y8W
朝鮮出兵の折、森忠政は秀吉の命を受けた修羅船作りに必要な材木を集めていた。
忠政は各務兵庫に武並神社のご神木の伐採を命じたが、
このご神木を切ろうとすると切り口から夥しい血のような物が噴出し、
怖がって切れる者がなく結局伐採を諦めたという。

現在武並神社にそのご神木は残っていない。
忠政と各務兵庫が絡んで切れなかったご神木を一体誰が切ったのかが
一番気になる所である。
兄貴ならヒャッハーとか言いながら喜んで自ら切ったのであろうが。





358 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/25(金) 19:09:08 ID:Ib5Z+IDJ
>>91

>このご神木を切ろうとすると切り口から夥しい血のような物が噴出し、
怖がって切れる者がなく結局伐採を諦めたという。

それなんて魏王様?

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 19:16:21 ID:vISwS27l
木の病気か寄生する菌類でそういうのがあったと思ったが。>切り口から夥しい血のような物が噴出し

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 19:21:47 ID:mRf6URfa
製材所は神社経由の木の加工をいやがるそうだ。
かなりの確率で幹に五寸釘が埋まっていて、電動鋸の歯がダメになるから・・

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 19:45:41 ID:RoublK9D
>>359
これの最後の画像がそれっぽい
ttp://kinoko-nikki.hariko-manekiya.com/?eid=151566

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 19:53:16 ID:6prZiSW/
本当に真っ赤だな、気色悪い

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 20:23:22 ID:rvsi5HQi
>>361
良い物見せてもらったけど、喰うなよw

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 20:51:58 ID:zQSmgWGi
>>361
菌だってわかって見れば「どう見ても血とかじゃねーだろ」って思うけど
こんな真っ赤なのがぶわって出て理由知らなかったら血とかそれ系の
不吉なものにしか見えんよね

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 20:58:48 ID:RoublK9D
菌だって判っててもそれが神木だったらなんかあるんじゃないかと思っちゃうよ

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 20:59:49 ID:lvqlpIII
きのこで真っ赤な液体出す奴とかもあるな

367 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/25(金) 22:41:47 ID:63sDaNJo
〉〉361
近所の山にこんなになっている木があって
こんな山の中までペンキぶちまけに来るなんてひまな人もいたもんだと思ってたが違ったんだな。

森忠政の人探し

2009年11月15日 00:16

森忠政   
352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/14(土) 12:10:31 ID:M7mkB4JE
森忠政の人探し

かつて、森家には可児秀行という剛の者がいた。
可成の代より家臣となったこの人物は長可の代になっても変わらず森家に仕えていたが小牧・長久手の戦いで討ち死にしてしまい、可児家も断絶。
そこで今まで森家の為に粉骨砕身した可児家を復興させるべく跡を継いだ森忠政は新しい可児家の当主にふさわしい人物を探していた。

そうして調べた所、実は秀行には治郎という息子が居たが秀行の嫁の実家、坂井家に跡継ぎが居なかったので養子に出されていた為に可児家の跡継ぎがいなくなり断絶したのだと突き止めた。

忠政「そうなりゃ話は簡単だ、さっそく治郎の子供辺りを跡継ぎにしよう。正真正銘の血の繋がった孫だし。」
ただ、坂井は森家の家臣ではなく細川忠興の家臣であったので忠政も確認をとるべく忠興へと手紙を書いたのである。

こうして忠政から手紙が忠興へと届いた。
忠興(どうせ今、思い出したんだろうなぁ・・・小牧・長久手とか31年前の話じゃん。)※実はこの時、大坂夏の陣も間近に迫った1615年
でもまぁ他ならぬ親友の頼み。細川家も色々と慌しい時期ではあったが文句も言わずに治郎の次男である盛行を森家に遣わすよう手配してやるのであった。

こうして森家にやってきた盛行は可児姓を与えられ可児家は31年ぶりに復興される事となったのである。この盛行は異常なまでの長寿であり隠居して津山藩の改易(1697年)を見届けるまで生きていた。
しかしながら津山藩の改易によって息子の忠左衛門も次の就職先を探す事となり、日頃から森家と親交深い池田家が彼を雇い可児家は森家の家臣ではなくなってしまう。

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/14(土) 12:11:21 ID:M7mkB4JE
ただ、これで終わらないのが不思議な縁。

盛行には忠五郎という弟が居たが彼は「細川家→京極家→大坂方として大坂の陣に参戦→無職」という色々問題有りそうな経歴の持ち主であった。
どこに行っても長続きしない弟が哀れになったか盛行は「是非とも弟を雇ってやって欲しい!」と忠政に懇願し、忠五郎は可児姓と300石の所領を得て以後は忠節を尽くす。

この忠五郎の息子、可児正幸は津山藩から分家した津山新田藩(のち、三日月藩)の家老として起用される。
津山藩改易の際も分家の所領には手付かずであったのでこちらの可児家は森家を出る事無く、そのまま明治維新まで三日月藩に仕えたのであった。


色々、紆余曲折ありながらも復活した森家家臣可児家のお話





鍵湯

2009年10月27日 00:03

森忠政   
756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 20:57:31 ID:L5LXPTeU
鍵湯

美作国(現在の岡山県北部)にある奥津温泉。美作三湯にも数えられるこの名泉にある時、
森忠政が湯治にやってきた。
やはり評判どおりの名泉で入浴した忠政もご満悦であったが
あまりにもいい湯だった為に悲劇が起こる。

忠政「気に入ったのでこの温泉はこれより俺専用の湯治場となった。
以後、俺以外の入浴を固く禁ずる。」

気に入られ過ぎたが為に忠政以外の入浴が一切禁止されてしまったのである。
しかもわざわざ鍵が掛けられ、森家から「温泉番」なる役人が派遣されて
睨みを利かせるという念の入れようであった。

たまったものでは無いのは突然締め出しを食らった地元の領民である。
恨みを持った領民は皮肉をこめてこう呼ぶようになった・・・鍵のかかった開かずの湯、『鍵湯』と。


ちなみにこの奥津温泉、今でも沸いているが鍵は無くなり誰でも入れるようになっている。
しかしながら鍵湯の呼び名は健在である。




757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:07:09 ID:ArZwABF0
何と言うジャイアン・・・

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:20:24 ID:ajVOKyYF
江戸中~後期なら一般に開放して金取った方がいい収入なると思うけどな

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:27:52 ID:L5LXPTeU
>>758
森家が居なくなった後は普通にそうやって儲けてたと思う。

経営者的にも涙目だからね、これ。

森家最大の難所 デスキャッスル津山

2009年09月07日 00:12

森忠政   
53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 03:28:47 ID:cnFXkZmr
森家最大の難所 デスキャッスル津山

津山城築城の際

井戸宇右衛門:討ち死 (森長可の頃から仕える剛将)
名古屋山三郎:討ち死 (天下の美少年 忠政の寵臣)
林長兵衛為忠:出奔  (森兄弟の叔父さまで偉い人)
小沢彦八:討ち死   (彦八の妻は名古屋の妹で忠政の妻とは姉妹)
細野佐兵衛:討ち死  (森家の三重臣の一人)
各務四郎兵衛:切腹  (各務兵庫元正の嫡子にて忠政の娘婿)

慶長八年から慶長十三年の五年の間にこの並々ならぬ森家の重臣達が
相次いで死んでしまったのは別に合戦が起きたからではない

井戸と名古屋が切り合いにて両者討ち死 
忠政がキレて井戸の兄弟皆殺しを命ずる
これに怒った林長兵衛為忠が森家を出奔

小沢彦八と細野佐兵衛が喧嘩沙汰にてこれまた討ち死
筆頭家老の各務四郎兵衛も責任を感じて切腹

みんな津山症候群にかかって森家家臣同士で殺し合ってしまったのだ

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2389.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2706.html

元和2年(1616年)に津山城が遂に完成で津山の領民もやっと安堵した
が、主君森忠政はまさか築城するのにこれだけ犠牲者を出すとは思ってなかっただろう。

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 04:17:19 ID:u39VREt7
逆に考えるんだ。
戦が無いから共食い始めちゃったと考えるんだ。

もうちょっと待てば殺る気の持って行き場があったのに。




55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 04:27:06 ID:95K51uNZ
上の三人なんて戦があればどんだけ功績上げたやも判らん奴ら
まぁ権力争いがあったんだろうけど死なすには惜しい逸材だな

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 07:22:53 ID:fLoSjuOx
平和になったから高禄を食む連中を始末したようにしか見えない不思議

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 07:50:09 ID:wAa+QThR
戦が起きない所為で当時の家臣団共通の敵が突然
居なくなって対立構造が出来てしまったから…

井戸派 家老:井戸宇右衛門(林の甥) 家臣:細野佐兵衛
名古屋派 当主:森忠政(正室が名古屋の妹) 家老:小沢彦八(正室が名古屋の妹) 
       家臣:名古屋山三郎九右衛門(忠政の義兄) 家老:各務四郎兵衛(正室が忠政の娘) 
       家臣:各務藤兵衛(正室が名古屋の妹)
中立派  家老:林長兵衛為忠(忠政の叔父で甥が井戸) 家老:大塚丹波 

忠政にとって邪魔な旧保守派の井戸派閥を裏で消そうとしたら
思わぬ抵抗にあって一番頼りになる相談役の林(おっちゃん)と
まとめ役の名古屋(兄ちゃん)を二人ともいっぺんに失って
しかも家康にこの事突っ込まれて忠政まで危ない状況に陥ったでござる

事件処理した外交担当の大塚丹波がいなかったら森家かなりヤバイ
普通は平和な方が良いはずなんだけど戦闘狂のこいつらには
戦があった方が良かったという…森家を代表する家臣団

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 10:17:00 ID:RAjf2vD8
昭和には津山30人殺しがおきてるし
森家の実績も考えると津山症候群が笑えなくなるから困る

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 12:00:06 ID:Y07kaNEt
「にらみ合いの松」 に 「喧嘩谷」 どれもろくでもねぇ
内政扱ってる重臣が殺し合った時点で家中での帯刀の是非とか考えなかったんだろうか


                    /| |
       ,,;r''"~ ̄^'ヽ,     /  | |            
     ,/ 森忠政  \,   /   | |   <さすが森家に恥じぬ家臣どもだ!
   ∠__,,,,,,,,_,;____\/     | |    逃げ腰な奴なんて森家にいらねぇ!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  /     | |    喧嘩上手はよく訓練された森兵だ!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | /       | |   まことに津山は呪われた地じゃのう!
     ,r''i ヽ, '~rーj` //        .| |    フゥハハハーハァー
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/::/ `ヽ      .| |    (本当は俺が井戸達を煽ったのが
  /     ゙ヽ   ̄、/::::  ゙l,     .| |     事の元凶なんだけどな!)
 |;/"⌒ヽ,  \ /_ヽ:  _l_   | |
 l l    ヽr `i`I`I`I_⊂////;`ゞ .| |
 ゙l゙l,     l,| {ニニニl,,l,|,iノ二二二二ニニニニニニニ二二二二二二二二Iニ三三>
 | ヽ     ヽ∠∠∠∠∠/\,-| |
 /"ヽ     'j_\ヽヽ, ̄ ,,,/" ''''''''''⊃
/  ヽ    ー──''''''""    `゙,j"
  _,,,,,,,,,ヽ、        ,,,,,r-''''' | ̄| ̄I
''"    ヽ,,___,,,r‐''''''二_\  | |  ,|
          \'''"   / \| | ノ

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 12:01:57 ID:1HHh6dIw
弓でけえww

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 12:15:50 ID:u39VREt7
むしろ小さくないか?

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 12:19:47 ID:uH0nR18E
デカイのは矢だな

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 12:24:33 ID:1HHh6dIw
ちょっと書き間違えただけだよ!
これはつまり、俺のちょっと(決まりの)悪い話だよ!

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 12:27:48 ID:vvz3GU4Y
かぶりものに高級感がない

68 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/06(日) 12:33:48 ID:GI7NHJ0E
>>62
世間に恥じろw

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 13:03:12 ID:Y07kaNEt
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kazuhana2007/archive/2009/7/27

                      まぁまぁお前らこれでも見て落ちつけよ
                      森家は喧嘩馬鹿みたいな目で
                      見てるかも知れないけど
                      全く俺ってば結果的に出雲の女まで
          ____         泣かせちゃって罪作りな男だお
       / \  /\ キリッ    しかも歌舞伎と浄瑠璃の「名古屋山三」は
.     / (ー)  (ー)\      もともと俺の義兄だし
    /   ⌒(__人__)⌒ \     不破伴左衛門だって名古屋と並ぶ美少年
    |      |r┬-|    |    不破がモデルとか言われてるけど
     \     `ー'´   /      こいつの中身はどう考えても俺の家臣の
    ノ            \    「井戸宇右衛門」だ
  /´     森 忠政     ヽ     ある意味俺がいなかったら歌舞伎も
 |    l              \ 浄瑠璃も生まれてないんだお
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__)     とばっちり被害が多すぎだろ常識的に考えて・・・
  |     ` ⌒´ノ
.  |         }  ミ        ピコッ
.  ヽ        } ミ  /\  ,☆____
   ヽ     ノ    \  \ /     \
   /    く  \.  /\/ ─    ─ \
   |     `ー一⌒)  /   (●)  (●)  \
    | 井戸 i´ ̄ ̄ ̄ \ |      (__人__)     |
               \_   ` ⌒´    /
                /   森 忠政   \




関ヶ原後の信濃動乱

2009年09月07日 00:08

森忠政   
70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 16:09:36 ID:1xjCPoIP
関ヶ原後の信濃動乱

慶長5年(1600年)、ご存知関ヶ原の戦いが起こり西軍は敗れた。
信濃で大いに徳川軍を苦しめた真田昌幸も西軍が負けたとあれば
流石にもう戦い続ける理由は無くあっさりと降伏し上田城は開城される事になった。
しかしながらここで事件が起こる。反徳川を掲げて戦ってきた上田の領民達が
徳川の入領に反感を持ち、一揆をおこしたのである。

これは一大事・・・ここで一人の男が立ち上がる。
森忠政「これは手柄にするチャンスですね^^仙石さんや真田(兄)さんや皆さん、
上田攻めでお疲れでしょう?私がやりましょう!」
上田攻めで川中島に引きこもっていたらいつの間にか全て終わっていて
仕事が無くて焦っていたこの男が一揆鎮圧に名乗りを上げた。

忠政「真田の指揮も無い素人集団がプロに勝てるわけ無いじゃんw
林さん、伴さん!やっておしまいなさい。」

一揆を起こされては叩き潰すというマッチポンプに定評のある森家。この一揆も数日で平らげた。
忠政「さぁ、一仕事した所で上方に報告でも入れようじゃないか。」

ここで焦って家康に報告を入れてはいけない。忠政はまず、多少ヘマをしたとはいえ
中仙道軍の大将である秀忠に先に報告を入れる。
忠政「次期後継者の自尊心を刺激しておいて損は無いよね~。」
追伸として忘れずに「ぜひ、内府様と謁見の機会が欲しい」と添えるのも忘れない。

そうして秀忠から返事が来た
秀忠「けしからん一揆の鎮圧乙です。この事は父上にも伝えたので
近く上洛する際に謁見の機会を設けます。」

忠政「ふぅ・・・これで仕事はしたと言い張れるぜw一揆GJ」
3年後、忠政は美作18万6500石に加増される事になるのであった。めでたしめでたし。




71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 16:12:20 ID:/z/lvNdB
> 一揆を起こされては叩き潰すというマッチポンプに定評のある森家

物凄く納得したw

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 16:32:33 ID:ykIjal0o
実は忠政の策略、だったりしたらマー君も超える謀略家になるのだーがーw

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 17:29:34 ID:83dq4SmP
運のなかった秀忠へのアシストって意味もあるんだろうな
忠政さんはほんと処世術に長けてらっしゃる

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 22:24:27 ID:/RaiAWZx
忠政くんなんて恐ろしい子


ちょっと良い森忠政、ちょっと悪い森忠政

2009年08月30日 00:37

森忠政   
847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 18:38:09 ID:YyAzOM6y
もしかして名古屋に「俺の友達の家なんてどう?」って感じで森家薦めたの忠興なんじゃ・・・

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 18:58:40 ID:5RTyzSOy
>>847
名古屋も織田一門の出で森家に仕えた時は織田九右衛門と名乗ってたし
普通に織田と縁戚のある森家の誰かがお前の妹可愛いしウチにくれない?
嫁にくれたら結構な待遇で雇うよ!ってのはあったんじゃね

じゃないと老臣井戸を遠ざけて新人の名古屋を義兄と慕って贔屓した忠政は鬼すぎるw


まぁその後事件は起きたんだけども・・・

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:13:15 ID:RlCahaU/
ところで、森忠政が四天王枠じゃないのはやっぱ兄貴があれだから?

852 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/29(土) 19:19:36 ID:aUpsPxsd
>>851
弟は兄に勝てないんだよ

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:34:04 ID:CMz0vpex
>>851
どっかみたいに四天王が五人いたとしてもかまわないんじゃないかな?w




854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:50:43 ID:eeWbkL/o
ちょっと良い森忠政
「お岩(妻)の兄ちゃんだし大事に持て成したいけど重臣の井戸たちに面目がたたないな~」
→忠政も散々悩んで二人を仲良くさせようとしたが二人の中は悪化する一方で
結果回避できず悲惨な事件へ
重臣と妻の兄を二人失う事件に忠政もショックが大きく大変悲しんだという
その後妻の甥でもある名古屋の嫡子山三郎(名古屋隼人)を忠政様は大事に育てました

ちょっと悪い森忠政
「ねぇ義兄者悪いんだけど俺に小言言ってくるあの老害ども殺っちゃってくんない?^^」
→この時なぜか名古屋に自慢の愛刀「かんな切り」まで渡してる
→暗殺を恐れて警戒してた井戸は普段から弟達を傍に呼んでいて弟・井戸甚三郎も現場にいた
→井戸兄弟に切られた名古屋が死んだ直後に最初から仕込まれてたかのように
「おやおや~家老職の立場であられる井戸様がこのような事を・・・これはいけませんねぇー」と
白々しく森家の兵がなぜか出てきて井戸兄弟はボッコボコされて埋められた
→なぜか井戸のもう一人の弟井戸惣十郎もタイミングよくぬっころされてしまった
これには忠政は「井戸ざまぁwwwこれで当分の間謀反も小言も言われないで済むぜw」と
したり顔だったという




855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 19:57:45 ID:YyAzOM6y
名古屋隼人は成長すると家中の空気が気まずかったのか自主的に出て行ってしまうんだけどNE☆

譜代の林親子放出のお陰で家中でゴタゴタは頻発するわでもう大変。
やり手の可政叔父さんと3人の息子が入るぐらいまでなかなか安定しなかった。

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 21:35:24 ID:5RTyzSOy
名古屋隼人って森家で育って前田家に仕えたくらいしか大して記述ないのに
結構時代恋愛物の小説に登場してるよなスーパーアイドルだった父ちゃんと母ちゃんのお陰だな


名古屋は蒲生さん時代は美人だからというより先駆け大将的な意味合いで
男に異様に人気あったとか


森家の林長兵衛為忠

2009年08月29日 00:39

森忠政   
735 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/27(木) 23:49:01 ID:gcU1ukwX
森家に林長兵衛為忠という重臣がいた。彼は長可、忠政の生母妙向尼の弟であり
森兄弟の叔父にあたる。
家老として重きを成していたが、妹の夫、井戸宇右衛門が名古屋山三郎とのイザコザで
忠政に誅殺されるという事件が発生した。
(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html)
為忠は激怒し、忠政を見限り福島正則に仕えることになる。正則改易後も森家に戻ることなく
本多家に仕えた。
兄弟を全て失った忠政にとって、一族は為忠を除けば数年前まで出奔していた
(>>580)叔父の森可政くらいのものであり、
忠政にとっては大きな痛手であったことだろう。忠政はつくづく家族運に恵まれない。




736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 00:01:11 ID:ACBNV7e/
鬼武蔵の一族でも義憤することを示したいい話。

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:01:58 ID:rv6NSVGa
なんかこっちがいい話スレの気がしてきた。

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:20:33 ID:VuCOZ/kT
為忠って甥の井戸宇右衛門の事でブチ切れて忠政を説教しようと思ったのか
復讐なのか判らんが個人的に気にいってた名古屋山三郎を動かそうにも
甥と殺し合いした当人だし忠政にかんしちゃ森家の主君だし何も出来なくて
もう当てつけかのように正則に仕えるしか出来なかったんだよな

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 10:48:57 ID:VuCOZ/kT
間違えた甥は忠政で義理の弟が井戸宇右衛門だったw


森忠政と作州一揆

2009年08月29日 00:35

森忠政   
754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 19:13:44 ID:soTq0QnJ
森忠政と作州一揆

小早川秀秋の急死により1603年、美作には森忠政が18万6千5百石を領し移ることとなった。
すぐに「森家の制度は非道で、領内の民百姓は難儀に及んでいるそうだ」などと国中で噂された。
ある者は信濃・美濃へ行き様子を見るとやはり噂に違わず、領民は森家の国替を聞いて
限りなく喜んでいたという。

そこで美作国人や小早川家浪人は林野城へ集まり軍議を行った。美作出身で
隆景公の代からの小早川家臣である難波宗守
(かつて筑前国三笠郡を領したことから三笠入道と呼ばれた)が大将に選ばれ、旗揚げした。

集まった武士は、美作東部の安東氏・江見氏・菅家党を初め国中の多くの国人と
小早川家譜代の武将ら、毛利恩顧の武士、野武士・浪人・備前侍が集まり、総勢
二千六百八十余人が各々播磨因幡国境の城砦を固めた。

忠政は報告をを聞いていたが、注進を無視して老若男女千人にも足らない人数で
五月八日本国を出立した。
五月二十二日播州山崎に到着。入国は困難に見えたが、播美の親戚関係を利用して
東北部国境を守る
新免氏と菅家党有元氏を密かに説得、彼等の案内で北の山路を迂回して五月二十七日、
入国することに成功した。
有元氏の居館に本陣を構えると、本領安堵を期待して降参する者も現れ、
結局一戦も及ぶことなく一揆は解散し、六月十五日林野城は開城した。
三笠入道は自害し、あるものは国外へ退去、またある者は苗字を変えて密かに暮らした。

忠政は八月に本陣を院庄へと移し、築城を開始する。そこで例の事件が起こるがそれはまた別の話。
翌年には検地を半年で強行し、表高からさらに4万石打ち出した。
その後も国人層から家臣として召抱えられた者は僅かであり、1608年には武士としての身分も
剥奪されることとなった。

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 19:17:28 ID:soTq0QnJ
寄せ集めの一揆勢は、忠政の入国に気づいて陣を夜襲したら既に移動した後で、追撃しようとしたら
別の拠点から夜襲を仕掛けた味方部隊といつの間にか同士討ちになってたとか連携悪すぎ。
そんなまとまりも無く、一国人が精々数百の兵しか出せず、戦国を通して
統一勢力の生まれなかった美作で合計三千近くもの兵を集めさせた森家の悪名の高さ。
検地はたったの2割の増税と、さすがに信濃の時よりは控えめですねw





756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 19:28:37 ID:XwWjT4eV
まとまって合戦したらどうなっていたか解らない状況だけど、まとまらないのを見越して
入国したんだろうな。

それにしても忠政の果敢さや有能さはやっぱり、戦国大名のものですな。
平時には迷惑w

757 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 21:15:51 ID:elmMbD15
                     ,、
                    /| |
       ,,;r''"~ ̄^'ヽ,     /  | |            
     ,/ 森忠政  \,   /   | |   <よいか皆の衆!
   ∠__,,,,,,,,_,;____\/     | |    逃げる者はただの国人衆じゃ!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  /     | |    逃げない者はよく訓練された国人衆じゃ!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | /       | |   まことに美作は地獄じゃのう!
     ,r''i ヽ, '~rーj` //        .| |    フゥハハハーハァー
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/::/ `ヽ      .| |
  /     ゙ヽ   ̄、/::::  ゙l,     .| |
 |;/"⌒ヽ,  \ /_ヽ:  _l_   | |
 l l    ヽr `i`I`I`I_⊂////;`ゞ .| |
 ゙l゙l,     l,| {ニニニl,,l,|,iノ二二二二ニニニニニニニ二二二二二二二二Iニ三三>
 | ヽ     ヽ∠∠∠∠∠/\,-| |
 /"ヽ     'j_\ヽヽ, ̄ ,,,/" ''''''''''⊃
/  ヽ    ー──''''''""    `゙,j"
  _,,,,,,,,,ヽ、        ,,,,,r-''''' | ̄| ̄I
''"    ヽ,,___,,,r‐''''''二_\  | |  ,|
          \'''"   / \| | ノ



758 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/28(金) 21:23:01 ID:0bBbVaFm
>>757
弓の持ち方くらい治せよw


元福島正則の家臣、長尾勝行の家人森田平右衛門

2009年08月22日 05:16

森忠政   
607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 08:40:46 ID:ObHl9u+t
福島正則の家臣、長尾勝行の家人に、勝行の父一勝の代から仕えている、
森田平右衛門と言う者がいた。
彼は数度も音に聞こえるほどの手柄を立てた、武功の者であった。

福島家が改易された後、長尾は森忠政に召抱えられる事になった
森田も当然それに付いていったが、この時森家より、森田も、森家直臣として召抱える、
との申し入れがあった。勿論これは大出世である。

が、森田はこれを断った。「勝行様を見捨てられるものか」との事であった。

忠政がどう言っても聞かないので、勝行の同僚たちが、森田を説得しにかかった。

「勝行殿も、関ヶ原でもそなたの助けなしに功を得た。もはや自分に気遣いは無用だと
申しておる。お前が直参として森家に仕えても、何も後ろめたいことはないのだ。」

が、これに森田
「勝行様がおっしゃる事も、もっともなのだと思います。
ですが、三度でも四度でも、負傷してさえも功をなすものを、武辺者と申すそうです。
勝行様などは、まだそれほどにはなっておりませぬ。それゆえ、それがしは勝行様を見捨てて
直参になる事は出来ないのです。」

『ちょっと一人で武功を上げたからって、勝行様なんてまだ半人前です!
よってまだまだ私が付いてなきゃだめなんです!』ということか。

ともかく、この子離れならぬ主君離れの出来ない平右衛門は、
終に勝行の家人のままで終わった、と言う事である。





610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 11:40:37 ID:za2ZXo2o
それは過保護じゃね?(´・ω・`)


慶長9年9月、森忠政が領内の巡検をおこなったときの事

2009年08月21日 00:09

森忠政   
571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:06:14 ID:+qE4RkEk
悪口の話に乗り遅れた・・・



慶長9年9月、森忠政が領内の巡検をおこなったときの事。

忠政「おい、田を作れるところに家が立ってるじゃないか。あれを更地にすれば
もっと農地を増やせるだろう。」

久米郡に住む農民の一部が強制的に退去させられ屋敷はキレイに
更地にされてしまったのである。それを不満に思った久米郡打穴村の農民、
小市はこれを風刺した短い臼ひき歌を作った。
「さても恐ろし幽霊のためにすてし屋敷はただまさじゃ~♪」

こんな歌を歌いながら仕事をしていた小市であったがこれがまずかった。
この歌が予想以上に流行ったかどうかは分からないが忠政に知られてしまったのである。
小市の歌にブチ切れた忠政は小市に「美作からの追放」という重い処分を下した。
そんなこんなで美作を追われる事になった小市。懲りずにもう一つ歌を作った。

「うたつてしくじるうたのの小市それで打穴を追われたり~(泣)」by小市


やっぱり悪口はよくないよねというお話。




572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:10:34 ID:FUktPVEx
あの森一族にこんなことしてよく命が助かったなとまず思えるようになってきたから困る

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:17:55 ID:IfLM6PPr
>小市の歌にブチ切れた忠政は小市に「美作からの追放」という重い処分を下した。



これが重い処罰に見えないのはこのスレに毒されたからか

574 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:31:38 ID:Y8zwAipV
いい話じゃねえか。

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:33:38 ID:fCMXDX/t
少し前に、森宗家の当主が津山市(?)のイベントによばれて講演してたけど、
旧美作での評判はどんな感じなんだろうか?

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:39:11 ID:+qE4RkEk
>>575
美作に入領する前に武装蜂起される程度の評判

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:41:54 ID:fCMXDX/t
いや、今現在の評判。誰それ?って感じ?

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 00:55:44 ID:+qE4RkEk
蘭丸に弟?居たの?

こんな感じだと思われ。

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/20(木) 01:36:27 ID:h4fMDIlo
森忠政は、5人目の四天王よりも格上に見えるのは気のせいだろうか?


森忠政「千人塚」

2009年08月11日 03:36

森忠政   
259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 19:28:38 ID:j0Zvvtv1
千人塚

慶長7年(1602年)信濃川中島領主、森忠政は全領の一斉検地を行うことを決定。
元々厳しい税率で苦しい生活を強いられてきた川中島の領民はこれに反対したが結局の所
検地は行われる事となった。
『右近検地』と言われる徹底的な検地の結果、領内の石高はこうなった

13万6500石→約19万石

領民「これはひどい」
森家入領からたった2年でこんなに石高が増える訳が無い。当然の如く領民達は不満を持ち、
検地のやり直しの嘆願書などが出されたが忠政はこの訴えを完全に無視した。
こうした不満が高まりついに忠政の領する北信濃4郡で全領一揆が起こってしまう。しかし・・・

忠政「嘆願書を出した連中が一揆を煽動するような気がして準備してました。
   伴!甲賀者から近隣の村の情報を各城に知らせ!一揆を捕縛させろ。」
伴「アイアイサー」
もはや分かっていたと言わんばかりに森家の兵が一揆勢を逮捕し始め
全領での一揆にも関わらずものの数日で完全に鎮圧されてしまった。
税率も厳しければ逮捕の基準も厳しく連行された人間は約600人にも及んだ。

忠政「税金が払えないなら、死ねばいいじゃない。全員磔に掛けろ。」
もはや申し開きは一切不要。一揆=死罪。参加者は全員平等に磔に掛けられる事に・・・
その大処刑の当日には現場に忠政の姿もあった。

忠政「おい、そこのお前。そんな槍じゃいかんだろ。ちょっと貸しなよ。」
ジャブジャブシャコシャコ
忠政「ほぅら、研げたぞ!さぁ、ズンと突け!」

自ら懐から砥石を取り出して池(後にこの池は『槍研ぎの池』と呼ばれるようになる)に入って
槍を研磨する程のハイテンションぶりの忠政。こうして見るも無残な600人の一斉処刑は行われた。
しかもこの一揆の後もなお税率は据え置き、検地のやり直しも無し。取り立ても相変わらず厳しく
払えない人間には容赦なく罰が課された。
唯一、川中島の民にとって幸いだったのは翌慶長8年(1603年)に小早川秀秋の死により開いた
美作一国に忠政が転封された事ぐらいか。

森家が信濃を去った後、この事件の犠牲者の菩提を弔うべく小さな塚が建てられた。
その塚には赤い小さな文字でびっしりと犠牲者の名前が書かれている。
この不吉な塚はいつしか「千人塚」という名が付き、今も善光寺に残る。

0810森

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/5898/c/zen517.jpg
(赤く見える部分は近づくと人の名前で埋め尽くされている)

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 19:29:20 ID:j0Zvvtv1
余話

忠政「ちなみに磔というものは左右から30回ずつ脇腹から肩まで貫通するまで突き立て
   最後に髪を掴んで頭を上げさせ『止めの槍』を喉に突き立てる。
   そして死体は臓物など露出し、鳥や虫などに集られながら3日晒し者にされ、
   最後は非人によって穴に投げられ処分されるというものです。どうです?罪人の処刑には
   ぴったりでしょう?」
家臣「でも600人も磔で処刑したってバレたらマズいんじゃ・・・何か女子供も居たような」
忠政「大丈夫、上手くやるから(言いわけ的な意味で)」
家臣(領内の政治を上手くやって欲しいんですが・・・)

例によって徳川家からの森家へのお咎めは一切無かった。
ついでに後世にも今に至るまで殆どこういった事があったとはあまり知られていない始末である。




261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 19:35:29 ID:f/vxLrbt
もうなんていうか・・・
心の底から腐ってやがる

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 19:55:52 ID:d0HHFUku
秀秋の死が、川中島の領民を救ったんだな…
兄に負けず劣らず酷いもんだな。
転封先の美作でもこうだったのか?

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 19:58:58 ID:Ff4E9c1d
森家に関わる地名は血なまぐさい、の法則がまた補強された…

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 20:05:06 ID:j0Zvvtv1
>>262
美作の検地はまともな石高で落ち着いてるのでほんの少しぐらいは反省したのかもしれん。

だが徳川政権において地方でもかなり真っ先にやった検地としては非常に悪い例を残した。
こういうやり方で石高を水増しする検地方法を真似する藩も出てきてしまってる。

265 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/10(月) 20:06:52 ID:FWTMcr2U
逸話だけ見てると、兄の方がまだましだなw
兄は自分の行動の邪魔(関所・橋の番人)をヒャッハーして回った可愛げが若干あるが…

弟は領民いじりが目に付く気がする

まぁ見方を変えれば、弟は領内統治に励んだともいえなくもないが…
兄にも領内統治に励んだいい逸話(つい最近の塩専売など)が残ってるしなぁ


266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 20:36:08 ID:DsqNhbLT
>>262
その秀秋はなかなかの内政上手だったから、かなり惜しい人材だったんだけどね

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 20:40:50 ID:zXiJJoaJ
関ヶ原後の毛利が、検知で石高を無理やり2倍にしてなかったっけか

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 20:51:45 ID:yvrIbpDT
圧政を敷く領主でも、この忠政や松倉重政のような、手腕がすぐれ、上からの
覚えも目出たいタイプは、なかなかに始末が悪いんだよな。まあ、森氏も忠政、長継のあとは
当主の早世やら発狂やらが続いて
国主の地位から滑り落ちていくんだけどね。

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 20:57:37 ID:j0Zvvtv1
>>267
29万8480石→53万9268石だな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%BB%A3%E6%85%B6%E9%95%B7%E4%B8%80%E6%8F%86
山代慶長一揆も起きてる。でも全領一揆ではないんだよな。

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 21:15:10 ID:HiiHoRUE
短い事績を見る限り兄は内政の手腕は案外なかなかだと思うが

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 21:17:29 ID:ZKRpqVyW
>当主の早世やら発狂やらが続いて
オカルト板に以前、家系にまつわるオカルト?みたいなスレがあって、
先祖の誰かが罪もない人を惨殺して、それ以来跡継ぎとなるべき男子が
必ず早世・発狂するようになって今も入婿で家を保っている・・
みたいな経験談がゴロゴロあった。
自分はオカルトを信じない(話として好きだけど)し、2chだから
怪しいもんだけど、怨念による因果応報みたいなのもあるのかもとちょっと思った。
森さんの場合、怨念×600 and more だしなぁ。

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 21:33:52 ID:j0Zvvtv1
>>268
一応、松倉よりはマシだと思うぞw

美作領主時代は津山城化の徹底的な整備とか吉井川の堤防工事とかプラス面の功績はちゃんとある。
磔で処刑するのが大好きなのは死ぬまで治らなかったみたいだが。

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 22:46:51 ID:xbtuES8p
そして忠政の地元美作で大雨が

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 22:55:10 ID:bbJv5CaE
美作でもやったのかよ!
詳しい内容知ってたらヨロ。

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 23:10:23 ID:tYOLUCKI
>271
普段宗教とか信じてない俺でも
それはカルマってやつなんだろうなって思うよ

276 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/10(月) 23:19:28 ID:FWTMcr2U
>>271
>先祖の誰かが罪もない人を惨殺して、それ以来跡継ぎとなるべき男子が

そしたら清和源氏のほとんどがそれに該当するなw


第2次上田合戦と、森忠政家臣、井戸宇右衛門

2009年07月27日 00:10

森忠政   
797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:40:36 ID:SF5vE2uW
第2次上田合戦の時の事。
川中島領主・森忠政は家臣の井戸宇右衛門に上田への出陣を命じた。

忠政「ただしお前の手勢だけで行け。」
井戸(えっ・・・?何これ新手の嫌がらせ?)
忠政「いやぁ、俺も出陣したいっちゃあ出陣したいんだけど内府様のお達しが
   『川中島へ駐留し備えよ』だからさぁ、迂闊に俺は出陣出来ん訳よ。
   でも目と鼻の先で城攻めやってんのに黙認するのってやっぱりどうかと思うんだよね。
   と、いう訳で井戸が出陣して真田を牽制してきなさい。」
井戸(やっぱ先日の一件は心象悪かったかなぁ・・・)

というのも井戸は先日、葛尾城を任されていたが禄の少なさに不満を持っていた井戸の家臣が
真田の兵を引き入れ二の丸まで攻め込まれるという失態を侵していた。
詳細:http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1982.html

井戸「分かりました・・・引き受けましょう。」
忠政「そうかそうか、ところでちゃんと葛尾城の守備兵は残して置けよ?」
井戸(一体何人で出陣しなきゃいけないんだろう。遠回しに『死ね』って言われてないか、これ?)

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:41:39 ID:SF5vE2uW
そんなこんなで僅かな手勢と共に上田を目指し出陣した宇右衛門。しかしながら川中島から
上田に行く上で避けては通れない地蔵峠は既に真田の罠でいっぱいであった。
パーン!パーン!
家臣「うわ、間道から伏兵が発砲を!うわあああああああ」

飛んで火に入る夏の虫。当然の如く真田軍のゲリラ攻撃を食らう宇右衛門の軍勢。しかしながら
宇右衛門はこれで帰る訳には行かなかった。
井戸(あれだけの失態を侵してちょっと撃たれたぐらいでオメオメ戻れるものかよ・・・!
   名古屋にまた物笑いの種を与えるだけじゃないか。)

もはやヤケクソである。とにかく何かしら武功を立てるまでは撤退は無い。井戸軍は
真田の伏兵を無視して突っ切ると地蔵峠に設けられた真田の砦に押し寄せた。
「手ぶらで帰るぐらいなら全員討ち死にした方がマシ」という特攻作戦であった。
そしてついに・・・
井戸の弟「兜首取ったどー!!!!」
井戸兵「イヤッッホォォォオオォオウ!このまま砦を・・・」
井戸「馬鹿!よく見ろ。こんな状態で落ちる訳がないだろ。撤収だ!撤収!」

兜首を1つもぎ取った井戸軍は今までの必死さが嘘のように踵を返して
一目散に川中島へと逃げて行った。ボロボロになりながらもなんとか『武功』は立てたのである。
そして帰って来た井戸が真っ先にこれを伝えに行ったのはよせばいいのに名古屋山三郎であった。

名古屋(自慢UZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE)

名古屋もこれをわざわざ聞かされて面白い訳が無い。こうなれば言葉を返さずには入られない。
名古屋「貴様の弟が取った首なんて一揆軍の輩の首であってそんな物は本当の武士では無いと
     聞いている。」
井戸「なんだと、適当な事を!」

家中でのメンツは立ったがこれ以後、更に井戸と名古屋の中は悪くなったという。




799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 19:50:30 ID:jM9E1iN5
このあと色々あって殺されてしまうのですよね
何でこんな人についていったんだろう
周りの人から殺されるぞって言われてたのに

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 20:52:17 ID:5CampWyu
名古屋が怖くて逃げたと言われたくなかったんじゃない?

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 21:50:48 ID:2xzEKblk
>>798
ま、やっぱ名古屋が悪いよな。当時なら「真田の武将」を
討ち取るって、大功だよ。
でも、いまいち後世で「真田を討った」って評価されないんだよな…
↓見たいに。

iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-682.html


城和泉守昌茂と動かざる大名

2009年07月23日 00:13

森忠政   
720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 11:00:22 ID:2A7FgoHT
真田昌幸が亡くなってしばらくして、その子・信之のもとに武田家で父と同僚だった
七千石の旗本・城和泉守昌茂から書状が届いた。

昌幸殿が亡くなられたとの事、こちらにも聞こえて参りました。
致し方なく、残念です。
「もう一度会って話そう」と約束しながら果たせず日々を過ごしてきましたが、
今はただ、涙がこぼれ落ちるばかりです。
聞けば病で長く苦しまれたとの事、いっそう不憫に思われます。
この私の心中は、文章には表せません。とりあえず、謹んでお悔やみ申し上げます。

追伸
あなたは体調に充分注意して、例え半身不随になっても真田家のために長生きして下さい。
(・・・たとへかたわに御成候共、御家のつづき候やうに御生き候て・・・)

で、なにが悪い話って、こう書いた肝心の昌茂自身が、わずか2年後の大阪冬の陣の後に
改易されてしまった。

冬の陣に検視役として出陣した昌茂は、ある大名に大阪中之島での駐留を命じたが、
その大名は戦闘が開始されても動かなかった。
家康の上使として水野勝成が「なぜ進軍しないのだ?」と問い質したところ、その大名は
「検視役の指示に従っているだけだ。」と答えたので、昌茂は監督不行き届きとして
改易されたそうな。

動かざる大名、その名を森忠政という・・・・・・




721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 12:06:55 ID:YSycCjgg
また森の眷属か…

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 12:33:07 ID:k2RJ16nj
処世術というか処世道だよな、鬼の処世道

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 16:13:20 ID:GTKNj0D9
>>720
疫病神伝説がまた一つ増えたね。

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 16:24:13 ID:G9sjT6h7
昌茂との約束と真田家のために長生きした信之のいい話と思ったら....。

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 17:36:57 ID:I/W74ik1
そんな信之も弟と鬼嫁のストレスで(ry
あと30年は(ry

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 18:34:09 ID:kUbOFIKA
忠政の言い訳テクニックはすげぇな・・・

いつの間にか勝成も「昌茂はけしからん」という方向で納得させられてる謎。

727 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/22(水) 20:04:14 ID:bJB6e6tb
>>726
きっと、神の加護だよw
忠政たんの大坂陣前の逸話参照

728 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/22(水) 20:18:20 ID:fCaeEn4w
>>726>>727
どうも本当に前進ストップがかかっていたみたい。

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 20:24:54 ID:CIuX33cv
>>727
本人が疫病神みたいなもんだからなw

730 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/22(水) 20:27:22 ID:2DVcqNvp
死んで喜ばれるような先達がいるからな
仕方なし

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 20:32:17 ID:kUbOFIKA
毎度おなじみの「森家先代実録」だと前進ストップかかって無いんだよなぁw

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 20:44:51 ID:9p3Hi848
そういや、遺言があったなw


733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 22:16:41 ID:kUbOFIKA
森家先代実録的大坂冬の陣

・11月25日    忠政軍、仙波口より豊臣軍を攻撃。翌日晩まで鉄砲競り合い。
           忠政軍に戦死者・負傷者が出る。
・11月26日夜   忠政家臣の伊藤・安藤両名が天満川を渡り標木を「勝手に」立てる。
・11月27日午後 忠政、軍法を無視し小姓数人を引き連れて白昼堂々戦場を視察。
           当然すぐに豊臣方に見つかり発砲される。忠政、城の制止によりようやく帰陣。

・11月28日~29日 記録なし(この間に近くで博労淵砦の戦い、野田・福島の戦いなど
            重要な戦があったにも関わらず何も記述無し。懲罰?)

・11月30日 水野勝成が忠政の陣を訪れ天満川の途河の遅れを叱責する。
                   ↓
                忠政申し開き
                   ↓
          水野の訴えにより何故か城に有罪判決。城改易

以後、忠政付きの軍監として水野が忠政に付く。



一体、何が起こったのか推理してみよう。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/22(水) 22:27:54 ID:CWf1kRde
授業中にフラフラしてたDQNなガキが先生に「教室に入ってなさい!」と怒られて
全校集会の時も教室に残ってて「先生に言われたもんねー」と開き直るようなもんか