松井佐渡守の遺言

2013年09月12日 19:58

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/12(木) 08:09:53.46 ID:UDoFx5XB
松井佐渡守の遺言

細川忠興の家臣松井佐渡守と有吉頼母助は両雄とも言える重臣である。

佐渡守は遺言に「士は武辺一辺倒が良い。私は歌道・茶の湯・弁舌・
公儀などが秀でていたので武辺の事は誰も言わない。

場数で言えば有吉より二度多い。しかし世間は公儀分別は松井、武辺は
有吉と言うばかりだ。

士たるものはただ有吉のように武辺ばかりでその他は不調法なのが良い」
と申した。

(翁草)

自分の武辺が軽く扱われるのが悔しい戦国武将らしい話でしょうか

ちなみに名前をそのまま解釈すると松井興長と有吉英貴になりますが、
内容的には松井康之と有吉立行のような気がします。




308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/13(金) 00:50:39.95 ID:lvVqJBvO
隣の芝は青いって話だね。
武辺一辺倒で読み書きもロクに出来ないっていうような武将に聞かせたら、
いったいなんて言うだろうかw

>場数で言えば有吉より二度多い。

お互い何十回も戦に出ていながら、こんな細かい数字を気にするんだなw

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/13(金) 01:16:11.58 ID:yR5MQMvy
場数も大事だが、戦場での態度や戦果はどうだったんだろ

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/13(金) 01:25:53.03 ID:tx4YDjxG
細川さんちは文化人的なイメージあるけど、
やっぱり基本は武将なんだな。
三斎も死ぬ直前に戦場が恋しいと言ってたりしてたな。

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松井康之の諫言

2013年03月16日 19:51

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/16(土) 00:14:16.48 ID:jmwYLjKu
文禄4年、秀次事件が起きると、その重臣・前野長重に娘を嫁がせていた
細川忠興にも疑いの目が向けられた。
秀次から黄金百枚を借りていたことも問題視され、閉門を命じられたのだが、
竹田永翁(※注1)からは、石田三成らが忠興を切腹させようと企んでいるとの報まで入っていた。


そんな中、またもや三成がしきりに讒言をしていると永翁から松井康之に知らせがあった。

これを聞いた忠興大いに怒り、

「本来なら年来の戦功に対し恩賞があるべきなのに、日頃三成と仲が悪いために
妨げられ僅かな恩賞すらなく、功ある家臣を賞することもできない。
さらにこの上、讒言が信じられ死を賜ったなら、むざむざ腹を切るものか!
三成を襲い討ち、この伏見を黒土にした上で、自ら首を掻き落してくれる!」

康之はこれに対し、

「もし幽斎様御夫婦が安穏に許されるなら、ご孝行の為大人しく切腹なさるべきです。
そうなれば御介錯を務め、御供仕りましょう」

忠興は深くこれに感じ、それからは切腹を申しつけられた時の用心に、毎日行水して白い肌着を着ていたという。

また、米田助右衛門を聚楽第の細川屋敷へ遣わし、伏見よりの一報次第で忠興夫人と子息を生害させ、
屋形に火を掛けた上で切腹せよと定め、死期を待ったのである。

(綿考輯録)

※注 永翁は忠興のいとこ違いにあたり、松井康之の甥にもあたる。
   目付役を務めていたので、五奉行の相談している席にも出入りできたという。


三斎様、どうせ死ぬなら三成を殺して伏見も焦土にする!とブチ切れるお話。
この後は前田利家や徳川家康に頼んで金を借り、
秀次から借りた黄金百枚をなんとか返すことで許されるのであった。




923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/16(土) 11:44:11.06 ID:z6oHy/xE
竹田永翁って名前だけ大坂の陣で出てくるけど細川家の親戚だったんだ


松井康之、長岡(細川)家生き残り戦略

2012年09月02日 20:53

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/01(土) 22:33:54.93 ID:eWA0Nf07
長岡兵部太夫殿(細川幽斎)はつねずね、「この家が今まで続いてこれたのは、偏に家臣である松井佐渡守(康之)の
分別のおかげである」と仰っていた。その理由はこの様なことである

信長公の時代、幽斎のもとに信長からの使いが来て、このように申し渡した

『摂津・河内の内から12万石、もしくは丹後の内より12万石、このどちらか望みの方をそなたに遣わす。
返事は明日申し上げるように。』

そう伝えると宿所へ戻っていった。

幽斎は、摂津河内に12万石を頂くのがいいと考えたが、ともかく家中の重臣である松井佐渡守、
有吉四郎右衛門、米田次郎兵衛の3人を呼んで相談した。

有吉と米田は「丹後は遠国です。摂津河内は京都に近く、この二ヶ国の内を以って御拝領なされるのが良いでしょう。」
と申し上げた。
ところが松井佐渡守は

「私の判断を申し上げますと、選ぶのはこちらしかありません、丹後です。
丹後は確かに遠国です。京に近い摂津河内とは違います。しかし、ここで考えますに、
今後、天下(畿内)と西との争いがあった時、摂津河内はそれに巻き込まれ、必ず弓田の巷となります。
天下と東との争いがあれば、美濃尾張近江、この2,3ヶ国が戦場となると、古き者どもは言い伝えております。

私が考えますに、摂津河内の間で12万石を領したとして、天下と西との合戦が起こった場合、天下に付いたとしても
西に付いたとしても、その日のうちには裸城となり、その上12万石の領地も2,3年のうちに荒廃してしまうでしょう。
ただただ、遠国の丹後を拝領なさるべきです。

何故ならば、天下に何事があったとしても、50日100日の間には世間は静まるものですが、丹後にあれば
その間をゆるゆると観察することができます。これでこそ、御家を存続させられるのです。
判断を間違われてはいけません。丹後を拝領なさるように、どうかここは私にお任せ下さい。」

そう、たって申し上げ、これに幽斎も「ならば佐渡守に任せる」と、丹後を拝領することに決めた。

その後明智光秀殿が信長公を討った時、摂津河内は大いに乱れ、中でも摂津は二年間に渡り
荒廃し尽くしたという。

『長岡の家がこの被害を避ける事が出来たのは、偏に佐渡守の分別厚きゆえである。かの家が
今まで続き、今ほどの大名に成れたたのも、臣下である松井佐渡守のおかげである。』

当時世間では、このように噂し合ったという。
(川角太閤記)

松井康之による、長岡(細川)家生き残り戦略である




314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/01(土) 23:21:12.84 ID:mmhaNcaa
松井康之はかなり優秀なNo.2
創作物で藤孝忠興をメインで扱ったネタが少ないせいかパッとしないのが残念だ

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 00:11:44.54 ID:rIaMy6lO
右近左近を手放した筒井……

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 00:20:17.75 ID:VLMvjT/b
やっぱりNo.2は重要だな。