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キリシタンの楽園の闇

2012年09月09日 20:32

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 13:06:57.62 ID:MjrB2RIo
キリシタンの楽園の闇


戦国時代、畿内で勢力を誇った三好長慶の家臣に河内三箇城を治める三箇頼照という武将がいた。
永禄六年(1563)に頼照はロレンソの説教を聞いてキリシタンとなり、ガスパル・ヴィレラより
「サンチョ」という洗礼名を与えられると、以後の頼照のキリスト教への傾倒ぶりたるや相当なもので
すぐに領内に教会を多数建てて多くのキリシタンを呼び込んだ。

三好長慶から代が変わって主君が義継になり、バレテン追放令が出ようとその信仰は揺るがす、
一度は三箇城を破壊され、所領や財産を没収されるという憂き目にも遭った(後に返還されたが)が
それでも頼照は棄教しなかった。

そんな頼照の敬虔な信仰ぶりは当時のキリスト教宣教師たちから絶賛されている。
ルイス・デ・アルメイダ「予が日本で見た最も信仰厚きキリシタンに属す」
ルイス・フロイス「イエズス会士に対して真の父の如き庇護を与えた人」
また、フランシスコ・カブラルも頼照の語った「キリスト教と日本人の宗教観」についての演説に
深く感銘を受けて、日本人の聡明さを表したものとして頼照の演説文をそのままインドのゴアに送っている。

しかし、そんな頼照にも問題点はあった。
領内に美しい教会などを次々と建ててキリシタンを手厚く保護していたがその影で寺院などは
取り壊されて肩身の狭い扱いを受けていたのである。
天正5年(1577)、ついに頼照は領内の寺院全てを破壊し尽くすという暴挙に出たが、これが元で
キリシタン嫌いの多羅尾常陸介に毛利家への内通を讒訴され失脚。この疑惑は後に解かれたものの
頼照自身は家督を息子に譲り隠居する羽目となった。


有りがちといえば有りがちな行き過ぎた信仰の話。





397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 14:46:46.58 ID:Q5B0QBFz
キリシタン領主はすぐこういう事しちゃうよな

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 16:14:12.03 ID:/U+lUKh8
ついさっきまで、外で神父さんが説教してたよ
片言の日本語だから、~しなさいとか、高圧的でかなり印象の悪い説教だったけど

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 16:39:58.54 ID:Dvi4jxiX
唯一神教なので教理上、他の宗教の神は必ず悪魔という事になるから仕方ない
流石に現代のカトリックは自重してるけど

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 20:55:49.68 ID:PSIY045r
頼照って名前だけ見ると本願寺っぽいな

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 21:04:18.64 ID:L9R6RFTr
下間さん家か
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