282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/28(月) 18:32:44.66 ID:5p3QGKF9
大阪冬の陣の際、
池田武蔵守(利隆)は、播州姫路より尼崎に取り付き、神崎川を渡り、中津川を越えようとした時、
御検視であった城和泉守(昌茂)がこれを止めようとし、池田家の家老と武論の言い合いをし、
武蔵守は止まること無く、船橋・投げ筏を以て中津川を越え、天満表より仕寄った。
後の城和泉守改易はこの為であった。
池田左衛門督(忠継)は備前より軍を発し、これも神埼。中島筋より取り寄せ、自身の采配にて、
大和田の渡を越えて、大阪より出撃した敵を数多く討ち取り、尽く追い崩して、野田・福島を取りしぎ、
その後仙波へ廻り、蜂須賀と陣を列した。
緒軍に勝れた働きによって両御所様(家康・秀忠)より御感状が下された。彼はこの時十六歳であった。
(管窺武鑑)
大阪冬の陣の緒戦における、池田兄弟の活躍について
大阪冬の陣の際、
池田武蔵守(利隆)は、播州姫路より尼崎に取り付き、神崎川を渡り、中津川を越えようとした時、
御検視であった城和泉守(昌茂)がこれを止めようとし、池田家の家老と武論の言い合いをし、
武蔵守は止まること無く、船橋・投げ筏を以て中津川を越え、天満表より仕寄った。
後の城和泉守改易はこの為であった。
池田左衛門督(忠継)は備前より軍を発し、これも神埼。中島筋より取り寄せ、自身の采配にて、
大和田の渡を越えて、大阪より出撃した敵を数多く討ち取り、尽く追い崩して、野田・福島を取りしぎ、
その後仙波へ廻り、蜂須賀と陣を列した。
緒軍に勝れた働きによって両御所様(家康・秀忠)より御感状が下された。彼はこの時十六歳であった。
(管窺武鑑)
大阪冬の陣の緒戦における、池田兄弟の活躍について
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