「我、松平忠一である!」

2012年10月22日 20:31

27 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/21(日) 22:45:54.77 ID:BrmEIYHG
南龍公こと徳川頼宣が14歳で初陣した大坂の役で先陣を望むも許されず「14歳の私は、今しかない!」と
嘆いたのはここのスレでは有名な話。
この役で同じように先陣を望み許されなかった男がいた。松平忠利である。

松平忠利はかの「家忠日記」で有名な松平家忠の息子で深溝松平5代目当主である。
深溝松平家の当主は2代目好景、3代目伊忠と徳川の重要な合戦で当主が討ち死にして宗家に
忠義を示してきた壮烈な家柄である。
忠利は天下分け目の合戦の際の伏見城の合戦で覚悟の討ち死にをした父・家忠の仇討ちを願うも
結城秀康に従い、上杉の抑えとして関が原の戦勝を聞いた経緯もあり、大坂の陣では先陣を
切望したのは当たり前の事だと思われる。

しかし、大坂の陣でも忠利は先陣を許されるどころか徳川頼宣の補佐を命じられ前線での
槍働きを制限されたのである。
これに対し、忠利の実弟、松平忠一が兄の気持ちを代弁するかのように、深溝松平隊にこのように訓辞をした
「大坂方は必ずや打ち破られるであろう。そうすれば天下に戦はなくなる。今もし
激を励まさないということであれば、何時することができるであろうか。
 しかし、忠利は先鋒を望むもその命は下されない。しかし、自分、忠一は幸いに前線に属する事になった。
必ずや先陣を切り、父祖に地下へと会いに行こうぞ。」と。

その言葉どおり忠一は大坂の陣の5月7日の激戦に最前線へ躍り出て、突撃を繰り返し、大坂方を押し返し、
騎上にて「我、松平忠一である!」と高らかに名乗り上げ勇戦し、乱戦の中で己の命を散らしていったのである。
享年は26歳であったという。

ソースは深溝松平家菩提寺、本光寺の碑文です。




28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 23:02:51.09 ID:IjcwR6BQ
悶々と生きるより華々しく生きたいよなー

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 00:35:48.42 ID:uQjn0ZtC
>父祖に地下へと会いに行こうぞ
とか言っちゃうのがなんとも厨二というかボンボンとうか軽い気がする

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 00:56:21.51 ID:5y4FUJBo
本当に会いに行ったんだから軽くはないだろ

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 04:50:19.76 ID:ry7XifB+
そもそも隊の訓示だ
司令官の覚悟と父祖もそうだったと忠義の血を示してる
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