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下国師季は謎が多い。

2012年10月27日 18:05

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 06:33:28.50 ID:MTzhoiLC
下国師季は謎が多い。

彼は安東家政の孫であるという。家政は1457年のコシャマインの乱の鎮圧にも参加した人物で、
1501年に没した。
またその子で師季の父に当たる家季は父家政より早く1492年に没したらしい。
よって師季は1490年前後の生まれのようだ。それから1563年に没しているので70歳以上は生きている
なかなかの長寿。

問題は師季の妻だ。

師季は蠣崎季広の二女を妻にしているのだ。蠣崎季広は1507年生まれである。
長男の舜広は1539年生まれで、長女の嫁いだ南条広継は1529年生まれだから、
概ね二女の生まれはこの間の1530年代半ばくらいだろう。
となると、二人の年齢差は40歳以上…?
しかも二人の間には重季という子供もしっかり生まれている。

戦国時代の加藤茶とでもいうべきだろうか。





51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 12:25:15.37 ID:OEYb97HQ
>>50
山口直友パート2くらい言ってあげなよ。w

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 12:34:48.76 ID:sWrG/cwG
小少将と長宗我部元親は小少将がうんと年上だそうだが、これはどう呼ぶんだ
もっとも産んだ異父兄弟の年の差が40以上という無理ある話だが

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 12:38:17.36 ID:mTSUofq/
>48,>50
ドリフターズだな

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 12:41:57.97 ID:qWN6W0Zi
加藤茶は現代だから注目されるけど
昔は年齢差が大きい結婚が多そうだよね

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 13:17:11.00 ID:aEIVsLLX
13歳くらいで嫁いだものの、高齢の夫に興味持たれないまま先立たれて、手付かずのまま
生涯を終える姫とかいそうだよな

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 14:01:43.46 ID:bDmnSvcG
>>54
そこそこ身分の有る人間が年寄りになると、
「あの方も寂しかろう」つうて勝手に周りが十代の下女兼愛人を世話してくれる時代なんだよなあ

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/27(土) 18:27:25.72 ID:MTzhoiLC
発掘研究などから下国師季が茂別館を追われたのは永禄5年(1562)は誤りで、
永正5年(1508)が正しいらしい。
18歳くらいで城を奪われて蠣崎の庇護に入った己を恥じて長く妻は娶らなかったのかな?

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 01:05:14.60 ID:enuPRoD0
ところで蠣崎氏といえば、二代当主の蠣崎信広って
若狭武田家という名門の子息として生まれる→出奔→南部家ののち蠣崎家へ
→コシャマインの戦いでアイヌの反乱を鎮圧→蠣崎家の婿養子として後を継ぎ、蝦夷地と樺太をおさめる

なんか御曹司島渡の貴種流離譚そのまんまのような

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 07:21:13.20 ID:lRKgg1Vm
>>67
全般的にテンプレみたいな話ばっかだよね、蠣崎の歴史。
松前守護の安東恒季は粗暴で無実の民を殺すこともあったという典型的な暴君。
で、訴えられて安東宗家に滅ぼされる。
跡を継いだ相原季胤もアイヌ人を人身御供にしたとかでアイヌに滅ぼされる。
最終的に蠣崎氏が全部接収してるから、実は全部蠣崎が仕組んだことじゃね?とも言われてる。

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 14:27:16.24 ID:MFodyCec
全部は秀吉あたりに出仕する時にでもでっちあっぷした後付だなきっと

96 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/30(火) 21:10:12.13 ID:1Mij6FVA
>>50>>54
歳の差婚なら
家康(1543年生)の最後の子を産んだ英勝院(1578年生)は35歳差。
子を産んでない側室で一番年が離れてるのは、英勝院の侍女上がりの養儼院(1597年生)で54歳差。
親子の差どころか孫と同年代の側室www
年齢的に側室になったのは、早くても数え歳13(1609年)としても家康が満66歳の時。
大坂冬の陣(家康、満71歳)に養儼院を連れてきてるwwから、家康はほぼ生涯現役だったんだろうな
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蝦夷に下国師季という武将がいた

2012年10月26日 20:01

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/26(金) 05:10:22.88 ID:z3mDjgZL
雑魚武将の話を発掘してみる。

蝦夷に下国師季という武将がいた。
下国氏は安東氏の一族で茂別館に拠り下国守護を任じられていた。蠣崎氏と同格以上の家柄である。
また1551年にはアイヌと和人の講和が結ばれ平和な時代が訪れていた。

…にも関わらず、1562年なぜか師季はアイヌの攻撃を受け茂別館を落とされてしまった。
そうして松前に逃れて蠣崎氏を頼り、その臣下に甘んじることになる。
しかしそれだけでは終わらず、息子重季と不和になり、
挙句に頼っていた蠣崎氏から追放されてしまう。
そしてセタナイで1563年死亡した。

ただただ没落しまくったことしか記録がない地方の武将の話。





32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/26(金) 05:42:18.69 ID:MtAUdzdA
天庵様が興味を示されたようです

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/26(金) 18:22:44.89 ID:5bAlAIIx
>32、天庵さまはちゃんと俸禄貰ってる身分で終わってるだろ