秋山虎繁の矛盾

2012年10月30日 19:59

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 22:19:31.79 ID:N9b6t+TY
秋山虎繁の矛盾

伊那郡代の武田家臣、秋山虎繁。
彼は信玄の西上作戦の折、別働隊を率いて東美濃に侵攻、遠山夫人おつやの方を誑し込んで
岩村城を落とす活躍をしたと言われる。
しかしその一方で、信玄とともに三方原の戦いに参加したという記録もある。

あるぇー、どっちだあ??

しかも前者の場合、当初から同盟者信長に対して断交を宣言するものであり、上洛して
天下を取ることを視野に入れた行動であったことを示すが、
後者の場合、あくまで狙いは徳川領の奪取だったということになり、その違いは大きい。


…どうやら答えはどうも後者のようだ。
秋山はずっと山県昌景と行動をともにしており、一緒に信玄と合流したという。
では岩村城はどうなったのだろうか?
実は信玄動くの報を聞き、自ら武田側に寝返ってしまったのが真相のようである。
また城主遠山景任は信玄が動くより以前に病没していたという。
そして岩村城に武田方から援兵として送られたのが秋山…ではなく、下条伊豆守という武将であった。
この後行われた上村合戦というのも裏切った遠山夫人に対する他の遠山一族との戦いだったようだ。
秋山虎繁が美濃に向かい岩村城に入るのは三方原の合戦も終わり、信玄が死ぬ直前になってからのようである。

各書物もこれを裏付けるような記述が見られる。
『甲陽軍鑑』においては「馬場信春が岩村城を落とした」など間違いはあるものの、
三方原の合戦の後「徳川の陣に織田家の平手らがいたのはうちへの敵意の表明だよな?」と言って
ここで断交を宣言。
その後馬場が岩村城を落とした後、秋山が入城したとしており、流れ自体は概ね合っている。
『三河物語』にも武田軍は手引きをする者がいたので東美濃へ向かうことにしたとあり、
遠山夫人の裏切りを示唆している。




82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 22:34:46.34 ID:Zq4K3Vw0
岩村城みたいな前線の重要拠点がろくに調略もされていないのに裏切るって、
そりゃ信長は怒り心頭にもなるだろうなぁ。まともに調略された武田崩れの時の木曽よりもアレかも。

しかも、場合によったら織田が武田崩れのような連鎖的造反になっていたんだものなぁ。

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 04:08:43.60 ID:uQi0NCj2
おつやの裏切りは武田にとってもプラスになってないんだよな。
これのせいでなし崩し的に織田と敵対する羽目になり、後の滅亡に繋がるわけで。
もっともあちこちに「俺近いうちに上洛するから」って宣伝しまくってた信玄にも問題があるわけだけども。
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