491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 00:04:36 ID:CGOpwSwC
平塚為広の奮闘
さてさて関ヶ原、小早川秀秋の寝返りにより西軍総崩れの中、大谷吉継隊に属した
平塚因幡守為広は頑として退かず、吉継と最後の詠歌を取り交わすと、逃げる味方を尻目に
敵の大軍の中に突入した。
平塚隊は火を吹くように戦ったが郎党皆討死し、残ったのは為広一人。
が、為広、少しも恐れず退かず、高名な大薙刀を水車と振り回し薙ぎ通る。
為広、元来大力な上薙刀の達人、それが決死となって戦うのだから、彼の鉾先に回る者、
あるいは兜の真ん中、あるいは面頬篭手の端と、斬って落とされる者その数知れず。
このため件の大軍進みかね、為広の周りを開けて通る始末。
為広はなお勢いに乗って人馬ともに敵を薙ぎ払って回り、つっと敵の後ろへ駆け抜けたところで
暫く息を継ぎ薙刀を見ると、その刃は敵の槍刀を受けすぎたため、あたかも彫り込まれたように
傷だらけであった。
ここに小早川に呼応し寝返った小川祐忠家臣、樫井太兵衛現れる。
十文字の槍を高く掲げ
「天魔鬼神の平塚も、樫井が槍は受け止められぬぞ!」
と高らかに叫び突き掛る。
為景これを見てうち笑い
「優しき樫井の心底か、最後の暇を取らせてやろうぞ!」
と、件の薙刀を取り直し、樫井の槍をはじき落としてやろうと力任せに打ち込んだ。
…が、為広の運も尽きたるか。薙刀の刃、鍔元から折れたりけり。
樫井すかさず飛び入り突き倒し、終にその首を取る。
これを見ていた山内一豊は「心利きたる早業、広大の高名」と激賞し、後で徳川家康にもこれを語り、
家康もまたこれを賞した。
…さて、家康の本陣から戦勝祝の諸侯たちも皆帰陣した後の事。
家康は言う
「平塚の武勇、義心、彼の家をこのまま絶えさせてはなるまい。」
そして為広の嫡男左馬助を召し出し、徳川の家臣とした。
後にその家は頼宣に付けられ紀州へと移った、との事である。
492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 00:10:54 ID:DiMtCuRb
らいてうさんの先祖か
関が原では刑部よりも奮闘したと思うんだけど、いまいち評価が上がらないんだよなあ
493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 00:25:03 ID:MpLBc9LF
>>491
名調子だなw。琵琶法師に語らせたいぜ
494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 00:50:50 ID:4HpWz1pX
山内一豊はどうやってそこまで移動したんだ?
495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 01:00:27 ID:V6l8QR5d
一豊「ぶっちゃけやる事なかったんで……」
とまあ、それは冗談として、確かに、なんで家康どころか有馬の後方に布陣してた一豊なんだ、って感は
受けない事はないけど。
496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 01:02:18 ID:CGOpwSwC
それは後に樫井太兵衛が山内家に仕えるからなのです。
497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 03:29:36 ID:ySZZNh4I
うん、樫井太兵衛が山内氏家臣になるのは本当の話。
12000石の平塚因幡守を討った武名で1200石の高禄なのだから樫井も頑張った
甲斐があった。
501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 11:54:01 ID:08SWcPaB
>>495
一豊は初め、毛利の押さえとして後方にいたけど、西軍が崩れて毛利が動く気配がないから、
後半は少し前に出ているよ
514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 20:25:51 ID:YShFZs9P
まとめにも載ってるけど、平塚為広といえば娘も怪力で、
関ヶ原の後に京で捕まった時、捕り方をぶちのめして逃亡したという逸話があるな
弟の越中守も怪力だったという
515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 20:29:07 ID:/uMwPcHR
>>491
樫井が桜井に見えてしまった・・・広大・・・ すまん。
平塚為広の奮闘
さてさて関ヶ原、小早川秀秋の寝返りにより西軍総崩れの中、大谷吉継隊に属した
平塚因幡守為広は頑として退かず、吉継と最後の詠歌を取り交わすと、逃げる味方を尻目に
敵の大軍の中に突入した。
平塚隊は火を吹くように戦ったが郎党皆討死し、残ったのは為広一人。
が、為広、少しも恐れず退かず、高名な大薙刀を水車と振り回し薙ぎ通る。
為広、元来大力な上薙刀の達人、それが決死となって戦うのだから、彼の鉾先に回る者、
あるいは兜の真ん中、あるいは面頬篭手の端と、斬って落とされる者その数知れず。
このため件の大軍進みかね、為広の周りを開けて通る始末。
為広はなお勢いに乗って人馬ともに敵を薙ぎ払って回り、つっと敵の後ろへ駆け抜けたところで
暫く息を継ぎ薙刀を見ると、その刃は敵の槍刀を受けすぎたため、あたかも彫り込まれたように
傷だらけであった。
ここに小早川に呼応し寝返った小川祐忠家臣、樫井太兵衛現れる。
十文字の槍を高く掲げ
「天魔鬼神の平塚も、樫井が槍は受け止められぬぞ!」
と高らかに叫び突き掛る。
為景これを見てうち笑い
「優しき樫井の心底か、最後の暇を取らせてやろうぞ!」
と、件の薙刀を取り直し、樫井の槍をはじき落としてやろうと力任せに打ち込んだ。
…が、為広の運も尽きたるか。薙刀の刃、鍔元から折れたりけり。
樫井すかさず飛び入り突き倒し、終にその首を取る。
これを見ていた山内一豊は「心利きたる早業、広大の高名」と激賞し、後で徳川家康にもこれを語り、
家康もまたこれを賞した。
…さて、家康の本陣から戦勝祝の諸侯たちも皆帰陣した後の事。
家康は言う
「平塚の武勇、義心、彼の家をこのまま絶えさせてはなるまい。」
そして為広の嫡男左馬助を召し出し、徳川の家臣とした。
後にその家は頼宣に付けられ紀州へと移った、との事である。
492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 00:10:54 ID:DiMtCuRb
らいてうさんの先祖か
関が原では刑部よりも奮闘したと思うんだけど、いまいち評価が上がらないんだよなあ
493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 00:25:03 ID:MpLBc9LF
>>491
名調子だなw。琵琶法師に語らせたいぜ
494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 00:50:50 ID:4HpWz1pX
山内一豊はどうやってそこまで移動したんだ?
495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 01:00:27 ID:V6l8QR5d
一豊「ぶっちゃけやる事なかったんで……」
とまあ、それは冗談として、確かに、なんで家康どころか有馬の後方に布陣してた一豊なんだ、って感は
受けない事はないけど。
496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 01:02:18 ID:CGOpwSwC
それは後に樫井太兵衛が山内家に仕えるからなのです。
497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 03:29:36 ID:ySZZNh4I
うん、樫井太兵衛が山内氏家臣になるのは本当の話。
12000石の平塚因幡守を討った武名で1200石の高禄なのだから樫井も頑張った
甲斐があった。
501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 11:54:01 ID:08SWcPaB
>>495
一豊は初め、毛利の押さえとして後方にいたけど、西軍が崩れて毛利が動く気配がないから、
後半は少し前に出ているよ
514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 20:25:51 ID:YShFZs9P
まとめにも載ってるけど、平塚為広といえば娘も怪力で、
関ヶ原の後に京で捕まった時、捕り方をぶちのめして逃亡したという逸話があるな
弟の越中守も怪力だったという
515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/09(火) 20:29:07 ID:/uMwPcHR
>>491
樫井が桜井に見えてしまった・・・広大・・・ すまん。
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