野中良明の事

2013年01月17日 19:51

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/17(木) 09:32:29.23 ID:c9uPLLm2
 後に土佐の大名となる山内一豊の妻の千代にはお合という妹がいた。
お合は山内一豊に仕える美濃侍 野中権之進良平と結婚して息子の良明を産んだ。
一豊は一人娘のよね姫と甥の良明を婚約させ、ゆくゆくは養子にして後を継がせることにしたが、
よね姫は天正13年に幼くして亡くなってしまったため、婿養子の話は白紙に戻ってしまった。
 それでも、一豊は良明への愛情を失わず、土佐の大名になった時には良明に2万9千石を与えて
厚遇した。
 一豊の死後、家督を継いだのは弟の康豊の息子にあたる14歳の忠義である。忠義の実父である
康豊が後見人として山内家を治めることになった。康豊は一時でも後継者候補だった野中良明を
うとましく思っていたのか、山内一豊の四十九日法要が済んだ後で良明を呼び出し、2万9千石の
知行のうち1万8千石を返還するように要求した。
 この理不尽な要求に立腹した野中良明は怒りのあまり、わずかな家来を連れて土佐から出奔した。
そして、数年の流浪の果てに京都で亡くなった。
 もし婚約者のよね姫が長生きしていれば婿養子として山内家を継ぎ、存分に手腕を発揮することが
出来ただろうに惜しい話である。


 ちなみに良明の一人息子は後になって山内家の家臣となり、藩政改革で大いに活躍した。この
一人息子こそ土佐藩を建て直した名家老の野中兼山である。




188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/17(木) 10:13:56.96 ID:mQsqxy5j
野中兼山次の藩主に嫌われて失脚、幽閉で失意のうちに死亡。

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/17(木) 12:19:41.85 ID:mzEsTvx/
ガチで男系が絶えるまで幽閉されてたのな、こええ

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/17(木) 12:27:42.08 ID:xGWKjNeo
あの山内だからねw

191 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/17(木) 17:17:05.13 ID:kNCidfLH
山内ってなんか頭の回転鈍いけど、やることは徹底するよな。
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