FC2ブログ

下瀬九太夫と茨木兵太

2018年10月18日 19:31

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/17(水) 21:29:26.72 ID:dTQ+W14S
東国の人である下瀬九太夫という武士が、上方へ上り、しかるべき人が有れば主取りをしたいと考えていたが、
近江で佐々木承禎(六角義賢)に認められ、その家臣と成った。

そうして一年ばかり過ぎたある時、六角家中の人々が寄り集まって様々な物語をする中、茨木兵太という者が
このように申しかけてきた

「九太夫殿は遠国よりはるばると上方まで上ってきたその志、誠に大切なことです。
そうであれば、弓箭の道にも定めて通じられていることでしょう。」

下瀬は答えた
「太刀打ちの勝負、弓法の事などは、侍の身につける基本的な所作ですから珍しいことではありません。
その他の芸がある事こそ大切だと思います。」

それでも茨木は望んだ
「そうは言われますが、兵法弓法は侍の所作なれども、私は不調法で身についていない者ですから、少し
ご指南を受けたいのです。」

「歴々たる御身代をお持ちの貴殿が、どうしてそのような事があるでしょうか。その様に仰るからには、
貴殿は私には無い、珍しきことを様々に身に付けているのでしょう。私こそご指南を望みたい。」

このように少し言いあいに成りかけた所で、側に居た人々が
「わかったわかった、武芸は武士の嗜道と決まっているが、総じて諸芸に付いて善悪の評価は有るものなのだから、
あまりそういう論議をするべきではないよ。」

そう言い紛らわしてその場は止んだのだが、これ以降下瀬と茨木は、表面上何も気にしていないようでも、内面には
心にかかるものが残った。

それから五十日程過ぎて、六角承禎は鷹野に出て終日狩りを行い、そのまま「猪狩をすべし」と、
侍衆三百余人を引き連れ、郷人達を勢子として獲物を追い立てさせ、狩りをしている所、大山の茂みより
巨大な猪が勢子に驚き、峰からまっすぐ下へと駆け下りた。
茨木これを見つけ、良い折だと弓を射たが、猪の前脛の高骨に当たり、矢は空へと蹴り飛ばされた。

猪は矢の当たったことなど物ともせず谷へ向かって駆け下りていたのを、下瀬も見つけ、射掛けた所、
その矢は脇腹を貫き、猪はたまらず岩のある方へ逃げた。

ところがこの時、茨木の者たちが下りてきてこの猪を捕ろうとした。当然下瀬の者たちも下りてきて捕ろうとした事で
互いに口論となり、茨木兵太は駆け寄ってきて、下瀬の者たちを弓で散々に打擲した。
下瀬はこれを見て馬にて駆け寄り、内々に意趣を持っていたため

「いかに茨木殿、猪狩りの法を未だ貴殿は知らないのか!?二の矢にて仕留めた猪を奪い取ろうとするのみ成らず、
私の者たちを打擲までしたこと、奇っ怪である。猪がほしいのなら取らせよう。」

これを聞くと茨木は
「人の猪を奪おうとしたから打擲したのだ!取らせようなどと、誰に向かって言っているのか!」
そう怒鳴るや、二寸七尺の太刀を抜いて打ちかかってきた。
下瀬も抜き合わせ、即座に茨木の弓手(左)の肩をしたたかに打ち付けた。
すると茨木の郎党たちがすかさず寄ってきて、下瀬の腰を切りつけたが、切りようが甘かったか、物ともせずに
平打に打ってまわり、たちまち五、六人を切り捨てた。
しかしそうしている内に、人々が彼を囲み、遠矢にて、まるで雨にように矢を射掛けたため、ついにこれにて死んだ。

(義殘後覺)



331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/18(木) 15:18:31.26 ID:8UF/z1Jw
>>322
この後どうなったんだ、お咎めは…?
スポンサーサイト

イチョウの漢字を御存じないのか?

2013年01月28日 19:52

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 20:14:38.40 ID:awzvNXJe
1525年、六角家臣・蒲生高郷(氏郷の曽祖父)は、
当主の座から追った甥・秀紀を毒殺した(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1276.html)。

蒲生氏は京の将軍家とも関係の深い家だったため、秀紀毒殺について将軍家から六角氏に追及があり、
六角義賢(※)は毒殺犯の僧・善知客を捕え、五十五度もの拷問にかけ真相を白状させようとした。
しかし僧は拷問に耐え抜き、自白しないので処刑するわけにもいかず、
とりあえず獄舎につないでおいた。

しばらく後、義賢は銀杏の紋の入った鞍を他国へ遣わそうとしていた。
しかし担当の者は無学だったので、漢字でイチョウをどう書くのか知らず(送る物の品目を書く
必要があったのだろう)
更に周りの者共にも聞いてみたが、誰一人その漢字を知る者はいなかったのである。

「ま、まさか仮名書きで書いて送るわけにもいかないだろ…どうすりゃいいんだ…?」

どうすべきか話し合っていると、獄中の僧がこれを聞きつけ、
「イチョウの漢字を御存じないのか? 銀杏と書き、鴨脚という異名もある。」

と教えたので、義賢は「良いことを申したものだ。これで今回は恥をかかずに済んだ…」
と深く感じ入り、僧を助命したのであった。


(蒲生軍記)


(※)原文では義賢だが、義賢は1521年生まれなので父の定頼の間違いのはず




318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 21:08:09.76 ID:GK/Zq8Q+
結局、毒殺の真相はどうなったんだ?。
それにしても55回の拷問に耐えるってのも凄いな

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 21:39:54.17 ID:nTGBlkvA
>>318
良く生き延びたよな
それとも僧侶相手だから直接痛めつけない拷問だったんだろうか

寝かさないとか

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 22:11:07.94 ID:fsrXLPkh
クッションの刑とか安楽椅子の刑とかの恐ろしい拷問を…

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:52:34.90 ID:ZU0288WA
当主毒殺の疑いがあるので僧を拷問することにした。
他人の目に触れるとまずいので家に連れ帰る事にする。
嫌がる僧を風呂場に連れ込みお湯攻め。
充分お湯をかけた後は薬品を体中に塗りたくりゴシゴシする。
薬品で体中が汚染された事を確認し、再びお湯攻め。
お湯攻めの後は布でゴシゴシと体をこする。
風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける。

その後に、乾燥した不味そうな塊を食わせる事にする。
そして俺はとてもじゃないが飲めない白い飲み物を買ってきて飲ませる。
もちろん、温めた後にわざと冷やしてぬるくなったものをだ。

その後は棒の先端に無数の針状の突起が付いた物体を左右に振り回して僧の闘争本能を著しく刺激させ、
体力を消耗させる。
ぐったりとした僧をダンボールの中にタオルをしいただけの質素な入れ物に放り込み
寝るまで監視した後に就寝。

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 00:00:35.99 ID:WtrO6cYH
>>322
井伊直孝、島津義弘「まさかおぬし、そのような拷問を猫に対して行なっているのではあるまいな」

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 01:02:22.84 ID:c1txSWuX
僧の玉を抜くとき聞いたところ
お湯攻めの後は熱風ではなく冷風がお勧めだそうじゃぞ。
でも冷風だと捗らないんですけど。

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 01:27:02.00 ID:lbee8xBg
>>324
>>僧の玉を抜くとき聞いたところ

それが一番の拷問や(; ;)