「姥ヶ堰」

2013年03月02日 19:52

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/02(土) 12:10:49.76 ID:etb1I0RW
初代龍野城主・赤松村秀は赤松政則の庶子だが(諸説あり)、正室(魔法半将軍の妹)を憚る政則の意向で、
西播磨8郡郡代・赤松下野守政秀(性喜。黒田官兵衛と戦った赤松下野守政秀(村秀の子)とは別人)に
預けられることになった。

政秀は片吹村から「ちよ」を召し出して乳母とし、村秀の養育に当たらせたのである。

村秀を育て上げたちよは、大永~享禄の頃、自身の老齢を理由として暇乞いを申し出た。
村秀は彼女に労いの言葉をかけ、「何か望みはないか?」と尋ねた。

ちよは、彼の心遣いに感謝し、かねてから抱いていた願望を口にした。
「私の里、片吹村は常に水不足で、村人は大変困窮しております。
願わくは、岩見井から鍬一枚分の水を取ることをお許しくださいませ。」

村秀は、その願いを聞き届けた。
早速、片吹村付近を流れる灌漑用水「岩見井」に、鍬一枚分の幅の取水口を設けさせたのである。
こうして、村には豊富な用水が流れ込むようになり、10町歩の農地が美田に姿を変えた。

村人は、取水口を「姥ヶ堰」、それによって潤った水田を「御殿地」と呼ぶようになり、
天文3年に世を去った「ちよ」の名とともに、代々語り継いでいった。
村人たちが浄財を出し合い、彼女の遺徳を讃える「姥ヶ堰之碑」を建立したのは明治時代のことである。




589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/02(土) 12:39:39.21 ID:KSWeWEe5
これはいい話だな。
「ちよ」さんも偉いが、明治以降まで語り継いでる村人も偉いな。

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